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第二幕 袖振り合ったら、引ったくれ

34.シーン2-22(一次判決)

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 心なし恥じらいながら、彼女はもういちど私の目の色を窺うようにして語尾のトーンを持ち上げた。

「……ミソ?」

 キュリアさんの言葉に、なんとオルカが反応を示す。もちろん、彼が言うミソと私とキュリアさんの間で通じるミソが同じものを指しているというわけではないだろう。これまでミソという名詞の言葉に被りはなかったため、普通にそれを使っていただけである。

 大豆、らしきものが時折店に出回るため、寂しい私はどうしても我慢できずに色々チャレンジしたのである。南や東の方から来る商人が時折さまざまな醤を持ち込んでくるため、もやしの方も試す幅があるというわけだ。関係はないが、こういう時、南や東の離れた地方の気候や生活を少しだけうかがい知ることが出来る。

 発酵食品というものは世界中にあらゆる形で存在するが、麹、もとい発酵の鍵となる菌類は、どこにでもいるようでいて他の植物や動物と同じく固有種であることが多々ある為、種類によってその特性も様々である。あくまでも大豆っぽい豆を使って、あくまでも味噌風に仕上げたものであるため、風味などはまだまだ改良の余地がある。大豆っぽい豆と発酵に使われているカビのゲノムが解析できないので、厳密な部分の是非は仕方がない。穀醤と呼んだ方が無難だが、私は味噌が良いのである。時には体を張って張らせて胸を張れない苦労の末に安全が確認された毒性のない信頼できる食べ物なので、そのあたりには私も胸を張って良い。

 そして、私が主に私の為に試行錯誤し再現した味噌の味を、なんとキュリアさんがいたく気に入ってくれたのだ。作れる量が量なだけに配れるのは町の住民くらいなので、私の味噌を知っているのはご近所さんだけである。彼女は町を越えてまで私の味噌を心待ちにしてくれるという、味噌トモとしてとてもありがたい存在なのだ。偶然、実家に帰省するミリエに付き添って来ていた際に味噌と邂逅してからというもの、彼女は無事、味噌同好会の会員である。

 手前味噌なんて言葉があるが、しかしやはり自家製の味噌を気に入ってもらえたというのは、喜ばしいことだろう。これならば、犬猫その他に変なもんを食わせるな!と怒られた甲斐があったと言うものである。犬に大豆が好ましくないのは植物性たんぱく質が消化しにくい為であり、そもそも保存食である味噌に使われている塩分の量が、犬にとっては多いからだ。だがしかし私は言おう、味噌は変なものではないと!

「はい、一応」

 キュリアさんは私の返答を聞くや否や、これまでになく幸せそうな顔をした後で私たちの視線に気付き、慌てていつものキリリとした表情に切り替えた。

「出来上がったらこちらへお持ちください」

 味噌トモである。

「これでマナの歪みの封印を解いたことについて、前置きしなかったことに関しては不問とします」
「え!」

 私は思わず前のめりで叫ぼうと開口したまま、しかし言葉が溢れすぎて真っ先に言うべきものが見当たらずに動作を止めた。それはつまり、ギャラクシー・パラリラの暴走の尻拭いではなかろうか。私の味噌はこの男の不始末の為に作っているのではありません!

 自業自得、身から出た錆、自分で蒔いた種とは言え、当人お咎め無しのくせに私の味噌が犠牲になるだなんて、あんまりです! いくら声かけにくい見た目だからってあんまりです! いくら人差し指でナウマン象を弾き飛ばせそうで恐いからって、あんまりです!
 ぱくぱくと無音で数多の訴えを飛ばす私に、キュリアさんは淡々とした語調のままで付け足した。

「暗くなる前に戻ってきてくださいね」

 そのミッションは、ベリーベリー、インポッシブルである。

「キュリアさん」
「はい、なんでしょうか」
「私はひとりしかおりません」
「はい、承知しております。だからこそ、貴女に全て頼まなければならないんです」

 なるほど道理で、ジレンマである。

 未だ酸欠の金魚よろしく口をぱくぱくさせていた私は、しかしこれは逃れられない試練であるとうっすら悟り、渡された手荷物を確認した。例えギャラクシー・パラリラの尻拭いが口上の理由ではなかったとしても、恐らくは彼女にお金の借りをつくってしまった時点で、外回りをやらされて味噌を無償で提供する羽目になっていたと思われる。

 ご丁寧にキュリアさんは聖都の見取り図を書簡と一緒に渡してくれていたようだ。それぞれの届け先を確認し、手早く荷物を道順に並び替える。先程の追加用件だって、どこから回らなければならないというようなものはない。
 この宿舎を起点と終点として、行程が描く多角形の外辺が最短になりそうなルートを確認したあと、私は覚悟を決めて立ち上がった。まずは、この宿舎にいる非番の魔術士をナンパしにいかねばならぬのである。

「行ってらっしゃいませ」

 にこやかな優しい笑みを浮かべながら、キュリアさんは教会兵の記章を私に手渡した。
 兵章を受け取った私は無言のまま足早に部屋の扉まで移動した。

「覚えてろよパラリラァァァァ!」

 そして部屋を出る瞬間、思いきり捨て台詞を叫んでから、すぐさま扉を閉めて駆け出した。廊下は走ると危ないので、急ぎすぎるのもほどほどに。

 その後、必死に街を駆け回り、息せき切ってなんとか日没頃に宿舎へと帰還した私は、優しい顔でひとり待っていてくれたキュリアさんから、お待ちしておりました、というさぞ嬉しそうな言葉とともに、大量の代筆書類を受け取った。内容を複製しなければならないのだそうだ。どうやら、他の面々は皆すでに、割り当てられた小部屋でお休みになっているらしい。

 識字率の関係から、事務的なものから伝令、記録、本などの読み物、日常の手紙、ともすればラブレターに至るまで、さまざまな文書を代筆する仕事が存在する。ありがたいことに、キュリアさんはそんな聖都の代筆屋だけでは手が回らない部分のものを、借金を抱えて稼ぎ口を募集中の私に敢えて回してくれたのである。

 様々なものが不足しているこの時代、そうでなくとも頼りにされるのは非常にありがたいことではあるが、願わくば、私はこれからの行程も元気に過ごしていくために、今晩の睡眠時間に最低限の長さがほしい。まず手始めに、街を駆け回った重労働のあとの休息がほしい。

「頑張って終わらせましょうね」

 それは代筆のことなのか、それとも借金のことなのか。どちらにせよ、全くもって、仰せの通りにしたいものだ。

 私はがっくりと肩を落としながら、蝋燭を受け取りついでに簡単な食事を受け取って、パピルスやら羊皮紙やらといった大量の重たい書類とともに、机と筆記具を求めてとぼとぼと学術室へ歩いていった。
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