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 今この家は、村から少し離れた森の中にある。木が茂る森は、とても見晴らしが良いとは言えない。しかも障害物になり得る物がたんとある。けれど実際のところ、目隠しなんてそんなものは魔法でどうにでもなるのだ。魔法の練習において大切なのは、周囲に人が居ないことだけなのだから。

「良く見ておいてね」

 すぐ隣にシエルを立たせて、せっかくだから訓練の為の結界生成の様子を見てもらうことにした。

 間もなくここには大きな立方体が作られる。それは空高く、地を広く這い、どんな壁よりも硬い。中でどんなことが起こっても絶対に外に影響さ出ないぐらい堅牢で、魔力の一粒だって逃がさない。そんなイメージを浮かべながら魔力を集め、命令を決定して詠唱する。

「"結界"」

 集って丸まっていた私の魔力が一気にまとまって四角い小さな箱になって空へ飛び上がり、花火みたいに散りながら赤黒い箱を築き上げた。

「どう?見えた?」
「いいえ、突然空に波紋が広がって黒い…赤黒い結界が現れました」
「波紋が見えたなら、魔力が見えるようになるのも早いだろうね」

 二百年前の大魔道士アゼルが言うには、『魔法は魔力の集合体が成す集団行動である』らしい。結界の生成をするなら、小さな粒でしかない魔力が集まり、固まって一枚の壁を作るように。その過程で発生するのが波紋だ。

「足跡みたいなもんだね。私たちが普段魔力を認識出来ないのは、あんまりに細すぎて気が付かないから。じゃあ、どうやったら見えると思う?」
「どうしたら…検討もつきません」
「単純だよ。見ようと思えばいい」
「見ようと思えばって、そんな簡単なことなんですか?」

 驚いたように言うシエルを見て、私はにやりと笑う。

「簡単だと思う?」
「思って見えるなら、十分簡単だと思います」
「そう思っているならそれでも良いよ。それじゃあ今から、私が手の平で魔力を捏ねて何か形を作るから頑張って見てごらん。魔力の密度は小さいから、多分すぐ見える」
「分かりました」

 怠惰が招いた運動不足のせいで持久力のない私は、立っているのも疲れてきたので私たちは地面に腰を下ろして練習を始めることにした。

 まず初めに作ったのはただの球だ。魔力を捏ねるのに手を動かす必要は無く、全てが私の頭の中の想像によって完結するから動作から形は推測できない。

 シエルはしばらく私の手の平とにらめっこしていただけだったけれど、五分ほど経ってから軽く眉間を押えて目を凝らし始めた。

「何か見えない?」
「いいえ、何も」
「初めから形を見ようとするんじゃなくて、そこにある重さとかを感じてごらんよ」

 私は魔力が見えるようになったのはいつ頃だったか、どういうきっかけがあったのかも覚えていない。魔法学の教員免許だって持っていないから、こんな偉そうにしていても教えることに関してはただの素人だ。今まで「なんとなく」で感じてきた全てを、分かるように伝えるのはなかなか難しかった。

「……なんだか青い紐のようなものが見えます!」
「それは目が疲れてるだけだね…頑張れ頑張れ」

 目を見開いたり細めたり、シエルは頻繁に瞬きをしながら私の左手の平の虚空を睨んでいた。私はというと空いた片方の手で小説のページをめくっている。もう間もなく一章読み終わるか、というところでシエルが「あっ」と声を上げた。

「丸い、球みたいなものが見えます」
「おぉ、色は?様子は?」
「赤黒くて、蛇斑の模様が蠢いていますね。…これが?」
「そう、正解だよ」

 何度も間違えたからか、恐る恐るといったふうに尋ねてくるシエルだが、大正解だった。一時間ぐらい見つめただけで見えるようになるなんて、やっぱりこの子には凄い才能があるんじゃなかろうか。半端者の私なんかじゃ到底辿り着けないような何か凄いことを成し遂げる力があるんじゃないかと期待が高まる。

 次々胸に沸き上がる興奮をなんとか抑え込んで、冷静な風を装った私は手の平に転がされた球を解いた。

「え、」
「ああ気がついた?」

 シエルの魔力は放っておくと砂のようにサラサラと、大地に引かれて落ちていく。一方私は、泥を詰めた見えない瓶に落っこちたみたいに体全体を魔力で包んでいるから、初めて見たら少しビックリするだろう。

「魔力は決して持ち主に害を与えないから大丈夫だよ。息苦しくも何ともないのさ」
「そうなんですか」
「そう。じゃあ、他人の魔力は見えるようになったことだし、次は自分の番だ」

 実は、形を作っていない魔力を自然に見えるようになるのは少し難しいことのはずだった。けれどシエルは、何の疑問も抱かないでそれが出来た。そのセンスにほんの少しの嫉妬を燃やしながら、私は説明を始める。

「自分の中を魔力が流れている感覚は分かる?」
「いいえ…」
「それじゃあ、それからイメージしてみよう。体中に管があって、その中を血が流れてる。魔力は血と一緒に体を巡ってるのさ」
「なるほど」

 何故自分がこんな意地悪をしようと思ったのか知らないが、私はとにかく嫉妬していた。少し疲れた様子で、それでも楽しそうに私の話を聞いてくれる彼に。自分が逃した大切なものを彼はしっかりと捕まえている気がして、兎にも角にも嫌だった。

 だからこそ私は、自分の魔力の確認方法について詳しく説明しようともしなかった。

「……ねえ、主…シュノンさん」
「何?」
「魔力というのは、人によって形が違ったりするのでしょうか」
「…その通りだよ」

 私が言うと、静かにシエルの足元で凪いでいた魔力の砂が波紋を広げた。青白い砂は黄金に輝く波紋を生んで、不安そうに揺れていた。

「それじゃあ、足元にある青白い魔力は、僕のものですか」
「そういうことになるね」
「うわぁ…」

 何故だかシエルは嫌そうな顔をした。今も絶えず自分から放出される砂を睨んでいる。一体何か、不気味に思えることでもあったのか。

「どうかした?」
「少し、気持ちが悪いなって…」
「どうして?」
「シュノンさんはこれが僕の魔力だって言いますけれど、僕にはとてもそうは思えなくて。勝手に自分から出て行ったりするのも嫌です」

 私には理解できない話だった。寧ろこんなに魔法の才能に恵まれているのにそんなことを言うな、と苛立ちを感じるほどだ。もしかすると、君なら魔法だけじゃなくて魔術まで扱えるようになるかもしれないのに、と。

 下手に口を開けば、ヒステリックな叫びと一緒に激しい賞賛を贈ってしまいそうだ。きっと顔を真っ赤にして、今にも殴りかからんばかりになってしまう。流石にそんなことを言えるほどの勇気は無くて、何となく気まずい雰囲気から顔を逸らした。

「言うこと聞かせる練習はこれからすればいいのさ。そう焦らないで。だってほら、慣れればこんな事もできる」

 そう言って、私は魔力をシュルシュルと固めてお立ち台を作って見せた。それでもシエルはどこか浮かない顔をしている。

「…私とシエルじゃ魔力の質が違うから、感覚もだいぶ違ってくると思う。だからこのフェーズ、私が君に教えられることはあんまりないだろうね。君が頑張るしかないんだよ」
「分かっています」
「いい?魔力を見る為には何が必要だったか覚えておいて。大切なのは思うことなんだ。魔力とか霊力とか、この世の中に存在するそんな奴らは何故だか『思い』を重視したがるんだから。魔力を操ってみせる、って気持ちをしっかり持てば、できるはずさ」
「シュノンさん!」

 声をかけられて振り返ると、すぐ目の前に砂山があった。海の荒波のように猛ったそれは、私を飲み込まんと上から崩れてくる。

「うお!?」

 ビックリしてすぐに結界を張った。赤黒い蛇斑の壁に、青白い岩のような魔力が衝突する。ただ耐えるだけでは危険だと判断して、結界に二重に魔法をかけて魔力の塊を吸収していく。

 半分ほど吸収したところで第二撃がやってきた。魔力の圧が体を押した。魔力の軌道は一直線。単調に飛んでくるだけの、頭の悪い大蛇のようなその動きはそれほど脅威とは感じられない。けれど的確に私を狙ってくる。

 ただの魔法なら構成式を崩すことで簡単に吸収できるだろうけれど、純粋な魔力が固まって飛んでくるなら少し面倒だ。固く溶け合った魔力の結びつきを解いて吸収しているが、これがなかなか難しい。

 結び目も含め、何もかもの質が荒いのはシエルがまだ魔力を上手く扱えないからだ。これが上達して一人前に操れるようになったとしたら、私が彼に勝つことはほぼできなくなるだろうなんて考えながら攻撃を躱し、避けられないようなら結界で吸収していく。

「シエルは私を殺すつもりなのかな!?」
「そんなまさか!」

 続けざまに三つ目四つ目の魔力もやってくる。包囲的なその動きに、格闘家でもなんでもない私は回避行動も取れずに結界を展開する。しかし岩を形成する魔力があまりに濃いからか、魔法での吸収にも時間がかかってしまって攻撃に追いつけない。

「勝手に動いてしまうんです!!」

 最後に振ってきた五つ目の岩。それが結界にヒビを入れた時、シエルの声が遠く聞こえた気がした。

「…参ったなぁ……」

 ビシビシと結界のヒビは広がり、遂に私の目の前で壁は砕け散った。
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