鎌倉讃歌

星空

文字の大きさ
上 下
5 / 21
青空

〈5〉

しおりを挟む

とうとう海水浴をする機会はなかったけれど、由比ヶ浜にもよく立ち寄った。ここは桜貝が拾える場所として知られている。
まだ桜の花が咲いているくらいの時期だった。
遠目にも砂浜がピンクに見える部分があって、私と圭介は波打ち際に近づいていった。

『すげえな。これ全部そうか』
『可愛いー』

 陽に透けてきらきらと輝くそれらを、私は夢中で拾っていった。
ぱりぱりと華奢な貝殻は、とても脆くてすぐに欠けてしまいそうだ。細かく分ければ何種類かあるらしいが、私が特に好きだったのは色の濃い桃花貝モモハナノガイだった。

『対になってるのは、幸運のお守りなんだって』
『俺らにはもう必要ねえな』

 罰当たりなことを言う圭介に、私はひとつをつまんで見せた。

『綺麗だな。おまえの爪みたいだ』

 圭介は私の手を取ると、指先にそっと口づけた。

たくさんの人であふれ返っている由比ヶ浜を、歩道の柵に凭れながら眺めていた。みんな誰かと楽しそうに笑い、はしゃいでいる。3年前までは私も向こう側にいたんだ。

パンをかじりながら、またひとつ思い出す。

『こっち旨いよ』
『ん。ちょっとちょうだい』

 お昼は藤沢駅で時々沖縄おにぎりを買った。

おにぎりと言うより、海苔で挟んだごはんのサンドイッチみたいだったけど、紙に包んであって食べやすく、値段もそこそこ手頃で、出来立てだから温かい。
具材はスパムと卵焼きが基本型になっている。肉味噌入りは大葉がアクセントなのが気に入って、私は何度も食べたものだった。

海に面したレストランのテラスでは、カップルが遅めのランチを取っていた。おしゃれな料理とワインを楽しみながら、二人だけの話に笑い合い、寄り添う。

お酒は飲まなかったけど、あんなふうに圭介と過ごしたこともあったよね。
傾き始めた光の中で、私は彼らの姿に羨望よりも寂しさでいっぱいになった。


 夕陽を見たら帰ろうと思い、稲村ヶ崎の海浜公園にバイクを停めた。石塀の上に座って足をぶらぶらさせながら、私は波頭を目で追っていた。

波は何度も繰り返し押し寄せる。潮風が髪をなびかせて通りすぎていく。かれこれ1時間はここに座っている。

マジックアワーがゆっくり近づいてくる。
富士山と江ノ島と海。

『海はいいよなー』
『ずっと見てても飽きないよね』

 さっきまで辿ってきた想い出に、私の心は揺れていた。どこへ行っても圭介の笑顔が浮かんでくる。私を呼ぶ彼の声が聞こえてくる。
吹っ切るはずのツーリングは、かえって彼との軌跡をくっきりと浮かび上がらせることになった。

メットのシールドに涙が落ちた。

あんなに大好きだったのに

圭介がいなくなって
鎌倉は私にとって
つらい場所になってしまった

圭介を忘れたいわけじゃない。
でも、涙はもういらないのに。

「へえ。コレ、君の?」

 声がして、反射的に私は顔を上げた。
バイクを覗き込むようにしていた男性が、こっちを向いたので私と目が合った。
茶髪の日焼けした人懐っこい笑顔が、一瞬戸惑いを見せた。

「おっと、お取り込み中だった」

 私は彼から顔を背け、涙を拭って呟いた。

「コレは、彼の…」
「あ、彼氏持ち。ごめん、撤収するわ」
「…もう、いない」
「え?」
「いないの。どこにも…」

 新しい涙がこぼれた。

絶対引かれてる
めんどくさい女だと思われてる

でも、私はあふれてくる涙を止められなかった。
泣いてる間に、彼が行ってしまえばいい。
そう思いながら手放しで泣き続けた。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

処理中です...