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第一幕 旅は道連れ、情けなし
9.シーン1-8(森)
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静かに歩いているといっても、やはり周囲が気になるせいできょろきょろと忙しない私に対し、ついにオルカが笑いながら話しかけてきた。
「最初はあんなに嫌がってたのに」
そういうことは思っても口にはしないというのが、淑女に対する紳士のたしなみである。
「なんだか豪快な性格だなーとは思ってたけど、まさかこの森であんなに豪快にはしゃぐとは思わなかった」
悲しいかな、彼は紳士ではなく自由奔放な冒険少年なのだった。私が淑女ではないという可能性は、全身全霊、否定させていただこう。
がっくりとため息を交えつつ、私はもう一度辺りの様子を確認した。
「本当にここ、何で死の森なんて言われてるんだろ」
「確かに今のところは何も無いけど、油断しちゃ駄目だよ」
私の感想にオルカが少し真面目な返答をしてくる。
「それに、あんまりおれから離れちゃうと保護魔術が解けちゃうから、先走らないようにね」
今さらである。
「ちょっとそれ早く言ってよ!」
私は今、彼が保護魔術を施してくれた小さな魔石のブローチを持っている。私の周囲のマナの濃度を、一定以上にならないように保ってくれているらしい。
個々の得手不得手にもよるが、概して男性の高魔力者がここまで繊細な術を使いこなしているのは珍しい。そういえば、彼が首にかけている不思議な色の魔石にも、何やら細かな術がかけてあるようだ。髪がきれいに手入れされていること含め、あまり細かいことを気にしない気さくそうな人柄とはうって変わって、繊細なことも得意なのかもしれない。私が深く関心しながらブローチを受けとると、オルカは照れているのか何なのか、どこか気まずそうに苦笑いするのである。
そんな彼の計らいもあり、多少は周囲のマナに不快感があるものの、概ね許容範囲といったところだ。濃いマナが有害か有害でないかに関わらず、あまりそれらに取り囲まれる感覚が好きではないため、とてもありがたい。私に出来るかどうかはわからないが、あとで大体のやり方を教わってみても良いかもしれない。
ちなみに私の後ろにいる人は、会話を聞いているのかいないのか、先程からずっと黙ったままらしい。船での会話以降、彼はほとんど口を開いていない。
これまでオルカから身の上話の質問攻めに遭っていたが、歌を忘れたカナリアなのか、ほぼ無言で答えない。返すとしても「話す必要は無い」とか「答える必要は無い」とか「お前には関係無い」とかである。否定形以外喋らないのかもしれない。行動を共にする上で出てくる質問に対しては「ああ」とか「いや」とか、そういう返答もたまに来なくもないが、それでもやはり返事の無いことがほとんどだった。返事が無い場合は本人にとってはどうでもいいことなんだろうと思い、無視することにしている。
私は話を森のことへと戻した。
「うーん、まあ確かにそうなんだけど、何かこう、違うんだよね」
オルカがクエスチョンマークを浮かべてこちらを見る。
「むしろこう……そう、楽園?」
「ああ、楽しそうにしてたもんね」
私が出した結論に、オルカは肩透かしを食らったように間の抜けた相づちを打った。
「もうその話はいいから! そうじゃなくて、えーっと、私にとってじゃなくて、何て言うか、客観的に見てこの森が楽園てこと」
私は慌てて話しながら何とか表現を探ってみた。流石に楽園は微妙な表現だったのかもしれない。しかし、本当にそういった感じなのだ。
この森の生き物には、危機感が無いのではないかという気がする。公園の鳩は非常にどんくさい。どんくさいというより、近寄ってもなかなか逃げない。人慣れしていて、食べ物を撒くと逆に寄ってくる。外敵に襲われる心配が無いから、平穏に慣れてしまい危険を察知し警戒し、逃げるという本能が薄れている。
この森の動物たちがまさにそれだ。普通ならすぐに逃げるような生き物であるはずの鳥や草食動物が、出会ってもある程度の距離は保ってくるが、逃げようとしないのである。警戒して、というよりも好奇の目を向けてこちらを観察してくるのだ。
先程からそんな動物をよく見かける。上の方ではグロテスクな鳥がギャアギャアと鳴きながら飛び交っているが、襲ってくるようなことはなく、観察していると木や草花の花弁か実か小さな虫かをつつき始めた。周りには沢山のわけがわからない植物がある為、食べ物には困らないのだろう。
そして、こんなに餌となる生き物がうろちょろしているというのに、肉食動物の姿が見えない。道を逸れて木々の中深くへと入っていけば、毒蜘蛛とか殺人蜂なんていった恐ろしい生物がいるのかもしれないが、この辺一帯は至って平和そのものだ。そう、草食動物の楽園とでもいうべきか、捕食者の姿が見当たらない。
「だってさっきから鳥とか……ねぇあれウサギ? あの気持ち悪いウサギ型生物とか、明らかに草食動物なのに、こっちが近寄っても全然逃げないし。きっと外敵がいないから、生きていく中で逃げる必要が無くて逃げようとしないんじゃない?」
私が指差す先では、痙攣しているのかぴょこぴょこかくかくと気味の悪い動きとともに、レイアウトが微妙におかしいウサギのような生き物が、のんびり道を横断していく。
その様子を眺めながら、オルカもうーんと難しい声で頷いた。
「言われてみれば、確かに」
「さっきなんてナッツとかドライフルーツとかチラつかせたら寄って来たよ」
「えっ、そんなことまでしたの!?」
「止まれ」
私たちの会話は後ろからの声に阻まれた。
何、と振り向こうとした瞬間、木陰から植物の発光とは別に、小さな光が見えた。二個ワンセット。なんたることだ、言ってるそばから敵襲である。
視線だけで周囲を見回してみると、他にも二個ワンセットがあるようだ。ここから見えるだけの数なので、もしかしたらもっといるのかもしれない。
オルカが私を庇うように詰めてきた。距離を少しだけ空けていたカインも、今度ばかりは詰め寄ってくる。なんだかんだ言って彼は結構律儀なようだ。二人そろって剣を構えた。私はもちろん丸腰である。
暗がりから、ゆっくりと狼、訂正、狼の原型を何とか留めているといった感じの生き物が姿を現した。右から一匹、左から一匹、そしてどこから現れたのか、ひと回り大きな個体が道の前から悠然と歩いてくる。こんな場面でいうのもなんだが、ちょっとかっこいい。ボスなのかもしれない。
後ろから襲って来ないのがまた天晴れとも思ったが、思い返せばカインが先に気付いてくれたのである。私とオルカは完全に緩みきっていた。冒険者としては致命傷だ。
結果として、私たちは合計三匹の狼みたいな生物に囲まれてしまった。
両脇から現れた狼型の魔物は、体にほとんど毛が生えておらず、皮脂か何かでつんつるてん。ところどころ皮膚がぼこぼこと謎の隆起をしている。
「ば、ばば、バイオ的な危険!」
「えっなに、なんか知ってるの!?」
「直訳すると生物的な危険」
「まんまじゃん!」
「少し黙れ」
危機の中でも口の減らない私たちに、後ろから訓告が入る。
そんな左右の巾着袋の狼たちとは対照的に、道の前から現れたボスのような狼は、腹の毛が地面に届きそうなほど、随分と長い毛に覆われている。モップ犬ならぬモップ狼である。森の中で暮らしているのに、つんつるてんだったり長い毛だったりというのは如何なものか。
そして顔はというと、皆レイアウト総崩れ。目は横に並んでいないし出たり引っ込んだりしているし、鼻も真ん中に無いし口も真っ直ぐではない。
それに、何だかおかしな所から角やらキノコやらが生えている。たぶんあれはキノコだろう。まごうことなくキノコだろう。何ゆえキノコなのだろう。おっちょこちょいなのだろう。果てしなくグロテスクだ。
「楽園じゃなかったの」
「みたいだとは言ったけど本当にそうだとは言ってないし」
「いいから黙れ!」
ヒソヒソ話にまたもや強く制止が入る。その間にも狼たちはじりじりと距離を埋めて来た。ぴりぴりとした空気が流れる。一触即発である。
オルカとカインは私がいるからか、どうしようか決めあぐねているらしい。確かに相手は三匹だ。彼らが二匹を相手にしたところで、もう一匹が私に届く可能性は十分ある。一応聖女の姉護衛が建前なのだから、姉が死んだら元も子も無いだろう。
私は目前のリーダー格を盗み見た。襲って来るというよりも、堂々と残りの手下に指示を出すべく待ち構えているように見てとれる。まさに司令塔である。均衡状態が続き、両者ともに動きを見せなかった場合、おそらくは彼の合図で襲い掛かって来るのだろう。なんて格好良いやつなのだ。顔面総崩れでキノコを生やしていなければ、うっかり惚れてしまいそうだ。
リーダー格がまた少し、ほんの気持ちだけ迫り寄ってきた。タイムリミットまであと僅か。
私は一触即発、我慢比べ状態の続く静寂のなか、こっそりマントのフードを被って両手に皮の手袋をはめておいた。さすがに何かに感染するわけではないとしても、それでも正体不明のキノコを生やした菌まみれの狼に、直に触れるのは抵抗がある。
次の瞬間、つんつるてんの巾着狼が動き出した。
「カイン!」
オルカが叫ぶ。
つんつる狼は見事にか弱い私に狙いを定めて突っ込んできた。照れる。モテ期である。
呼ばれたからかは知らないが、高速でカインの左手にマナが収束していく気配がした。むしろ、高速で収束したのは良いものの、一気に出力を間違ったみたいに膨れ上がったというのが正しい。具合が悪くなりそうな魔力の量だ。だが、それも一瞬のうちで、すぐさま適当な感じに落ち着く。
この状況下で何を手間かけてやっているのかと思ったが、さすがにそれが命取りであることくらい、彼も承知しているだろう。なるほど、恐らくカインは魔力の制御に手間がかかるのだ。あれば良いってもんじゃない、難儀なものだ。
そして、手間取ったのか引き付けたのか、狼がすぐそばまで近づいてきてようやく、カインが光弾をはなった。
弾をまともにくらってしまったつんつる狼は、「キャン」なんていう可愛らしい鳴き声をあげて数メートル先までごろごろと吹っ飛んで転がっていく。そこはかとなくバイオレンスである。ひょいっと軽くほうったように見えたのに、かなりの威力があるらしい。
「アリエよそ見してないで!」
もう一匹のつんつる狼が立て続けに私へ向かって突っ込んでくる。雌や子供や弱そうなやつが狙われるのは自然界の掟と言える。私ったら、か弱い少女でモテモテ過ぎて困ってしまう。
オルカはすでに飛びかかってきていたリーダー格に応戦していて、余裕がない。カインはカインで、先の攻防によりこちらへの対応が間に合わない。
君たち、そんな体たらくで本当に私を守りきれると思っていたのかね。私は甚だ遺憾です。
「アリエ!」
悲痛なオルカの声が響いて、森の霞へ消えていく。彼らの中では、私は既に手遅れである。
「最初はあんなに嫌がってたのに」
そういうことは思っても口にはしないというのが、淑女に対する紳士のたしなみである。
「なんだか豪快な性格だなーとは思ってたけど、まさかこの森であんなに豪快にはしゃぐとは思わなかった」
悲しいかな、彼は紳士ではなく自由奔放な冒険少年なのだった。私が淑女ではないという可能性は、全身全霊、否定させていただこう。
がっくりとため息を交えつつ、私はもう一度辺りの様子を確認した。
「本当にここ、何で死の森なんて言われてるんだろ」
「確かに今のところは何も無いけど、油断しちゃ駄目だよ」
私の感想にオルカが少し真面目な返答をしてくる。
「それに、あんまりおれから離れちゃうと保護魔術が解けちゃうから、先走らないようにね」
今さらである。
「ちょっとそれ早く言ってよ!」
私は今、彼が保護魔術を施してくれた小さな魔石のブローチを持っている。私の周囲のマナの濃度を、一定以上にならないように保ってくれているらしい。
個々の得手不得手にもよるが、概して男性の高魔力者がここまで繊細な術を使いこなしているのは珍しい。そういえば、彼が首にかけている不思議な色の魔石にも、何やら細かな術がかけてあるようだ。髪がきれいに手入れされていること含め、あまり細かいことを気にしない気さくそうな人柄とはうって変わって、繊細なことも得意なのかもしれない。私が深く関心しながらブローチを受けとると、オルカは照れているのか何なのか、どこか気まずそうに苦笑いするのである。
そんな彼の計らいもあり、多少は周囲のマナに不快感があるものの、概ね許容範囲といったところだ。濃いマナが有害か有害でないかに関わらず、あまりそれらに取り囲まれる感覚が好きではないため、とてもありがたい。私に出来るかどうかはわからないが、あとで大体のやり方を教わってみても良いかもしれない。
ちなみに私の後ろにいる人は、会話を聞いているのかいないのか、先程からずっと黙ったままらしい。船での会話以降、彼はほとんど口を開いていない。
これまでオルカから身の上話の質問攻めに遭っていたが、歌を忘れたカナリアなのか、ほぼ無言で答えない。返すとしても「話す必要は無い」とか「答える必要は無い」とか「お前には関係無い」とかである。否定形以外喋らないのかもしれない。行動を共にする上で出てくる質問に対しては「ああ」とか「いや」とか、そういう返答もたまに来なくもないが、それでもやはり返事の無いことがほとんどだった。返事が無い場合は本人にとってはどうでもいいことなんだろうと思い、無視することにしている。
私は話を森のことへと戻した。
「うーん、まあ確かにそうなんだけど、何かこう、違うんだよね」
オルカがクエスチョンマークを浮かべてこちらを見る。
「むしろこう……そう、楽園?」
「ああ、楽しそうにしてたもんね」
私が出した結論に、オルカは肩透かしを食らったように間の抜けた相づちを打った。
「もうその話はいいから! そうじゃなくて、えーっと、私にとってじゃなくて、何て言うか、客観的に見てこの森が楽園てこと」
私は慌てて話しながら何とか表現を探ってみた。流石に楽園は微妙な表現だったのかもしれない。しかし、本当にそういった感じなのだ。
この森の生き物には、危機感が無いのではないかという気がする。公園の鳩は非常にどんくさい。どんくさいというより、近寄ってもなかなか逃げない。人慣れしていて、食べ物を撒くと逆に寄ってくる。外敵に襲われる心配が無いから、平穏に慣れてしまい危険を察知し警戒し、逃げるという本能が薄れている。
この森の動物たちがまさにそれだ。普通ならすぐに逃げるような生き物であるはずの鳥や草食動物が、出会ってもある程度の距離は保ってくるが、逃げようとしないのである。警戒して、というよりも好奇の目を向けてこちらを観察してくるのだ。
先程からそんな動物をよく見かける。上の方ではグロテスクな鳥がギャアギャアと鳴きながら飛び交っているが、襲ってくるようなことはなく、観察していると木や草花の花弁か実か小さな虫かをつつき始めた。周りには沢山のわけがわからない植物がある為、食べ物には困らないのだろう。
そして、こんなに餌となる生き物がうろちょろしているというのに、肉食動物の姿が見えない。道を逸れて木々の中深くへと入っていけば、毒蜘蛛とか殺人蜂なんていった恐ろしい生物がいるのかもしれないが、この辺一帯は至って平和そのものだ。そう、草食動物の楽園とでもいうべきか、捕食者の姿が見当たらない。
「だってさっきから鳥とか……ねぇあれウサギ? あの気持ち悪いウサギ型生物とか、明らかに草食動物なのに、こっちが近寄っても全然逃げないし。きっと外敵がいないから、生きていく中で逃げる必要が無くて逃げようとしないんじゃない?」
私が指差す先では、痙攣しているのかぴょこぴょこかくかくと気味の悪い動きとともに、レイアウトが微妙におかしいウサギのような生き物が、のんびり道を横断していく。
その様子を眺めながら、オルカもうーんと難しい声で頷いた。
「言われてみれば、確かに」
「さっきなんてナッツとかドライフルーツとかチラつかせたら寄って来たよ」
「えっ、そんなことまでしたの!?」
「止まれ」
私たちの会話は後ろからの声に阻まれた。
何、と振り向こうとした瞬間、木陰から植物の発光とは別に、小さな光が見えた。二個ワンセット。なんたることだ、言ってるそばから敵襲である。
視線だけで周囲を見回してみると、他にも二個ワンセットがあるようだ。ここから見えるだけの数なので、もしかしたらもっといるのかもしれない。
オルカが私を庇うように詰めてきた。距離を少しだけ空けていたカインも、今度ばかりは詰め寄ってくる。なんだかんだ言って彼は結構律儀なようだ。二人そろって剣を構えた。私はもちろん丸腰である。
暗がりから、ゆっくりと狼、訂正、狼の原型を何とか留めているといった感じの生き物が姿を現した。右から一匹、左から一匹、そしてどこから現れたのか、ひと回り大きな個体が道の前から悠然と歩いてくる。こんな場面でいうのもなんだが、ちょっとかっこいい。ボスなのかもしれない。
後ろから襲って来ないのがまた天晴れとも思ったが、思い返せばカインが先に気付いてくれたのである。私とオルカは完全に緩みきっていた。冒険者としては致命傷だ。
結果として、私たちは合計三匹の狼みたいな生物に囲まれてしまった。
両脇から現れた狼型の魔物は、体にほとんど毛が生えておらず、皮脂か何かでつんつるてん。ところどころ皮膚がぼこぼこと謎の隆起をしている。
「ば、ばば、バイオ的な危険!」
「えっなに、なんか知ってるの!?」
「直訳すると生物的な危険」
「まんまじゃん!」
「少し黙れ」
危機の中でも口の減らない私たちに、後ろから訓告が入る。
そんな左右の巾着袋の狼たちとは対照的に、道の前から現れたボスのような狼は、腹の毛が地面に届きそうなほど、随分と長い毛に覆われている。モップ犬ならぬモップ狼である。森の中で暮らしているのに、つんつるてんだったり長い毛だったりというのは如何なものか。
そして顔はというと、皆レイアウト総崩れ。目は横に並んでいないし出たり引っ込んだりしているし、鼻も真ん中に無いし口も真っ直ぐではない。
それに、何だかおかしな所から角やらキノコやらが生えている。たぶんあれはキノコだろう。まごうことなくキノコだろう。何ゆえキノコなのだろう。おっちょこちょいなのだろう。果てしなくグロテスクだ。
「楽園じゃなかったの」
「みたいだとは言ったけど本当にそうだとは言ってないし」
「いいから黙れ!」
ヒソヒソ話にまたもや強く制止が入る。その間にも狼たちはじりじりと距離を埋めて来た。ぴりぴりとした空気が流れる。一触即発である。
オルカとカインは私がいるからか、どうしようか決めあぐねているらしい。確かに相手は三匹だ。彼らが二匹を相手にしたところで、もう一匹が私に届く可能性は十分ある。一応聖女の姉護衛が建前なのだから、姉が死んだら元も子も無いだろう。
私は目前のリーダー格を盗み見た。襲って来るというよりも、堂々と残りの手下に指示を出すべく待ち構えているように見てとれる。まさに司令塔である。均衡状態が続き、両者ともに動きを見せなかった場合、おそらくは彼の合図で襲い掛かって来るのだろう。なんて格好良いやつなのだ。顔面総崩れでキノコを生やしていなければ、うっかり惚れてしまいそうだ。
リーダー格がまた少し、ほんの気持ちだけ迫り寄ってきた。タイムリミットまであと僅か。
私は一触即発、我慢比べ状態の続く静寂のなか、こっそりマントのフードを被って両手に皮の手袋をはめておいた。さすがに何かに感染するわけではないとしても、それでも正体不明のキノコを生やした菌まみれの狼に、直に触れるのは抵抗がある。
次の瞬間、つんつるてんの巾着狼が動き出した。
「カイン!」
オルカが叫ぶ。
つんつる狼は見事にか弱い私に狙いを定めて突っ込んできた。照れる。モテ期である。
呼ばれたからかは知らないが、高速でカインの左手にマナが収束していく気配がした。むしろ、高速で収束したのは良いものの、一気に出力を間違ったみたいに膨れ上がったというのが正しい。具合が悪くなりそうな魔力の量だ。だが、それも一瞬のうちで、すぐさま適当な感じに落ち着く。
この状況下で何を手間かけてやっているのかと思ったが、さすがにそれが命取りであることくらい、彼も承知しているだろう。なるほど、恐らくカインは魔力の制御に手間がかかるのだ。あれば良いってもんじゃない、難儀なものだ。
そして、手間取ったのか引き付けたのか、狼がすぐそばまで近づいてきてようやく、カインが光弾をはなった。
弾をまともにくらってしまったつんつる狼は、「キャン」なんていう可愛らしい鳴き声をあげて数メートル先までごろごろと吹っ飛んで転がっていく。そこはかとなくバイオレンスである。ひょいっと軽くほうったように見えたのに、かなりの威力があるらしい。
「アリエよそ見してないで!」
もう一匹のつんつる狼が立て続けに私へ向かって突っ込んでくる。雌や子供や弱そうなやつが狙われるのは自然界の掟と言える。私ったら、か弱い少女でモテモテ過ぎて困ってしまう。
オルカはすでに飛びかかってきていたリーダー格に応戦していて、余裕がない。カインはカインで、先の攻防によりこちらへの対応が間に合わない。
君たち、そんな体たらくで本当に私を守りきれると思っていたのかね。私は甚だ遺憾です。
「アリエ!」
悲痛なオルカの声が響いて、森の霞へ消えていく。彼らの中では、私は既に手遅れである。
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