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 規則的な寝息だけ聞こえる部屋で、私は服を畳んでいた。服屋の老婆には、何着かの洋服と男物の下着を売ってもらうことができたのだ。

 今まで洗濯物を畳んだことなんてなかった。不器用な私ではシワになってしまうから、いつだって妹が畳んでくれていた。だからこそ、今私は困っている。シワにならない畳み方なんて分からないから、試行錯誤しながら一枚に何分もかけて畳むハメになっている。

 なんとか残る服は二枚の襟シャツ、というところまで持っていけた。しかしたった今私は、畳むんじゃなくてハンガーにかけたほうが楽なんじゃないかと気が付いてしまった。そっちの方がシャツやらなんやら形が綺麗に持ちそうだ。

「うぅ…」

 気持ちを改めハンガーを取りに倉庫へ向かおうと立ち上がった時、背後の布団から呻き声が聞こえたものだから、急いでそっちに飛びついた。どうも焦点が合わないらしい目を薄く開いて、シエルは小さく唸っていた。

「大丈夫?」
「…はい」

 あれだけ魔力を消費したのだから、疲労感がのしかかっているのだろう。ゆっくりと体を起こしたシエルにカップの水を飲ませて、咳き込みそうになる背中をさすった。

「さっきは、ごめん。私がもっと警戒しておくべきだった。おかげでシエルを酷い目に合わせちゃったし、本当…どう言ったらいいのか分からないけど、本当にごめんなさい」

 飲み終えたカップを受け取って机に置く。シエルの目はどこか遠くを見ていて、心ここに在らずというようだ。ポツリと呟かれた「あの人は…」というのは誰のことか分からない。

「叫び散らしてた奴は教会に運ばれた。刺された人も何とか生きてる。大丈夫だよ」
「…良かった…」

 私は背後に積み上げられた、下手くそに畳んだ服が見えないように背中で隠しながら立っていた。自分の失敗を見て欲しくはないからだ。それでも大きすぎる服の山は隠し切れていないようで、度々シエルは不可解だと言わんばかりの顔でローテーブルの上を見ていた。

「あの、アレは一体…?」
「服屋のおばあさんが売ってくれたんだ。シエルは眠ってるし、先に畳んでおこうと思ったんだけどね…うん、上手くいかなかったよ」

 あの老婆は最後まで名前を教えてくれなかったが、私が彼女から教えてもらったことは多々あった。シエルに対して、話したいこと、聞きたいことは沢山ある。でもその多くは今話すことじゃないことぐらいは私にだって分かるのだ。

「ねえシエル」

 それでも一つ聞かなければならなかった。全部を押さえ込んで尋ねようと掛けた声が思ったより暗くて、自分でも驚いた。

「君の仕事は何だった?」
「え、」

 質問をしてすぐ、彼は何がなんやら分からないようだった。それが少しずつ意味を理解して、顔色が変わっていく。青白い顔がさらに色褪せて、まるで土気色だった。見開かれた緑色の目がフルフルと震えて逃げていく。浮いた涙と汗が彼の堤防を打ち破る前に、不躾ながら私はベッドに乗り込んだ。

 昔から妹にしてたみたいに、母親代わりに抱き締めて背中を撫でてやる。頭を撫でてやる。マトモな人間なら、いきなりこんなことされて気持ち悪いったらないだろうが、それを振り払えないなほど酷い状態ならこうした方が早い。

「怯えなくて良いよ。私も誰も、何にもしないから。君を害しやしないから。ゆっくり呼吸して、どうか落ち着いて…」

 できる限り優しく、長らく担ってきた母親の役を思い出すように言い聞かせていると、左目に熱が篭もるのを感じた。渦を巻くように動く私の魔力の脈拍が少しずつ早くなる。

 それに連れて毒が回るように、浅く大きく、リズムが整わないで乱れてばかりだったシエルの呼吸音が、ほんの少しだけ静かに深くなったのがさすっていた背中からでも感じられた。

「あぁ…あ、ほんとう、本当に……?」
「そうだよ、本当。大丈夫だから」

 自分の声に一体何が込められているというのか。ひたすら優しい風を装って、声をかけ続けているだけだが、妹といいシエルといい、何故か皆安心したような顔をするので不思議だ。

 今回起きた全てのことは自分に責任がある。自分の世界がどこまで行ったって大切で、よく事情を知っている訳でもない彼を放りっぱなしにしてしまった。

「服屋のおばあさんが教えてくれたんだ。『何十年も前の話だけれど、私もあの街で売られてた』って」

 彼女の仕事は夜の店の踊り子だったけれど、それに加えて娼館でも働いていたと言う。煌びやかな飾りの付いた衣装をまとって舞い、客から声が掛かれば一晩一緒に寝る生活をしていたそうだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『二人ぐらい、私は似たような娘を知ってたんだ』

 よく上等な客から声を掛けられる娘。突然姿を消して一ヶ月も帰ってこないと思ったら、痣だらけで大金を抱えて店に帰ってくることがよくあった。

 ある酒場の娘。度々暴漢に襲われた。か弱い娘でろくな抵抗もできなかったから、最期はあちこち鬱血だらけ穢れだらけで暗い路地に棄てられていた。

『その娘は皆、時々目の色が変になってたんだ。赤とか銀とか、なかなか珍しい色だった。お客は大抵、取り憑かれたみたいにあの子らを呼んでたね』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 老婆は色々なことを語った。二人の娘の話、アラウィスという街の大きすぎる闇の帳についてと、壊れてしまって棄てられた奴隷たちの話。その全てを私は理解できた訳ではないけれど、今は兎に角話を聞き出さねばならないと感じていた。

「どうか話して欲しいんだ。何が一体君をそんなに傷つけて、蝕んでいるのか」

 しばらく間を置いて、力なく垂れていたシエルの手が私の肩を押した。そのまま抱擁を解いて、私はベッドの端に座り直す。赤らんだ目尻の涙と額の汗をを拭い取って、シエルは少し間隔をあけて私の隣へ膝を抱えて小さく座った。

「…語らなければなりませんか」
「そうだね。どうにもならないから」

 うつむき加減にシエルが言う。私の返答に対して、彼はどこか諦めたような顔で笑った。いつだったか、同じように妹の話を聞いたのを思い出した。

「聞いたらきっと、僕が嫌になるでしょう。穢くて醜い、使い古しの人形みたいに。その時は、その時は僕を棄ててください」
「そんなことはしないよ」
「いいえ、して下さって構わないんです。僕は主様に何も話していなかった。あなたが僕に清潔な服と、部屋と心遣いいっぱいの食事‎を与えてくれたことについては、どうお礼を言ったら良いのか…」

 布団が強く握り締められてシワが寄った。白いブラウスに白いシーツ、そこに顔色まで真っ白にしながら自嘲的に口角を上げてシエルが続ける。

「だから僕の話を聞いたら、手酷く痛めつけて棄ててくれればいいんです」

 彼は途中からえらく饒舌になった。私に口を挟む暇を与えることもなく、一息にそう言い切ってしまった。希死観念に取り憑かれたまま、自分を卑下する言葉ばかりを並べ立てていく。

 私はなにも言葉を発さないで、ただ目を見て話の始まりを待った。ただ何度か、話を聞いていると示すために小さく頷いただけだ。シエルは一度大きく息を吸って、暗い視線を私のものと交わらせる。

「僕には一つ年の離れた弟がいました。二人して商人に売られたのが、十一歳の時です」

 一言一言確かめるように言ったシエルの様子からは、過去を苦々しく嫌悪しているのが感じられた。それと同時に、その表情の陰にはずっと昔には手元にあった幸福を懐かしむような穏やかさも見てとれる。

 私にはその長閑な哀愁こそ、彼の抱える幸福を食むモンスターのように思えて仕方がなかった。
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