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第四幕 ご利用に、終止符を
64.シーン4-1(リィベ)
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すいへいりぃべ、ぼくのふね、船はコクヤと聖都の移動以来使用していないのだが、私たちはどうやら聖都の西方に位置するらしいリィベと呼ばれる小さな村まで辿り着いたようである。ここに至る道の途中にあまり大きな集落などはなかったようで、どうにも少し人里離れた場所のようだ。
恐らく、この村をもう少し北上すれば、蒼木の生える特殊な谷があるのではなかろうか。はっきりとしないのは、何を隠そう移動中ほぼ寝ていたからである。
コクヤで過ごした最後の晩、私はやはり疲れたからちょっとだけと横になって休んだのだが、気がついた時には絶望の鐘とともに朝日が空へ昇っていた。私に預けられていたコクヤ滞在分の書写はすでに受けてしまった依頼だから断ることは出来ないということで、超過は全て報酬として支払いますのでお願いしますとキュリアさんから完遂を頼まれていたのだが、私は見事に白紙のままで夜明けを迎えた。
そもそも二日目は主にその作業を黙々とこなす前提で渡されていた量なだけに、私がどうしてもとマナ解放組に同行していた時点で帰った後には気合を入れて取り組まなければならなかったものである。寝ちゃいましたと申告した瞬間に彼女が見せた名状しがたい無の顔と、その数秒後に訪れた寒気のする笑顔に恐怖しながら私は死ぬ気で作業を終わらせ、リィベ同行の許可を得た。危うく聖都で荷運びと書写をしながらお留守番する羽目になるところだったのである。
一日聖都で過ごしたあとに、キュリアさんの厚意で手配された馬車を使ってリィベへと出発した。私は丁寧に洗濯されていた自分の服と久方ぶりの再開を果たし、ミリエは別の服へと着替えている。
どうやら、滞在中にオルカとカインも長旅で汚れてしまった衣類の洗濯サービスを受けたらしい。富めるときも貧しいときも、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまでは肌身離さずずっと一緒に過ごしていたはずの大事なマントを剥がれた彼が、その間どこにいたのかは想像に難くない。
聖都を出る前、私はキュリアさんに頼み込んで、あるものを貸してもらうことにした。有料ならまた帰ってきたあと荷運びでも書き写しでもばっちりやるのでお願いしますと申し出ると、破かない限りはそこまでしなくて良いですよという言葉とともにその代物は差し出された。
イッツ枕。マイ枕。私は馬車で揺られ続けた約一日半の時間をすべて、借りた枕と共に過ごした。
さすが高給職の宿舎に備えてある枕、中に羽毛が惜しげもなく使われていてふかふかである。枕とはまた別に、私はキュリアさんからこの地の歪みを管理している責任者へ渡してくださいと言われて小さな書簡を預かった。
故郷に帰るというのにどこか浮かない顔のオルカに先導されて、凝り固まった体をほぐしながらリィべの村へと入っていく。
キュリアさんは都合がつかずに付き添うことが出来なかったため、ここへ来たのは私とミリエ、それにオルカとギャラクシー・パラリラのみだ。はなから完全なる善意で同行してくれていたオルカはもとより、今度ばかりはミリエも同じく単純に善意のみで補助としてここまで付いてきてくれている。この行程が終わったあとには、私は彼らに高級寿司か会席料理か、はたまたフルコースのディナーでもおごらなければならないのではと冷や冷やしている。
魔物や他の野生動物がよく出没するのか、村の周りにはやはり簡素ながらもところどころに堀や防護柵が設けてあった。畑や羊などの家畜を眺めながら、そこはかとない期待とともに温泉を探してみたのだが、残念ながら見つからない。
聖都の公衆浴場では汗を流してざっと体を洗う程度だった上に、マナがもうもうと立ち込める不埒な湯には心を休めて入れない。とりあえず私は早く身も心も安らぐ真の温泉が拝みたい。
いくつか家屋が並び始め、ぱらぱらと人の姿が見えてきたところになって、オルカが不意に歩を止めた。
「うっ、ばあちゃん……」
いよいよ彼は気まずい様子を全面に押し出して、苦い声で呟いた。彼の前には小柄な老齢の女性が立っている。
どこかの誰かというわけでもないのだが、彼女もまたローブを羽織ってフードを目深に被っており、表情までは確認できない。身を包んでいる蒼木の繊維が織り込まれている布のローブは、魔術士たちがたびたび身にまとっていたりするものだ。
オルカがたじたじとその場でまごついていると、彼女は手に持っていた背丈ほどの杖を握りなおしてこちら側へと歩み寄った。
「まったく、お前はなーにやっとんじゃ!」
この馬鹿者!ヘタレ!すっとこどっこい!寝癖直せ!とまで続けざまにがっつりと言い切って、そばに寄るなり杖でオルカの頭を小突こうとする彼曰くのおばあちゃんを、今度はさらにその背後からやってきた幼い声が引き止める。
「オルカも己の責務に不安を感じてのことだったのでしょう。黙って家出したとはいえ、あまり咎めてもいけませんよ」
なるほど、家出。黙って家出。要訳すれば、家を出る。いわゆるひとつの家出である。
「家出!?」
ミリエが素っ頓狂な声を上げた。オルカはそれに驚きびくりと肩を震わせると、うぅーと篭った声でかすかに唸った。
私は何か聞いてるかとミリエに目配せしてみたが、ミリエは顔を小さく横に振った。一体彼に何があったか、そのプライベートな内容まではさすがにうかがい知れないが、彼の歳を考えてみれば、それ相応の行動だと言えなくもないだろう。
恐らく、この村をもう少し北上すれば、蒼木の生える特殊な谷があるのではなかろうか。はっきりとしないのは、何を隠そう移動中ほぼ寝ていたからである。
コクヤで過ごした最後の晩、私はやはり疲れたからちょっとだけと横になって休んだのだが、気がついた時には絶望の鐘とともに朝日が空へ昇っていた。私に預けられていたコクヤ滞在分の書写はすでに受けてしまった依頼だから断ることは出来ないということで、超過は全て報酬として支払いますのでお願いしますとキュリアさんから完遂を頼まれていたのだが、私は見事に白紙のままで夜明けを迎えた。
そもそも二日目は主にその作業を黙々とこなす前提で渡されていた量なだけに、私がどうしてもとマナ解放組に同行していた時点で帰った後には気合を入れて取り組まなければならなかったものである。寝ちゃいましたと申告した瞬間に彼女が見せた名状しがたい無の顔と、その数秒後に訪れた寒気のする笑顔に恐怖しながら私は死ぬ気で作業を終わらせ、リィベ同行の許可を得た。危うく聖都で荷運びと書写をしながらお留守番する羽目になるところだったのである。
一日聖都で過ごしたあとに、キュリアさんの厚意で手配された馬車を使ってリィベへと出発した。私は丁寧に洗濯されていた自分の服と久方ぶりの再開を果たし、ミリエは別の服へと着替えている。
どうやら、滞在中にオルカとカインも長旅で汚れてしまった衣類の洗濯サービスを受けたらしい。富めるときも貧しいときも、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまでは肌身離さずずっと一緒に過ごしていたはずの大事なマントを剥がれた彼が、その間どこにいたのかは想像に難くない。
聖都を出る前、私はキュリアさんに頼み込んで、あるものを貸してもらうことにした。有料ならまた帰ってきたあと荷運びでも書き写しでもばっちりやるのでお願いしますと申し出ると、破かない限りはそこまでしなくて良いですよという言葉とともにその代物は差し出された。
イッツ枕。マイ枕。私は馬車で揺られ続けた約一日半の時間をすべて、借りた枕と共に過ごした。
さすが高給職の宿舎に備えてある枕、中に羽毛が惜しげもなく使われていてふかふかである。枕とはまた別に、私はキュリアさんからこの地の歪みを管理している責任者へ渡してくださいと言われて小さな書簡を預かった。
故郷に帰るというのにどこか浮かない顔のオルカに先導されて、凝り固まった体をほぐしながらリィべの村へと入っていく。
キュリアさんは都合がつかずに付き添うことが出来なかったため、ここへ来たのは私とミリエ、それにオルカとギャラクシー・パラリラのみだ。はなから完全なる善意で同行してくれていたオルカはもとより、今度ばかりはミリエも同じく単純に善意のみで補助としてここまで付いてきてくれている。この行程が終わったあとには、私は彼らに高級寿司か会席料理か、はたまたフルコースのディナーでもおごらなければならないのではと冷や冷やしている。
魔物や他の野生動物がよく出没するのか、村の周りにはやはり簡素ながらもところどころに堀や防護柵が設けてあった。畑や羊などの家畜を眺めながら、そこはかとない期待とともに温泉を探してみたのだが、残念ながら見つからない。
聖都の公衆浴場では汗を流してざっと体を洗う程度だった上に、マナがもうもうと立ち込める不埒な湯には心を休めて入れない。とりあえず私は早く身も心も安らぐ真の温泉が拝みたい。
いくつか家屋が並び始め、ぱらぱらと人の姿が見えてきたところになって、オルカが不意に歩を止めた。
「うっ、ばあちゃん……」
いよいよ彼は気まずい様子を全面に押し出して、苦い声で呟いた。彼の前には小柄な老齢の女性が立っている。
どこかの誰かというわけでもないのだが、彼女もまたローブを羽織ってフードを目深に被っており、表情までは確認できない。身を包んでいる蒼木の繊維が織り込まれている布のローブは、魔術士たちがたびたび身にまとっていたりするものだ。
オルカがたじたじとその場でまごついていると、彼女は手に持っていた背丈ほどの杖を握りなおしてこちら側へと歩み寄った。
「まったく、お前はなーにやっとんじゃ!」
この馬鹿者!ヘタレ!すっとこどっこい!寝癖直せ!とまで続けざまにがっつりと言い切って、そばに寄るなり杖でオルカの頭を小突こうとする彼曰くのおばあちゃんを、今度はさらにその背後からやってきた幼い声が引き止める。
「オルカも己の責務に不安を感じてのことだったのでしょう。黙って家出したとはいえ、あまり咎めてもいけませんよ」
なるほど、家出。黙って家出。要訳すれば、家を出る。いわゆるひとつの家出である。
「家出!?」
ミリエが素っ頓狂な声を上げた。オルカはそれに驚きびくりと肩を震わせると、うぅーと篭った声でかすかに唸った。
私は何か聞いてるかとミリエに目配せしてみたが、ミリエは顔を小さく横に振った。一体彼に何があったか、そのプライベートな内容まではさすがにうかがい知れないが、彼の歳を考えてみれば、それ相応の行動だと言えなくもないだろう。
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