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8-1:匹夫之勇では救えない
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シルフィードがシエルに魔法を教え始めて一週間が経った。毎日朝早くから日が暮れるまで、丘の上に張られた結界の中で鍛錬に身を捧ぐ少年のなんと健気なことか。私は家の窓から遠目にその姿を眺めたりしながら、一日中地下工房に籠っているのが常だった。
倉庫から引っ張り出してきた魔石は本当に珍しいもので、持ち主だった母曰く、西の大陸の大穴蔵で採掘されたものだそうだ。天然の魔力を懇々と受けて育ったソレは、魔石というよりも、さながらオリハルコンやミスリルのような特殊な金属の一種であるように見えた。
手のひらほどの鉱石から型通りに丸く削り出す削り出す工程はヴェルンドがやってくれた。ガイド線から繊維一つ分も逸れることない、完璧な形だった。
私はそこに模様を彫る役割だ。針のように細い専用のペンに魔力を流しながら、ヴェルンドの中に記された魔力回路を刻んで魔法を付与する。記す勢いが強すぎると保護魔法をかけていない鉱石は簡単に欠けてしまうし、逆に弱すぎると回路が刻めない、本当に細かい作業だ。
付与魔法を用いれば作業は即終了し、シエルに対する大切な贈り物もすぐに渡せただろう。でも私の付与魔法では効果が長く持たないし、ヴェルンドの魔法ではシエルの魔力に押されて剥がれてしまう。故に、もう何百年と昔のやり方で魔法を付与する必要があった。
そうして一週間かけて完成した作品は、私にとって十何年間の研究の集大成と言っても過言でないものとなった。鉱石と同じく倉庫から引っ張り出してきた小さな木箱に詰め物を詰めて、サラサラと肌触りの良い布を掛けた。その上に綺麗に拭き上げたソレをしまって赤い紐で閉じる。そんなプレゼントボックスの貧相なことと言ったら無いが、他人に贈り物なんてしたこともなかったのだから。
『ご覧下さいヴェルンド。なかなか立派なものでしょう』
《綺麗に縫えていると思いますよ。回路が整然と美しいのは当然のこととして、いつの間に裁縫の練習まで…》
そうヴェルンドに褒めて貰ったのは、小箱にしまった物とはまた別のことだ。そちらは買った時の通りに紙箱へ収めて、自室の引き出しの奥深くに眠っていた可愛らしい包装紙で包んで紐を結んだ。
それから日が暮れて、私とシエルはいつも通りの薄い野菜スープで夕食を済ませた。いつの間にか食後の洗い物は二人で交互にこなすことになっていた。
〈――というように、彼は非常に優秀だ。既に風の初級魔法七種を全て、完璧に扱うことができる。次の週には中級の訓練に移れるだろう〉
「早いなぁ…。私はそこで頭打ちだったね」
〈世の中には、どうにもならないことがある〉
「まだ希望を捨てたくはないから、そんなこと言わないで欲しいなぁ」
皿を洗うシエルの周りをフワフワと飛び回っていたシルフィードをとっ捕まえ、台所から引きずり出してソファに座った。何度、本に湿気は天敵だと説明しても聞く耳を持たないのだった。
「洗い物、終わりました」
シエルがタオルで手を拭いてそう言った瞬間、しっかりとホールドしていたはずのシルフィードが凄い勢いで私の腕から飛んで行った。懐き、絆されきった犬みたいにシエルにベッタリな様子を嘲笑してやりたくなる。
「シエル、ちょっとおいで」
ちょいちょいと手を招きして呼び寄せ、本棚のに隠していた二つの包みを手渡した。怪訝そうに首を傾げるので「開けてごらん」と言いながら、ソファに座るよう促す。
まずシエルは木箱の紐を解いた。丁寧に蓋が開かれると、紺色のシルク地の紛い物の上で、丸いピンバッジがピカピカ光っていた。
ヴェルンドは小指の先に載る程の小さな金属の半球に細かな歯車と鳥を描いていた。複雑怪奇かつ幾何学的に延びた歯に留まった小鳥は不思議そうに首を傾げている。自然の魔力を蓄え、変換して力強く形作られた魔石は正に白い黄金のような面持ちでそこにあった。
「これは……」
「お祝いだよ!私も練習の末、魔力を動かせるようになった時に母から手袋を貰ったりしたのさ」
妹にあげてしまったその手袋のことを思い出しながら、私は次の包みを早くあげるように急かした。言われるがまま、まだ木箱について関心を置いたままで紙箱の包装紙を剥がし、灰色の蓋を開けたシエルが目を見開いた。
それは質素なタルマだった。杖をついた服屋の老婦人が、とっておきだと言って持ってきてくれた品だ。重くも軽い、しっかりした深緑の布に金色の糸で刺繍が施されている。小綺麗なケープに使われたその布は、魔法を糸で縫い付けるのに相性が良かった。
「そろそろ夏も終わってしまうから、上に羽織るものがないと寒いでしょう」
試しに軽く羽織ってもらう。少しサイズが大きいようだが、彼の身長はこれから伸びるだろうから何の問題もないはずだ。何より、シエル自身が色白だからか明度の低い色がよく映える。
布地を撫でたり、バッジを光にかざしてみたりと忙しい様子で、純粋にプレゼントを喜んでくれる子供らしい振る舞いに頬を弛めた。
「本当に、いただいても良いのですか?」
「勿論。お祝いだからね。それに、色々と魔法もかけてあるのさ」
例えばそれは、簡略化された防御魔法だとか、魔力の流れを制御できる回路だとか、魔法初心者の日常生活を支援するようなものだ。それでもシエルは驚いたようで、興味深々に箱の中のバッジを観察している。
日はもうとっくの昔に沈んでしまっているし、間も無く日付が変わる時刻だ。私は話を切り上げるように立ち上がって言った。
「もう湯も温まった頃だろうから、早くお風呂に入っておいで。明日も朝からシルフィードと勉強するんでしょう」
周囲を静かに飛び回っていたシルフィードが、パタパタとページを鳴らして催促する。それに、はーい、と物分り良く返事をして、タルマと小箱を抱えたシエルは着替えを取りにリビングを出て行った。
彼の足音が遠ざかって行ったのを確認して、私は大きく溜め息を吐く。シエルの成長は本当に素晴らしいことだが、それを祝う以上に、今の私には調べたいことが多過ぎたのだ。
「どうにも最近、調子が出ないんだよなぁ……」
漏れた呟きは静かな空気に混ざって本棚に溶ける。私はソファに腰掛けて、手のひらの魔力を揉んだり丸めたりして思考の片手間に遊んでいた。
指先で宙をつついたときの固いような柔らかいような感触を逃がさないようにしっかり掴んで、二つの小さな結界をぶつけた。
鶏卵の殻が割れるような感触だ。ガラスのような割れ物を床に叩きつけたような、高く透明な音が響きそうにも感じられた。しかし実際にはなんの音も無く、更に言えば魔力そのものに感触など無いのだ。
旅に出てすぐブトランに立ち寄ってスタンピードから町を守る為に、初めて家の外で結界魔法を使った。次はこの村で、魔力暴走の被害を抑える為に。その二度の機会全てで、私は同様の感触を味わった。結界と結界がぶつかって、割れる感覚である。
「何か大切なものを壊してしまってたり…はないよな」
防御結界を壊してしまっていたらと考えると鳥肌が立つほど申し訳ない気持ちになるが、防御結界クラスの魔法ならもっと頑丈だろうから私如きの結界では傷すら付けられないだろうと思い直して、その仮定を無かったことにする。
それでも疑問は拭えぬばかりで、私が壊したと思われるものはなんなのか、どういったものなのか引っかかってしょうがなかった。
〈気になるのなら、グランドピエールに行ってみるのはどうかしら〉
脳内に没入して、現実世界をぼんやりとしか認識していなかった私は、唐突に肩を叩かれたこととそれが背後からだったことに驚いて飛び跳ねそうになった。なんとか踏みとどまって振り向くと、ポケットに収まりそうなほど小さな魔導書が浮いていた。
彼女の赤茶色のスピンの先には削れたネームタグがぶら下がっている。書物そのものの動作に合わせて浮き沈みを繰り返すスピンこそ、私の肩を叩いた犯人だろう。
白紙の上に染み出したように現れた文字は溶けるような滑らかさで消えていった。これ以降は語る気も無いと言わんばかりに、パタンと音を立てて本が閉じる。
かつては目を見張るほど美しい白だったのだろうか、表紙は黄ばんでいる。同じように、表題を刻んでいた筈の赤い箔押しはほとんどが剥がれ落ちてかつての面影すら確認できない。
「貴女は……」
呆然と見上げて、ポツリと呟いた私に謎の魔導書が微笑んだような気がした。宛ら師の様だった。
倉庫から引っ張り出してきた魔石は本当に珍しいもので、持ち主だった母曰く、西の大陸の大穴蔵で採掘されたものだそうだ。天然の魔力を懇々と受けて育ったソレは、魔石というよりも、さながらオリハルコンやミスリルのような特殊な金属の一種であるように見えた。
手のひらほどの鉱石から型通りに丸く削り出す削り出す工程はヴェルンドがやってくれた。ガイド線から繊維一つ分も逸れることない、完璧な形だった。
私はそこに模様を彫る役割だ。針のように細い専用のペンに魔力を流しながら、ヴェルンドの中に記された魔力回路を刻んで魔法を付与する。記す勢いが強すぎると保護魔法をかけていない鉱石は簡単に欠けてしまうし、逆に弱すぎると回路が刻めない、本当に細かい作業だ。
付与魔法を用いれば作業は即終了し、シエルに対する大切な贈り物もすぐに渡せただろう。でも私の付与魔法では効果が長く持たないし、ヴェルンドの魔法ではシエルの魔力に押されて剥がれてしまう。故に、もう何百年と昔のやり方で魔法を付与する必要があった。
そうして一週間かけて完成した作品は、私にとって十何年間の研究の集大成と言っても過言でないものとなった。鉱石と同じく倉庫から引っ張り出してきた小さな木箱に詰め物を詰めて、サラサラと肌触りの良い布を掛けた。その上に綺麗に拭き上げたソレをしまって赤い紐で閉じる。そんなプレゼントボックスの貧相なことと言ったら無いが、他人に贈り物なんてしたこともなかったのだから。
『ご覧下さいヴェルンド。なかなか立派なものでしょう』
《綺麗に縫えていると思いますよ。回路が整然と美しいのは当然のこととして、いつの間に裁縫の練習まで…》
そうヴェルンドに褒めて貰ったのは、小箱にしまった物とはまた別のことだ。そちらは買った時の通りに紙箱へ収めて、自室の引き出しの奥深くに眠っていた可愛らしい包装紙で包んで紐を結んだ。
それから日が暮れて、私とシエルはいつも通りの薄い野菜スープで夕食を済ませた。いつの間にか食後の洗い物は二人で交互にこなすことになっていた。
〈――というように、彼は非常に優秀だ。既に風の初級魔法七種を全て、完璧に扱うことができる。次の週には中級の訓練に移れるだろう〉
「早いなぁ…。私はそこで頭打ちだったね」
〈世の中には、どうにもならないことがある〉
「まだ希望を捨てたくはないから、そんなこと言わないで欲しいなぁ」
皿を洗うシエルの周りをフワフワと飛び回っていたシルフィードをとっ捕まえ、台所から引きずり出してソファに座った。何度、本に湿気は天敵だと説明しても聞く耳を持たないのだった。
「洗い物、終わりました」
シエルがタオルで手を拭いてそう言った瞬間、しっかりとホールドしていたはずのシルフィードが凄い勢いで私の腕から飛んで行った。懐き、絆されきった犬みたいにシエルにベッタリな様子を嘲笑してやりたくなる。
「シエル、ちょっとおいで」
ちょいちょいと手を招きして呼び寄せ、本棚のに隠していた二つの包みを手渡した。怪訝そうに首を傾げるので「開けてごらん」と言いながら、ソファに座るよう促す。
まずシエルは木箱の紐を解いた。丁寧に蓋が開かれると、紺色のシルク地の紛い物の上で、丸いピンバッジがピカピカ光っていた。
ヴェルンドは小指の先に載る程の小さな金属の半球に細かな歯車と鳥を描いていた。複雑怪奇かつ幾何学的に延びた歯に留まった小鳥は不思議そうに首を傾げている。自然の魔力を蓄え、変換して力強く形作られた魔石は正に白い黄金のような面持ちでそこにあった。
「これは……」
「お祝いだよ!私も練習の末、魔力を動かせるようになった時に母から手袋を貰ったりしたのさ」
妹にあげてしまったその手袋のことを思い出しながら、私は次の包みを早くあげるように急かした。言われるがまま、まだ木箱について関心を置いたままで紙箱の包装紙を剥がし、灰色の蓋を開けたシエルが目を見開いた。
それは質素なタルマだった。杖をついた服屋の老婦人が、とっておきだと言って持ってきてくれた品だ。重くも軽い、しっかりした深緑の布に金色の糸で刺繍が施されている。小綺麗なケープに使われたその布は、魔法を糸で縫い付けるのに相性が良かった。
「そろそろ夏も終わってしまうから、上に羽織るものがないと寒いでしょう」
試しに軽く羽織ってもらう。少しサイズが大きいようだが、彼の身長はこれから伸びるだろうから何の問題もないはずだ。何より、シエル自身が色白だからか明度の低い色がよく映える。
布地を撫でたり、バッジを光にかざしてみたりと忙しい様子で、純粋にプレゼントを喜んでくれる子供らしい振る舞いに頬を弛めた。
「本当に、いただいても良いのですか?」
「勿論。お祝いだからね。それに、色々と魔法もかけてあるのさ」
例えばそれは、簡略化された防御魔法だとか、魔力の流れを制御できる回路だとか、魔法初心者の日常生活を支援するようなものだ。それでもシエルは驚いたようで、興味深々に箱の中のバッジを観察している。
日はもうとっくの昔に沈んでしまっているし、間も無く日付が変わる時刻だ。私は話を切り上げるように立ち上がって言った。
「もう湯も温まった頃だろうから、早くお風呂に入っておいで。明日も朝からシルフィードと勉強するんでしょう」
周囲を静かに飛び回っていたシルフィードが、パタパタとページを鳴らして催促する。それに、はーい、と物分り良く返事をして、タルマと小箱を抱えたシエルは着替えを取りにリビングを出て行った。
彼の足音が遠ざかって行ったのを確認して、私は大きく溜め息を吐く。シエルの成長は本当に素晴らしいことだが、それを祝う以上に、今の私には調べたいことが多過ぎたのだ。
「どうにも最近、調子が出ないんだよなぁ……」
漏れた呟きは静かな空気に混ざって本棚に溶ける。私はソファに腰掛けて、手のひらの魔力を揉んだり丸めたりして思考の片手間に遊んでいた。
指先で宙をつついたときの固いような柔らかいような感触を逃がさないようにしっかり掴んで、二つの小さな結界をぶつけた。
鶏卵の殻が割れるような感触だ。ガラスのような割れ物を床に叩きつけたような、高く透明な音が響きそうにも感じられた。しかし実際にはなんの音も無く、更に言えば魔力そのものに感触など無いのだ。
旅に出てすぐブトランに立ち寄ってスタンピードから町を守る為に、初めて家の外で結界魔法を使った。次はこの村で、魔力暴走の被害を抑える為に。その二度の機会全てで、私は同様の感触を味わった。結界と結界がぶつかって、割れる感覚である。
「何か大切なものを壊してしまってたり…はないよな」
防御結界を壊してしまっていたらと考えると鳥肌が立つほど申し訳ない気持ちになるが、防御結界クラスの魔法ならもっと頑丈だろうから私如きの結界では傷すら付けられないだろうと思い直して、その仮定を無かったことにする。
それでも疑問は拭えぬばかりで、私が壊したと思われるものはなんなのか、どういったものなのか引っかかってしょうがなかった。
〈気になるのなら、グランドピエールに行ってみるのはどうかしら〉
脳内に没入して、現実世界をぼんやりとしか認識していなかった私は、唐突に肩を叩かれたこととそれが背後からだったことに驚いて飛び跳ねそうになった。なんとか踏みとどまって振り向くと、ポケットに収まりそうなほど小さな魔導書が浮いていた。
彼女の赤茶色のスピンの先には削れたネームタグがぶら下がっている。書物そのものの動作に合わせて浮き沈みを繰り返すスピンこそ、私の肩を叩いた犯人だろう。
白紙の上に染み出したように現れた文字は溶けるような滑らかさで消えていった。これ以降は語る気も無いと言わんばかりに、パタンと音を立てて本が閉じる。
かつては目を見張るほど美しい白だったのだろうか、表紙は黄ばんでいる。同じように、表題を刻んでいた筈の赤い箔押しはほとんどが剥がれ落ちてかつての面影すら確認できない。
「貴女は……」
呆然と見上げて、ポツリと呟いた私に謎の魔導書が微笑んだような気がした。宛ら師の様だった。
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