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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
真っ黒な子猫を庇って大型トラックに轢かれるという派手な死に方をしたと思ったら、目が覚めると白いふわもこになっていた。
これが転生ってものだろうか。
どうやら俺は小さな獣に生まれ変わったらしい。
「――みゅー、みゅー」
発している言葉は、およそ日本語とは思えない。周囲に置いてある家具の大きさと比べて小さな体で顔を持ち上げると、知らない二人の人物が俺を上から覗き込んでいた。二人とも頭に茶色の耳があり、背後にはボワッとした尻尾が見えている。
どうしてそんなに自然につけているんだ? もしかして生えているんだろうか?
俺は困惑しながら二人を凝視する。しばらくして彼らが俺を気持ち悪いものを見るような目で見ていることに気付いた。
なんでそんな目で見るんだよ。そんな覚えは全くないけど……
それから二人は何かを話し出したが、俺にはその言葉が分からなかった。
どれほどの月日が経ったのか、閉じ込められて過ごしている俺には分からない。
二人が揃ってどこかへ出かける時だけは家の中を自由に動き回れるけど、それ以外は家の一番奥の部屋から出してもらえないのだ。
ご飯は多い日は一日に二回貰っている。多い日というのは、ない日もあるから。
二人がいない時は貰えないし、だいぶ間があく時もある。
それはともかく、俺はだいぶこの小さな体に慣れてきた。
俺が行けるところには鏡がないので全身を見たことはないが、自分でも綺麗な白い体毛だと思う。
(でも、お風呂に入れてもらえないなぁ。自分で頑張って毛繕いしているけど、それじゃあ限界があるし。心なしか少しずつ汚れてきている気がする……)
それに、あの二人は俺に話しかけない。
だから俺は、今でもこの世界の言葉を覚えられていなかった。
二人の会話にこっそり耳をすましてはいるけれど、それだけじゃ言葉を覚えられない。
俺はいつも与えられたタオルの上で、くるんとふわもこな尻尾を抱き締めるように丸まって眠りにつく。
そんな生活にだいぶ慣れてきたけれど、寂しいものは寂しかった。
それほど酷いことをされたわけじゃない。まだ全然大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる日々だった。
そんなある日。俺は家の一番奥の部屋に閉じ込められていた。
その部屋の扉が突然、開かれる。
まだご飯の時間じゃないと思うけど……
俺が二人のいつもとは違う行動を怪しんでいると、続いて全然知らない男が一人、部屋の中に入ってきた。
身綺麗な格好をしていて金持ちそう。それが男に抱いた第一印象である。
言葉は分からないが、二人はその男におもねるような態度だった。男には耳も尻尾もついていないので、どうやら人間みたいである。
そしてその男は俺をジロジロと観察した後、ニヤリと汚く笑って二人に金色のコインのようなものを数枚手渡した。二人はとても嬉しそうに頭を下げる。
その様子を観察していると、急に男に首の後ろを掴まれて乱暴に持ち上げられた。
「きゃんっきゃんっ!」
痛くはないのだが、初対面の相手に乱暴に掴まれて嬉しい者など存在しないと思う。
放してほしくて暴れるが、小さな俺では男の手から逃れることなどできず、俺は男の手によって初めてこの家から外に連れ出されたのだった。
家の周りは木々が鬱蒼としている。そこに綺麗な馬車が一台停まっていた。多分、男はこれに乗ってきたのだろう。
薄々感じていたが、どうやらこの世界は文明が前世ほど発達していないようだ。
男は馬車の扉を開けて乗り込み、何ヶ所か穴があいた箱に俺を閉じ込めた。
息苦しくはないけど、外から鍵をかけられ絶対に逃がさないと言われているようで怖い。
「きゃんきゃんきゃん」
出してほしくて騒ぐと、男に大声で怒鳴られた。だからもう騒がないことにする。
馬車はしばらく走り続け、俺はあの森の中の家からかなり離れた場所に運ばれた。
できることは何もなく、ほとんどの時間を眠って過ごしたので、どのくらい移動してどれだけの時間が経ったのか、全然分からない。やっと箱から出してもらえたのは当然見知らぬ場所で、そこで俺は知らない人たちにお風呂に入れられた。
泡立ててごしごし洗われた俺の毛はとても綺麗になり、白というよりは輝きを帯びた白銀になる。
そして初めて自分の姿を見ることが叶った。
なんと俺は狐でした!
瞳の色は薄水色ではっきりいって凄く可愛い。
だけどそんな自分の姿を堪能する暇もなく、今度は綺麗にラッピングされた箱に入れられる。箱には上から丁寧にリボンが結ばれたようだ。
次に箱の蓋が開いた時には、目の前にドレスを着た気の強そうな女が座っていた。
馬車とかドレスとか、なんだか中世のヨーロッパみたいな世界だ。
女は俺を一瞥すると、男に金色のコインのようなものを渡す。
そのやり取りを見て、嫌でも分かってしまった。俺はあの耳と尻尾のある二人に売られて、さらにこの貴族らしい女に売られたのだ。
女は俺のことをアクセサリーみたいに扱った。
売られた時に嵌められた首輪は俺を従えるためのものらしく、反抗しようとすると首が絞め付けられる。
とはいえ、女はそこまで俺に興味がないようだし、俺の世話をしてくれる使用人は動物が好きみたいで優しくしてくれた。毎日三回食事を与えられてお風呂に入れてもらえるし、以前よりも良い暮らしをしている。
しかし、少しばかり贅沢だったそんな暮らしは、長く続かなかった。
女が俺に飽きたのだ。
いや、小さな動物を連れ歩くという貴族女の流行りが去ったのかもしれない。
そんなわけで、俺はまたもや商人に売られることになる。白銀の子狐は人気があるらしく、すぐに買い手が現れた。
二番目に俺を買った男は、最低だった。
暴力を振るいながら高笑いするような人間だったのだ。
それだけではない。
毎日痛めつけられていても、獣型の俺はまだマシなほうだった。男は女でも男でも犯して壊す。中には耳と尻尾が生えた子供もいて、俺はその子供が動物の姿に変化するのを見た。
ということは多分、いずれ俺も人間の姿になれるのだろう。
いつ、どんな条件で人間の姿になるのか、この世界の言葉すら理解していない俺には分からない。
男に抵抗する手段を持たない俺は、そんな日が来ないようにと、ただただ願う。
そんな日々の中、殴られ蹴られ血まみれになり、まともな食事すら与えられず、幼く小さかった俺は見る見るうちに衰弱した。
死んでしまうのではないか。
恐怖が支配する暗闇にいる俺は、世界を呪うことしかできない。
男は何の反応もしなくなった俺に飽き、俺はまた売られる。
ボロボロの俺を買い求めるのは男と同じような人種ばかりで、恐怖から抜け出すことは叶わない。そうして何人もの人間にたらい回しにされ、最終的にはオークションに出品されることになったようだった。何の反応も示さない、言葉も話さず、毛で目立たないとはいえ傷だらけの俺を、好んで買う人間を見つけるのが難しくなってきたせいらしい。
俺はこの世界の言葉を少しずつ覚えていたものの、その頃には自分から言葉を発する気力はごっそりなくなっていた。
もうこんな生活は嫌だ。
せっかく貰った第二の人生だけど、いっそのこと自分の手で刈り取ってしまいたい。
けれど、それは俺の首に嵌められた忌々しい首輪が許してくれなかった。何かしようとすると、首輪がきつく絞まり、気絶してしまうのだ。
ならば早く誰かの手で終わらせてくれ。
どれほど酷い扱いをしてもいいから、残りの気力と体力を奪い俺を殺してくれる、そんな人間に買ってもらいたい。
そう願った俺は、舞台に上げられスポットライトが当てられようとも丸く蹲ったまま顔を伏せて動かないでいた。
「顔を上げろ! お客様に顔を見せるんだ! 鳴いてみろ! 媚びることもできないのか!?」
傍でオークションの司会を務める男がどれだけ喚こうとも動かない。
その後、金貨十枚からオークションはスタートした。金額がどんどん上がっていく。
物好きな人間が沢山いるものだ。こんな愛想のない狐にそんな大金を支払うなんて……
「五百」
そして、そろそろ決まりそうだなというところで、倍の額の金貨を提示する男が現れる。
どうやら俺は、あの男のもとへ行くらしかった。
1
「――陛下、獣人の子供が闇オークションに出品されるという情報を掴みました」
ある日。この獣人の国の宰相を務めているレイが、珍しく顔を顰めて報告した。
常時ニコニコ微笑んでいるレイがこんな顔をするのだから、余程その獣人の子供は状態が悪いのだろう。
「何時、何処でだ」
「アルーシャ王国で二週間後に」
「チッ、何処ぞの貴族の仕業か」
「そのようです。アルーシャの国王は獣人好きですから、協力してくださるでしょう」
「獣人じゃなくて動物がだろ」
近隣諸国で獣人の人身売買が禁止になり、人間の我々に対する差別意識は薄くなりつつある。しかし禁止されたからといって、法を犯す組織がなくなるわけではない。どれだけ取り締まっても人身売買は細々と続けられ、獣人の女や子供はその標的になりやすかった。
それでも人身売買の禁止は、それが合法だった頃と比べれば大きな進歩だ。
獣人の国である、このヴィナシス王国が大国となったからこそ実現したことである。
周りの国が禁止しているからと、渋々足並みを揃えている国も少なくはないが……そこは警戒を怠らないようにしている。
「俺が行く」
「……陛下ご自身がですか?」
「獣人は皆、ヴィナシス国王である俺の民、俺の子供。みすみす人身売買を見逃したのは俺の責任でもあるし、迎えに行ってやりてぇ。それにお前の顔を見るに何かあるんだろ?」
いつもなら売られる前、他国の手に渡る前に見つけ出して助けるレイなのに、今回は既に薄汚い人間の手に渡ってしまっている。
「……出品される獣人は白い狐だという噂です」
「狐だと? 俺もほとんど会ったことのない獣人――それも白色とは、人間がどうやって……」
狐の獣人は大昔、迫害されていたことがあり、今では数を減らしヴィナシス王国内の森の奥に集落を作ってひっそりと暮らしている。
その上、獣人は白や黒の単色を持つ者が生まれにくい。黒一色の毛を持つ者もほとんどいない、白となると俺ですら見たことがない。
そんな貴重な存在なのに、人間はどうやってその白い狐を手に入れたのだろうか。
「まだ分かりません」
「狐の獣人の中で、白の体毛を持っている者の存在は?」
「大昔には確認されていますが、現在ではいないはずです……その白狐なんですが……捕まってすぐにオークションに出品されるわけではないらしいんです」
「……何?」
「何度か人間の間で売買され、今回に至ったと……。申し訳ありません、私の落ち度です」
「……いや、お前だけの落ち度ではない」
奴隷として扱われる獣人が人間からどんな扱いを受けるのかは、知っている。まだ人化もままならない子狐を性欲処理の相手にはしていないだろうが、暴力を振るっている可能性が高い。
俺たちは二週間後のオークションに向けて会議を重ね段取りを決めた。
大事にはしたくないので、俺とレイ以外に数人の護衛と使用人にのみ今回のことを伝える。
皆白狐のことを心配し、人間に対して憤りを感じているようだ。
そして二週間後。俺はレイと数人の護衛、使用人を連れてアルーシャ王国に旅立った。
仕事は優秀な補佐に丸投げする。詳しい事情は話していないが、あいつならなんとかしてくれるだろう。
会場に着くと、既に席が埋まるほどの客がいた。
俺たちは耳と尾を隠す魔道具を使用しているため、獣人だとは気付かれていない。
違法な方法で手に入れただろう商品が次々と舞台に上がり、高い金額で競り落とされていく。
「最悪だな」
「えぇ、全くです。この雰囲気……、早く帰りたい」
会場を包み込む異様な空気を、俺の隣に座るレイも感じているようだ。
ここには腐った人間しかいない。ギラギラと目を輝かせ、違法な行為に興奮している異常な人間しか。
《お次の商品は獣人の子供です! まだ人化する前の小狐でございます!》
舞台の上にいる男が声を拡張する魔道具を使用して、商品を売り込む。その声に合わせ、布で覆われた四角い箱が舞台に運び込まれた。
「……クソッタレ」
俺は周りの人間には聞こえないように、だが、ありったけの憎悪を込めて呟く。
布が取り払われて現れたのは檻。その中で従属の首輪を嵌められた小さな白い狐が丸まっていた。
かなり弱っているようで、くったりと力なく横たわっている。司会進行の男が愛想良くさせようと小狐を怒鳴っているが、反応する気力もないのか動かない。
金貨十枚から始められた競りは、その金額が止まることなく上がっていく。
あっという間に金貨二百五十で決まろうとしていた。
「五百」
俺は狙いすましたように札を上げてその倍の値段を発し、しんと静まり返った会場をさっさと後にする。
今回の闇オークションを主催しているのは、数ヶ国を股に掛ける大きな犯罪組織。このオークションを一つ潰したところで解決には繋がらない。むしろ警戒を強め、尻尾を掴ませなくなるだろう。
だから、オークションに参加して小狐を手に入れたのだ。
俺が大金を叩いたことについて、レイも護衛の騎士も異を唱えることはなかった。
小狐を早く檻から出し、首輪を外してやりたい。
俺たちの思いはただそれだけだ。
会場の奥にある商品受け渡し部屋に案内された俺たちのもとに、小狐を閉じ込めた檻が運ばれてくる。大金を払う上客を逃したくないのか、身綺麗な格好をした商人が媚びを売ってくるが、その全てが嫌悪を増幅させた。
「今回はご参加いただき、ありがとうございます。よろしければ次回も――」
「さっさと檻を開けろ」
「ひっ、か、畏まりました!」
少し威圧すると、商人は顔を青くして素早く対応する。
俺はそいつが檻の鍵を開けたのを見計らい、すぐに小狐を抱き上げた。この薄汚い人間にこの子を触らせたくない。
「……ッ!」
抱き上げた白い小狐は、まるで重さを感じないほど軽かった。ガリガリに痩せ細り、肋や背骨が浮き出ている。それに体毛で隠れているが、全身傷だらけだ。
俺は金の受け渡しを使用人に命じ、レイと一緒にすぐ部屋を出た。
小狐はピクリとも動かないが、寝ているわけではなさそうだ。
俺が何をしようとも好きにさせているものの、こちらを警戒しているのが分かる。
「さっさと首輪を外せ。治癒魔法が使える奴はいるか?」
「申し訳ありません。首輪は随分前から嵌められているらしく、もはや鍵が何処にあるか分からないそうです」
金を払った使用人は子狐の首輪の鍵を要求したが、オークションの主催者は持っていなかったそうだ。
この子は一体いつから首輪を嵌められているのだろう。
「治癒魔法は使用人の中に使える者が一人います。……怪我をしているのですか?」
「ああ、全身傷だらけだ。宿に戻ったら治療させる。薬も用意させろ」
「畏まりました」
宿に残してきた使用人の中に、多少治癒魔法が使える者がいたようで安心した。
小狐は俺の腕の中で大人しく丸まっている。
その姿が見ていられないほど痛々しくて、俺はその体を優しく撫でることしかできなかった。
宿に戻った俺は、レイや護衛の騎士、使用人たちと全員で小狐の面倒を見た。
温いお湯と清潔な布で汚れた体を清める。
綺麗に洗った体毛は白というより白銀と表すほうが正しく、光を反射してキラキラと輝く。
治癒魔法を使える使用人が真剣に治癒を続け、他の使用人が薬を混ぜた温かいスープを与える。俺とレイはその様子を見守った。騎士たちも、小狐を心配している。
皆で様子を見守っていると、小狐もこちらが危害を加える気がないと分かってくれたのだろう。
「……きゅーん……」
弱々しく鳴き、閉じていた瞼を開いた。
覗いた瞳は綺麗なアイスブルー。
皆その神秘的なまでに美しい瞳に魅入られ、感嘆の息を漏らす。
そして小狐はゆっくりと瞼を閉じると、くぅくぅと寝息を立てて眠ってしまったのだった。
2
俺を競り落とした男は、今まで出会った人間と違って箱に入れないで馬車まで運んでくれた。そして檻の鍵が開かれるとすぐに抱き上げられる。その手つきはとても優しく、ほんのちょっぴりだけ期待した。
だけどいつ豹変するか分からないから、警戒は怠らない。
あれだけの大金をぽんと払えるくらいなのだ、かなり裕福なのだろう。それは世間知らずの俺でも分かる。
「さっさと首輪を外せ。治癒魔法が使える奴はいるか?」
俺を膝に乗せて馬車内の椅子に座った男は、外にいるのであろう使用人に声をかけた。
その声はオークション会場で発していた威圧的なものではない。しかし、人に命令することに慣れた低く威厳のある声だった。
使用人は鍵がないことを申し訳なさそうに男に伝えている。
それはそうだろう。初めに貴族の女に売られた時から嵌められている首輪だ。外すつもりのない首輪の鍵など、とっくにどこかへ捨てているに違いない。
この世界に魔法があるのは、今まで転々としてきた間に知った。でも実際に使っているのは見たことがない。代わりに魔道具というものが生活必需品で、どこへ行っても見かけた。
俺の首に嵌められている首輪もそれなのだろう。
そんな話をしている間も、男は膝の上で大人しくしている俺をずっと撫でてくれていた。
やっぱり今までの人間とは全然違うみたいだ……
しばらくして馬車が止まる。俺は男に抱っこされて馬車から降りた。
男は俺に歩けとは言わない。使用人に任せることもない。
男たちの会話からどうやらここは宿屋らしいと判明する。
部屋に着くと俺はすぐに手当てをされた。暖かい布で丁寧に体を拭いてもらい、使用人に治癒魔法をかけてもらうと、体がぽかぽかと温かくなってきて、痛みが徐々に薄くなっていく。
傷や痣が全部塞がって良くなっていくのを感じる。
少ししたらいい匂いがしてきて、クッションの上で寝そべっている俺の口元に運ばれた。
どうやら食べられるものを作ってきてくれたようだ。微かに薬の匂いがするから、この中に混ぜられているのだろう。
運ばれるままに口に含むと、それはほど良い温かさのスープだった。
美味しい……
こんなにまともなものを食べたのは一体いつぶりだろう。
こんなに良くしてくれる人たちの顔が見てみたくて、俺はそっと瞼を持ち上げる。
一番に目に入ったのは、心配そうにこちらを覗き込んでいる男だ。光を反射して煌めく綺麗な金髪をオールバックに整え、深い緑色の瞳をしている。
意志が強そうな凛々しい顔立ちのこの男が、オークションで俺を買った男だとすぐに分かった。
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その他は使用人が二人と、護衛と思われる鎧に身を包んだ男が五人。
この人たちがこれから俺を飼うのだろうか?
ここまで良くしてくれるなら、それでもいいと思った。いつまでも周りを警戒し続けるのは疲れる。
「きゅーん……」
ありがとうとよろしくの気持ちを込めて鳴いてみたけど、思ったより弱々しくなってしまった。
それに気を抜くとなんだか眠くなってきて、その睡魔に身を委ねた俺は深い眠りに落ちていく。
今までの人間と違い、この人たちは俺が寝ていても暴力で起こしはしないと思えたから。
意識が浮上し始めると、カタカタという音が聞こえ、自分が揺れているのに気付いた。
どうやら俺はまた馬車に乗って移動しているようだ。だいぶ寝てしまったらしい。
「起きたか」
「そのようですね」
顔を持ち上げると、正面にあの金髪の男が見える。
「よく寝ていたな。ゆっくり休めたか?」
優しい眼差しで話しかけてきたその男に、俺は頷くことで返事をした。
「それは良かったですね」
正面に金髪の男が見えるってことはと思い上を見ると、薄緑の長髪の男が俺を見下ろしている。
つまり俺は薄緑の長髪の男の膝の上に乗っているようだ。
「三日間ほとんど目を覚まさないので、心配していたんですよ」
「たまに起きた時にスープを飲ませてやってたが、寝惚けてたから覚えてねぇだろ?」
金髪の男がクツクツと笑いながらそう告げるが、ほんとに覚えてない。
薄緑の長髪の男が膝の上で丸まっている俺を優しく撫でてくれた。
「腹減ってるだろ? すぐに飯を持ってこさせる」
そう言うと、金髪の男が馬車を操作している使用人に指示を出す。
馬車を止めて俺に食べ物をくれるようだ。
「自己紹介がまだだったな」
男たちの様子を窺っている俺に気付いた金髪の男が微笑む。俺にはこの男たちの情報が一切ないのでありがたい。
「俺はヴィナシス王国第十八代国王――アレンハイド・ヴィナシスだ」
えぇ……! ……国王陛下!?
「歳は百八十二歳、種族は獅子だ。よろしくな」
俺が目を見開いているのに気づかず、陛下はなおも俺の常識にはないことを告げる。
まぁ、魔法が存在している世界に狐として転生した時点で、常識とかないんだけど……
百八十二歳……、それは若いのだろうか? 二十代にしか見えない……その歳で国王陛下なのは当たり前なの?
というか、獅子?
……そういえば、ヴィナシス王国っていう獣人の国があると耳にしたことがある。
でも俺が見たことのある獣人と違って、陛下には耳や尻尾が見当たらない。
「陛下、もうすぐヴィナシスですし、変装の魔道具を外してもいいのではないですか?」
「あぁ、そうだな」
二人は指に嵌めている宝石の付いた指輪を外した。その瞬間に、陛下に髪の色と同じ金色の耳と尻尾が現れる。
もう一人の男を見上げると、彼の頬や首などには緑色の鱗のようなものが現れていた。
「私はレイモンド・ヴィナシス。ヴィナシス王国の宰相を務めています。歳は二百五十六で、種族は蛇です。よろしくお願いしますね」
薄緑の長髪を耳にかけ、宰相だという男はにこりと微笑みながら自己紹介してくれる。
陛下とは対照的に中性的な美しさのある人だ。
ん、でも、名前が同じヴィナシス?
「俺たちは番なんだ。結婚してて子供もいるんだぜ?」
「番は分かりますか? 獣人には皆、番がいて、匂いでその存在が分かるんです。私の家は代々宰相として王家に仕えている家系でして、陛下が生まれた時に当時宰相をしていた父についてお祝いにいったんですが、すぐに陛下が自分の番だと分かりましたよ」
少し恥ずかしそうに顔を赤らめて話す宰相は、本当に幸せそうだ。その様子を陛下も嬉しそうに見つめている。それがとても印象的だった。
それから陛下と宰相は、色んな話を俺に聞かせてくれる。
獣人が成人と認められるのは五十歳。彼らはお互いが番だと分かってはいたが、結婚したのは陛下の五十歳の誕生日だったということ。この世界では男同士、女同士でも結婚できること。
今回護衛をしてくれているのは、ヴィナシス王国王立騎士団第一師団の五人だということ。
ヴィナシス王国に騎士団は第一から第十師団までの十あること。
第一師団は王族、王宮の護衛。第二師団は第一師団の補佐。第三から第六師団は王宮を囲む街を東西南北に区切り、それぞれの護衛。第七師団はその補佐。第八師団が戦闘要員なんだそうだ。第九、第十師団はヴィナシス王国内にある、王都以外の二つの町をそれぞれ守護しているらしい。
第一と第二師団は忠誠心の強い狼や犬の獣人が多く、第三から第七師団は虎や豹、熊を中心に、猫、それに鷲や鷹といった種族が混在していること。第八師団はそれら全てを合わせた中でも戦闘能力が高い獣人たちが集められていること。
魔物の大群が攻めてきたとか、他国が侵略してきたとか、有事の際、一番に戦場へ飛び出していくのが第八師団であり、それをここの団員は喜々として実行しているとか。
陛下は第八師団に交ざりたいらしいが、国王になってからはそんな危険な行為は許されないそうだ。
ここまで話を聞いて眠くなってきた俺は、宰相の膝の上で一眠りする。
陛下も宰相もそれを許してくれる優しい人だった。
次に起きたのは、ヴィナシス王国へ入国したところだった。
ここまで来ると護衛の騎士たちや使用人も変装の魔道具を外している。五人の騎士たちは皆狼の獣人で、ピンと立った立派な耳とフサフサの尻尾が生えていた。使用人は一人が兎の獣人で、薄ピンクの垂れ耳と丸い尻尾が可愛らしい。もう一人は羊の獣人でパーマ髪の頭には丸まった角が生えている。
兎や羊などの戦闘に不向きな種族は、使用人や薬師になることが多いそうだ。手先が器用で魔法の素質がある者がほとんどで、魔法や魔道具の研究をしている者もいるらしい。
そして宰相みたいな蛇や鰐の獣人は闇に潜むのが得意で、情報収集や暗殺など、この国の暗部を担っているのだとか。暗部を纏めているのが宰相の家だそうで、その長が宰相のお兄さんだという。
なら狐の獣人はどうなのだろう?
「きゅう、きゅう」
俺は狐の獣人について説明を求め、尻尾でたしたしと床を叩きながら鳴いてみる。
獣人のほとんどが人化して過ごしているが、獣化姿で鳴いても言いたいことは伝わるようだ。
二人は言いづらそうだったけれど、きちんと狐の獣人について説明してくれた。
「……狐の獣人は大昔、迫害されて以来、王国内の森の中に籠っちまってんだ」
「狐は獣人の中で一番魔法に長けた種族なんです。ですが昔、その魔法を使って獣人を欺こうとした者がいて、その人物が有名な魔法使いだったため、かなり大きな事件となりました」
だからあの二人の家は森の中にあったんだな。そういえば、彼らの耳は狐のものだった。
「他の種族は狐の魔法を信用できなくなり、事件に関係のない狐獣人も白い目で見るようになったようです」
そうなんだ……
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