鎌倉讃歌

星空

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夜空

〈4〉

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 駅までの道を歩いていると、マンションの敷地内の片隅に、サーフボードが立て掛けてあるのが見えた。
住人のものだろう。皆サーファーなのかな。

「結人はもう、サーフィンしないの?」
「俺は卒業した。怪我でもう乗れないから。波もバイクも」

 隣を歩くようになって気づいたのだが、結人は歩く時に足を少し引きずっている。痛みはないが、上手く動かないそうだ。

『無茶やって波に飲まれたんだ。そん時、岩場でざっくりやっちゃって』

ケロイドみたいに引きつれた傷痕が、左のふくらはぎに走っている。

 あ もしかして…

『病院で七海さんと出会ったんだ』
『そゆこと』

 十代で病気を発症した七海さんは、入退院を繰り返していた。青空と縁が薄かった彼女は、結人の武勇伝を楽しそうに笑って聞いていたそうだ。

「俺は馬鹿だからさ。ボードとバイクを取ったら何も残んない。笑わせることでしか、彼女を励ましてやれなかった」

 病気や事故が相手じゃどうすることも敵わない。いつもの結人らしくない憂いを含んだ眼差しに、私も寂しくなった。

「…何もないことない。あたしは結人に支えてもらったよ。去年よりずっと元気になったでしょ? きっと七海さんもそうだったと思うよ」
「だな。サンキュ」

 照れくさそうな結人の笑顔に私もほっとした。

 私が結人に出来ることが 
 何かあればいいのに

 鎌倉高校前駅の踏切に、さしかかった時だった。

「このアングルもいいんだけど、あの坂の上からだともっと海が見えるんだ」
「へえ。ホント?」

 坂の裾からのこの景色が好きで、何度もここを訪れている。
踏切とその先に見える砂浜と海。
私にとっては夏の象徴だ。

「なっちゃん。競争しよ」

 ぼんやり海を眺めていた私に、結人が言った。

「えっ、何。急に」
「よーい、ドン!」

 結人は坂を駆け上がっていった。
同年代の男性にしたら遅い方なんだろう。だけど、不意を突かれたのと、こっちはミュールだ。

「ゆいとっ」

 私は急いで追いかけた。
勾配は思ったよりも急だった。ぐんとせり上がって空へと続きそうなカーブに、私は足を取られ、てっぺんに登りきった結人の背中には追いつけなかった。歩道の端に座り込んで、肩で息をする彼の隣にしゃがんだ。

「何、なの。ずる…」
「ははっ。ごめん…」

 呼吸がようやく落ち着くと、結人が立ち上がった。

「なっちゃんの負けだから、俺の言うこと何でも聞いて」
「何でよ? 勝手に競争始めといて」
「ひとつだけ」

 結人が私の手を取って引き上げた。
その力強さに嫌でも「男」を意識してしまう。
この頃の私は変だ。
気がつくと結人のことばかり考えている。こんなふうにされたら、気持ちがふわふわして落ち着かない。

 私はまだ
 次の恋をする準備は 出来ていないのに

「来週の花火大会、一緒に行こう。髪はアップにして、浴衣着てきて」
「ちょ、ひとつって言ったじゃん」
「うん。それでひとつ」

 結人はにこにこ笑っている。

「ほら、海」

 彼の指差した先に見える目映い海は、夏の陽射しに白く霞んでいた。
でも…

「さっきより見えないよ」
「悪い。テキトーに言った」

 家の塀に切り取られて小さくなった水面を眺めながら、私たちはしばらくの間、歩道の日陰に佇んで風に吹かれていた。

結人はずっと私の手を離さなかった。

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