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第六話 命ひしめく星で
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「……エルラダから09-32まで、普通に行けば片道十時間らしいんだけど!? あんた、五倍のスピードでぶっ飛ばしてきちゃったんだよ!」
超空間内での車内の揺れと内臓が浮く感覚を思い出すだけで血が凍りそうだ。だがジュディスに、恐れという概念はない。
『フン、帰りニユックリ行ケル方が良イダロウ。時間ハ有限ダ。行きハ少シ急グクライデハナイト』
ジュディスは胸を張って、指先でオービット二〇〇〇号のキーをグルグル回しながら得意げにそう言った。
「だからって二時間ほぼノンストップで超光速飛行なんて、おかしいでしょ!」
短いスパンで超光速飛行を繰り返すと、コンピューターの計算が追いつかずに座標がずれ、小惑星群や他の宇宙船に突っ込んでしまうような事故が起きる可能性が非常に高くなる。そもそも、車体が保たずに、途中で宇宙の藻屑になってしまう危険だってある。これらのリスクは宇宙車と船舶の免許を取る時に嫌というほど教わることだ。
「意外とチキンなんぢゃの。もっとエキセントリックな小娘かと思っとったわい」
珍しく驚いたような顔をした博士にそう言われて、私は口が壊れるほどに歯軋りをした。
「——最低限の安全を求めるのが、チキン……チキンですって? もういい。絶対帰りは私が運転するから!」
私はジュディスの横で啖呵を切った。
『ナッ……ハンドルハワタシノ魂ダ! 野蛮ナ地球人メ!』
「うるっさい! ロボットが簡単に魂とか言うな! ホラ、よこしなさい! よこせってば!」
私がジュディスの肩を掴んでキーを奪おうとすると、ジュディスの方は私の頬を思いっきり機械の腕で押して抵抗した。帰りまで命があるかわからない。絶対にキーを奪わなければ!
私とジュディスの小競り合いを博士とマーフィー君が眺めている一方で、ボス達の方は目の前に浮かぶ目的地の惑星、09-32を前にして、息を呑んでいた。
「アレが、惑星09-32……。海はなくて、広大な荒地が殆どを占める星よね。それなのに信じられないほど、多様で豊かな生態系が存在するって。来るのは初めてだけど」と姐さんが言った。
「バーガックスはその生態系の頂点……。ああ、今からでも遅くないから引き返したい! バーバラに失敗を詫びたくても、生きて帰れるかすら分からないよ」
ボスは相変わらず壊れたスピーカーから、今も消え入りそうな声を漏らしている。
「なんで失敗する前提で話してるんすか。絶対成功させましょうって!」
ゼンはボスの真逆で、琥珀色の瞳に闘志を滾らせていた。
「うおおおお! 無個性なんて言わせないぞ、爪痕を残してやる!」
「お、おう、やる気十分っすね先輩……」
突然大声を出したグレイ先輩に驚いて、流石のゼンもすぐに冷静になった。
オービット号は私たちを乗せて、大気圏内まで進んでいく。ようやく——ではなくあっという間——の騒がしい旅路の果てに、私たちは惑星09-32に降り立った……。
着陸して外に出ると、嗅いだことのない甘いような辛いような不思議な匂いがした。オレンジ色の空と、赤みを帯びた土の荒野が地平線を境にして二色の世界を作り上げ、延々と広がっている。そしてその二色の間にひしめき合う、多種多様な原生生物達の影。私たちは依頼のことを忘れ、しばらく眼前に広がる大自然のショーに圧倒された。
「お、おい! 何見とれてるんだよみんな! 俺たちはバーガークイーンを見つけるんだろ?」
ゼンが真っ先に我に返って言った。
「バーガックスだってば! 変な間違いかたしないでよ」と私は言った。
この惑星で過ごすのに宇宙服はいらない。酸素濃度は標準環境基準よりも少しだけ濃く、重力は基準値の九十二パーセントと、ほんの少しだけ小さいらしい。そういえば少しだけ体が軽い気がする。
バーガックスを探して荒野を歩いていると、ゼンがそこらに生えている、赤く私と同じくらいの背丈の植物に興味を示した。
「なあこれ、いっぱい生えてるけどなんだ?」
そう言いながらゼンが赤い植物に伸ばした手を、必死で払い除けた。
「あああ触っちゃダメ! その赤いのは爆弾サボテン、触ったらあんた以外爆発して死んじゃう!」
ジュディスとマーフィーも残念なことに多分無傷だろうけど——とまで言いかけて口をつぐんだ。
「そ、そうなのか?」
「このサボテンはね、他の物体が発する電磁波に反応して、中に溜め込んでる可燃性のガスを発散させて爆発するの。しかも、その時に中にある固い種子が弾け飛んで、弾丸みたいな威力で散らばるから、すっごく危険なの!」
「おお……」
ゼンは己の浅はかさを後悔するように伸ばした腕をしまった。
「ふふふふ。ここからが最悪よ……爆風に混じった種子は、巻き込まれた生物の体に刺さり、根を張るの。爆発に巻き込まれた時点で大体の生き物は助からない。肉片になった後は大人しくサボテンの苗床になるしかないってわけ……」
面白くなってきた私は、怪談を語るようにゼンをおどかした。
「ヒッ……ヤベェな……」
ガグーア人の頑丈な皮膚はこのサボテン程度の爆発では火傷すらしないであろうに、ゼンは顔を青くして子供の様に震え上がっていた。しかしガグーア人ではない私たちが危険な目に遭うのは間違いないので、これくらい釘を刺しておく方が丁度いい。
「すご~い。アンタ、この星に来るの本当に初めてなの? どっから仕入れてんのよその知識」
姐さんは目の前のサボテンを忌々しそうに見つめながら、私のことを褒めてくれた。
「えへへ、実は生物に関連する学術書は、理解できる言語の範囲内なら殆ど読んだ自信があります!」
そう答えながら、私は照れ笑いをした。
「生意気じゃが大した小娘じゃの。いずれ商売敵になるかもしれんな」と博士が言った。
「そもそも博士の業界には参入したくないので安心してください」
何故か好敵手として認められかけたが、冗談じゃない。この老人にライバル視なんてされた暁には、この世から消されるとか、脳を覗いてアイデアを盗まれるとかそういう蛮行をやられかねない。「嫌いな言葉は倫理観」と笑顔で言う博士が思い起こされ、震えた。
「やっぱ頭いいって、かっけえな!」
ゼンがいきなり屈託のない笑顔を向けてきた。
「い、いきなり何? とにかく感心してる場合じゃないの! これに懲りたらこういう原生生物の多い未開の惑星では、石ころだろうと無闇に触るのはやめて。未知の細菌だっているかもしれないし——」
私は赤い土煙をあげて歩きながら続けた。
「——なんなら地面に擬態している大型生物だって」
踏み出した一歩先の地面の感触が明らかに違う気がする。硬いとか柔らかいとかではない。生暖かいような、冷たいような……ブーツ越しでもそういう生々しさを感じたのだ。
その違和感を覚えた瞬間には、すでに皆宙に浮いていた。真下を向くと、私たちを一飲みにせんと待ち構える牙の生えた黒い穴があった。間違いない。地面に擬態し、縄張りにきた獲物を襲う生態をもつ、平たい体を持った罠のような原生生物——ギルヴァートが大口を開けていた。
「ぎゃああ!」
ボスの悲痛な叫びが惑星09-32にこだました。
このままでは皆食べられてしまう! ギルヴァートの口が沢山のご馳走を待ちかねて、嬉しそうな唸り声をあげている。宙に舞った私たちは身動きを取ることができず、ただこの惑星の重力に従って化け物の口に入るのを待つばかり——ゼンを除いては。
ゼンは咄嗟にその大きく猛々しい翼を広げて、体勢を立て直した。ガグーア人の力強い羽ばたきは嵐を起こすだなんて言い伝えを昔聞いたことがある。空中に投げ出された私たちを、ゼンは容易く尻尾と両腕を使って捕まえた。腹立たしいことに、向こうでジュディスが足元に装備されていたであろうジェットエンジンで空を飛び、自分だけ安全圏で対空していた……、
しかし、ゼンが全員を助けるには少し時間が足りなかったようだ。私とゼン達との距離が重力に従って段々遠くなって、ギルヴァートの口はそれに比例して近くなっていった。もう駄目だ。諦めて目を瞑ったその時であった。
「眠れ!」
グレイ先輩の声と共に、空気が歪むような音と青白い怪光が周囲を駆け抜けた。私を今に飲み込んでしまいそうだった目の前の闇が突然閉じ、気が付けば私は気を失っているギルヴァートの柔らかい体の上に尻もちをついた。
「あ、あれ? 今、何が……」と私は呟いた。
「死ぬかと思ったぜ……みんな怪我はねぇか?」
あっけに取られる私をよそに、ゼンが着陸して皆を降ろしながら言った。幸い、全員無傷で済んだようだ。
『フン。コノ程度デウロタエルノカ? 情ケナイナ。博士以外ノヲマエラ』
ジュディスが一足遅く優雅に地面に降り立ちながらそう言った。
「あんた自分の身のことしか考えてなかったくせに!」
私は石を投げつけてやりたい衝動を抑えながら叫んだ。
「ふぅ。危なかったな。怪我はないか?」
グレイ先輩がゼンの背中から降りながら、私に尋ねた。先輩は背丈ほどもある見たことのない形の銃を抱えている。
「大丈夫です! 助かりました。ありがとうございます——それってもしかして、さっきから背負ってたやつですか?」と私は尋ねた。
宇宙船から降りる時から、布に巻かれた何かを先輩が背負っていたのは気になっていたのだ。しかし当人の先輩はあまりにも血気が漲っていて、怖くて話しかけられなかったのだが……。先輩は持っている銃を見て言った。
「そうそう。これはある人から俺が貰ったものでな。古代デグレジアの遺物を改造したものだそうだ。出力は弱めにしてあるから、コイツも半日気絶しているくらいで済むはずだぞ」
グレイ先輩はそう言いながら、倒れたまま動かないギルヴァートを撫でている。私の方は、先輩の言葉に思わず青ざめた。
「デグレジアの遺物!? それも改造したの使ってるなんて、バレたら本社に怒られるどころじゃ済まないんじゃないですか……?」
「まあ、バレなきゃ大丈夫だろう。宇宙は広いんだから、もっと物騒なモン持ち歩いてるやつもザラだしな」
先輩はもっともらしくそう言った。
「先輩はもっと法律とか体裁を気にするタイプだと思ってました……」
「真面目すぎるとキャラが立たないだろ?」
「はあ……」
大きな黒い目を細くして、グレイ先輩はにこやかにそう言っていたが、私は呆れてそれを無視した。
「ロマンの星デグレジア、一度行ってみたいとこじゃのう」
博士がグレイ先輩の背負っているデグレジアの遺物を眺めながら、しみじみと呟いた。ゼンは皆が何を話しているのか解っていない様子で、顔を赤らめながら私に耳打ちをしてきた。
「なあデ、デグ……って、なんだ?」
「ああ。地球だと小学校で少しだけ習うんだけど、ガグーアからは遠い星だから習わなかったのかも」
倒れているギルヴァートを眺めながら私はそう言った。
「どっかの星なのか?」
「そう。デグレジアはゼノ連盟の星域のはずれにある、遥か昔に文明が滅んでしまった星。原生生物も少数確認されてはいるものの、知的生命体はもう存在しないみたい。ゼノ連盟が発足するより前に文明が興ったことは確かだけど、いつからいつまでその文明が繁栄していたのか、最先端の化学を用いても全く分からないの」
「な、なんでだ?」とゼンが尋ねた。
「遺跡にあるものが、新しすぎるの。滅んだ都市の遺跡には誰も住んでいないのに、風化して崩れかかっていたりするどころか、ずっと新築さながらのピッカピカ。文明の主はもう何処にもいないのに、遺跡は寿命を迎えず、絶えず繁栄し続けているように見えるから、宇宙オカルト界隈では“都市の幽霊”とか呼ばれてる」
小学校の時、その失われた文明に畏れとロマンを感じたのを覚えている。今もデグレジアの街は主人の帰りを待ち侘びているのだろう。ゼンは唇を噛んだ。
「な、なんか本当に怖いな……」
「デグレジアは建築以外でも優れた技術を持ってたことが分かってる。デグレジアで発掘されたものは、“遺物”って俗語で呼ばれてるの。グレイ先輩が背負ってるライフルみたいな武器もそうらしいけど。遺物は現代の大宇宙時代の科学とは異なる理論と元素で構成されていて、まだ何も原理が解っていないものがほとんど。デグレジアは、現在の文明より栄えていたとさえ言われているわ。マニアにはそのロマンがたまんないの! たまにオークションで遺物が競売にかけられれば、何十億のお金が動くんだから」
つい早口で熱く語ってしまい、私は我に返って恥ずかしくなった。ゼンが単純で助かった。すっかり、ロマンの虜になっている。
「すげぇな! 俺も先輩が持ってるやつ欲しいぞ」
「やらないぞ!」
ゼンに輝く視線を向けられている遺物を抱きしめて、グレイ先輩は威嚇した。
「しっかし、そんなすごい星がなんで滅んじゃったのかしらねぇ」
姐さんが服についた埃を払いながらそう呟いた。
「原因が誰にも分かっていないのが不思議ですよね。跡形もなく人だけが居なくなった街——今や立ち入り禁止だし——って、話しすぎました! 私たちの今の仕事はバーガックスを捕獲することですよ。先を急がないと!」
私がデグレジアの話を広げてしまったとはいえ、これ以上のんびりもしていられない。バーバラのファッションショーまでになんとか間に合わせないと。デグレジアの話題に興味無さそうだったボスは水槽の中でうとうと眠たそうだ。
「それにしても、こいつら、さっき食われかけたのに危機感無いわね……」
私はいつの間にかゲーム機で遊んでいたジュディスとマーフィー君を睨みつけて、吐き捨てるように言った。
「——いた!」
甘辛い匂いの荒野をしばらく進み、ついに私達はバーガックスの群れを発見した。大きな頭部には小さい目がついており、その頑丈な顎には太く尖った牙がぎっしり生えている。腕はなく、長い首が唐突に羽毛に覆われた胴体で終わり、そして大木のような二本の脚があった。原始の野生を体現したような風貌の彼らは、自らの威厳を誇示するかのように、唸り声を響かせて歩いている。
「アレが、バーガックス……」と姐さんは呟いた。
恐れ知らずのゼンでも、この星の食物連鎖の頂点を前にして、息を呑まずにいられないようだ。まだ大分遠くにいるはずなのに、その存在感と迫力は凄まじい。蠢く群れは、さらに強く大きな一つの生き物のように見えた。
「はぁ、私はいつでも君たちの引き返したいという意志を歓迎するからね」とボスが言った。
「見つけたはいいけど、問題はどうやって捕まえるかよね。ざっと四十頭はいる?」
姐さんはボスを無視し、目を凝らしてバーガックスの方を見ている。最初は消極的だった姐さんだけれど、むしろ今は楽しそうにすら見える。これもゼンの言葉のおかげだと思うと、少し悔しい。
「この距離からなら十分当てられるけど、どうする? いきなり刺激したらまずいか?」
グレイ先輩は当たり前のように遺物の銃を構えてそう言った。
「十分って、見通しが良いとはいえ、多分九百メートル以上離れてますよ!?」
先輩の言葉が信じられなかったので、そう聞き返してしまった。
「それくらいなら余裕だ。目と射撃には自信があるんだよ」とグレイ先輩は言った。
「ああ! グレイ先輩、目が大きいですもんね」
「そういう話じゃないんだけどな……」
私は一人で納得してしまったが、先輩が望む反応とは違ったようだった。
「こやつはこう見えて狙った的は百発百中と評判のスナイパーぢゃからな。その相棒の遺物があれば、二キロ圏内の的は絶対に外さん。それ以外特筆事項は無い。それだけのつまらん男ぢゃ」
博士が後ろから顔色を全く変えずにそう言った。
「——アンタの特筆事項は歪んだ人格だけどな」
グレイ先輩は、見事に売られた喧嘩を安く買っていた……。
「実はさ、地味に仲悪いのよね~。この二人」
姐さんはその様子にうんざりした顔をしていた。
「よく今まで共同生活してこれてますね……って! もっと集中してくださいよ!」
職場の人間関係よりも、バーガックスの群れに目を向けなければならない。
「なんか、様子がおかしくねぇか?」
目のいいゼンは私たちの会話をよそにずっとバーガックスの群れを見張っていた。こいつは決まっていつも変なところで真面目になるのだ。私も双眼鏡を覗き込んでみると、なにやら群れが騒がしくなっているのが窺えた。
「ほんとだ。仲間割れ? してるみたいな……」
「喧嘩をしているようぢゃな。同種同士で」と博士が片眼鏡を調節しながら言った。
双眼鏡の中で、一頭のバーガックスを、バーガックスの群れが囲って攻撃をしている様子が見えた。自然界で起こっている事とはいえ、大勢が単数をいたぶるのは見ていて気分がいいものではない。
「なんだよあれ! いじめみたいじゃねぇか」
眼前の光景をゼンは受け入れたくなさそうであった。バーガックス達は同じ仲間である群れのうちの一頭を、蹴ったり体当たりをしたり、噛みついたり踏み付けにしたりしている。
「バーガックスは基本群れで行動するんだけど……その群れの個体数をずっと一定に保つ奇妙な生態があるの。子供が一頭生まれる度に、群れから一頭、追放される……」
私は図鑑で読んだあの生物の習性を淡々と口走ったが、言葉にしてみればなんと残酷な習性なのだろうか。目の前で群れから追放されそうになって苦しんでいるバーガックスの姿を見ていたら、エアリの寂しそうな涙がなぜか思い起こされて身震いした。ゼンも何かああいう光景に見覚えがあるらしく、たまらず目を逸らしていた。
「なんだよ、それ……自然が厳しいって言ったってあんまりだろ!」
ゼンは苦しそうにそう言った。私はうわごとのように、暗記している図鑑の一節を唱えることしか出来ない。
「——群れからはぐれたバーガックスの殆どは、厳しいこの星の環境に耐えられずすぐ死んでしまうの。食物連鎖の頂点といっても、はぐれバーガックスはバーガックスの群れに勝てないから、餌の取り合いにも負けてしまう。それから、はぐれバーガックスはすごく凶暴になる……。生き残るために必死になるからだと考えられてて……」
「そんな生態だからこそ、同種間の競争が促されて、強い生物として進化してきたのね……」
姐さんが、私の解説を聞いて悲しそうに呟いた。
「胸糞悪い……どうにか出来ねぇのかよ」
ゼンの顔は険しくなった。
「社会では弱いものいじめをしちゃならんが、自然の本質は弱い者いじめぢゃからな。それにワシらが文句を言うことは出来んからの。さて、そんなヤバい生き物をどうやって捕まえる」
博士は目の前の光景に対して特に感情がある様子は無かったが、今回の仕事自体には乗り気みたいだ。
みんなが少し黙っていると、またゼンが口を開いた。
「——なあ。あそこでいじめられてるバーガックスを捕まえるのはどうだ?」
皆は一様にゼンの方を向いた。
「何を言ってるんだ。あの群れの中に飛び込むっていうのかい!?」
ボスが水槽ごと震え上がっている。
「いくらゼンでも危ないと思う。却下」
「でもあいつ、行くところ無いんだろ? どうせ捕まえるならはぐれちまったヤツを捕まえた方がいいんじゃないか? 倫理的に」
ゼンはいじめられているバーガックスを見て何を思ったのだろうか。
「……それは、一理ある。あんた倫理なんて言葉知ってたのね」
ゼンのくせに、非常にもっともなことを言うものだからつい嫌味を言ってしまった。野生動物を捕獲するということは、野生生物から家族や仲間との生活を奪うということだ。どうせならゼンの言うようにしたほうがいいのだと思う。私たちは今日、メールではなく命と向き合っているということを自覚させられた気がした。
「で、でも群れを追放されたバーガックスは、すごく凶暴なんだろう? 群れを追い払えたとて、あとが大変じゃないかい?」
ボスはそもそも計画に乗り気でないのもあって、怪訝そうにみんなの顔を伺っていた。
「課長には悪いがワシもでか坊主の案に賛成ぢゃ。バーガックスは統率の取れた生物。群れの中の一個体を狙うと群れ全体で激しく抵抗するやもしれん。はぐれの個体を群れから引き剥がせさえすれば、あとは一体に集中できるからの。この仕事を諦めないなら合理的な手段ぢゃ」
博士の方は私とは違う視点から、冷静に現状を分析してゼンの案に同調した。姐さんとグレイ先輩も顔を見合わせると、ゼンの方を向いて頷いた。
「あとは、ボスのOKだけっす!」とゼンは大きな声で言った。
「はぁ……もうどうなっても君たちは止められそうにないね……よし! 私も腹を括ろうと思うよ」
ずっと後ろ向きだったボスも、ついに覚悟を決めて踏み切ったようであった……マーフィー君はサイレンを鳴らしているけれど。
「決まりですね」
ボスは私を見て、非常に苦しそうに頷いた。
「作戦を決めなくっちゃね~。っていうかさ、うちらエルラダからノリで任務引き受けてきちゃったから、捕獲に使う道具とか無くない? どうすんの」
「あっ」
姐さんが何気なく放った一言で、皆が固まってしまった。確かに、バーガックスを捕まえることだけを目的にして、私たちはその間のことをなにも考えていなかった! バーバラの依頼は思った以上に無茶なものであったのだ。
「ど、どうしましょうか……そういえば網とかロープとか、餌になるようなものとかも無いし——」
作戦に暗雲が立ち込めてきて、私は狼狽えた。
「群れの方をどかしさえしてもらえれば、ターゲットは僕の遺物で気絶させられるんじゃないか? 船まで運ぶのはゼンの馬鹿力でどうにかなると思うし。まあどうにかオービット号に乗せたところで、帰る途中で目覚められたら困るな」
グレイ先輩は難しそうな顔をして俯いた。
「確かに。航行中にバーガックスが目を覚まして暴れでもしたら……」
私が困った顔をすると、博士が長い首で覗き込んできた。
「帰りはオービット号に牽引コンテナを取り付ければいいぢゃろ」
「コンテナがあるんですか!」と私は顔をあげた。
博士はにやにやと笑って、手首につけた端末を操作し、持ってきたコンテナのホログラムを見せてくれた。
「ワシは用意がいいからの。折り畳み式ぢゃが強度は十分。バーガックス一頭なら運べるぢゃろ。ふるさとの親戚に土産をば思って、適当に安い服でも買って行こうと思ったが、諦めるわい」
「なんか、今日は意外と乗り気だよね」
先ほどから具体的な策を立ててくれる博士に、姐さんは心なしか嬉しそうだった。
「ヒャヒャヒャ。この仕事によってうちの部署の予算が拡充されれば、遺伝子改造実験の設備を整えられるやもしれんからな」
博士は下卑た笑みを浮かべ、ジュディスとマーフィー君はその横で拍手を始めた。
「——反省してないのか。ロクな死に方しないわ、この人」
姐さんは呆れたように笑っていた。
「じゃあもう後はどうやって捕まえるかを考えるだけだ! ボス、指示をくれ!」
ゼンがボスにそう仰ぐと、なぜかボスは私の方を切羽詰まった顔で見た。
「えぇ!? そんな……じゃあ、ステラ! 頼んだよ。君に今回の指揮権を託す!」
「急すぎません!? パワハラです!」
私はそうボスに抗議した。
「キャリアアップと思ってくれたまえ。それに、この中で一番深い知識を持っている君が色々進めてくれる方が、いい気がするんだ」
ボスのスピーカーはずっと調子が悪く、この星に降り立ってから今さっきまでずっとあの間の抜けた声だったが、この時いきなり調子が戻ったようで、あの渋い声で私への期待を伝えてきた。
「で、でも……」
私がたじろいでいると、ゼンと目が合った。
「ステラ!」
まだ一週間の付き合いなのに、この人たちはなぜ私に信頼を寄せてくれるのだろうか。下手したら死ぬかもしれないような危険な場所にいるのに。何だか嬉しくて、少し恥ずかしくもあった。
「——分かりました。時間も無いですし、早く作戦を決めちゃいましょう!」
私は笑顔に戻ってそう言った。この仕事を絶対に成功させて、メール整理から脱却するんだ……! エアリに会うために、一歩ずつ進まないと!
「そうこなくっちゃな!」
グレイ先輩が大きな目を細めて笑った。
「作戦ですが……まずはさっきグレイ先輩が言っていたのをやってみるのがいいと思います。群れの方を挑発して引き付け、その間にターゲットをグレイ先輩が狙撃して気絶させる……」
私がそう言うと皆が頷いた。
「群れを引きつけるおとりは誰がやるの? アタシヒール履いてきちゃったしパスでいいよね」
姐さんは少し足が疲れたらしく、岩に寄りかかりながらそう言った。
「お前、しれっと最低だな……」
「しょうがないでしょ~? だって元々服買いに来たんだから」
姐さんの保身をグレイ先輩が諌めたが、姐さん自身の方はそれを悠々といなした。
「群れを挑発する役は……ジュディスがいいんじゃないかな。うん」
日頃の恨みもある——が、それ以前に高速で飛行できるジュディスが適任だと考えた。
『ヲイ。ドウイウ了見ダ。キサマ。ロボットヲ尊重シロ。ガグーア人ノガキニ、やらセレバイイジャナイカ』
案の定ジュディスは反抗的な態度を取ってきた……。ボーナスを貯めてもう少し素直なロボットを購入してやりたいとすら思う。
「ゼンは仮に失敗して、バーガックスが暴れた時に先輩達を守る役目があるから動かしたくない。で、ゼンの次に早く、飛行ができて逃げるのに融通が利きやすいのがジュディスなの」
私は懇切丁寧に説明してやったが、ジュディスは態度を硬化させるばかりだ。
『地球人ノ分際デ! 納得デキナイ、ナンデワタシガ!』
博士は当たり前のことを言うような顔をして、かんかんに怒っているジュディスの方を向いた。
「お前がバラバラになっても、バックアップを基に作り直せばいいだけぢゃからな。お前の体は死んでも作り直せる。適任じゃ。やれ。お前が」
『博士ノ頼ミトアラバ、喜ンデ』
ジュディスは途端に落ち着き、笑った目をモニターに映し出した……。
「いや私が提案しておいてなんだけど、無慈悲すぎませんか……」
私は初めてジュディスに同情した。
超空間内での車内の揺れと内臓が浮く感覚を思い出すだけで血が凍りそうだ。だがジュディスに、恐れという概念はない。
『フン、帰りニユックリ行ケル方が良イダロウ。時間ハ有限ダ。行きハ少シ急グクライデハナイト』
ジュディスは胸を張って、指先でオービット二〇〇〇号のキーをグルグル回しながら得意げにそう言った。
「だからって二時間ほぼノンストップで超光速飛行なんて、おかしいでしょ!」
短いスパンで超光速飛行を繰り返すと、コンピューターの計算が追いつかずに座標がずれ、小惑星群や他の宇宙船に突っ込んでしまうような事故が起きる可能性が非常に高くなる。そもそも、車体が保たずに、途中で宇宙の藻屑になってしまう危険だってある。これらのリスクは宇宙車と船舶の免許を取る時に嫌というほど教わることだ。
「意外とチキンなんぢゃの。もっとエキセントリックな小娘かと思っとったわい」
珍しく驚いたような顔をした博士にそう言われて、私は口が壊れるほどに歯軋りをした。
「——最低限の安全を求めるのが、チキン……チキンですって? もういい。絶対帰りは私が運転するから!」
私はジュディスの横で啖呵を切った。
『ナッ……ハンドルハワタシノ魂ダ! 野蛮ナ地球人メ!』
「うるっさい! ロボットが簡単に魂とか言うな! ホラ、よこしなさい! よこせってば!」
私がジュディスの肩を掴んでキーを奪おうとすると、ジュディスの方は私の頬を思いっきり機械の腕で押して抵抗した。帰りまで命があるかわからない。絶対にキーを奪わなければ!
私とジュディスの小競り合いを博士とマーフィー君が眺めている一方で、ボス達の方は目の前に浮かぶ目的地の惑星、09-32を前にして、息を呑んでいた。
「アレが、惑星09-32……。海はなくて、広大な荒地が殆どを占める星よね。それなのに信じられないほど、多様で豊かな生態系が存在するって。来るのは初めてだけど」と姐さんが言った。
「バーガックスはその生態系の頂点……。ああ、今からでも遅くないから引き返したい! バーバラに失敗を詫びたくても、生きて帰れるかすら分からないよ」
ボスは相変わらず壊れたスピーカーから、今も消え入りそうな声を漏らしている。
「なんで失敗する前提で話してるんすか。絶対成功させましょうって!」
ゼンはボスの真逆で、琥珀色の瞳に闘志を滾らせていた。
「うおおおお! 無個性なんて言わせないぞ、爪痕を残してやる!」
「お、おう、やる気十分っすね先輩……」
突然大声を出したグレイ先輩に驚いて、流石のゼンもすぐに冷静になった。
オービット号は私たちを乗せて、大気圏内まで進んでいく。ようやく——ではなくあっという間——の騒がしい旅路の果てに、私たちは惑星09-32に降り立った……。
着陸して外に出ると、嗅いだことのない甘いような辛いような不思議な匂いがした。オレンジ色の空と、赤みを帯びた土の荒野が地平線を境にして二色の世界を作り上げ、延々と広がっている。そしてその二色の間にひしめき合う、多種多様な原生生物達の影。私たちは依頼のことを忘れ、しばらく眼前に広がる大自然のショーに圧倒された。
「お、おい! 何見とれてるんだよみんな! 俺たちはバーガークイーンを見つけるんだろ?」
ゼンが真っ先に我に返って言った。
「バーガックスだってば! 変な間違いかたしないでよ」と私は言った。
この惑星で過ごすのに宇宙服はいらない。酸素濃度は標準環境基準よりも少しだけ濃く、重力は基準値の九十二パーセントと、ほんの少しだけ小さいらしい。そういえば少しだけ体が軽い気がする。
バーガックスを探して荒野を歩いていると、ゼンがそこらに生えている、赤く私と同じくらいの背丈の植物に興味を示した。
「なあこれ、いっぱい生えてるけどなんだ?」
そう言いながらゼンが赤い植物に伸ばした手を、必死で払い除けた。
「あああ触っちゃダメ! その赤いのは爆弾サボテン、触ったらあんた以外爆発して死んじゃう!」
ジュディスとマーフィーも残念なことに多分無傷だろうけど——とまで言いかけて口をつぐんだ。
「そ、そうなのか?」
「このサボテンはね、他の物体が発する電磁波に反応して、中に溜め込んでる可燃性のガスを発散させて爆発するの。しかも、その時に中にある固い種子が弾け飛んで、弾丸みたいな威力で散らばるから、すっごく危険なの!」
「おお……」
ゼンは己の浅はかさを後悔するように伸ばした腕をしまった。
「ふふふふ。ここからが最悪よ……爆風に混じった種子は、巻き込まれた生物の体に刺さり、根を張るの。爆発に巻き込まれた時点で大体の生き物は助からない。肉片になった後は大人しくサボテンの苗床になるしかないってわけ……」
面白くなってきた私は、怪談を語るようにゼンをおどかした。
「ヒッ……ヤベェな……」
ガグーア人の頑丈な皮膚はこのサボテン程度の爆発では火傷すらしないであろうに、ゼンは顔を青くして子供の様に震え上がっていた。しかしガグーア人ではない私たちが危険な目に遭うのは間違いないので、これくらい釘を刺しておく方が丁度いい。
「すご~い。アンタ、この星に来るの本当に初めてなの? どっから仕入れてんのよその知識」
姐さんは目の前のサボテンを忌々しそうに見つめながら、私のことを褒めてくれた。
「えへへ、実は生物に関連する学術書は、理解できる言語の範囲内なら殆ど読んだ自信があります!」
そう答えながら、私は照れ笑いをした。
「生意気じゃが大した小娘じゃの。いずれ商売敵になるかもしれんな」と博士が言った。
「そもそも博士の業界には参入したくないので安心してください」
何故か好敵手として認められかけたが、冗談じゃない。この老人にライバル視なんてされた暁には、この世から消されるとか、脳を覗いてアイデアを盗まれるとかそういう蛮行をやられかねない。「嫌いな言葉は倫理観」と笑顔で言う博士が思い起こされ、震えた。
「やっぱ頭いいって、かっけえな!」
ゼンがいきなり屈託のない笑顔を向けてきた。
「い、いきなり何? とにかく感心してる場合じゃないの! これに懲りたらこういう原生生物の多い未開の惑星では、石ころだろうと無闇に触るのはやめて。未知の細菌だっているかもしれないし——」
私は赤い土煙をあげて歩きながら続けた。
「——なんなら地面に擬態している大型生物だって」
踏み出した一歩先の地面の感触が明らかに違う気がする。硬いとか柔らかいとかではない。生暖かいような、冷たいような……ブーツ越しでもそういう生々しさを感じたのだ。
その違和感を覚えた瞬間には、すでに皆宙に浮いていた。真下を向くと、私たちを一飲みにせんと待ち構える牙の生えた黒い穴があった。間違いない。地面に擬態し、縄張りにきた獲物を襲う生態をもつ、平たい体を持った罠のような原生生物——ギルヴァートが大口を開けていた。
「ぎゃああ!」
ボスの悲痛な叫びが惑星09-32にこだました。
このままでは皆食べられてしまう! ギルヴァートの口が沢山のご馳走を待ちかねて、嬉しそうな唸り声をあげている。宙に舞った私たちは身動きを取ることができず、ただこの惑星の重力に従って化け物の口に入るのを待つばかり——ゼンを除いては。
ゼンは咄嗟にその大きく猛々しい翼を広げて、体勢を立て直した。ガグーア人の力強い羽ばたきは嵐を起こすだなんて言い伝えを昔聞いたことがある。空中に投げ出された私たちを、ゼンは容易く尻尾と両腕を使って捕まえた。腹立たしいことに、向こうでジュディスが足元に装備されていたであろうジェットエンジンで空を飛び、自分だけ安全圏で対空していた……、
しかし、ゼンが全員を助けるには少し時間が足りなかったようだ。私とゼン達との距離が重力に従って段々遠くなって、ギルヴァートの口はそれに比例して近くなっていった。もう駄目だ。諦めて目を瞑ったその時であった。
「眠れ!」
グレイ先輩の声と共に、空気が歪むような音と青白い怪光が周囲を駆け抜けた。私を今に飲み込んでしまいそうだった目の前の闇が突然閉じ、気が付けば私は気を失っているギルヴァートの柔らかい体の上に尻もちをついた。
「あ、あれ? 今、何が……」と私は呟いた。
「死ぬかと思ったぜ……みんな怪我はねぇか?」
あっけに取られる私をよそに、ゼンが着陸して皆を降ろしながら言った。幸い、全員無傷で済んだようだ。
『フン。コノ程度デウロタエルノカ? 情ケナイナ。博士以外ノヲマエラ』
ジュディスが一足遅く優雅に地面に降り立ちながらそう言った。
「あんた自分の身のことしか考えてなかったくせに!」
私は石を投げつけてやりたい衝動を抑えながら叫んだ。
「ふぅ。危なかったな。怪我はないか?」
グレイ先輩がゼンの背中から降りながら、私に尋ねた。先輩は背丈ほどもある見たことのない形の銃を抱えている。
「大丈夫です! 助かりました。ありがとうございます——それってもしかして、さっきから背負ってたやつですか?」と私は尋ねた。
宇宙船から降りる時から、布に巻かれた何かを先輩が背負っていたのは気になっていたのだ。しかし当人の先輩はあまりにも血気が漲っていて、怖くて話しかけられなかったのだが……。先輩は持っている銃を見て言った。
「そうそう。これはある人から俺が貰ったものでな。古代デグレジアの遺物を改造したものだそうだ。出力は弱めにしてあるから、コイツも半日気絶しているくらいで済むはずだぞ」
グレイ先輩はそう言いながら、倒れたまま動かないギルヴァートを撫でている。私の方は、先輩の言葉に思わず青ざめた。
「デグレジアの遺物!? それも改造したの使ってるなんて、バレたら本社に怒られるどころじゃ済まないんじゃないですか……?」
「まあ、バレなきゃ大丈夫だろう。宇宙は広いんだから、もっと物騒なモン持ち歩いてるやつもザラだしな」
先輩はもっともらしくそう言った。
「先輩はもっと法律とか体裁を気にするタイプだと思ってました……」
「真面目すぎるとキャラが立たないだろ?」
「はあ……」
大きな黒い目を細くして、グレイ先輩はにこやかにそう言っていたが、私は呆れてそれを無視した。
「ロマンの星デグレジア、一度行ってみたいとこじゃのう」
博士がグレイ先輩の背負っているデグレジアの遺物を眺めながら、しみじみと呟いた。ゼンは皆が何を話しているのか解っていない様子で、顔を赤らめながら私に耳打ちをしてきた。
「なあデ、デグ……って、なんだ?」
「ああ。地球だと小学校で少しだけ習うんだけど、ガグーアからは遠い星だから習わなかったのかも」
倒れているギルヴァートを眺めながら私はそう言った。
「どっかの星なのか?」
「そう。デグレジアはゼノ連盟の星域のはずれにある、遥か昔に文明が滅んでしまった星。原生生物も少数確認されてはいるものの、知的生命体はもう存在しないみたい。ゼノ連盟が発足するより前に文明が興ったことは確かだけど、いつからいつまでその文明が繁栄していたのか、最先端の化学を用いても全く分からないの」
「な、なんでだ?」とゼンが尋ねた。
「遺跡にあるものが、新しすぎるの。滅んだ都市の遺跡には誰も住んでいないのに、風化して崩れかかっていたりするどころか、ずっと新築さながらのピッカピカ。文明の主はもう何処にもいないのに、遺跡は寿命を迎えず、絶えず繁栄し続けているように見えるから、宇宙オカルト界隈では“都市の幽霊”とか呼ばれてる」
小学校の時、その失われた文明に畏れとロマンを感じたのを覚えている。今もデグレジアの街は主人の帰りを待ち侘びているのだろう。ゼンは唇を噛んだ。
「な、なんか本当に怖いな……」
「デグレジアは建築以外でも優れた技術を持ってたことが分かってる。デグレジアで発掘されたものは、“遺物”って俗語で呼ばれてるの。グレイ先輩が背負ってるライフルみたいな武器もそうらしいけど。遺物は現代の大宇宙時代の科学とは異なる理論と元素で構成されていて、まだ何も原理が解っていないものがほとんど。デグレジアは、現在の文明より栄えていたとさえ言われているわ。マニアにはそのロマンがたまんないの! たまにオークションで遺物が競売にかけられれば、何十億のお金が動くんだから」
つい早口で熱く語ってしまい、私は我に返って恥ずかしくなった。ゼンが単純で助かった。すっかり、ロマンの虜になっている。
「すげぇな! 俺も先輩が持ってるやつ欲しいぞ」
「やらないぞ!」
ゼンに輝く視線を向けられている遺物を抱きしめて、グレイ先輩は威嚇した。
「しっかし、そんなすごい星がなんで滅んじゃったのかしらねぇ」
姐さんが服についた埃を払いながらそう呟いた。
「原因が誰にも分かっていないのが不思議ですよね。跡形もなく人だけが居なくなった街——今や立ち入り禁止だし——って、話しすぎました! 私たちの今の仕事はバーガックスを捕獲することですよ。先を急がないと!」
私がデグレジアの話を広げてしまったとはいえ、これ以上のんびりもしていられない。バーバラのファッションショーまでになんとか間に合わせないと。デグレジアの話題に興味無さそうだったボスは水槽の中でうとうと眠たそうだ。
「それにしても、こいつら、さっき食われかけたのに危機感無いわね……」
私はいつの間にかゲーム機で遊んでいたジュディスとマーフィー君を睨みつけて、吐き捨てるように言った。
「——いた!」
甘辛い匂いの荒野をしばらく進み、ついに私達はバーガックスの群れを発見した。大きな頭部には小さい目がついており、その頑丈な顎には太く尖った牙がぎっしり生えている。腕はなく、長い首が唐突に羽毛に覆われた胴体で終わり、そして大木のような二本の脚があった。原始の野生を体現したような風貌の彼らは、自らの威厳を誇示するかのように、唸り声を響かせて歩いている。
「アレが、バーガックス……」と姐さんは呟いた。
恐れ知らずのゼンでも、この星の食物連鎖の頂点を前にして、息を呑まずにいられないようだ。まだ大分遠くにいるはずなのに、その存在感と迫力は凄まじい。蠢く群れは、さらに強く大きな一つの生き物のように見えた。
「はぁ、私はいつでも君たちの引き返したいという意志を歓迎するからね」とボスが言った。
「見つけたはいいけど、問題はどうやって捕まえるかよね。ざっと四十頭はいる?」
姐さんはボスを無視し、目を凝らしてバーガックスの方を見ている。最初は消極的だった姐さんだけれど、むしろ今は楽しそうにすら見える。これもゼンの言葉のおかげだと思うと、少し悔しい。
「この距離からなら十分当てられるけど、どうする? いきなり刺激したらまずいか?」
グレイ先輩は当たり前のように遺物の銃を構えてそう言った。
「十分って、見通しが良いとはいえ、多分九百メートル以上離れてますよ!?」
先輩の言葉が信じられなかったので、そう聞き返してしまった。
「それくらいなら余裕だ。目と射撃には自信があるんだよ」とグレイ先輩は言った。
「ああ! グレイ先輩、目が大きいですもんね」
「そういう話じゃないんだけどな……」
私は一人で納得してしまったが、先輩が望む反応とは違ったようだった。
「こやつはこう見えて狙った的は百発百中と評判のスナイパーぢゃからな。その相棒の遺物があれば、二キロ圏内の的は絶対に外さん。それ以外特筆事項は無い。それだけのつまらん男ぢゃ」
博士が後ろから顔色を全く変えずにそう言った。
「——アンタの特筆事項は歪んだ人格だけどな」
グレイ先輩は、見事に売られた喧嘩を安く買っていた……。
「実はさ、地味に仲悪いのよね~。この二人」
姐さんはその様子にうんざりした顔をしていた。
「よく今まで共同生活してこれてますね……って! もっと集中してくださいよ!」
職場の人間関係よりも、バーガックスの群れに目を向けなければならない。
「なんか、様子がおかしくねぇか?」
目のいいゼンは私たちの会話をよそにずっとバーガックスの群れを見張っていた。こいつは決まっていつも変なところで真面目になるのだ。私も双眼鏡を覗き込んでみると、なにやら群れが騒がしくなっているのが窺えた。
「ほんとだ。仲間割れ? してるみたいな……」
「喧嘩をしているようぢゃな。同種同士で」と博士が片眼鏡を調節しながら言った。
双眼鏡の中で、一頭のバーガックスを、バーガックスの群れが囲って攻撃をしている様子が見えた。自然界で起こっている事とはいえ、大勢が単数をいたぶるのは見ていて気分がいいものではない。
「なんだよあれ! いじめみたいじゃねぇか」
眼前の光景をゼンは受け入れたくなさそうであった。バーガックス達は同じ仲間である群れのうちの一頭を、蹴ったり体当たりをしたり、噛みついたり踏み付けにしたりしている。
「バーガックスは基本群れで行動するんだけど……その群れの個体数をずっと一定に保つ奇妙な生態があるの。子供が一頭生まれる度に、群れから一頭、追放される……」
私は図鑑で読んだあの生物の習性を淡々と口走ったが、言葉にしてみればなんと残酷な習性なのだろうか。目の前で群れから追放されそうになって苦しんでいるバーガックスの姿を見ていたら、エアリの寂しそうな涙がなぜか思い起こされて身震いした。ゼンも何かああいう光景に見覚えがあるらしく、たまらず目を逸らしていた。
「なんだよ、それ……自然が厳しいって言ったってあんまりだろ!」
ゼンは苦しそうにそう言った。私はうわごとのように、暗記している図鑑の一節を唱えることしか出来ない。
「——群れからはぐれたバーガックスの殆どは、厳しいこの星の環境に耐えられずすぐ死んでしまうの。食物連鎖の頂点といっても、はぐれバーガックスはバーガックスの群れに勝てないから、餌の取り合いにも負けてしまう。それから、はぐれバーガックスはすごく凶暴になる……。生き残るために必死になるからだと考えられてて……」
「そんな生態だからこそ、同種間の競争が促されて、強い生物として進化してきたのね……」
姐さんが、私の解説を聞いて悲しそうに呟いた。
「胸糞悪い……どうにか出来ねぇのかよ」
ゼンの顔は険しくなった。
「社会では弱いものいじめをしちゃならんが、自然の本質は弱い者いじめぢゃからな。それにワシらが文句を言うことは出来んからの。さて、そんなヤバい生き物をどうやって捕まえる」
博士は目の前の光景に対して特に感情がある様子は無かったが、今回の仕事自体には乗り気みたいだ。
みんなが少し黙っていると、またゼンが口を開いた。
「——なあ。あそこでいじめられてるバーガックスを捕まえるのはどうだ?」
皆は一様にゼンの方を向いた。
「何を言ってるんだ。あの群れの中に飛び込むっていうのかい!?」
ボスが水槽ごと震え上がっている。
「いくらゼンでも危ないと思う。却下」
「でもあいつ、行くところ無いんだろ? どうせ捕まえるならはぐれちまったヤツを捕まえた方がいいんじゃないか? 倫理的に」
ゼンはいじめられているバーガックスを見て何を思ったのだろうか。
「……それは、一理ある。あんた倫理なんて言葉知ってたのね」
ゼンのくせに、非常にもっともなことを言うものだからつい嫌味を言ってしまった。野生動物を捕獲するということは、野生生物から家族や仲間との生活を奪うということだ。どうせならゼンの言うようにしたほうがいいのだと思う。私たちは今日、メールではなく命と向き合っているということを自覚させられた気がした。
「で、でも群れを追放されたバーガックスは、すごく凶暴なんだろう? 群れを追い払えたとて、あとが大変じゃないかい?」
ボスはそもそも計画に乗り気でないのもあって、怪訝そうにみんなの顔を伺っていた。
「課長には悪いがワシもでか坊主の案に賛成ぢゃ。バーガックスは統率の取れた生物。群れの中の一個体を狙うと群れ全体で激しく抵抗するやもしれん。はぐれの個体を群れから引き剥がせさえすれば、あとは一体に集中できるからの。この仕事を諦めないなら合理的な手段ぢゃ」
博士の方は私とは違う視点から、冷静に現状を分析してゼンの案に同調した。姐さんとグレイ先輩も顔を見合わせると、ゼンの方を向いて頷いた。
「あとは、ボスのOKだけっす!」とゼンは大きな声で言った。
「はぁ……もうどうなっても君たちは止められそうにないね……よし! 私も腹を括ろうと思うよ」
ずっと後ろ向きだったボスも、ついに覚悟を決めて踏み切ったようであった……マーフィー君はサイレンを鳴らしているけれど。
「決まりですね」
ボスは私を見て、非常に苦しそうに頷いた。
「作戦を決めなくっちゃね~。っていうかさ、うちらエルラダからノリで任務引き受けてきちゃったから、捕獲に使う道具とか無くない? どうすんの」
「あっ」
姐さんが何気なく放った一言で、皆が固まってしまった。確かに、バーガックスを捕まえることだけを目的にして、私たちはその間のことをなにも考えていなかった! バーバラの依頼は思った以上に無茶なものであったのだ。
「ど、どうしましょうか……そういえば網とかロープとか、餌になるようなものとかも無いし——」
作戦に暗雲が立ち込めてきて、私は狼狽えた。
「群れの方をどかしさえしてもらえれば、ターゲットは僕の遺物で気絶させられるんじゃないか? 船まで運ぶのはゼンの馬鹿力でどうにかなると思うし。まあどうにかオービット号に乗せたところで、帰る途中で目覚められたら困るな」
グレイ先輩は難しそうな顔をして俯いた。
「確かに。航行中にバーガックスが目を覚まして暴れでもしたら……」
私が困った顔をすると、博士が長い首で覗き込んできた。
「帰りはオービット号に牽引コンテナを取り付ければいいぢゃろ」
「コンテナがあるんですか!」と私は顔をあげた。
博士はにやにやと笑って、手首につけた端末を操作し、持ってきたコンテナのホログラムを見せてくれた。
「ワシは用意がいいからの。折り畳み式ぢゃが強度は十分。バーガックス一頭なら運べるぢゃろ。ふるさとの親戚に土産をば思って、適当に安い服でも買って行こうと思ったが、諦めるわい」
「なんか、今日は意外と乗り気だよね」
先ほどから具体的な策を立ててくれる博士に、姐さんは心なしか嬉しそうだった。
「ヒャヒャヒャ。この仕事によってうちの部署の予算が拡充されれば、遺伝子改造実験の設備を整えられるやもしれんからな」
博士は下卑た笑みを浮かべ、ジュディスとマーフィー君はその横で拍手を始めた。
「——反省してないのか。ロクな死に方しないわ、この人」
姐さんは呆れたように笑っていた。
「じゃあもう後はどうやって捕まえるかを考えるだけだ! ボス、指示をくれ!」
ゼンがボスにそう仰ぐと、なぜかボスは私の方を切羽詰まった顔で見た。
「えぇ!? そんな……じゃあ、ステラ! 頼んだよ。君に今回の指揮権を託す!」
「急すぎません!? パワハラです!」
私はそうボスに抗議した。
「キャリアアップと思ってくれたまえ。それに、この中で一番深い知識を持っている君が色々進めてくれる方が、いい気がするんだ」
ボスのスピーカーはずっと調子が悪く、この星に降り立ってから今さっきまでずっとあの間の抜けた声だったが、この時いきなり調子が戻ったようで、あの渋い声で私への期待を伝えてきた。
「で、でも……」
私がたじろいでいると、ゼンと目が合った。
「ステラ!」
まだ一週間の付き合いなのに、この人たちはなぜ私に信頼を寄せてくれるのだろうか。下手したら死ぬかもしれないような危険な場所にいるのに。何だか嬉しくて、少し恥ずかしくもあった。
「——分かりました。時間も無いですし、早く作戦を決めちゃいましょう!」
私は笑顔に戻ってそう言った。この仕事を絶対に成功させて、メール整理から脱却するんだ……! エアリに会うために、一歩ずつ進まないと!
「そうこなくっちゃな!」
グレイ先輩が大きな目を細めて笑った。
「作戦ですが……まずはさっきグレイ先輩が言っていたのをやってみるのがいいと思います。群れの方を挑発して引き付け、その間にターゲットをグレイ先輩が狙撃して気絶させる……」
私がそう言うと皆が頷いた。
「群れを引きつけるおとりは誰がやるの? アタシヒール履いてきちゃったしパスでいいよね」
姐さんは少し足が疲れたらしく、岩に寄りかかりながらそう言った。
「お前、しれっと最低だな……」
「しょうがないでしょ~? だって元々服買いに来たんだから」
姐さんの保身をグレイ先輩が諌めたが、姐さん自身の方はそれを悠々といなした。
「群れを挑発する役は……ジュディスがいいんじゃないかな。うん」
日頃の恨みもある——が、それ以前に高速で飛行できるジュディスが適任だと考えた。
『ヲイ。ドウイウ了見ダ。キサマ。ロボットヲ尊重シロ。ガグーア人ノガキニ、やらセレバイイジャナイカ』
案の定ジュディスは反抗的な態度を取ってきた……。ボーナスを貯めてもう少し素直なロボットを購入してやりたいとすら思う。
「ゼンは仮に失敗して、バーガックスが暴れた時に先輩達を守る役目があるから動かしたくない。で、ゼンの次に早く、飛行ができて逃げるのに融通が利きやすいのがジュディスなの」
私は懇切丁寧に説明してやったが、ジュディスは態度を硬化させるばかりだ。
『地球人ノ分際デ! 納得デキナイ、ナンデワタシガ!』
博士は当たり前のことを言うような顔をして、かんかんに怒っているジュディスの方を向いた。
「お前がバラバラになっても、バックアップを基に作り直せばいいだけぢゃからな。お前の体は死んでも作り直せる。適任じゃ。やれ。お前が」
『博士ノ頼ミトアラバ、喜ンデ』
ジュディスは途端に落ち着き、笑った目をモニターに映し出した……。
「いや私が提案しておいてなんだけど、無慈悲すぎませんか……」
私は初めてジュディスに同情した。
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