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第六話 兜を被った町会長
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「もしも~し。あ、会長。お忙しいところすみません、人参房の滝川っす」
電話は無事、繋がったようだ。
「早速本題に入るんすけど、実は“透明人間”についてちょっと話したいことがありまして……今から臨時で役員会開くことって出来ませんか——はい。三十分後、ふるさと会館で」
滝川は簡潔に要件を伝えて、すぐに受話器を置いた。
「流石町会長、話が早いですね。三十分後にふるさと会館ですって」
「そうか。すぐに支度をせねば」
滝川に電話の礼を伝えてすぐ、私は食材の仕入れ先にFAXで送った注文用紙の裏紙に、雑にマジックペンで、“臨時休業”とだけ書き殴って店先に貼り付けた。
「羽渕さん、今日は急かしてしまって申し訳ないです。後ほど役員会で会いましょう」
「お、おう……」
羽渕さんは気の毒にもエスプレッソとサバサンドを半ば無理やり口に詰め込んで、私たちにせかされる形で店を出て行った。檸檬はその間も、不安げに乱暴に伸び切った髪の毛の間から冷たい瞳を覗かせて私と滝川の指示を待っていた。
私たちは大急ぎで準備をした。檸檬には申し訳ないが、着替えている暇が無かったので、滝川が買ってきた服は後ほど見てもらうことにし、とりあえずは昨日貸した町会のイベントのシャツのまま外に出てもらった。私もまだ滝川がどんなものを見繕ってきたのか知らない。彼奴の服に関するこだわりとセンスは私の比ではなく、悔しいが檸檬に似合うものを用意したに違いないという確信はある。店の入り口に鍵をかけた。
「フロイトについて説明できるのは君しかいない。檸檬君、頼めるね」
私は左肘を右手で押さえたまま居心地悪そうに歩いている檸檬の方を向いた。
「……ああ」
「皆に伝えれば、これ以上犠牲者が出ることを食い止められますしね。急がないと!」
滝川は私たちの数歩先を落ち着きのない足取りで歩いている。
金魚屋が見えたらそこを右に、次に産婦人科とコンビニが向かい合っているT字路を左、道なりに進んで河川敷まで出たら上流の方へ徒歩三分、溶かした鉄屑をまとめたような、所々不安定な形をした建物がようやく見えてくる。
“州ガモふるさと会館”
と記された、サーフボードほどの大きさの木の板が、私の身長の三倍ほどの高さのある観音開きの扉の左側にかけられている。州ガモがまだ内陸だった頃は、この場所は外国の宗教の教会であったとのことであるが、私はどうもこの、ゴシックという建築様式には神聖さより親しみを感じてしまうのである。檸檬は入り口のガーゴイル像を神妙な面持ちで見つめていた。
「あら、バニ沢さんに滝川ちゃんも」
重たい扉を開けようとした時、後ろから聞き覚えのある女性の声に呼び止められた。
「ルクスさん、おはようございます」
滝川がわざとらしくスカートの裾をつまんで挨拶をした。私にこのようにしたのは、三十枚の皿を一度に割った時の一度以外ないが、町内会の人には進んでやるのだ。滝川が挨拶し、私たちを呼び止めたのはルクス夫人と言って、人参房からは少し離れたところで電気店を営んでいる老婦人である。痩身で低身長だが不健康のそれではなく、肌も張りがある。州ガモの住人が電気工事を依頼するなら、彼女以外の選択肢はまずないだろう。
「昨日今日と本当に物騒ね……緊急会議だなんて、一昨年の豪雨の時以来だわ。今日は人参房の二人から、例の“透明人間”について何かお話があるんですって?」
ルクス夫人は穏やかな皺のついた目尻を細めて悲しげな顔をした。
「ええ、その透明人間に心当たりがありまして。とにかく、詳しくは会議で話しましょう」
「あら、ごめんなさい。そうね、緊急事態なんだから」
もたもたしていると次の犠牲者が出る可能性が高い。私は心苦しくもルクス夫人との立ち話を無理やり終わらせて、扉を開けると彼女に入るよう勧め、夫人は物憂げに眉を顰めて中に入っていった。
ふるさと会館とはまさに名ばかりで、前は教会であったこの建物の内部は吹き抜け天井のだだっ広い一間で構成されている。中に巨大な先代の会長の特注だという樹齢二千年の杉の木を使った巨大な一枚板の長机と、その周りにパイプ椅子の置かれただけの、実際のところは会議室という方が正しい。上から仰々しいシャンデリアが吊るされ、埃を被ったパイプオルガンを隠すようにホワイトボードが置かれている。
役員会が開かれ、州ガモの市民の暮らしをさまざまな方面で支えている会社、商店、教師や医者など錚々たる面子が一同に、この長机に座る光景は圧巻である。この場所こそが州ガモのアゴラとでも言うべき、政治と経済、町内会の旅行に至るまで様々な決め事を行う最高機関であるのだ。入り口から見て一番奥の、ホワイトボードの前にある席が、町会長の定位置である。
今回は私たちの提案で開かれた緊急集会であるので、町会長の席の真横に“人参房”と記された名札が置かれている。どうしたらいいのか分からなそうな檸檬を促しつつ、我々は檸檬を挟むようにして席に着いたのだった。町会長はまだいないようだ。
しばらく近くの席の人々と世間話をしていると、扉の開く音がした。向こうに、頭部だけ意匠を凝らして作ったもののそのあと職人が力尽きてしまったようなアンバランスなシルエットが見える。
「もう大体揃っとるな」
不安げに昨日と今日に起こった殺人事件についてめいめいが話し合う中、その声が響いた途端に皆、黙った。この、ずっと着けていたら絶対にヘルニアになりそうな兜を被った、メガネをかけ、小柄で痩せた蛸のような老人こそ、州ガモのまとめ役である豪傑、町会長。
町会長はゆっくりとこちらに歩いてくる。一歩動くたびに首が兜の重さに耐えきれていないのかゆらゆらと不安定だ。町会長はまず、檸檬の前で立ち止まって挨拶をした。
「儂が州ガモ町会長、マチルダ・アルブレヒトです。よろしく頼むね」
檸檬はその間、マチルダ町会長の被っている兜から、片時も目を離すことが無かった。
電話は無事、繋がったようだ。
「早速本題に入るんすけど、実は“透明人間”についてちょっと話したいことがありまして……今から臨時で役員会開くことって出来ませんか——はい。三十分後、ふるさと会館で」
滝川は簡潔に要件を伝えて、すぐに受話器を置いた。
「流石町会長、話が早いですね。三十分後にふるさと会館ですって」
「そうか。すぐに支度をせねば」
滝川に電話の礼を伝えてすぐ、私は食材の仕入れ先にFAXで送った注文用紙の裏紙に、雑にマジックペンで、“臨時休業”とだけ書き殴って店先に貼り付けた。
「羽渕さん、今日は急かしてしまって申し訳ないです。後ほど役員会で会いましょう」
「お、おう……」
羽渕さんは気の毒にもエスプレッソとサバサンドを半ば無理やり口に詰め込んで、私たちにせかされる形で店を出て行った。檸檬はその間も、不安げに乱暴に伸び切った髪の毛の間から冷たい瞳を覗かせて私と滝川の指示を待っていた。
私たちは大急ぎで準備をした。檸檬には申し訳ないが、着替えている暇が無かったので、滝川が買ってきた服は後ほど見てもらうことにし、とりあえずは昨日貸した町会のイベントのシャツのまま外に出てもらった。私もまだ滝川がどんなものを見繕ってきたのか知らない。彼奴の服に関するこだわりとセンスは私の比ではなく、悔しいが檸檬に似合うものを用意したに違いないという確信はある。店の入り口に鍵をかけた。
「フロイトについて説明できるのは君しかいない。檸檬君、頼めるね」
私は左肘を右手で押さえたまま居心地悪そうに歩いている檸檬の方を向いた。
「……ああ」
「皆に伝えれば、これ以上犠牲者が出ることを食い止められますしね。急がないと!」
滝川は私たちの数歩先を落ち着きのない足取りで歩いている。
金魚屋が見えたらそこを右に、次に産婦人科とコンビニが向かい合っているT字路を左、道なりに進んで河川敷まで出たら上流の方へ徒歩三分、溶かした鉄屑をまとめたような、所々不安定な形をした建物がようやく見えてくる。
“州ガモふるさと会館”
と記された、サーフボードほどの大きさの木の板が、私の身長の三倍ほどの高さのある観音開きの扉の左側にかけられている。州ガモがまだ内陸だった頃は、この場所は外国の宗教の教会であったとのことであるが、私はどうもこの、ゴシックという建築様式には神聖さより親しみを感じてしまうのである。檸檬は入り口のガーゴイル像を神妙な面持ちで見つめていた。
「あら、バニ沢さんに滝川ちゃんも」
重たい扉を開けようとした時、後ろから聞き覚えのある女性の声に呼び止められた。
「ルクスさん、おはようございます」
滝川がわざとらしくスカートの裾をつまんで挨拶をした。私にこのようにしたのは、三十枚の皿を一度に割った時の一度以外ないが、町内会の人には進んでやるのだ。滝川が挨拶し、私たちを呼び止めたのはルクス夫人と言って、人参房からは少し離れたところで電気店を営んでいる老婦人である。痩身で低身長だが不健康のそれではなく、肌も張りがある。州ガモの住人が電気工事を依頼するなら、彼女以外の選択肢はまずないだろう。
「昨日今日と本当に物騒ね……緊急会議だなんて、一昨年の豪雨の時以来だわ。今日は人参房の二人から、例の“透明人間”について何かお話があるんですって?」
ルクス夫人は穏やかな皺のついた目尻を細めて悲しげな顔をした。
「ええ、その透明人間に心当たりがありまして。とにかく、詳しくは会議で話しましょう」
「あら、ごめんなさい。そうね、緊急事態なんだから」
もたもたしていると次の犠牲者が出る可能性が高い。私は心苦しくもルクス夫人との立ち話を無理やり終わらせて、扉を開けると彼女に入るよう勧め、夫人は物憂げに眉を顰めて中に入っていった。
ふるさと会館とはまさに名ばかりで、前は教会であったこの建物の内部は吹き抜け天井のだだっ広い一間で構成されている。中に巨大な先代の会長の特注だという樹齢二千年の杉の木を使った巨大な一枚板の長机と、その周りにパイプ椅子の置かれただけの、実際のところは会議室という方が正しい。上から仰々しいシャンデリアが吊るされ、埃を被ったパイプオルガンを隠すようにホワイトボードが置かれている。
役員会が開かれ、州ガモの市民の暮らしをさまざまな方面で支えている会社、商店、教師や医者など錚々たる面子が一同に、この長机に座る光景は圧巻である。この場所こそが州ガモのアゴラとでも言うべき、政治と経済、町内会の旅行に至るまで様々な決め事を行う最高機関であるのだ。入り口から見て一番奥の、ホワイトボードの前にある席が、町会長の定位置である。
今回は私たちの提案で開かれた緊急集会であるので、町会長の席の真横に“人参房”と記された名札が置かれている。どうしたらいいのか分からなそうな檸檬を促しつつ、我々は檸檬を挟むようにして席に着いたのだった。町会長はまだいないようだ。
しばらく近くの席の人々と世間話をしていると、扉の開く音がした。向こうに、頭部だけ意匠を凝らして作ったもののそのあと職人が力尽きてしまったようなアンバランスなシルエットが見える。
「もう大体揃っとるな」
不安げに昨日と今日に起こった殺人事件についてめいめいが話し合う中、その声が響いた途端に皆、黙った。この、ずっと着けていたら絶対にヘルニアになりそうな兜を被った、メガネをかけ、小柄で痩せた蛸のような老人こそ、州ガモのまとめ役である豪傑、町会長。
町会長はゆっくりとこちらに歩いてくる。一歩動くたびに首が兜の重さに耐えきれていないのかゆらゆらと不安定だ。町会長はまず、檸檬の前で立ち止まって挨拶をした。
「儂が州ガモ町会長、マチルダ・アルブレヒトです。よろしく頼むね」
檸檬はその間、マチルダ町会長の被っている兜から、片時も目を離すことが無かった。
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