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第五話 無茶振りオートクチュール
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「あ、定時だ。みんなお疲れ様。今日のところは業務終了!」
チャイムが鳴った瞬間にボスはまた間抜けな声で、本日の終業を大声で宣告した。ちなみに、残業は死んでもやるなとのことらしい。
「イヤッホォウ! ヒャーッヒャッヒャヒャッ」
あのグレイ先輩が、終業の号令を受け、これ以上になく邪悪に口角を挙げ笑っている。怖い……。
「もう……限界……」
ずっとメールを整理し続けて、丸八時間……。目が乾いているし、肩は重く、腰は痛い。もう一生をかけても捌き切れない量がメールサーバーに溜まっている上、毎日絶えず凄まじい量が送られてくるので、これだけ苦労しても私たちの業務は完全に焼け石に水である。ジュディスとは結局あの後も、仕事の合間にやりあってしまった。アイツはマーフィー君より嫌いだ!
「やっと……終わった」
ゼンもやり切ったように背伸びをしているが、こいつの働きぶりは最低だった。
「何やり切った感出してんの。あんた何件のメール整理したわけ?」
「は? 十八件もやったぞ!」
「呆れた……。タイピング遅すぎんだよ! 人差し指だけでポチポチポチポチと! しかも一件一件に時間かけすぎ、メールの内容確認してすぐ転送するだけじゃん!」
ゼンの手際は画面を見ずともわかるほどに酷いもので、機械音痴の私のお父さんの方がもう少し早く文字を打てるのではないかと思ったほどだ。ゼンは面倒そうに頭を掻いた。
「しょうがねぇだろ……なんか届いてたのが恋愛相談ばっかでよ、俺よくわかんねぇから、長々と返事を書いちまったんだよ」
「何親身に対応してんのよ! 恋バナはラジオに投稿でもして、DJに相談してって返信すりゃいいでしょ!」
「ステラ、親身に対応すべきかはともかくそれもそれでちょっと……」
姐さんは僅かに頭の角を点滅させながらそう言った。
「どこがですか! 私はずっと学生時代そうし……なんでもないです」
危ない。恥ずかしい記憶を職場で共有するところだった。
「ステラ……」
ボスは私の言いかけたことに気がついたのか、水槽の奥からなんとも言い難い視線を向けてきた。
「忘れてください」
そう詰め寄るように鋭い眼差しで見つめると、ボスは水槽ごと震え上がった。アイラインを長めに引いておいてよかった。
『フン。新卒のバカ同士マウントヲ取り合ウ愚カサヨ。ワタシハ、二十五万八千ト三百十七件処理シタ』
ジュディスはさりげなく自慢をするためだけに割り込んできた。生々しい承認欲求を持っているが、これは本当に何もかもが機械によって制御されているロボットなのだろうか。
「あんたの頭にはスーパーコンピューターが搭載されてるけど、私らにはそんなもんないのよ、ロボット」
私はコンピューターの電源を落としながら、嫌味っぽくそう言った。
『博士ニ頼めバすぐニヲマエの脳モ、アップデートしてもらえるゾ。博士はソノ昔、ゼノ星系ほとんどノ種族ノ、脳ノサンプルヲ所持シテイタからナ。地球人ノ小サナ脳のデータモ所持シてイルに決まってイル』
ジュディスは私の挑発に乗ることなく、物騒な身内自慢をし始めた。
「ねぇ、本当に博士って地下で何やってるの? 人殺したりしてない?」
この時私は、危険な先輩が部署内にいると人事部に通報しようか迷ったが、報復が恐ろしいのでやめておいた。
「ハハハ。そんなことが発覚したら、査定に響くじゃないか! 私がさせないよ!」
ボスは頼り甲斐ありそうに笑ってそう言った。
「意外と頼れるんですね——あれ? もしかしてボスの倫理観もちょっと歪んでる?」
くたびれた私たちが一階に戻ると、肩の凝りさえ消えていきそうなほど幸せな香りが漂っていた。
「わぁ……!」
テーブルの上には、たくさんの料理が並んでいた。色々と言いたいところはあるが、この部署の食に対するこだわり、姿勢は素晴らしいと思う。
「こんなご飯、一体誰がいつの間に!」
キッチンの方に目をやると、とんでもない手際の良さで一人料理をしているマーフィー君の姿があった。不覚にも、つけ場で魚を捌き、寿司を握る父の姿を思い出してしまった。
「姐さん、あれは一体……」と私は言った。
「あ~。マーフィー君はウソ発見機なんだけど、おまけ機能の一つとして調理ロボットとしても働いてくれてんのよ」
「もうそれは嘘発見器じゃなくて調理ロボットとして扱ってあげてよ!」
私はマーフィー君を指差して訴えた。
『何ヲ言ウ。マーフィーはあくまデモ嘘を検出スル為ニ開発されタロボット、彼ノアイデンティティヲ否定スルト言フノカ!』
何故かそれを聞いたジュディスが激昂して、私の顔にその合金製のボディを目一杯近づけてきた。
「ウソ発見の機能の方がおまけだろ……どう見ても……」
私はジュディスに聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「うぇーい!」
次の瞬間、マーフィー君が鍋に酒を注ぎ見事なフランベを披露した。そのサービス精神旺盛なパフォーマンスにボスとグレイ先輩、ゼンは盛り上がっている。
『フッ……マーフィーノヤツ、やはり可愛イナ』
ジュディスがマーフィー君の方を見つめてそう言った。弟を見るようなその立ち振る舞いが何故かやたら人間らしく、博士の謎めいたこだわりが気持ち悪いと思った。
「……そういえば、なんでしれっとここにいるのよ。あんた」
『何ダ、居てハいけないト言フノカ!? ロボット差別ダ!』
ジュディスが両手で口元を覆うような仕草をした。こんなポーズまでプログラムに組み込まれているのか……。
「思考回路が厄介すぎる! そうじゃないよ。ただ、今朝はオフィスの隅っこに居た——というか、置いてあったじゃん! あんたメールを処理するロボットなんじゃないの?」
『アア、昨日ハタマタマ博士がワタシの電源ヲ落としッパナシニしテ、忘れていってしまっタだけのコトダ。普段ハ、皆ト同じ生活空間デワタシモ活動していル。ワタシはソモソモ、博士ノ助手トシテ作られタロボットだからナ。博士ノ業務ヲこなすのもマタ、責務の一環に過ぎなイ』
「あっそういうこと……もういいや、頑張んなさい……」
ここまでの忠誠をプログラムされているのに、博士には忘れられ部屋に放置されてしまう不憫なジュディス。彼女(?)に少しだけ同情した。
『ご飯、できたよ!』
マーフィー君が可愛らしい声で私たちを呼んだ。
気が付けば姐さんはいつの間に下から上がってきた博士と、お酒を楽しんでいた。
「アハァ……労働の後だから美味し~。メールの処理しかしてないけどお……」
ゼパイド星人はお酒を飲むと角が桃色になるようだ。どういうメカニズムなのか気になったが、ご機嫌な姐さんに直接尋ねることは出来なかった。
「それじゃあ皆で……いただきます!」
ボスの音頭を皮切りに、私たちはマーフィー君の作った料理を堪能した。
「これは……」
一口食べただけで、思わず声が漏れそうになるほど美味しい。優しい家庭の味。
「うまいぞ!」とゼンも満足げに言った。
「あ、そうか。ステラとゼンはマーフィー君の料理を味わうのは初めてか! うまいだろ!」
言葉を失いながら料理を食べ続ける私とゼンを見て、グレイ先輩は嬉しそうだった。
「美味しい。美味しいんですけど……」と私は言った。
先輩は「そうかそうか」と頷いている。
「……美味しすぎて……キモい」
私だって一応、回らないお寿司屋の娘。ロボットがこんな単なる味の良し悪しだけに留まらない、心にまで染み渡るような奥行きのある料理を作れるなんて、逆に気味が悪い。しかし、スープを口に運ぶ手は止まらない。結局それから食事が終わるまでの間、マーフィー君は微動だにせず塗装された笑顔を私に向け続けていた。
食事と入浴を終えて、部屋に戻った。単純な作業と言っても、やはりずっと画面と睨み合っているのは疲れる。窓の向こうの宇宙をため息をついて眺めていると、ゼノ連盟軍の紋章がついた大きな宇宙船が、エンジンから青い光を吹き上げながら過ぎ去った。
「アレ、主力艦クラスじゃん……」
思わず窓を開け、柵に乗り出して見に行ってしまった。あの戦艦は連盟の所持している中でも最大級の戦艦のひとつだ。中には万単位の人が搭乗して生活しており、動く要塞として宇宙の治安を守っている。戦艦は私のいる小さな窓の中でからどんどんと小さくなっていく。その姿を見つめていたら、自然と声が漏れてしまった。
「はぁ」
ここの暮らしはまだ二日目だけれど、多分これからもやかましく、それなりに楽しいに違いないとは思う。ご飯は美味しいし、何故か素晴らしいお風呂もあるし、部屋も快適。職場の人も、ゼンとジュディスと博士の存在にさえ目を瞑ればいい人たち。でも。
「私もあの戦艦に乗って、宇宙の果てまで行くはずだったのに……」
あの巨大戦艦の乗員に選ばれることを目標にして、ここまで努力してきた。天才だなんて言われるほどに。最終面接に行った時も好感触だったのに、何故こんな小さな聞いたこともない部署でメールを整理しているのだろうか……。うちの人事は、何を思って私とゼンをここに配属させたのか。
「自分にも嘘をつかないでほしい」
ボスの言っていたここのモットーを思い出す。この気持ちを誤魔化すことも嘘になるなら、私はどうすればいいのだ。
悶々としながら煌めく星々をしばらく眺めていると、左隣から声がした。
「どうしたんだよ、ため息ついて」
左を向いてみると、ゼンが私と同じように窓から顔を出してこちらを向いていた。
「え。まさか覗き!? キモい」
とても恥ずかしい姿を見られたような気がした。ゼンは私の態度が心外だったのか、口を尖らせた。
「ちげぇよ! たまたま外見ようと思ったら、お前も居ただけだ!」
「口ではなんとでも言えるよね! 変態!」と私は威嚇した。
「なにぃ!?」
普段は温厚な私だけど、こいつ相手にはつい攻撃的になってしまう。向こうも同じくらい敵対心をこちらに向けているので、心象が悪くなることがなくて助かる。いつもそう思っていたのに、今のゼンはいつになく真剣な顔でこっちを見てくる。星の光のせいか、ゼンの鋭い琥珀色の瞳は純真な輝きを帯びていて、何だか緊張した。
「さっき、戦艦が通ったの見えたか? アレ見て、お前が高校の卒業式で言ってたこと思い出したんだよ。アレに乗るのが目標だって言って、みんなにすげぇって言われてただろ?」
「アレ? あんな大口叩いておいて、結果隅っこの部署でメール整理だもんね……実力が認められなかったのかな。なんでもいいけど、笑っちゃう」
余裕ぶってはいるけれど、段々と何だか悔しくなって弱音を吐いてしまった。ゼンに言ったところでどうしようもないし、こいつには弱みなんか見せたくないのに。
「いや、俺も特殊部隊志望だったから。ここで働くことになって、どう思ってんのかなって」
ゼンが恥ずかしそうに言うので、こちらも余計に恥ずかしくなった。
「な、何……ガラでもないこと言ってきちゃって。でもそうだね。あんたも頭はともかく、身体能力は優秀だもんね。こんなとこでデスクワークなんて勿体ないんじゃないの。辞めんの?」
私は単刀直入にそう聞いた。
「辞めない! 最初はへこんだけど、ここでの暮らしも悪くねぇと思ってるよ。飯は美味いし! 仕事も、いつか変わるかもしれないしさ!」
ゼンは清々しい笑みを浮かべてそう言った。
「前向きだね……ま、それくらいな方が絶対いいと思うけど。私だってそう思う。でも、ここでずっと待ってるのは正直無理。まだ時間があるかも分からない。早く、野望を叶えたいの——って、あ」
ここまで言ってようやく口をつぐんだ。いい歳して野望だなんて、ましてやゼンの前で恥ずかしい。ゼンが相手だと、余計なところまで一々言わされる気がする。でも、こいつは私を馬鹿にしたりしなかった。
「野望って、あいつを探すことか? エアリ=ギンヌンガガプ……」
「えっ」
思わずゼンの顔を見つめてしまった。なんだか今はこいつ相手だろうと口に出した方が楽になれる気がした。
「——そう。そうだよ。エアリを見つけたいの。もう一回会いたいの。友達に戻りたいの。だからそうするために、この宇宙のあらゆる事件に関われる仕事をしたかった——それから、これは個人的な感情なんだけど。色々な星を見てみたかったから……もちろん、この仕事が楽じゃないのは覚悟してるつもり。勝手だし、欲張りだよね」
急に恥ずかしくなって、先細った声で喋るのをやめてしまった。でも、ゼンの反応はまた予想外だった。
「俺がお前でもそうしたいって思ったよ。野望っていう表現がテキセツかは置いといてな。いい目標というか、希望じゃんか」
ゼンが遠くで尾を引いて燃える彗星を目で追いながらそう呟いた。あの彗星はどこまで飛んでいくのだろうか。
「野望よ! エアリを拐ったやつらを突き止めて、全員拷問して爆殺してやるまでが私の目標なの!」
私がそうやって息巻くと、ゼンは困ったように笑った。
「お前ってたまに激しいよな……。でも、いいと思うぜ。あいつも嬉しいだろ」
「そう……かな……」
「ああ」
ゼンのくせに、何故そうやって、私を信じ切った目で見つめられるのだろうか。そういえば、たまにエアリにも同じような輝きを帯びた目を向けられたことを思い出した。
「はぁ……腹たつけど元気出た。ありがと。これからどうするかは、ゆっくり考える」
不本意ながら、お礼を言わざるをえなかった。
「おう」
ゼンにまた屈託のない笑顔を向けられて、なんだか顔が熱くなった。
「——でも、キモいから二度と覗かないで! 話しかけんのも禁止!」と私は言った。
「だから覗いてねぇよ! あ、おい!」
すぐに窓を閉めたが、しばらく星空の向こうからゼンの声が小さく聞こえていた。
背中から勢いよくベッドに倒れ込むと、視界の端に逆さになったエアリの写真が見えた。
「まさかあいつに励まされちゃうなんてね。ムカつく」
冗談っぽくそう呟いた。
「しかしなー。このままずっとメール整理をするわけにもいかないよね……。うちの会社って移動願とか出せるのかな。無理なら最悪退職して受け直すとか……あーダメ! キャリアに傷つくし、同じ会社もう一回受け直すなんて!」
地球の実家から持ってきた抱き枕を殴りながら、私は全く明るいビジョンの見えないキャリアデザインを、眠るまで続けたのだった。
結局そんな調子で、私は何かを決断できるわけでもないまま、時間だけが過ぎて行った。ジュディスと口論しながらオフィスで作業をし続ける、なんとも言えない日々……。憧れのゼノ・エクセルキトゥス社に属している実感は依然として湧かなかった。
一方ここの生活にもだいぶ慣れてきて、変な人たちと賑やかさに過ごすのが少し楽しいだなんて思い初めてしまってもいた。
そして、入社からちょうど一週間が経った日の夕食の後のことだった。
「いやぁ、まさか一週間“も”ここにいてくれるとはね。ほんとにステラとゼンには感謝しているよ」
いつもの如く調子の悪いスピーカー越しの声で、ボスが満足そうな顔をしてそう言った。
「え?」
「まだ一週間っすよ?」
唐突な謝辞をもらって、私とゼンは困惑した。
「何言ってんの。魔の一週間を抜けたのなんて、いつぶりかもうわかんないわ」
姐さんが髪の毛をいじりながらそう言った。
「魔の一週間って何……」
私が怪訝な顔でそう呟くと、皿を拭いていたジュディスがこちらを向いた。今日の皿洗いの当番は博士なのに……。
『簡単ナ話ダ。コノ部署ニ来た新人ハ、殆ど入社一週間と持タズ退職スルノダ』
「えっ……」
「いやぁ、恥ずかしい話なんだがね、何故かみんなやめてっちゃうんだよ。ご飯も美味しいし、各種設備には自信あるんだけどね! はっはっは!」
ボスはわざとらしく大きな声で喋っていたが、その目は全く笑っていない。
「笑いどころ、あるか?」とゼンが言った。
「いや、ない……」
私は珍しくゼンに同意した。
「ウチの部署、業務内容も生活も、入社前に聞いてたゼノ・エクセルキトゥス社の内容と全く違うだろ? それがショックでみんな辞めてっちゃうんだ」
グレイ先輩がこれまた嬉しそうに言った。
「あー……」
博士とボスはともかく、姐さんとグレイ先輩が何故辞めていないのか不思議だったが、そんなことを尋ねる勇気は無い。辞めていった過去の名もなき先輩方の気持ちが痛いほど解ってしまって、何だか悲しくなった。前に進もうともしない私なんかよりも、思い切りよく答えを出してやめていく人が沢山いるのだ……。
「それで、一週間勤続してくれた記念に、君たち二人にはぜひ贈り物をさせてもらいたい!」
ボスは義手の人差し指を私たちに勢いよく向けた。
「なんか貰えるのか! なんなんすか?」
ゼンは尻尾を振り回してはしゃいでいる。
「勤続一週間でそんなに褒めちゃうの、志と期待値が低すぎません……?」
私は苦い顔をした。でも、何が貰えるのかは気になる。せっかくだし、貰えるものはもらいたいのだ。
「贈り物は、制服よ。うちの会社のね」と姐さんが言った。
「えっ……」
「ウッソ! やったぁ!」
その瞬間、魂がすり替わったように私とゼンの表情が反転した。ゼンはきっと何かいい食べ物でも貰えると思ったのだろう。
「な、なんで制服なんだよ! 大体、贈り物じゃなくて当然支給されるもんだろ!?」
ゼンは期待を裏切られたのを受け入れられていない。幼稚園の頃、私も父に誕生日プレゼントとして魚を捌く良い包丁を貰った時、同じような反応をした気がする。
「みんなすぐ辞めてっちゃうから、新人には一週間の間制服を支給しないことにしているんだ。お前らの部署はすぐ辞めるから経費が勿体無い! って、本部に叱られてね。まあ、ウチは滅多に制服も着ないから、あってもなくてもあまり関係ないんだがね」
ボスが間抜けな声で、あまりにも情けない理由を説明してくれた。
「なんだよそれ!」
ゼンは頭を抱えて嘆いている。
「そんな事だろうとは思ってましたけどさ……」
私も憧れの制服をようやくもらえるというのに、素直に喜べない背景を知ってしまって複雑な気持ちになった。
「そういえば、ステラに制服のことを聞かれて、発注はしたけど何故か届かないと言ったよね。あの時マーフィー君が騒がなかったのは、君たちが辞めてもいつでもキャンセルできるように、少し先に用意する日にちを指定しておいていたんだよ。嘘は、ついていないだろう?」
あまり目下の人に気を遣わないことも、中間管理職には必要な才能なのかもしれない。ボスはあまりにも得意そうにそう言うので、私の喜ばしい気持ちもすっかり冷めてしまった。
「あ、そこの種明かしは別に、いらないですね……」
制服が貰えるとだけ言ってくれれば、素直に喜べたのに……。結局一週間ずるずると勤務してしまったけれど、こんな調子では制服を着ることなく早期退職する未来も、私の思い切り次第ではあり得なくも無い話だ。
「ま、まあそれは置いといて……。制服はもう、こっちに届いているんですか?」
このままでは変な気を起こして、よく考えずに退職の手続きを始めてしまう気がして、私は雰囲気を変えるべくそう尋ねた。するとボスは、ゼリー状の体を水の中で弾ませながら笑顔になった。
「フフ……制服は改めて店で採寸して作って貰うから、明日は皆でそこへお出かけだ! メール整理、なしだよ!」
「なるほ——」
「うおおおおお! やったああああああ!」
私を遮って、歓喜の雄叫びが部屋中に響き渡った。その声の主はゼンではなくて、グレイ先輩だった……。ロボットがどのように音を感じているのかは分からないが、ジュディスがディスプレイに映る目をすぼめて、耳を塞ぐ動作をしている。
「一応言っとくけど、ウチで仕事が一番嫌いなの、グレイだから」
絶句する私に、姐さんが囁いた。
「そう、なんだ……」
翌朝、改めてボスからアナウンスがあった。
「さて、じゃあ今日は十時くらいに出発だから、それぞれ準備をしてラウンジに集合してね」
「は~い」
姐さんがそう返事しながら足早に階段を登って自室に戻っていく。私は今更になって気付いたことがあったので、ボスに尋ねてみた。
「そういえば新卒の制服を取りに行くなら、私とゼンだけでもいいんじゃないですか? 丸々業務停めなくたって——」
「たっ確かに! じんてきソース? の無駄だよな! 俺もそれでもいい! と思う……」
「リソースって言いたいの? あんた。あとなんか鼻息荒くてキモい」
ゼンが何故かカタコトになりながら、私の意見に賛同した。なぜか顔が赤いが、熱でもあるのだろうか。
「はっはっは! せっかくだから、我々もたまには服を見たいんだよ! 今日行くのは特別大きい店だしね。すまないね、ゼン。私たちも同行するよ」
ゼンに何故か謝りながら、ボスは間抜けな声で笑った。ゼンはこれまた理由に見当がつかないが、ショックを受けたような顔をして、首を掻いている。
「他の人たちはともかく、あんたは服着てないじゃん!」
上司にするとは思えない態度で私はボスにそう言い捨て、準備をするために部屋へ戻った……。
時間になってラウンジへ戻ると、もう皆集まっているようだった。
「——なんでアンタがここにいんのよ! ロボットは服いらないでしょ!」
ジュディスも何故か出かける雰囲気でそこにいたので、私は歯を剥き出しにした。
『フン、服ニ着ラレテイル奴の戯レ言ナド、認識スルに値シナイ。ヲマエヨリ、ワタシの方がファッションヲ理解シテイルことハ間違イナイ』
ジュディスは偉そうに腕を組み、私の着ている服を上から下まで吟味するように眺めてきた。服が好きな人間には、本当にお洒落が好きな人と、他人に自意識の上で優位に立つためにお洒落をする人がいる。ジュディスのその仕草は明らかに後者のそれだった。
「ち、ちょっとそれどういう意味。私の服がダサいって言いたいわけ!?」
私は歯軋りしながらジュディスを睨みつけた。このジャケットはバイト代で買ったお気に入りなのに!
『フン、自らノファッションヲ他者ノ評価ニ因ッテ疑フようナ奴ニ、カケル言葉ナド無イ!』
「それっぽいこと言ってんじゃないわよ! っていうかあんたも服着てないじゃん!」
ジュディスはふんぞり返って両手のひらを上に向けた。悔しいことに何を言っても負けを認めないこういう相手に対しては、正しいことは言えても負かすことは出来ない。
「まともに相手にする方がアホなんぢゃがの」と博士が言った。
「意外とそういうところは子供だよね~」
姐さんは博士と一緒に遠巻きにこちらを見つめ、冷静に私のことを分析している。
「よし、皆集まったね。それじゃあ、出発だ!」
事務所のパーキングには、第三課の皆の車が停めてある。土地に白線が引いてあるだけで車は野晒しだし、防犯面も大丈夫なのかと不安だが、こんな僻地にまず車上荒らしは来ないであろう。
「そういえば、それぞれ自分の車に乗っていく感じですか?」と私は聞いた。
「いや、みんなでアレに乗るの。うちの部署の宇宙船、オービット二〇〇〇よ」
姐さんが駐車場の一番端に停まっている機体を指さした。
「えっ……アレが?」
「まあ、見た目はアレだけど……乗り心地はいいよ!」と姐さんは言った。
苦笑いをしてしまった。末端の聞いた事もないような小さい部署にも社用の宇宙船を支給してくれるのは、流石大企業なだけあると思う。
しかし、軍部の社用船と聞けば、高速航行が可能で強力な戦闘装備が備え付けられた、所謂カッコいい見た目のものを想像すると思う。しかし、そこにあったのは大きさこそ遜色はないものの、宅配便のバンのようなころっとした形状のものだったのだ……。
『オープン』とジュディスが言った。
何故ジュディスがキーを持っているのだろう……。オービット二〇〇〇のゲートが開いて、タラップが降りてきた。
「お邪魔します……おお!」
かなり広い内装は意外と新しそう。操縦席と客席の後ろにはキッチンやテーブルなども備え付けられていて、地球のキャンピングカーを思い出す。
「乗り心地悪そうだなあ、とか思ってしまいましたが、取り消します!」と私は言った。
「でしょ~? これがアタシたちの船。まあ、ご存知の通りほとんど乗らないんだけどね……」
「あぁ……ハハ」
姐さんがすかさず自虐をしたせいで、私はすぐに苦笑いをする羽目になった。
「フォフォフォ。ワシの趣味が高じて中古の貨物運搬用のを大改造したんぢゃ。至る所にオリジナル社外パーツを着けているんぢゃぞ」
『サスガ博士……』
ジュディスは博士が自慢話をすると決まって、普段表示してる目と露骨に画風の違う潤んだ瞳をモニターに表示し、恍惚の眼差しでそれを聞く。
「社外パーツって車検とか法律大丈夫なんですか?」
内装に感動したのも束の間で、私は急に不安になった。この船にもどうせろくでもない機能があるに違いない。例えば紛らわしい場所に自爆スイッチがあるとか……。
皆がシートベルトを装着すると同時に、オービット二〇〇〇号は離陸した。
「なんで」
星々の光が棒状になって、視界を奥から前へと突き抜けていく。
「……なんでよりによって、ジュディス以外の誰も免許持ってないのおおおおおおおお!」
ジュディスはハイウェイを亜光速で飛ばした。機体の装甲が保つのか不安になる程の轟音と振動を絶えず感じる。私が叫びながら席にしがみついている間、ゼンはすごく楽しそうにしていた……。
結局、あっという間に目的地の星までやってきてしまった。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思ったんだけど!」
オービット号を降りてすぐ、私はジュディスに文句を言った。ジュディスは車のキーを指先でひゅんひゅん回しながら、相手をしているこちらの腹が立つように最適化された首の角度で振り向いた。
『ハン。腰抜けガ。騒イデイタノハヲマエダケじゃナイカ。アノ程度でアアナルナド、流石ペーペードライバーダナ』
「誰がペーペーよ! それ言うならペーパーだし、そもそも私ペーパーでもないし! 事務所までは自分で運転してきたし! 言っとくけど、私だって大型宇宙船舶の特殊免許持ってんだからね」
自分の持っている資格を自ら紹介するというのは中々恥ずかしい行為なので、出来ればしたくない。しかし、これ以上ジュディスにハンドルを任せるのも嫌だった。
「特殊免許持ってたの!? 実はステラの履歴書、資格が多すぎて項目は全然見ていなかったんだよねえ。いやあ、ほんとに素晴らしい人材だ」
部下のスキルを把握するのも中間管理職の役目の一つではないだろうか……。そう思った矢、姐さんが「ボスそれ、結構ダメくな~い?」と言っていた。せっかく資格をひけらかしてやったのに、肝心のジュディスは動じていない。
『フン、ヲマエノ運転ナド、想像ニ容易イ。ヲマエニモ馴染み深イ言葉デ表ストスルナラ、冥王星ノ恒星周期並ニトロいのダロウナ』
「言わせておけば……わかった! じゃあ帰りの運転は私がやってやる! 大学の時に民間の戦闘機パイロットにまでスカウトされたこの私をバカにしたこと、後悔させてやるから!」
『ソノ戦闘機デ、カタツムリでも駆除スルノカ? ガハハ』
「こんのぉ……!」
私は地団駄を踏んだ。いちいち癪に障る機械だ。
「喧嘩もいいけど、せっかくここに来たんだからもう少し楽しくいこうぜ。ホラ……!」
グレイ先輩が指差す先に、ゼノ星系で知らない人はきっと居ないであろう超有名ファッション
ブランド、『BLACK FRILL』の総本店がそびえ立っていた。
ここは、惑星エルラダ。地球人的な感覚で言えばちょうど月と同じくらいの広さの惑星で、星全体が服の工場地帯、倉庫、綿花などのプランテーション、広大な商業施設等ファッションに関係のあるもので埋め尽くされている。宇宙の端端からここへ服を買い求めに、毎日たくさんの人がやってくる。
「私ブラックフリルの本店に来るの、初めてです!」
私は興奮を抑えきれずそう言った。銀河にその名を轟かせる名だたるブランドの旗艦店が集まるエルラダの中心部に今、私たちは立っている。
「散財するぞー! 後でアウトレットも見ましょう」
姐さんも心なしかテンションが上がっているように見えた。
「ステラ達の制服を受け取ったら、今日は思いっきりショッピングしよう!」
平日にも関わらずボスも浮かれた様子で水槽の中を泳いでいる——裸で。
「あんたは服要らんぢゃろ」
博士が冷静にボスの言葉をバッサリ斬り捨てた。対するボスは体を全部真っ赤にして、間抜けな声で反論した。
「私だって、着るときゃ着るよ!」
「そうなの!?」と私は叫んだ。
一体ボスの種族が着る服ってどんなのなんだろう。
そうして私たちは、建物の端が見えないほどに大きく構えた店へ足を踏み入れた。歩いて回ったら遭難しそうだ。屋内にも関わらずバスやモノレールなどが通っていて、歩く人々は皆大量の紙袋や箱を携えている。ショーケースのマネキンは私たち地球人のような直立二足歩行種の姿のものをはじめに様々な種族を模していて、皆洒落た着こなしで佇んでいた。とにかく見渡す限り、服、服、服! ここはいつかエアリと来たいと思っていた場所だ。今回のところはとりあえず下見のためということで、彼女には許して欲しい。
しばらく圧倒されたのち、私たちは採寸の受付に行くため移動カートに乗り込んだ。
「ホントに来ちゃった……すごい!」
首を痛めそうなほどあちこちをぐるぐる見回していると、ゼンが冷めた目を向けてきた。
「わっかんねえな。服なんて着れりゃなんでもいいだろ。俺にとっちゃ動きにくいし、邪魔なだけだ」
そう述べるゼンの胸元には、マジックで名前が書かれたタグが縫い付けられていた。信じられない。高校の時のジャージを着てくるなんて……。目の前だけ体育祭にいるようだった。
「そういう意識でそんな格好してきたわけ? 本気で同じ一行だと思われたくないんだけど」
「何言ってんだよ! これが一番動きやすいだろ?」とゼンが言った。
「服屋でそんなアクティブに動くシーンないし! ファッションはTPOを弁えるもんなんだよ!」
「テ、ティピ? なんだ、タピオカ?」
ゼンはそう言って間抜けな顔で首を傾げた。
「もういい。黙ってて。そんな格好で目立たれたら最悪だから、頼むから大人しくしてて……」
私は諦めて会話を打ち切った。
「ま、いくらなんでもそのジャージはボロいし、せっかく来たんだから後でゼンの服見繕いましょうよ」
姐さんは苦笑いしながら、ゼンを励ますようにそう言った。
「着せ替え人形みたいで楽しいなあ! ドリズラージャケットとかいいんじゃないか? 靴は——」
グレイ先輩と姐さんは前の席で楽しそうに買い物の計画を練っている。どこか現実逃避をするみたいに、無理やりにでも楽しもうとしているようにさえ見えたけれど……。
何度か乗り物を乗り継ぎ、やっと発注カウンターにまでやって来た。
「どうもどうも、採寸と仕立てをお願いしたくてまいりました。公社ゼノ・エクセルキトゥス特務部第三課長のJ・Jです」
ボスは地声と間抜けな声を交えながらも平然とそう申した。
「いらっしゃいませ。ご予約のJ・J様ですね——はい。確認が取れましたので、今からご案内いたします。少々お待ちくださいませ」
深々とお辞儀をしてから、店員はデバイスに何かを打ち込みはじめた。流石は有名ブランドの旗艦店! ボスの声に全く動じないなんて、接客のプロだ。
「あら? もしかして……J? 久しぶりじゃない……!」
店員さんの手続きが終わるよりも先に、聞き慣れない声がボスの名を呼んだ。
「バーバラ……?」
ボスは声の主の方を向くと、目を見開いてそう言った。こんなところで顔見知りとばったり会ったということのようだ。そして、どういうわけだか店員がバーバラと呼ばれた声の主を一瞥した途端、焦ったように顔色を変えてかしこまった様子で一礼した。
バーバラという名前、それから店員のこの反応——まさかと思い声の主の方へ目線をやると、私は顎が外れるくらいの勢いで、ぽかんと口を開けてしまった。そこに居た人物がボスと顔見知りなのが信じられなかったからだ。
「ほ、本物……本物なの!?」
思わずそう声を漏らした。
「え、マジ……?」
「ボス、この方とお知り合いなんですか……?」
姐さんとグレイ先輩は苦笑いしながらそう小さく呟くと、ボスの後ろに隠れてしまった。そうなるのも無理はない。しかし、博士とゼンはこの信じられない事態を全く把握していないようであった。
「誰ぢゃ」
「誰だ?」
まあ、いかにも疎そうな二人だから無理はない……。
「まさか、会えるとは思っていなかったよ!」とボスは嬉しそうに言った。
「アラ、アタシのことを知らない子もいるのね。ま、ジャージに白衣——相当なおイモちゃん。見るからに興味なさそうねアンタたち。もっとも、全裸も居るけれど」
間違いない。バーバラという名前、そして黒いビキニ水着を着用し、目の飛び出た魚のようなゴムのマスクを被っているこの姿——。
「だから、誰なんだよ!」とゼンが言った。
世間知らずも大概にしてほしい。そう思いながらゼンを肘でどついた。
「ちょっと! あの人、まじですごいんだから黙って。知らないとか言うの超失礼なレベルで!」
私はボス達の後ろに隠れるようにして、小声で言った。
「そうなのか。で、誰?」
せっかく私が配慮したのに、ゼンはそれを汲み取ってもくれず、よく通る声で無礼を繰り返した。
「もう! あの方はブラックフリルのトップデザイナー兼代表、グランドアルコールフリー・バーバラさん! 近代史の授業にも出てくるような生ける伝説なんだよ!」
我慢できなくなって、私はとうとう叫んでしまった。
「アラ。お褒めに預かり光栄だわ——アンタはウチの服着てくれてるのね。そのトレーナー、限定カラーじゃない。いい着こなしじゃないの」
宇宙にその名を轟かせる偉大なファッションデザイナー、バーバラが目の前にいる。しかも、そんな人が私のファッションを褒めてくれた!
「ありがとうございます! 親に無理を言って店舗に駆け込んで買いました!」
お気に入りのトレーナーを着てきてよかったと思った。感動に打ち震える体の芯を落ち着けながら、私はバーバラに深くお辞儀をした。
何を隠そう、私の一番好きなブランドはブラックフリル。ここの服はかなりお手頃なのにも関わらずデザイン性に優れ、生地も縫製もいい。端的に言うと最高なのだ。
「バーバラの活躍はいつも見ているよ。しかし、元気そうでよかった」
ボスは笑顔でそう言った。マスクを被っているバーバラの方は表情こそ変わっていなかったが、これまた旧友との再会を心から喜んでいるように見えた。
「そっちこそ……それにしても全然老けないわね、アンタ。羨ましいわ。そういや、天下のゼノ系列の企業に入ったのよね?」
言われてみればボスの種族はシワとかほうれい線とか、加齢による見た目の変化には無縁そうだと私は思った。一方ボスは、仕事のことを話題に出されて気まずそうにしている。
「ま、まあ、ね。今はゼノ・エクセルキトゥス社で——中間管理職を、ね」
こんな時にボスのスピーカーの調子がいつもの如く悪くなり、可哀想なくらい間抜けに見えた。
誰もが羨む大企業に入社したにも関わらず、自分たちはメール整理しか仕事のないような窓際部署だなんて、旧友に言えるはずない……。
「エクセルキトゥスって……アタシたち連盟の中枢みたいなもんじゃない。さすがね! そこの中間管理職やってるなんて。じゃあ、周りのボウヤたちはみんなアンタの部下ってコトね?」
バーバラの方はマスク越しからボスに賛辞を贈った。部下である私たちはどうにかボスの面子を保つためにと、バーバラから必死で目を逸らしている。
「そ、そうなんだよ! もうね毎日忙しくて——」
ボスが何か述べようとしたところで、マーフィー君が警報音を鳴らしてボスの水槽を両手で掴んだ。
「その嘘くらい許してやれよ……」と私たちは一様に思った。
マーフィー君はボスの水槽を掴んだままじっと覗き込んだかと思うと、繰り返し繰り返し頭突きを食らわせ始めた。金属が強化ガラスに当たる鈍い音が響き渡る。まずい、このままではボスの水槽が割れてしまう!
「わ、わかった。嘘だ! 嘘だ! バーバラ、すまない。本当はその、大分アレな部署で……ぜの連盟の治安維持をする我が社らしいことは何もしていないんだ。窓際というか……」
私たちが止めるよりも早く、ボスの方がマーフィー君に降参し、マーフィー君の攻撃が止んだ。バ側から見たら異常極まりない一部始終に一切動じることなく、バーバラは当たり前のように会話を続けた。
「あらまあ。じゃあアンタら、要するにめちゃくちゃ暇ってこと?」
バーバラは腰に手を当ててボスに尋ねた。
「ま、まあ流石に毎日仕事してはいる、んだけどね……」
マーフィー君をチラチラと見ながら、ボスはそう答えた。
「ふぅん……ねぇ、J。暇ならちょっと相談したいことがあるんだけど。話だけでもいいかしら?」
バーバラは辺りを見回しながら小さい声でそう言った。
「えぇ!? 君ほどの者が何を相談するっていうんだい……? 暇ってストレートに言われると傷つくもんだねぇ……」とボスが言った。
「そんな遜らなくてもいいわよ。アタシたち同期じゃないの」
バーバラは余裕のある態度で、ボスを受け入れる姿勢を示した。
「そ、そうだけども……なんだい、相談とは」
「それなんだけど。話はここじゃちょっと出来ないの。とりあえず自室に案内するわ。部下のボウヤ達も来てくれるかしら?」
ボスがこちらを振り向いて頷いたので、私たちは黙ってバーバラに頷いてみせた。
「決まりね。ありがとう。着いてきて頂戴」
バーバラは踵を返すと、楽器を奏でるようにピンヒールで床を鳴らして歩き始めた。
「さっきのマーフィー君、ヤバかったな……」
着いていく途中でゼンが震えながらそう耳打ちしてきた。
「ガチで殺しに行ってたよね……」
そう言って私も頷いた。すっかりあやふやになってしまっていたけれど、制服の受け取りはどうなるのだろう……。あまりにも社会的地位が違いすぎる私たちはただバーバラに付き従い、専用のエレベーターに乗って、彼女のオフィス兼アトリエへと向かった……。
「どうぞ」
エレベーターや乗り物を何度か乗り継いで、ようやくバーバラの部屋に辿り着いた。
「なんだここ!」とゼンが叫んだ。
バ ーバラは来る時にここを自室と言っていたけれど、そもそも部屋だなんて表現をするような限定的な空間ではなかった。うちのオフィスなんかよりもはるかに広く、奥には色々なサイズ、形の機材が沢山並んでおり、目の前にある作業台には作りかけの服や生地、糸、デザイン画などがたくさん散らばっている。ずっと奥に見える壁は一面が巨大な棚になっており、この宇宙中から何年もかけて集めたであろう色とりどりの素材が埋め尽くして極彩色の大壁画のように見間違えたほどだ。流石はブラック・フリルの代表……。バーバラの名が刻まれた名札の置いてあるデスクの真上には、ブラックフリルをこれまで育ててきた歴代の代表の肖像画がずっと並んでいた。
「散らかってるけど、楽にしてちょうだい」
バーバラに促されるまま、私たちはなんとなく緊張しながら彼女の方を向いた。
「——まずアタシのお願いの前に、少しだけ小話をしましょうか……」
バーバラは魚のマスクごしにそう告げてから、話し始めた。長い長い、ファッションの歴史について……。
「アタシ達のブランド、ブラック・フリルの歴史は、大宇宙時代前より地球にて発足した伝説のブランド、『スパイシー・フリル』の時代にまで遡るわ。そこの肖像画——一番左の——その人がスパイシーフリルの創設者。グルテンフリースカイ・セドナ。そしてそのひとつ右の肖像画が、初代専属モデル、サイコよ」
バーバラとはまた違った魚のマスクを被った地球人の男性がセドナ、そしてサイコの方は微笑んでいる様子の地球人の女性らしき人物として描かれていた。サイコの方は帽子を深く被せられ、丸い眼鏡をかけているようには見えるものの、顔を隠されるように描かれているのが印象的だ。
「セドナとサイコが活躍していた黎明期のスパイシーフリルは、優れた作品を世に出し続けていたにも関わらず、ごく一部の人間にしか評価されなかった……。そこのマネキンに飾ってあるのは全部、初代のセドナがデザインした服よ。設計図を元に、何代か前の代表が復元したもので、オリジナルではないのだけれどね……。サイコが載っている雑誌も、セドナのデザインした資料も、歴史の波に翻弄されほとんど消失してしまったの……。一眼、本物を見てみたかったわ」
この空間の左の壁面はガラス張りのショーウィンドウになっていて、見た事もない服を着せられたマネキン達が並んでいた。地球史の授業で見た超古代文明の、王族の棺に似ているデザインの服や、一見黒い布切れに見えるような服が着せられているものまである。バーバラはその目の前に立ち、どこか悔しさを滲ませたため息を吐いた。
「そんな大変な時期を超えて……ここまで成長してきたんですね……」
今見ても前衛的なファッションを、遥か昔に既に作り上げていた初代。私はその歴史に思いを馳せながらそう言った。
「なんでちょっと涙ぐんでるんだよ、お前」
ゼンはファッションを分かっていないからそんな顔をできるのだ。無視をしてハンカチを目に当てた。
「そして地球がゼノ連盟に加盟したのを皮切りに、宇宙と地球が繋がり——大宇宙時代が始まる。大量に流れ込む異文化、異種族との交流によって急速に変化していく地球のファッションシーンに対応するため、スパイシーフリルは遂にブラックフリルとして生まれ変わった。『地球カワイイ』をコンセプトに、それまでのアバンギャルドなスタイルから一線を退き、豊かで多岐にわたる地球の文化をデザインに取り入れたファッションを展開して、それを宇宙に発信してきた……」
バーバラはマネキンの入ったケースに手をかけ、物憂げに続けた。
「ブラックフリルはじめ、地球のファッションブランドの進出は宇宙全体の服飾文化に大きく影響を与えたわ。オリジナリティのある服を作りあって競い合うアタシたちブランドや、デザイナーの存在。そして服を世に送り出すためのショーやモデル、広告の世界。そして消費者である顧客もSNSを通じて自ら発信する——着衣の文化のある惑星はたくさん存在するものの、そういった地球のファッションを取り巻く全体の構図が、宇宙の中でも唯一無二だった……。そんな背景もあって、地球は今日に至るまで、宇宙の中でもアパレル業界の最先端を走り続けているのよ」
私の今着ている服も、この長い長い歴史を経てここにあるのだと思うと、何だか重たく感じてきた。
「——と、ここまでがアタシ達のブランドの歴史ってところね。今やウチの会社は、宇宙最大級の企業であるあんたたちゼノグループの礼服から工場の作業着まで、さまざまな衣服の発注を一手に引き受けるまでにも成長した。そんでもって、この度アタシ達の原点、スパイシーフリルが発足してから丁度二千年を迎えるの」
「二千年!? 大きな節目じゃないか……。バーバラは凄い時にブランドを任されたんだね」
ボスが丸い目をさらに丸くして、水槽ごと震えた。
「そう、大きな節目よ。ここからはまだ公開前の情報だから、極秘にしておいて欲しいのだけれど——アタシ達はその節目の記念イベントにて、記念のファッションショーをゲリラ開催する予定なの」
バーバラが一枚のチラシをこちらに見せた。“BLACK FRILL Memorial Collection”と記され、下にはランウェイでポージングをしている人のイラストが描かれている。
「アタシは今回のショーを絶対に成功させたいし、妥協はしたくないの。歴代のデザイナー、モデル達に恥じないよう、ね。サイコとセドナから築き上げられてきたこのブランドの大きな節目に、アタシがトップとして居られることは、とても名誉なことだと思っているから」
窓の向こうで、“BLACK FRILL”のロゴが入った貨物船が、宇宙の何処かへと飛び去っていくのを眺めながら、バーバラはそう言った。
「自分の仕事に対してあそこまで真剣になれるのって、カッケェな……変なマスク被ってるけ——ってイデデデ!」
ゼンが感心した様子で余計なことを言いかけたので、私は咄嗟に耳を引っ張った。
「前置きが長くなってしまったわね。アンタたちには、アタシのショーのフィナーレの演出に協力してもらいたいの」
「そ、そんな重大な役目を!?」
ボスが間抜けな声で驚いた。ボスのマイク、今日は一段と調子が悪いみたい……。
「今回のショーのテーマは、未来への前進……そのショーのフィナーレに相応しい衣装を、今回制作したの。これを見て頂戴」
バーバラが机の上にあったリモコンのボタンを押すと、向こうでシャッターが開き、豪奢で力強い意匠を凝らしたディテールの服を着た、私たちの何倍も背丈のある巨大な二本足のマネキンが現れた。
「な、何これ!」と私は声を漏らした。
どこの異星人に着せるものなのだろうか。その服はボンネットから溶けるように布が重ね合わされ、妙な緩急のあるデザインで、地球のバレリーナをモチーフにしたようなシルエットに仕上がっている。
「アンタ達にコレを着せるモデルを、見つけて欲しいの。もちろん、タダでとは言わないわ。報酬も支払う。それに引き受けてくれるんなら、さっきカウンターで予約してたわよね? ボウヤとお嬢ちゃんの制服は、アタシが直々に仕立ててあげる。どうかしら」
バーバラはそう言いながら報酬の金額を電卓に打ち込み、私たちの方へ提示してきた。
「バーバラさん直々に……? し、しかも、四百万ジルって!」
「おおー?」
トップデザイナー直々に仕立てられた制服……絶対に袖を通したい! ゼンはいまいちその価値を分かって居ないようだけれど……。ボスはバーバラの提示した条件が良すぎることをなんとなく訝しんでいるようだ。
「社則的には一応、後で申告さえすれば個人的な依頼や相談に乗るのも全く問題ないんだがねぇ……。その、もう少し詳しく教えてくれるかい?」
バーバラは息をつき、力が抜けたように笑った。
「ごめんなさいね。含みのある言い方は辞めて、単刀直入に言うわ。惑星09-32に生息している生物。『バーガックス』の野生個体を一頭捕まえてきて欲しいの。もちろん、怪我もなく元気な状態でね。そのコにあの衣装を着せて、ファッションショーのフィナーレに出したいのよ」
バーバラの口からバーガックスという言葉が出た瞬間、ゼン以外の私たちは震え上がった。
「えぇぇ!?」
「なんだ? ハンバーガー?」とゼンがとぼけた声で言った。
「ややこしくなるから黙ってなさい」
姐さんはゼンに呆れていた……。
「ちょっと。バ、バーガックスって、本気なのかい? 宇宙でも指折りの危険生物じゃないか。それをショーに使いたいなんて、バーバラ。意思は尊重したいけれど、それにしたってそれを私たちに捕まえてこいって……いうのは、ねぇ……?」
ボスは水槽の中であたふたと泳ぎ回りながらそう言った。バーガックスは本当に獰猛な生物。動物園で展示するのも本当に難しくて、宇宙中を探しても数カ所でしか展示されている場所はないはず。そもそも、捕まえる云々もそうだけれど、あれに服を着せてランウェイを歩かせるなんて、無理な話だと思う。言葉を濁すボスを前にしても、バーバラは諦めない。
「もちろん無理を承知でお願いしているの。失敗しても制服の仕立てはアタシがやるし、手間賃として報酬の半額と経費は払うわ。どう?」
「ど、どうって言ったって、なぁ……。そんなに受け取れないよ! 動物園から借りてくるとかはダメなのかい?」
ボスは完全に断る方向で話を進めたいようだ。水槽の中で浮いたり沈んだりしながら、バーバラの顔を伺っている。バーバラは首を振った。
「無理よ。実はずっとフィナーレの演出が物足りなくて悩み続けていたの。昨日の未明にふと思いついて、服をデザインして実際に制作を終わらせたのがついさっき。二千年記念の日は明後日に迫ってる。動物園にコンタクト取って、許可取って借りてなんてやっていたら、間に合わないかもしれないわ。そもそも、許可も取れるかはわからないしね。とにかく二日後のショー本番までにどうにか可能であれば連れてきて欲しいの。ダメだったら予定通りの演出のみで終わらせるから」
バーバラはバーガックスのために仕立てた素晴らしい衣装に手を添えた。
「今回のショーのテーマを体現する力強い生物……ありのままの、野生に近い個体のバーガックスに、ランウェイを歩いてもらいたいの」
切羽詰まっているどころの話ではないようだ。ボスは今に泡を吹いて倒れそう。内容も期限も、無茶振りが過ぎる案件だった。バーバラが仕立てた制服……、着たかったけれど、これは諦めるしかない。ボスは義手を盾のように体の前に出し、指の隙間からバーバラに断りを入れようとしている。
「ち、ちょっと待ってくれ……! そんなシビアな内容と期限じゃ、流石に引き受けられないよ——」
「そう……」
バーバラがバーガックスのマネキンから手を離そうとしたその時だった。
「やろうぜ!」とゼンが言った。
「ちょっと、何言ってんのよ! 無理だって!」
私はそんなゼンを諌めた。他のみんなも困惑した表情で、鼻息を荒くしているゼンを見つめたが、博士だけはどうしてか落ち着き払っていた。ゼンは私の方に、またあの真剣な眼差しを向けた。
「諦めんのかよ!」
「だって……」
無理じゃない。そう言おうとしたのに、何故か言葉が詰まってしまった。私が俯いていると、ゼンは構わず捲し立てた。瞳に宿る光が、どんな星よりも輝いて見えた。
「メール整理以外の、しかも他の星での仕事だぞ! お前、宇宙の隅から隅まで飛び回るのが夢なんだろ? せっかくのチャンスだ。ここでやらないと! 報告書でアピールしてやろうぜ、俺たちが出来るってことを」
私はここまで馬鹿になれないし、ここまで強くない。
「で、でも、失敗したらどうすんの。それも報告書に書かないといけないんだよ。ただでさえ、今なんの会社にいるのか分からないような状況で……窓際部署が仕事に失敗しただなんて言ったら今度こそ、生涯メール整理以外やらせてもらえなくなっちゃうかもしれないじゃん」
私は小さい声でそう言った。勢いに任せて、ボスや先輩達には知らせたくなかった醜い本音がもれた。ゼンは諦めない。私の分まで前を向いている。
「お前、天才なんだろ? どうにかして成功させればいいだろう。上手くいけば、これからもっと色々な仕事だってできるようになるかもしれないじゃんか」
「それはそうかもだけどさ……」
どうしてだろう。ゼンの言葉にこれ以上にないくらい背中を押されている。あと一歩。でもこれだけは誰かに押してもらったり引っ張ってもらったりするんじゃなくて、自分で踏み出さなければいけない。私にもその勇気は、あるのだろうか。
「ゼン、ありがとう。残念だけど……アタシ達には無理よ」
そう姐さんが申し訳なさそうに言った。
「姐さんは医者だろ! 姐さんが居れば、多少俺が無茶して怪我したってなんとかなる!」
姐さんは、いきなり褒められたのが照れくさかったのか、ツノと頬を赤らめた。
「そ、そんなに褒めないで……」
姐さんをよそにゼンはみんなを見て続けた。
「俺は——雑に頑丈で、雑に強い! ガグーアの誇り高き戦士だからな。ステラは何でも知ってるし頭がキレる。俺にはよくわかんねぇけど、めっちゃ資格とかも持ってるし。博士は人格が終わってるけど、すげー技術がある! ジュディスは運転できるし、ロボットだから計算とかが早い。マーフィー君は嘘がわかる。ボスは……えーと、声たまにがカッコいい! グレイ先輩は……うん。性格がいい。あと料理ができる!」
最後らへん、雑だ……。しかしそれを指摘するのもかえって失礼だと思ったので、私は黙っておいた。
「なあ、もっと他に、あるだろう? なあ……」
グレイ先輩は消え入りそうな声でつぶやいた。
「うぅ……」
ボスに至っては泣きそうになっている……。私たちは真面目な場面でもいまいち締まらないのだ。
「と、とにかく俺たち、いいチームだろ? やってみようぜ!」
私たちはゼンにこれだけ揺さぶられても、最後の一歩が踏み出せない。
「君たちの失敗は聞いているよ。勝手に仕事を引き受けた上、失敗して当社の信頼を損なった。しかも、大物デザイナーの仕事。失敗しておいて半額報酬をもらうだなんて、恥ずかしい。言語道断だ。全員、クビだよ」
だとか会社に言われるような、最悪な未来を想像してしまう。ゼノグループは公的機関としての役目も担っているから、仕事のクオリティに関してはこと厳しいのは有名だ。ボスはゼンを説得しようと、水槽の中から彼の顔を見上げた。
「そ、それはそうかもしれないが……メール整理が我々の役目だから——」
ゼンは折れそうになく、一層熱くなっている。
「みんな本当にそれで良いのかよ! こんなに宇宙は広いんだぞ! どうしてこの会社に入ったのかはわかんねえ。でも、よりによって軍部なんてそれなりに強い気持ちがないと入らないんじゃないのか? メール整理よりやりたいこと、みんなにはねえのか? 俺はある!」
ゼンがいつになく真面目だった。いつか、体育祭の時もこの顔をしてたっけ。
クラス対抗リレーの時のことだった。この結果にクラスの優勝が懸かっていた。運動が苦手だったマヴレちゃんにバトンが渡ったときに、うちのクラスは大差をつけられてしまい、最下位になった。誰もマヴレちゃんを責めたりしなかったけど、きっと本人は理不尽な罪悪感や悔しさを感じて辛かったのだろう。バトンを渡した後に泣いてしまったのだ。
ゼンはその時、マブレちゃんに駆け寄って「あとは俺に任せろ」とだけ言ってスタート地点に立った。
アンカーだったゼンは、一瞬で他のクラスをごぼう抜きにして一位でゴールした。トラックにつむじ風が巻き起こりそうな凄まじい走りだった。そもそもガグーア人の身体能力に着いていける種族なんて、ほとんどいないのだけれど。
「すごい……」
あまりに爽快な抜きっぷりに、マヴレちゃんはそう感嘆の声を漏らして泣き止んでいた。
そして、うちのクラスは見事総合優勝することが出来た。
「お前がちゃんと走ってバトンをみんなに渡してくれたから、勝てたんだぜ」
皆が喜ぶ中で複雑そうな顔をしていたマヴレちゃんに、ゼンはそう声をかけていた。あの時だけは……ちょっとカッコいいななんて、思ったりもした。今は違うけど。断じて。神に誓って。
「——ボス、私も、私もやっぱり! この案件受けるべきだと思います!」
ゼンのお陰なのが癪だったが、やっと踏み出せた。
「ス、ステラ……新卒としてキャリアを積みたい気持ちはわかるが、私だって皆に何かあった時のことを考えてだね……。責任を持たねばならない立場なんだよ……」
ボスの声は相変わらず間抜けだったが、今は切実なものを感じた。勿論、管理職は私の想像が及ばない程に大変なのだろう。それでも、たとえ失敗してクビになったとしても、私は現状を変えるチャンスが欲しかった。
しかし私が言い返すよりも早く、一番想像だにしていなかった人が味方になってくれた。
「ワシは、この小僧のバカに付き合うのもありぢゃと思うぞ」
と、先ほどまで目を閉じて話を聞いていた博士が、ボスに長くてくねった首を向けて言った。
『フン、タダの馬鹿ダト思ッテイタガ、中々骨ガアルジャナイカ。ワタシモ賛成ダ』
博士にただ同調しているのか、本気でそう思っているのか、その両方なのかは分からないが、ジュディスもゼンを褒めつつ、賛成の意を伝えた。
「え、マジで言ってんの?」
ボスはそれから、助けを求めるように黙っていた姐さんとグレイ先輩の方を向いた。
「——もう黙っていられない! 行きましょう! 俺だってできるってことを絶対に見せつけてやる!」
息巻いているグレイ先輩は、ゼンのせいで傷つけられた個人的な沽券のために乗り気だった……。
「まあ、無理そうだったら帰るっていうんなら、いいんじゃない? 新卒で何も悪いことしてないのにウチに配属されて、ずっとメール整理だけっていうのも可哀想だし。ちょっとピクニックに行くとでも思えば」
姐さんも、ゼンの言葉に心を動かされたのか、素直ではないが賛成してくれているようだった。ボスはいよいよ追い詰められたという顔で、機械の手で頭——ではなく水槽——を抱えている。
「君たちまで……でも流石に……」
ボスは水槽の中で目をつぶっている。
「あとはボスが許可を出すだけです! お願いします」
柄にもなく、私も熱くなってしまっている気がする。私がボスに一礼してから追い詰めるように凝視していると、バーバラもそれに乗っかってきた。
「アタシとしては、引き受けてくれたら助かるんだけどねぇ。しかも、感動の再会を果たした盟友に」
「そういうの卑怯だとは思わないかい!?」とボスは叫んだ。
「やろうぜ! ボス!」
ゼンが真面目な顔でもう一押しした。
「んんん、わかった! 負けたよ! やりましょう。でも危険だったらすぐ諦めるからね! 決定権は私にあるから!」
ボスは遂に折れた。
「よっしゃああああああああ!」
歓喜の声を上げる私たちの中でも特大の声をあげたのは、グレイ先輩だった……。プライドを傷つけられると、燃えるタイプの人なのだろうか。
「決まりね。じゃ、よろしく頼むわね。J」
バーバラが、やってしまったと言わんばかりに瞳孔を小さくするボスに、信頼がこもった声色で伝えた。
「はあ。若い子のエネルギーって、凄いものだね」
「アラ、アンタだってアタシだって、そういうエネルギーで進んできたのよ。とにかく、楽しみに待ってるわ。アンタ達の制服はその間に用意しておくから。気楽に行ってきて頂戴。死なないでね」
バーバラは私たちの方に向き直ってそう言った。
「まかせろ!」
「本当に、大丈夫かなぁ……」
ゼンが威勢よく返事する裏で、ボスは心理戦に疲れたのかぐったりとしていた。
こうして私たちは、エルラダを一旦後にして、バーガックス捕獲作戦を決行するべく惑星09-32へと向かった。ジュディスの危険運転で……。
チャイムが鳴った瞬間にボスはまた間抜けな声で、本日の終業を大声で宣告した。ちなみに、残業は死んでもやるなとのことらしい。
「イヤッホォウ! ヒャーッヒャッヒャヒャッ」
あのグレイ先輩が、終業の号令を受け、これ以上になく邪悪に口角を挙げ笑っている。怖い……。
「もう……限界……」
ずっとメールを整理し続けて、丸八時間……。目が乾いているし、肩は重く、腰は痛い。もう一生をかけても捌き切れない量がメールサーバーに溜まっている上、毎日絶えず凄まじい量が送られてくるので、これだけ苦労しても私たちの業務は完全に焼け石に水である。ジュディスとは結局あの後も、仕事の合間にやりあってしまった。アイツはマーフィー君より嫌いだ!
「やっと……終わった」
ゼンもやり切ったように背伸びをしているが、こいつの働きぶりは最低だった。
「何やり切った感出してんの。あんた何件のメール整理したわけ?」
「は? 十八件もやったぞ!」
「呆れた……。タイピング遅すぎんだよ! 人差し指だけでポチポチポチポチと! しかも一件一件に時間かけすぎ、メールの内容確認してすぐ転送するだけじゃん!」
ゼンの手際は画面を見ずともわかるほどに酷いもので、機械音痴の私のお父さんの方がもう少し早く文字を打てるのではないかと思ったほどだ。ゼンは面倒そうに頭を掻いた。
「しょうがねぇだろ……なんか届いてたのが恋愛相談ばっかでよ、俺よくわかんねぇから、長々と返事を書いちまったんだよ」
「何親身に対応してんのよ! 恋バナはラジオに投稿でもして、DJに相談してって返信すりゃいいでしょ!」
「ステラ、親身に対応すべきかはともかくそれもそれでちょっと……」
姐さんは僅かに頭の角を点滅させながらそう言った。
「どこがですか! 私はずっと学生時代そうし……なんでもないです」
危ない。恥ずかしい記憶を職場で共有するところだった。
「ステラ……」
ボスは私の言いかけたことに気がついたのか、水槽の奥からなんとも言い難い視線を向けてきた。
「忘れてください」
そう詰め寄るように鋭い眼差しで見つめると、ボスは水槽ごと震え上がった。アイラインを長めに引いておいてよかった。
『フン。新卒のバカ同士マウントヲ取り合ウ愚カサヨ。ワタシハ、二十五万八千ト三百十七件処理シタ』
ジュディスはさりげなく自慢をするためだけに割り込んできた。生々しい承認欲求を持っているが、これは本当に何もかもが機械によって制御されているロボットなのだろうか。
「あんたの頭にはスーパーコンピューターが搭載されてるけど、私らにはそんなもんないのよ、ロボット」
私はコンピューターの電源を落としながら、嫌味っぽくそう言った。
『博士ニ頼めバすぐニヲマエの脳モ、アップデートしてもらえるゾ。博士はソノ昔、ゼノ星系ほとんどノ種族ノ、脳ノサンプルヲ所持シテイタからナ。地球人ノ小サナ脳のデータモ所持シてイルに決まってイル』
ジュディスは私の挑発に乗ることなく、物騒な身内自慢をし始めた。
「ねぇ、本当に博士って地下で何やってるの? 人殺したりしてない?」
この時私は、危険な先輩が部署内にいると人事部に通報しようか迷ったが、報復が恐ろしいのでやめておいた。
「ハハハ。そんなことが発覚したら、査定に響くじゃないか! 私がさせないよ!」
ボスは頼り甲斐ありそうに笑ってそう言った。
「意外と頼れるんですね——あれ? もしかしてボスの倫理観もちょっと歪んでる?」
くたびれた私たちが一階に戻ると、肩の凝りさえ消えていきそうなほど幸せな香りが漂っていた。
「わぁ……!」
テーブルの上には、たくさんの料理が並んでいた。色々と言いたいところはあるが、この部署の食に対するこだわり、姿勢は素晴らしいと思う。
「こんなご飯、一体誰がいつの間に!」
キッチンの方に目をやると、とんでもない手際の良さで一人料理をしているマーフィー君の姿があった。不覚にも、つけ場で魚を捌き、寿司を握る父の姿を思い出してしまった。
「姐さん、あれは一体……」と私は言った。
「あ~。マーフィー君はウソ発見機なんだけど、おまけ機能の一つとして調理ロボットとしても働いてくれてんのよ」
「もうそれは嘘発見器じゃなくて調理ロボットとして扱ってあげてよ!」
私はマーフィー君を指差して訴えた。
『何ヲ言ウ。マーフィーはあくまデモ嘘を検出スル為ニ開発されタロボット、彼ノアイデンティティヲ否定スルト言フノカ!』
何故かそれを聞いたジュディスが激昂して、私の顔にその合金製のボディを目一杯近づけてきた。
「ウソ発見の機能の方がおまけだろ……どう見ても……」
私はジュディスに聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「うぇーい!」
次の瞬間、マーフィー君が鍋に酒を注ぎ見事なフランベを披露した。そのサービス精神旺盛なパフォーマンスにボスとグレイ先輩、ゼンは盛り上がっている。
『フッ……マーフィーノヤツ、やはり可愛イナ』
ジュディスがマーフィー君の方を見つめてそう言った。弟を見るようなその立ち振る舞いが何故かやたら人間らしく、博士の謎めいたこだわりが気持ち悪いと思った。
「……そういえば、なんでしれっとここにいるのよ。あんた」
『何ダ、居てハいけないト言フノカ!? ロボット差別ダ!』
ジュディスが両手で口元を覆うような仕草をした。こんなポーズまでプログラムに組み込まれているのか……。
「思考回路が厄介すぎる! そうじゃないよ。ただ、今朝はオフィスの隅っこに居た——というか、置いてあったじゃん! あんたメールを処理するロボットなんじゃないの?」
『アア、昨日ハタマタマ博士がワタシの電源ヲ落としッパナシニしテ、忘れていってしまっタだけのコトダ。普段ハ、皆ト同じ生活空間デワタシモ活動していル。ワタシはソモソモ、博士ノ助手トシテ作られタロボットだからナ。博士ノ業務ヲこなすのもマタ、責務の一環に過ぎなイ』
「あっそういうこと……もういいや、頑張んなさい……」
ここまでの忠誠をプログラムされているのに、博士には忘れられ部屋に放置されてしまう不憫なジュディス。彼女(?)に少しだけ同情した。
『ご飯、できたよ!』
マーフィー君が可愛らしい声で私たちを呼んだ。
気が付けば姐さんはいつの間に下から上がってきた博士と、お酒を楽しんでいた。
「アハァ……労働の後だから美味し~。メールの処理しかしてないけどお……」
ゼパイド星人はお酒を飲むと角が桃色になるようだ。どういうメカニズムなのか気になったが、ご機嫌な姐さんに直接尋ねることは出来なかった。
「それじゃあ皆で……いただきます!」
ボスの音頭を皮切りに、私たちはマーフィー君の作った料理を堪能した。
「これは……」
一口食べただけで、思わず声が漏れそうになるほど美味しい。優しい家庭の味。
「うまいぞ!」とゼンも満足げに言った。
「あ、そうか。ステラとゼンはマーフィー君の料理を味わうのは初めてか! うまいだろ!」
言葉を失いながら料理を食べ続ける私とゼンを見て、グレイ先輩は嬉しそうだった。
「美味しい。美味しいんですけど……」と私は言った。
先輩は「そうかそうか」と頷いている。
「……美味しすぎて……キモい」
私だって一応、回らないお寿司屋の娘。ロボットがこんな単なる味の良し悪しだけに留まらない、心にまで染み渡るような奥行きのある料理を作れるなんて、逆に気味が悪い。しかし、スープを口に運ぶ手は止まらない。結局それから食事が終わるまでの間、マーフィー君は微動だにせず塗装された笑顔を私に向け続けていた。
食事と入浴を終えて、部屋に戻った。単純な作業と言っても、やはりずっと画面と睨み合っているのは疲れる。窓の向こうの宇宙をため息をついて眺めていると、ゼノ連盟軍の紋章がついた大きな宇宙船が、エンジンから青い光を吹き上げながら過ぎ去った。
「アレ、主力艦クラスじゃん……」
思わず窓を開け、柵に乗り出して見に行ってしまった。あの戦艦は連盟の所持している中でも最大級の戦艦のひとつだ。中には万単位の人が搭乗して生活しており、動く要塞として宇宙の治安を守っている。戦艦は私のいる小さな窓の中でからどんどんと小さくなっていく。その姿を見つめていたら、自然と声が漏れてしまった。
「はぁ」
ここの暮らしはまだ二日目だけれど、多分これからもやかましく、それなりに楽しいに違いないとは思う。ご飯は美味しいし、何故か素晴らしいお風呂もあるし、部屋も快適。職場の人も、ゼンとジュディスと博士の存在にさえ目を瞑ればいい人たち。でも。
「私もあの戦艦に乗って、宇宙の果てまで行くはずだったのに……」
あの巨大戦艦の乗員に選ばれることを目標にして、ここまで努力してきた。天才だなんて言われるほどに。最終面接に行った時も好感触だったのに、何故こんな小さな聞いたこともない部署でメールを整理しているのだろうか……。うちの人事は、何を思って私とゼンをここに配属させたのか。
「自分にも嘘をつかないでほしい」
ボスの言っていたここのモットーを思い出す。この気持ちを誤魔化すことも嘘になるなら、私はどうすればいいのだ。
悶々としながら煌めく星々をしばらく眺めていると、左隣から声がした。
「どうしたんだよ、ため息ついて」
左を向いてみると、ゼンが私と同じように窓から顔を出してこちらを向いていた。
「え。まさか覗き!? キモい」
とても恥ずかしい姿を見られたような気がした。ゼンは私の態度が心外だったのか、口を尖らせた。
「ちげぇよ! たまたま外見ようと思ったら、お前も居ただけだ!」
「口ではなんとでも言えるよね! 変態!」と私は威嚇した。
「なにぃ!?」
普段は温厚な私だけど、こいつ相手にはつい攻撃的になってしまう。向こうも同じくらい敵対心をこちらに向けているので、心象が悪くなることがなくて助かる。いつもそう思っていたのに、今のゼンはいつになく真剣な顔でこっちを見てくる。星の光のせいか、ゼンの鋭い琥珀色の瞳は純真な輝きを帯びていて、何だか緊張した。
「さっき、戦艦が通ったの見えたか? アレ見て、お前が高校の卒業式で言ってたこと思い出したんだよ。アレに乗るのが目標だって言って、みんなにすげぇって言われてただろ?」
「アレ? あんな大口叩いておいて、結果隅っこの部署でメール整理だもんね……実力が認められなかったのかな。なんでもいいけど、笑っちゃう」
余裕ぶってはいるけれど、段々と何だか悔しくなって弱音を吐いてしまった。ゼンに言ったところでどうしようもないし、こいつには弱みなんか見せたくないのに。
「いや、俺も特殊部隊志望だったから。ここで働くことになって、どう思ってんのかなって」
ゼンが恥ずかしそうに言うので、こちらも余計に恥ずかしくなった。
「な、何……ガラでもないこと言ってきちゃって。でもそうだね。あんたも頭はともかく、身体能力は優秀だもんね。こんなとこでデスクワークなんて勿体ないんじゃないの。辞めんの?」
私は単刀直入にそう聞いた。
「辞めない! 最初はへこんだけど、ここでの暮らしも悪くねぇと思ってるよ。飯は美味いし! 仕事も、いつか変わるかもしれないしさ!」
ゼンは清々しい笑みを浮かべてそう言った。
「前向きだね……ま、それくらいな方が絶対いいと思うけど。私だってそう思う。でも、ここでずっと待ってるのは正直無理。まだ時間があるかも分からない。早く、野望を叶えたいの——って、あ」
ここまで言ってようやく口をつぐんだ。いい歳して野望だなんて、ましてやゼンの前で恥ずかしい。ゼンが相手だと、余計なところまで一々言わされる気がする。でも、こいつは私を馬鹿にしたりしなかった。
「野望って、あいつを探すことか? エアリ=ギンヌンガガプ……」
「えっ」
思わずゼンの顔を見つめてしまった。なんだか今はこいつ相手だろうと口に出した方が楽になれる気がした。
「——そう。そうだよ。エアリを見つけたいの。もう一回会いたいの。友達に戻りたいの。だからそうするために、この宇宙のあらゆる事件に関われる仕事をしたかった——それから、これは個人的な感情なんだけど。色々な星を見てみたかったから……もちろん、この仕事が楽じゃないのは覚悟してるつもり。勝手だし、欲張りだよね」
急に恥ずかしくなって、先細った声で喋るのをやめてしまった。でも、ゼンの反応はまた予想外だった。
「俺がお前でもそうしたいって思ったよ。野望っていう表現がテキセツかは置いといてな。いい目標というか、希望じゃんか」
ゼンが遠くで尾を引いて燃える彗星を目で追いながらそう呟いた。あの彗星はどこまで飛んでいくのだろうか。
「野望よ! エアリを拐ったやつらを突き止めて、全員拷問して爆殺してやるまでが私の目標なの!」
私がそうやって息巻くと、ゼンは困ったように笑った。
「お前ってたまに激しいよな……。でも、いいと思うぜ。あいつも嬉しいだろ」
「そう……かな……」
「ああ」
ゼンのくせに、何故そうやって、私を信じ切った目で見つめられるのだろうか。そういえば、たまにエアリにも同じような輝きを帯びた目を向けられたことを思い出した。
「はぁ……腹たつけど元気出た。ありがと。これからどうするかは、ゆっくり考える」
不本意ながら、お礼を言わざるをえなかった。
「おう」
ゼンにまた屈託のない笑顔を向けられて、なんだか顔が熱くなった。
「——でも、キモいから二度と覗かないで! 話しかけんのも禁止!」と私は言った。
「だから覗いてねぇよ! あ、おい!」
すぐに窓を閉めたが、しばらく星空の向こうからゼンの声が小さく聞こえていた。
背中から勢いよくベッドに倒れ込むと、視界の端に逆さになったエアリの写真が見えた。
「まさかあいつに励まされちゃうなんてね。ムカつく」
冗談っぽくそう呟いた。
「しかしなー。このままずっとメール整理をするわけにもいかないよね……。うちの会社って移動願とか出せるのかな。無理なら最悪退職して受け直すとか……あーダメ! キャリアに傷つくし、同じ会社もう一回受け直すなんて!」
地球の実家から持ってきた抱き枕を殴りながら、私は全く明るいビジョンの見えないキャリアデザインを、眠るまで続けたのだった。
結局そんな調子で、私は何かを決断できるわけでもないまま、時間だけが過ぎて行った。ジュディスと口論しながらオフィスで作業をし続ける、なんとも言えない日々……。憧れのゼノ・エクセルキトゥス社に属している実感は依然として湧かなかった。
一方ここの生活にもだいぶ慣れてきて、変な人たちと賑やかさに過ごすのが少し楽しいだなんて思い初めてしまってもいた。
そして、入社からちょうど一週間が経った日の夕食の後のことだった。
「いやぁ、まさか一週間“も”ここにいてくれるとはね。ほんとにステラとゼンには感謝しているよ」
いつもの如く調子の悪いスピーカー越しの声で、ボスが満足そうな顔をしてそう言った。
「え?」
「まだ一週間っすよ?」
唐突な謝辞をもらって、私とゼンは困惑した。
「何言ってんの。魔の一週間を抜けたのなんて、いつぶりかもうわかんないわ」
姐さんが髪の毛をいじりながらそう言った。
「魔の一週間って何……」
私が怪訝な顔でそう呟くと、皿を拭いていたジュディスがこちらを向いた。今日の皿洗いの当番は博士なのに……。
『簡単ナ話ダ。コノ部署ニ来た新人ハ、殆ど入社一週間と持タズ退職スルノダ』
「えっ……」
「いやぁ、恥ずかしい話なんだがね、何故かみんなやめてっちゃうんだよ。ご飯も美味しいし、各種設備には自信あるんだけどね! はっはっは!」
ボスはわざとらしく大きな声で喋っていたが、その目は全く笑っていない。
「笑いどころ、あるか?」とゼンが言った。
「いや、ない……」
私は珍しくゼンに同意した。
「ウチの部署、業務内容も生活も、入社前に聞いてたゼノ・エクセルキトゥス社の内容と全く違うだろ? それがショックでみんな辞めてっちゃうんだ」
グレイ先輩がこれまた嬉しそうに言った。
「あー……」
博士とボスはともかく、姐さんとグレイ先輩が何故辞めていないのか不思議だったが、そんなことを尋ねる勇気は無い。辞めていった過去の名もなき先輩方の気持ちが痛いほど解ってしまって、何だか悲しくなった。前に進もうともしない私なんかよりも、思い切りよく答えを出してやめていく人が沢山いるのだ……。
「それで、一週間勤続してくれた記念に、君たち二人にはぜひ贈り物をさせてもらいたい!」
ボスは義手の人差し指を私たちに勢いよく向けた。
「なんか貰えるのか! なんなんすか?」
ゼンは尻尾を振り回してはしゃいでいる。
「勤続一週間でそんなに褒めちゃうの、志と期待値が低すぎません……?」
私は苦い顔をした。でも、何が貰えるのかは気になる。せっかくだし、貰えるものはもらいたいのだ。
「贈り物は、制服よ。うちの会社のね」と姐さんが言った。
「えっ……」
「ウッソ! やったぁ!」
その瞬間、魂がすり替わったように私とゼンの表情が反転した。ゼンはきっと何かいい食べ物でも貰えると思ったのだろう。
「な、なんで制服なんだよ! 大体、贈り物じゃなくて当然支給されるもんだろ!?」
ゼンは期待を裏切られたのを受け入れられていない。幼稚園の頃、私も父に誕生日プレゼントとして魚を捌く良い包丁を貰った時、同じような反応をした気がする。
「みんなすぐ辞めてっちゃうから、新人には一週間の間制服を支給しないことにしているんだ。お前らの部署はすぐ辞めるから経費が勿体無い! って、本部に叱られてね。まあ、ウチは滅多に制服も着ないから、あってもなくてもあまり関係ないんだがね」
ボスが間抜けな声で、あまりにも情けない理由を説明してくれた。
「なんだよそれ!」
ゼンは頭を抱えて嘆いている。
「そんな事だろうとは思ってましたけどさ……」
私も憧れの制服をようやくもらえるというのに、素直に喜べない背景を知ってしまって複雑な気持ちになった。
「そういえば、ステラに制服のことを聞かれて、発注はしたけど何故か届かないと言ったよね。あの時マーフィー君が騒がなかったのは、君たちが辞めてもいつでもキャンセルできるように、少し先に用意する日にちを指定しておいていたんだよ。嘘は、ついていないだろう?」
あまり目下の人に気を遣わないことも、中間管理職には必要な才能なのかもしれない。ボスはあまりにも得意そうにそう言うので、私の喜ばしい気持ちもすっかり冷めてしまった。
「あ、そこの種明かしは別に、いらないですね……」
制服が貰えるとだけ言ってくれれば、素直に喜べたのに……。結局一週間ずるずると勤務してしまったけれど、こんな調子では制服を着ることなく早期退職する未来も、私の思い切り次第ではあり得なくも無い話だ。
「ま、まあそれは置いといて……。制服はもう、こっちに届いているんですか?」
このままでは変な気を起こして、よく考えずに退職の手続きを始めてしまう気がして、私は雰囲気を変えるべくそう尋ねた。するとボスは、ゼリー状の体を水の中で弾ませながら笑顔になった。
「フフ……制服は改めて店で採寸して作って貰うから、明日は皆でそこへお出かけだ! メール整理、なしだよ!」
「なるほ——」
「うおおおおお! やったああああああ!」
私を遮って、歓喜の雄叫びが部屋中に響き渡った。その声の主はゼンではなくて、グレイ先輩だった……。ロボットがどのように音を感じているのかは分からないが、ジュディスがディスプレイに映る目をすぼめて、耳を塞ぐ動作をしている。
「一応言っとくけど、ウチで仕事が一番嫌いなの、グレイだから」
絶句する私に、姐さんが囁いた。
「そう、なんだ……」
翌朝、改めてボスからアナウンスがあった。
「さて、じゃあ今日は十時くらいに出発だから、それぞれ準備をしてラウンジに集合してね」
「は~い」
姐さんがそう返事しながら足早に階段を登って自室に戻っていく。私は今更になって気付いたことがあったので、ボスに尋ねてみた。
「そういえば新卒の制服を取りに行くなら、私とゼンだけでもいいんじゃないですか? 丸々業務停めなくたって——」
「たっ確かに! じんてきソース? の無駄だよな! 俺もそれでもいい! と思う……」
「リソースって言いたいの? あんた。あとなんか鼻息荒くてキモい」
ゼンが何故かカタコトになりながら、私の意見に賛同した。なぜか顔が赤いが、熱でもあるのだろうか。
「はっはっは! せっかくだから、我々もたまには服を見たいんだよ! 今日行くのは特別大きい店だしね。すまないね、ゼン。私たちも同行するよ」
ゼンに何故か謝りながら、ボスは間抜けな声で笑った。ゼンはこれまた理由に見当がつかないが、ショックを受けたような顔をして、首を掻いている。
「他の人たちはともかく、あんたは服着てないじゃん!」
上司にするとは思えない態度で私はボスにそう言い捨て、準備をするために部屋へ戻った……。
時間になってラウンジへ戻ると、もう皆集まっているようだった。
「——なんでアンタがここにいんのよ! ロボットは服いらないでしょ!」
ジュディスも何故か出かける雰囲気でそこにいたので、私は歯を剥き出しにした。
『フン、服ニ着ラレテイル奴の戯レ言ナド、認識スルに値シナイ。ヲマエヨリ、ワタシの方がファッションヲ理解シテイルことハ間違イナイ』
ジュディスは偉そうに腕を組み、私の着ている服を上から下まで吟味するように眺めてきた。服が好きな人間には、本当にお洒落が好きな人と、他人に自意識の上で優位に立つためにお洒落をする人がいる。ジュディスのその仕草は明らかに後者のそれだった。
「ち、ちょっとそれどういう意味。私の服がダサいって言いたいわけ!?」
私は歯軋りしながらジュディスを睨みつけた。このジャケットはバイト代で買ったお気に入りなのに!
『フン、自らノファッションヲ他者ノ評価ニ因ッテ疑フようナ奴ニ、カケル言葉ナド無イ!』
「それっぽいこと言ってんじゃないわよ! っていうかあんたも服着てないじゃん!」
ジュディスはふんぞり返って両手のひらを上に向けた。悔しいことに何を言っても負けを認めないこういう相手に対しては、正しいことは言えても負かすことは出来ない。
「まともに相手にする方がアホなんぢゃがの」と博士が言った。
「意外とそういうところは子供だよね~」
姐さんは博士と一緒に遠巻きにこちらを見つめ、冷静に私のことを分析している。
「よし、皆集まったね。それじゃあ、出発だ!」
事務所のパーキングには、第三課の皆の車が停めてある。土地に白線が引いてあるだけで車は野晒しだし、防犯面も大丈夫なのかと不安だが、こんな僻地にまず車上荒らしは来ないであろう。
「そういえば、それぞれ自分の車に乗っていく感じですか?」と私は聞いた。
「いや、みんなでアレに乗るの。うちの部署の宇宙船、オービット二〇〇〇よ」
姐さんが駐車場の一番端に停まっている機体を指さした。
「えっ……アレが?」
「まあ、見た目はアレだけど……乗り心地はいいよ!」と姐さんは言った。
苦笑いをしてしまった。末端の聞いた事もないような小さい部署にも社用の宇宙船を支給してくれるのは、流石大企業なだけあると思う。
しかし、軍部の社用船と聞けば、高速航行が可能で強力な戦闘装備が備え付けられた、所謂カッコいい見た目のものを想像すると思う。しかし、そこにあったのは大きさこそ遜色はないものの、宅配便のバンのようなころっとした形状のものだったのだ……。
『オープン』とジュディスが言った。
何故ジュディスがキーを持っているのだろう……。オービット二〇〇〇のゲートが開いて、タラップが降りてきた。
「お邪魔します……おお!」
かなり広い内装は意外と新しそう。操縦席と客席の後ろにはキッチンやテーブルなども備え付けられていて、地球のキャンピングカーを思い出す。
「乗り心地悪そうだなあ、とか思ってしまいましたが、取り消します!」と私は言った。
「でしょ~? これがアタシたちの船。まあ、ご存知の通りほとんど乗らないんだけどね……」
「あぁ……ハハ」
姐さんがすかさず自虐をしたせいで、私はすぐに苦笑いをする羽目になった。
「フォフォフォ。ワシの趣味が高じて中古の貨物運搬用のを大改造したんぢゃ。至る所にオリジナル社外パーツを着けているんぢゃぞ」
『サスガ博士……』
ジュディスは博士が自慢話をすると決まって、普段表示してる目と露骨に画風の違う潤んだ瞳をモニターに表示し、恍惚の眼差しでそれを聞く。
「社外パーツって車検とか法律大丈夫なんですか?」
内装に感動したのも束の間で、私は急に不安になった。この船にもどうせろくでもない機能があるに違いない。例えば紛らわしい場所に自爆スイッチがあるとか……。
皆がシートベルトを装着すると同時に、オービット二〇〇〇号は離陸した。
「なんで」
星々の光が棒状になって、視界を奥から前へと突き抜けていく。
「……なんでよりによって、ジュディス以外の誰も免許持ってないのおおおおおおおお!」
ジュディスはハイウェイを亜光速で飛ばした。機体の装甲が保つのか不安になる程の轟音と振動を絶えず感じる。私が叫びながら席にしがみついている間、ゼンはすごく楽しそうにしていた……。
結局、あっという間に目的地の星までやってきてしまった。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思ったんだけど!」
オービット号を降りてすぐ、私はジュディスに文句を言った。ジュディスは車のキーを指先でひゅんひゅん回しながら、相手をしているこちらの腹が立つように最適化された首の角度で振り向いた。
『ハン。腰抜けガ。騒イデイタノハヲマエダケじゃナイカ。アノ程度でアアナルナド、流石ペーペードライバーダナ』
「誰がペーペーよ! それ言うならペーパーだし、そもそも私ペーパーでもないし! 事務所までは自分で運転してきたし! 言っとくけど、私だって大型宇宙船舶の特殊免許持ってんだからね」
自分の持っている資格を自ら紹介するというのは中々恥ずかしい行為なので、出来ればしたくない。しかし、これ以上ジュディスにハンドルを任せるのも嫌だった。
「特殊免許持ってたの!? 実はステラの履歴書、資格が多すぎて項目は全然見ていなかったんだよねえ。いやあ、ほんとに素晴らしい人材だ」
部下のスキルを把握するのも中間管理職の役目の一つではないだろうか……。そう思った矢、姐さんが「ボスそれ、結構ダメくな~い?」と言っていた。せっかく資格をひけらかしてやったのに、肝心のジュディスは動じていない。
『フン、ヲマエノ運転ナド、想像ニ容易イ。ヲマエニモ馴染み深イ言葉デ表ストスルナラ、冥王星ノ恒星周期並ニトロいのダロウナ』
「言わせておけば……わかった! じゃあ帰りの運転は私がやってやる! 大学の時に民間の戦闘機パイロットにまでスカウトされたこの私をバカにしたこと、後悔させてやるから!」
『ソノ戦闘機デ、カタツムリでも駆除スルノカ? ガハハ』
「こんのぉ……!」
私は地団駄を踏んだ。いちいち癪に障る機械だ。
「喧嘩もいいけど、せっかくここに来たんだからもう少し楽しくいこうぜ。ホラ……!」
グレイ先輩が指差す先に、ゼノ星系で知らない人はきっと居ないであろう超有名ファッション
ブランド、『BLACK FRILL』の総本店がそびえ立っていた。
ここは、惑星エルラダ。地球人的な感覚で言えばちょうど月と同じくらいの広さの惑星で、星全体が服の工場地帯、倉庫、綿花などのプランテーション、広大な商業施設等ファッションに関係のあるもので埋め尽くされている。宇宙の端端からここへ服を買い求めに、毎日たくさんの人がやってくる。
「私ブラックフリルの本店に来るの、初めてです!」
私は興奮を抑えきれずそう言った。銀河にその名を轟かせる名だたるブランドの旗艦店が集まるエルラダの中心部に今、私たちは立っている。
「散財するぞー! 後でアウトレットも見ましょう」
姐さんも心なしかテンションが上がっているように見えた。
「ステラ達の制服を受け取ったら、今日は思いっきりショッピングしよう!」
平日にも関わらずボスも浮かれた様子で水槽の中を泳いでいる——裸で。
「あんたは服要らんぢゃろ」
博士が冷静にボスの言葉をバッサリ斬り捨てた。対するボスは体を全部真っ赤にして、間抜けな声で反論した。
「私だって、着るときゃ着るよ!」
「そうなの!?」と私は叫んだ。
一体ボスの種族が着る服ってどんなのなんだろう。
そうして私たちは、建物の端が見えないほどに大きく構えた店へ足を踏み入れた。歩いて回ったら遭難しそうだ。屋内にも関わらずバスやモノレールなどが通っていて、歩く人々は皆大量の紙袋や箱を携えている。ショーケースのマネキンは私たち地球人のような直立二足歩行種の姿のものをはじめに様々な種族を模していて、皆洒落た着こなしで佇んでいた。とにかく見渡す限り、服、服、服! ここはいつかエアリと来たいと思っていた場所だ。今回のところはとりあえず下見のためということで、彼女には許して欲しい。
しばらく圧倒されたのち、私たちは採寸の受付に行くため移動カートに乗り込んだ。
「ホントに来ちゃった……すごい!」
首を痛めそうなほどあちこちをぐるぐる見回していると、ゼンが冷めた目を向けてきた。
「わっかんねえな。服なんて着れりゃなんでもいいだろ。俺にとっちゃ動きにくいし、邪魔なだけだ」
そう述べるゼンの胸元には、マジックで名前が書かれたタグが縫い付けられていた。信じられない。高校の時のジャージを着てくるなんて……。目の前だけ体育祭にいるようだった。
「そういう意識でそんな格好してきたわけ? 本気で同じ一行だと思われたくないんだけど」
「何言ってんだよ! これが一番動きやすいだろ?」とゼンが言った。
「服屋でそんなアクティブに動くシーンないし! ファッションはTPOを弁えるもんなんだよ!」
「テ、ティピ? なんだ、タピオカ?」
ゼンはそう言って間抜けな顔で首を傾げた。
「もういい。黙ってて。そんな格好で目立たれたら最悪だから、頼むから大人しくしてて……」
私は諦めて会話を打ち切った。
「ま、いくらなんでもそのジャージはボロいし、せっかく来たんだから後でゼンの服見繕いましょうよ」
姐さんは苦笑いしながら、ゼンを励ますようにそう言った。
「着せ替え人形みたいで楽しいなあ! ドリズラージャケットとかいいんじゃないか? 靴は——」
グレイ先輩と姐さんは前の席で楽しそうに買い物の計画を練っている。どこか現実逃避をするみたいに、無理やりにでも楽しもうとしているようにさえ見えたけれど……。
何度か乗り物を乗り継ぎ、やっと発注カウンターにまでやって来た。
「どうもどうも、採寸と仕立てをお願いしたくてまいりました。公社ゼノ・エクセルキトゥス特務部第三課長のJ・Jです」
ボスは地声と間抜けな声を交えながらも平然とそう申した。
「いらっしゃいませ。ご予約のJ・J様ですね——はい。確認が取れましたので、今からご案内いたします。少々お待ちくださいませ」
深々とお辞儀をしてから、店員はデバイスに何かを打ち込みはじめた。流石は有名ブランドの旗艦店! ボスの声に全く動じないなんて、接客のプロだ。
「あら? もしかして……J? 久しぶりじゃない……!」
店員さんの手続きが終わるよりも先に、聞き慣れない声がボスの名を呼んだ。
「バーバラ……?」
ボスは声の主の方を向くと、目を見開いてそう言った。こんなところで顔見知りとばったり会ったということのようだ。そして、どういうわけだか店員がバーバラと呼ばれた声の主を一瞥した途端、焦ったように顔色を変えてかしこまった様子で一礼した。
バーバラという名前、それから店員のこの反応——まさかと思い声の主の方へ目線をやると、私は顎が外れるくらいの勢いで、ぽかんと口を開けてしまった。そこに居た人物がボスと顔見知りなのが信じられなかったからだ。
「ほ、本物……本物なの!?」
思わずそう声を漏らした。
「え、マジ……?」
「ボス、この方とお知り合いなんですか……?」
姐さんとグレイ先輩は苦笑いしながらそう小さく呟くと、ボスの後ろに隠れてしまった。そうなるのも無理はない。しかし、博士とゼンはこの信じられない事態を全く把握していないようであった。
「誰ぢゃ」
「誰だ?」
まあ、いかにも疎そうな二人だから無理はない……。
「まさか、会えるとは思っていなかったよ!」とボスは嬉しそうに言った。
「アラ、アタシのことを知らない子もいるのね。ま、ジャージに白衣——相当なおイモちゃん。見るからに興味なさそうねアンタたち。もっとも、全裸も居るけれど」
間違いない。バーバラという名前、そして黒いビキニ水着を着用し、目の飛び出た魚のようなゴムのマスクを被っているこの姿——。
「だから、誰なんだよ!」とゼンが言った。
世間知らずも大概にしてほしい。そう思いながらゼンを肘でどついた。
「ちょっと! あの人、まじですごいんだから黙って。知らないとか言うの超失礼なレベルで!」
私はボス達の後ろに隠れるようにして、小声で言った。
「そうなのか。で、誰?」
せっかく私が配慮したのに、ゼンはそれを汲み取ってもくれず、よく通る声で無礼を繰り返した。
「もう! あの方はブラックフリルのトップデザイナー兼代表、グランドアルコールフリー・バーバラさん! 近代史の授業にも出てくるような生ける伝説なんだよ!」
我慢できなくなって、私はとうとう叫んでしまった。
「アラ。お褒めに預かり光栄だわ——アンタはウチの服着てくれてるのね。そのトレーナー、限定カラーじゃない。いい着こなしじゃないの」
宇宙にその名を轟かせる偉大なファッションデザイナー、バーバラが目の前にいる。しかも、そんな人が私のファッションを褒めてくれた!
「ありがとうございます! 親に無理を言って店舗に駆け込んで買いました!」
お気に入りのトレーナーを着てきてよかったと思った。感動に打ち震える体の芯を落ち着けながら、私はバーバラに深くお辞儀をした。
何を隠そう、私の一番好きなブランドはブラックフリル。ここの服はかなりお手頃なのにも関わらずデザイン性に優れ、生地も縫製もいい。端的に言うと最高なのだ。
「バーバラの活躍はいつも見ているよ。しかし、元気そうでよかった」
ボスは笑顔でそう言った。マスクを被っているバーバラの方は表情こそ変わっていなかったが、これまた旧友との再会を心から喜んでいるように見えた。
「そっちこそ……それにしても全然老けないわね、アンタ。羨ましいわ。そういや、天下のゼノ系列の企業に入ったのよね?」
言われてみればボスの種族はシワとかほうれい線とか、加齢による見た目の変化には無縁そうだと私は思った。一方ボスは、仕事のことを話題に出されて気まずそうにしている。
「ま、まあ、ね。今はゼノ・エクセルキトゥス社で——中間管理職を、ね」
こんな時にボスのスピーカーの調子がいつもの如く悪くなり、可哀想なくらい間抜けに見えた。
誰もが羨む大企業に入社したにも関わらず、自分たちはメール整理しか仕事のないような窓際部署だなんて、旧友に言えるはずない……。
「エクセルキトゥスって……アタシたち連盟の中枢みたいなもんじゃない。さすがね! そこの中間管理職やってるなんて。じゃあ、周りのボウヤたちはみんなアンタの部下ってコトね?」
バーバラの方はマスク越しからボスに賛辞を贈った。部下である私たちはどうにかボスの面子を保つためにと、バーバラから必死で目を逸らしている。
「そ、そうなんだよ! もうね毎日忙しくて——」
ボスが何か述べようとしたところで、マーフィー君が警報音を鳴らしてボスの水槽を両手で掴んだ。
「その嘘くらい許してやれよ……」と私たちは一様に思った。
マーフィー君はボスの水槽を掴んだままじっと覗き込んだかと思うと、繰り返し繰り返し頭突きを食らわせ始めた。金属が強化ガラスに当たる鈍い音が響き渡る。まずい、このままではボスの水槽が割れてしまう!
「わ、わかった。嘘だ! 嘘だ! バーバラ、すまない。本当はその、大分アレな部署で……ぜの連盟の治安維持をする我が社らしいことは何もしていないんだ。窓際というか……」
私たちが止めるよりも早く、ボスの方がマーフィー君に降参し、マーフィー君の攻撃が止んだ。バ側から見たら異常極まりない一部始終に一切動じることなく、バーバラは当たり前のように会話を続けた。
「あらまあ。じゃあアンタら、要するにめちゃくちゃ暇ってこと?」
バーバラは腰に手を当ててボスに尋ねた。
「ま、まあ流石に毎日仕事してはいる、んだけどね……」
マーフィー君をチラチラと見ながら、ボスはそう答えた。
「ふぅん……ねぇ、J。暇ならちょっと相談したいことがあるんだけど。話だけでもいいかしら?」
バーバラは辺りを見回しながら小さい声でそう言った。
「えぇ!? 君ほどの者が何を相談するっていうんだい……? 暇ってストレートに言われると傷つくもんだねぇ……」とボスが言った。
「そんな遜らなくてもいいわよ。アタシたち同期じゃないの」
バーバラは余裕のある態度で、ボスを受け入れる姿勢を示した。
「そ、そうだけども……なんだい、相談とは」
「それなんだけど。話はここじゃちょっと出来ないの。とりあえず自室に案内するわ。部下のボウヤ達も来てくれるかしら?」
ボスがこちらを振り向いて頷いたので、私たちは黙ってバーバラに頷いてみせた。
「決まりね。ありがとう。着いてきて頂戴」
バーバラは踵を返すと、楽器を奏でるようにピンヒールで床を鳴らして歩き始めた。
「さっきのマーフィー君、ヤバかったな……」
着いていく途中でゼンが震えながらそう耳打ちしてきた。
「ガチで殺しに行ってたよね……」
そう言って私も頷いた。すっかりあやふやになってしまっていたけれど、制服の受け取りはどうなるのだろう……。あまりにも社会的地位が違いすぎる私たちはただバーバラに付き従い、専用のエレベーターに乗って、彼女のオフィス兼アトリエへと向かった……。
「どうぞ」
エレベーターや乗り物を何度か乗り継いで、ようやくバーバラの部屋に辿り着いた。
「なんだここ!」とゼンが叫んだ。
バ ーバラは来る時にここを自室と言っていたけれど、そもそも部屋だなんて表現をするような限定的な空間ではなかった。うちのオフィスなんかよりもはるかに広く、奥には色々なサイズ、形の機材が沢山並んでおり、目の前にある作業台には作りかけの服や生地、糸、デザイン画などがたくさん散らばっている。ずっと奥に見える壁は一面が巨大な棚になっており、この宇宙中から何年もかけて集めたであろう色とりどりの素材が埋め尽くして極彩色の大壁画のように見間違えたほどだ。流石はブラック・フリルの代表……。バーバラの名が刻まれた名札の置いてあるデスクの真上には、ブラックフリルをこれまで育ててきた歴代の代表の肖像画がずっと並んでいた。
「散らかってるけど、楽にしてちょうだい」
バーバラに促されるまま、私たちはなんとなく緊張しながら彼女の方を向いた。
「——まずアタシのお願いの前に、少しだけ小話をしましょうか……」
バーバラは魚のマスクごしにそう告げてから、話し始めた。長い長い、ファッションの歴史について……。
「アタシ達のブランド、ブラック・フリルの歴史は、大宇宙時代前より地球にて発足した伝説のブランド、『スパイシー・フリル』の時代にまで遡るわ。そこの肖像画——一番左の——その人がスパイシーフリルの創設者。グルテンフリースカイ・セドナ。そしてそのひとつ右の肖像画が、初代専属モデル、サイコよ」
バーバラとはまた違った魚のマスクを被った地球人の男性がセドナ、そしてサイコの方は微笑んでいる様子の地球人の女性らしき人物として描かれていた。サイコの方は帽子を深く被せられ、丸い眼鏡をかけているようには見えるものの、顔を隠されるように描かれているのが印象的だ。
「セドナとサイコが活躍していた黎明期のスパイシーフリルは、優れた作品を世に出し続けていたにも関わらず、ごく一部の人間にしか評価されなかった……。そこのマネキンに飾ってあるのは全部、初代のセドナがデザインした服よ。設計図を元に、何代か前の代表が復元したもので、オリジナルではないのだけれどね……。サイコが載っている雑誌も、セドナのデザインした資料も、歴史の波に翻弄されほとんど消失してしまったの……。一眼、本物を見てみたかったわ」
この空間の左の壁面はガラス張りのショーウィンドウになっていて、見た事もない服を着せられたマネキン達が並んでいた。地球史の授業で見た超古代文明の、王族の棺に似ているデザインの服や、一見黒い布切れに見えるような服が着せられているものまである。バーバラはその目の前に立ち、どこか悔しさを滲ませたため息を吐いた。
「そんな大変な時期を超えて……ここまで成長してきたんですね……」
今見ても前衛的なファッションを、遥か昔に既に作り上げていた初代。私はその歴史に思いを馳せながらそう言った。
「なんでちょっと涙ぐんでるんだよ、お前」
ゼンはファッションを分かっていないからそんな顔をできるのだ。無視をしてハンカチを目に当てた。
「そして地球がゼノ連盟に加盟したのを皮切りに、宇宙と地球が繋がり——大宇宙時代が始まる。大量に流れ込む異文化、異種族との交流によって急速に変化していく地球のファッションシーンに対応するため、スパイシーフリルは遂にブラックフリルとして生まれ変わった。『地球カワイイ』をコンセプトに、それまでのアバンギャルドなスタイルから一線を退き、豊かで多岐にわたる地球の文化をデザインに取り入れたファッションを展開して、それを宇宙に発信してきた……」
バーバラはマネキンの入ったケースに手をかけ、物憂げに続けた。
「ブラックフリルはじめ、地球のファッションブランドの進出は宇宙全体の服飾文化に大きく影響を与えたわ。オリジナリティのある服を作りあって競い合うアタシたちブランドや、デザイナーの存在。そして服を世に送り出すためのショーやモデル、広告の世界。そして消費者である顧客もSNSを通じて自ら発信する——着衣の文化のある惑星はたくさん存在するものの、そういった地球のファッションを取り巻く全体の構図が、宇宙の中でも唯一無二だった……。そんな背景もあって、地球は今日に至るまで、宇宙の中でもアパレル業界の最先端を走り続けているのよ」
私の今着ている服も、この長い長い歴史を経てここにあるのだと思うと、何だか重たく感じてきた。
「——と、ここまでがアタシ達のブランドの歴史ってところね。今やウチの会社は、宇宙最大級の企業であるあんたたちゼノグループの礼服から工場の作業着まで、さまざまな衣服の発注を一手に引き受けるまでにも成長した。そんでもって、この度アタシ達の原点、スパイシーフリルが発足してから丁度二千年を迎えるの」
「二千年!? 大きな節目じゃないか……。バーバラは凄い時にブランドを任されたんだね」
ボスが丸い目をさらに丸くして、水槽ごと震えた。
「そう、大きな節目よ。ここからはまだ公開前の情報だから、極秘にしておいて欲しいのだけれど——アタシ達はその節目の記念イベントにて、記念のファッションショーをゲリラ開催する予定なの」
バーバラが一枚のチラシをこちらに見せた。“BLACK FRILL Memorial Collection”と記され、下にはランウェイでポージングをしている人のイラストが描かれている。
「アタシは今回のショーを絶対に成功させたいし、妥協はしたくないの。歴代のデザイナー、モデル達に恥じないよう、ね。サイコとセドナから築き上げられてきたこのブランドの大きな節目に、アタシがトップとして居られることは、とても名誉なことだと思っているから」
窓の向こうで、“BLACK FRILL”のロゴが入った貨物船が、宇宙の何処かへと飛び去っていくのを眺めながら、バーバラはそう言った。
「自分の仕事に対してあそこまで真剣になれるのって、カッケェな……変なマスク被ってるけ——ってイデデデ!」
ゼンが感心した様子で余計なことを言いかけたので、私は咄嗟に耳を引っ張った。
「前置きが長くなってしまったわね。アンタたちには、アタシのショーのフィナーレの演出に協力してもらいたいの」
「そ、そんな重大な役目を!?」
ボスが間抜けな声で驚いた。ボスのマイク、今日は一段と調子が悪いみたい……。
「今回のショーのテーマは、未来への前進……そのショーのフィナーレに相応しい衣装を、今回制作したの。これを見て頂戴」
バーバラが机の上にあったリモコンのボタンを押すと、向こうでシャッターが開き、豪奢で力強い意匠を凝らしたディテールの服を着た、私たちの何倍も背丈のある巨大な二本足のマネキンが現れた。
「な、何これ!」と私は声を漏らした。
どこの異星人に着せるものなのだろうか。その服はボンネットから溶けるように布が重ね合わされ、妙な緩急のあるデザインで、地球のバレリーナをモチーフにしたようなシルエットに仕上がっている。
「アンタ達にコレを着せるモデルを、見つけて欲しいの。もちろん、タダでとは言わないわ。報酬も支払う。それに引き受けてくれるんなら、さっきカウンターで予約してたわよね? ボウヤとお嬢ちゃんの制服は、アタシが直々に仕立ててあげる。どうかしら」
バーバラはそう言いながら報酬の金額を電卓に打ち込み、私たちの方へ提示してきた。
「バーバラさん直々に……? し、しかも、四百万ジルって!」
「おおー?」
トップデザイナー直々に仕立てられた制服……絶対に袖を通したい! ゼンはいまいちその価値を分かって居ないようだけれど……。ボスはバーバラの提示した条件が良すぎることをなんとなく訝しんでいるようだ。
「社則的には一応、後で申告さえすれば個人的な依頼や相談に乗るのも全く問題ないんだがねぇ……。その、もう少し詳しく教えてくれるかい?」
バーバラは息をつき、力が抜けたように笑った。
「ごめんなさいね。含みのある言い方は辞めて、単刀直入に言うわ。惑星09-32に生息している生物。『バーガックス』の野生個体を一頭捕まえてきて欲しいの。もちろん、怪我もなく元気な状態でね。そのコにあの衣装を着せて、ファッションショーのフィナーレに出したいのよ」
バーバラの口からバーガックスという言葉が出た瞬間、ゼン以外の私たちは震え上がった。
「えぇぇ!?」
「なんだ? ハンバーガー?」とゼンがとぼけた声で言った。
「ややこしくなるから黙ってなさい」
姐さんはゼンに呆れていた……。
「ちょっと。バ、バーガックスって、本気なのかい? 宇宙でも指折りの危険生物じゃないか。それをショーに使いたいなんて、バーバラ。意思は尊重したいけれど、それにしたってそれを私たちに捕まえてこいって……いうのは、ねぇ……?」
ボスは水槽の中であたふたと泳ぎ回りながらそう言った。バーガックスは本当に獰猛な生物。動物園で展示するのも本当に難しくて、宇宙中を探しても数カ所でしか展示されている場所はないはず。そもそも、捕まえる云々もそうだけれど、あれに服を着せてランウェイを歩かせるなんて、無理な話だと思う。言葉を濁すボスを前にしても、バーバラは諦めない。
「もちろん無理を承知でお願いしているの。失敗しても制服の仕立てはアタシがやるし、手間賃として報酬の半額と経費は払うわ。どう?」
「ど、どうって言ったって、なぁ……。そんなに受け取れないよ! 動物園から借りてくるとかはダメなのかい?」
ボスは完全に断る方向で話を進めたいようだ。水槽の中で浮いたり沈んだりしながら、バーバラの顔を伺っている。バーバラは首を振った。
「無理よ。実はずっとフィナーレの演出が物足りなくて悩み続けていたの。昨日の未明にふと思いついて、服をデザインして実際に制作を終わらせたのがついさっき。二千年記念の日は明後日に迫ってる。動物園にコンタクト取って、許可取って借りてなんてやっていたら、間に合わないかもしれないわ。そもそも、許可も取れるかはわからないしね。とにかく二日後のショー本番までにどうにか可能であれば連れてきて欲しいの。ダメだったら予定通りの演出のみで終わらせるから」
バーバラはバーガックスのために仕立てた素晴らしい衣装に手を添えた。
「今回のショーのテーマを体現する力強い生物……ありのままの、野生に近い個体のバーガックスに、ランウェイを歩いてもらいたいの」
切羽詰まっているどころの話ではないようだ。ボスは今に泡を吹いて倒れそう。内容も期限も、無茶振りが過ぎる案件だった。バーバラが仕立てた制服……、着たかったけれど、これは諦めるしかない。ボスは義手を盾のように体の前に出し、指の隙間からバーバラに断りを入れようとしている。
「ち、ちょっと待ってくれ……! そんなシビアな内容と期限じゃ、流石に引き受けられないよ——」
「そう……」
バーバラがバーガックスのマネキンから手を離そうとしたその時だった。
「やろうぜ!」とゼンが言った。
「ちょっと、何言ってんのよ! 無理だって!」
私はそんなゼンを諌めた。他のみんなも困惑した表情で、鼻息を荒くしているゼンを見つめたが、博士だけはどうしてか落ち着き払っていた。ゼンは私の方に、またあの真剣な眼差しを向けた。
「諦めんのかよ!」
「だって……」
無理じゃない。そう言おうとしたのに、何故か言葉が詰まってしまった。私が俯いていると、ゼンは構わず捲し立てた。瞳に宿る光が、どんな星よりも輝いて見えた。
「メール整理以外の、しかも他の星での仕事だぞ! お前、宇宙の隅から隅まで飛び回るのが夢なんだろ? せっかくのチャンスだ。ここでやらないと! 報告書でアピールしてやろうぜ、俺たちが出来るってことを」
私はここまで馬鹿になれないし、ここまで強くない。
「で、でも、失敗したらどうすんの。それも報告書に書かないといけないんだよ。ただでさえ、今なんの会社にいるのか分からないような状況で……窓際部署が仕事に失敗しただなんて言ったら今度こそ、生涯メール整理以外やらせてもらえなくなっちゃうかもしれないじゃん」
私は小さい声でそう言った。勢いに任せて、ボスや先輩達には知らせたくなかった醜い本音がもれた。ゼンは諦めない。私の分まで前を向いている。
「お前、天才なんだろ? どうにかして成功させればいいだろう。上手くいけば、これからもっと色々な仕事だってできるようになるかもしれないじゃんか」
「それはそうかもだけどさ……」
どうしてだろう。ゼンの言葉にこれ以上にないくらい背中を押されている。あと一歩。でもこれだけは誰かに押してもらったり引っ張ってもらったりするんじゃなくて、自分で踏み出さなければいけない。私にもその勇気は、あるのだろうか。
「ゼン、ありがとう。残念だけど……アタシ達には無理よ」
そう姐さんが申し訳なさそうに言った。
「姐さんは医者だろ! 姐さんが居れば、多少俺が無茶して怪我したってなんとかなる!」
姐さんは、いきなり褒められたのが照れくさかったのか、ツノと頬を赤らめた。
「そ、そんなに褒めないで……」
姐さんをよそにゼンはみんなを見て続けた。
「俺は——雑に頑丈で、雑に強い! ガグーアの誇り高き戦士だからな。ステラは何でも知ってるし頭がキレる。俺にはよくわかんねぇけど、めっちゃ資格とかも持ってるし。博士は人格が終わってるけど、すげー技術がある! ジュディスは運転できるし、ロボットだから計算とかが早い。マーフィー君は嘘がわかる。ボスは……えーと、声たまにがカッコいい! グレイ先輩は……うん。性格がいい。あと料理ができる!」
最後らへん、雑だ……。しかしそれを指摘するのもかえって失礼だと思ったので、私は黙っておいた。
「なあ、もっと他に、あるだろう? なあ……」
グレイ先輩は消え入りそうな声でつぶやいた。
「うぅ……」
ボスに至っては泣きそうになっている……。私たちは真面目な場面でもいまいち締まらないのだ。
「と、とにかく俺たち、いいチームだろ? やってみようぜ!」
私たちはゼンにこれだけ揺さぶられても、最後の一歩が踏み出せない。
「君たちの失敗は聞いているよ。勝手に仕事を引き受けた上、失敗して当社の信頼を損なった。しかも、大物デザイナーの仕事。失敗しておいて半額報酬をもらうだなんて、恥ずかしい。言語道断だ。全員、クビだよ」
だとか会社に言われるような、最悪な未来を想像してしまう。ゼノグループは公的機関としての役目も担っているから、仕事のクオリティに関してはこと厳しいのは有名だ。ボスはゼンを説得しようと、水槽の中から彼の顔を見上げた。
「そ、それはそうかもしれないが……メール整理が我々の役目だから——」
ゼンは折れそうになく、一層熱くなっている。
「みんな本当にそれで良いのかよ! こんなに宇宙は広いんだぞ! どうしてこの会社に入ったのかはわかんねえ。でも、よりによって軍部なんてそれなりに強い気持ちがないと入らないんじゃないのか? メール整理よりやりたいこと、みんなにはねえのか? 俺はある!」
ゼンがいつになく真面目だった。いつか、体育祭の時もこの顔をしてたっけ。
クラス対抗リレーの時のことだった。この結果にクラスの優勝が懸かっていた。運動が苦手だったマヴレちゃんにバトンが渡ったときに、うちのクラスは大差をつけられてしまい、最下位になった。誰もマヴレちゃんを責めたりしなかったけど、きっと本人は理不尽な罪悪感や悔しさを感じて辛かったのだろう。バトンを渡した後に泣いてしまったのだ。
ゼンはその時、マブレちゃんに駆け寄って「あとは俺に任せろ」とだけ言ってスタート地点に立った。
アンカーだったゼンは、一瞬で他のクラスをごぼう抜きにして一位でゴールした。トラックにつむじ風が巻き起こりそうな凄まじい走りだった。そもそもガグーア人の身体能力に着いていける種族なんて、ほとんどいないのだけれど。
「すごい……」
あまりに爽快な抜きっぷりに、マヴレちゃんはそう感嘆の声を漏らして泣き止んでいた。
そして、うちのクラスは見事総合優勝することが出来た。
「お前がちゃんと走ってバトンをみんなに渡してくれたから、勝てたんだぜ」
皆が喜ぶ中で複雑そうな顔をしていたマヴレちゃんに、ゼンはそう声をかけていた。あの時だけは……ちょっとカッコいいななんて、思ったりもした。今は違うけど。断じて。神に誓って。
「——ボス、私も、私もやっぱり! この案件受けるべきだと思います!」
ゼンのお陰なのが癪だったが、やっと踏み出せた。
「ス、ステラ……新卒としてキャリアを積みたい気持ちはわかるが、私だって皆に何かあった時のことを考えてだね……。責任を持たねばならない立場なんだよ……」
ボスの声は相変わらず間抜けだったが、今は切実なものを感じた。勿論、管理職は私の想像が及ばない程に大変なのだろう。それでも、たとえ失敗してクビになったとしても、私は現状を変えるチャンスが欲しかった。
しかし私が言い返すよりも早く、一番想像だにしていなかった人が味方になってくれた。
「ワシは、この小僧のバカに付き合うのもありぢゃと思うぞ」
と、先ほどまで目を閉じて話を聞いていた博士が、ボスに長くてくねった首を向けて言った。
『フン、タダの馬鹿ダト思ッテイタガ、中々骨ガアルジャナイカ。ワタシモ賛成ダ』
博士にただ同調しているのか、本気でそう思っているのか、その両方なのかは分からないが、ジュディスもゼンを褒めつつ、賛成の意を伝えた。
「え、マジで言ってんの?」
ボスはそれから、助けを求めるように黙っていた姐さんとグレイ先輩の方を向いた。
「——もう黙っていられない! 行きましょう! 俺だってできるってことを絶対に見せつけてやる!」
息巻いているグレイ先輩は、ゼンのせいで傷つけられた個人的な沽券のために乗り気だった……。
「まあ、無理そうだったら帰るっていうんなら、いいんじゃない? 新卒で何も悪いことしてないのにウチに配属されて、ずっとメール整理だけっていうのも可哀想だし。ちょっとピクニックに行くとでも思えば」
姐さんも、ゼンの言葉に心を動かされたのか、素直ではないが賛成してくれているようだった。ボスはいよいよ追い詰められたという顔で、機械の手で頭——ではなく水槽——を抱えている。
「君たちまで……でも流石に……」
ボスは水槽の中で目をつぶっている。
「あとはボスが許可を出すだけです! お願いします」
柄にもなく、私も熱くなってしまっている気がする。私がボスに一礼してから追い詰めるように凝視していると、バーバラもそれに乗っかってきた。
「アタシとしては、引き受けてくれたら助かるんだけどねぇ。しかも、感動の再会を果たした盟友に」
「そういうの卑怯だとは思わないかい!?」とボスは叫んだ。
「やろうぜ! ボス!」
ゼンが真面目な顔でもう一押しした。
「んんん、わかった! 負けたよ! やりましょう。でも危険だったらすぐ諦めるからね! 決定権は私にあるから!」
ボスは遂に折れた。
「よっしゃああああああああ!」
歓喜の声を上げる私たちの中でも特大の声をあげたのは、グレイ先輩だった……。プライドを傷つけられると、燃えるタイプの人なのだろうか。
「決まりね。じゃ、よろしく頼むわね。J」
バーバラが、やってしまったと言わんばかりに瞳孔を小さくするボスに、信頼がこもった声色で伝えた。
「はあ。若い子のエネルギーって、凄いものだね」
「アラ、アンタだってアタシだって、そういうエネルギーで進んできたのよ。とにかく、楽しみに待ってるわ。アンタ達の制服はその間に用意しておくから。気楽に行ってきて頂戴。死なないでね」
バーバラは私たちの方に向き直ってそう言った。
「まかせろ!」
「本当に、大丈夫かなぁ……」
ゼンが威勢よく返事する裏で、ボスは心理戦に疲れたのかぐったりとしていた。
こうして私たちは、エルラダを一旦後にして、バーガックス捕獲作戦を決行するべく惑星09-32へと向かった。ジュディスの危険運転で……。
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