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第二話 快適な職場と奇妙な恋バナ
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そうして勤務時間内だというのにも関わらず、盛大な宴が開かれた。私は遠慮したが、ゼン以外の皆凄まじい勢いで飲酒している。ボスもその義手でグラスを持ってはいるものの、一体どうやって水槽越しに食事を摂っているのかは見ている限りではわからない。たくさんの料理はグレイ先輩とジゼ姐さんが作ってくれたらしく、定番のものから、見たことのない料理まで色々なものがあったが、どれも美味しい。
「うめぇ!」
馬鹿な同期のゼンは大皿を抱え、品もなく料理をかき込んでいる。博士が開発したという全自動調理マシンが提供する料理も、驚くべきことにとても美味しかった。こんなにも素晴らしい技術力があるのに、博士は一体何をやらかしてここに左遷されたのだろう——。
「せんぱ——じゃなかった、姐さん、これとっても美味しいです!」
地球でいう唐揚げに似た料理があったので、ひとつ手をつけてみると止まらなくなった。ジューシーかつ、どこかの特産のスパイスを使っているのか、芳醇な香りがたまらない一品だ。
「よかった~。今度作り方教えるわよ。それにアタシも、地球の料理教えて欲しい」
「もちろんです! 私、こう見えても地球の郷土料理屋の娘なんですよ」
ジゼ姐さんは意外そうな顔をした。
「あらぁ、そうだったの? なんて料理?」
「私は地球の、ニッポンという地域の出身なんです。ニッポンには古くから伝わる寿司っていう魚介類とお米で作る料理があるんですが、私の父はその職人なんですよ」
そう、私は寿司屋の娘。まだ残暑が厳しい秋の運動会に、お父さんが豪華な握りの三段重を作ってきて、案の定全部ダメになっていてお昼に何も食べられなかったのも、今となっては思い出だ。でも、寿司と聞いてもジゼ姐さんはそれをイメージできてはいない様子だ。
「スシ……? 聞いたことないわ~。私の故郷って水棲生物があんまりいないから、魚介類もあんまり食べたことないし、めっちゃ気になる」
私はつい得意げになって、熱弁を続けた。
「地球には寿司以外にも美味しい食べ物がたっくさんあるんですよ! 私、レシピの本も持ってきたので、作ります。みんなにも食べてみてほしいです!」
「いいわね~! すぐ近くの惑星———あそこには大きなスーパーとかもあるから、いろんな食材も手に入るだろうし、いろんな星の食材を組み合わせて、創作料理を考えるのとかも実験みたいで楽しそうね」
姐さんはラウンジの大きな窓の向こうに浮かぶ、地球に似た惑星を指差した。
「実験とな!?」
博士が大好きな言葉を耳にして、子供のように目を輝かせた。
「博士は違法なヤツを入れそうだから台所には立たせたくないです」
私はすぐ博士の希望を打ち砕いた。調理マシンというのはきっと博士が疲れていた時の作品なのだと思う。嫌いな言葉が『倫理観』などと笑顔でのたまう博士によって、あんなに素晴らしい料理を作る発明品が生み出されることなんて、そうでもなければあり得ない。
「失礼な! ワシが入れるとしたら法律にギリ触れていないヤツじゃ!」
博士はこれ以上にないほど真剣な顔で怒っていたが、冗談じゃない。
「脱法ってこと!? それもダメだから!」
私たちのやりとりを満足そうに聞きながら、グレイ先輩は灰色の顔を赤らめ、笑っている。
「いやぁ、久しぶりに賑やかで楽しいなぁ…! ハハハ!」
お酒に酔っているようだったが、裏表なくただ朗らかに笑うだけのグレイ先輩ほど良い人を、私は今までほとんど見たことがなかった……。
「まったくだ! フレッシュな新人が来てくれて助かる。あとは一週間以上居てくれるかどうか……」
後半は何を言っていたのか聞き取れなかったが、ボスも何やらしんみりしながら水槽の中で頷いている。
みんなで楽しくご飯を食べている中、私は今更ながらこの部署について殆ど説明すらされないままなのが、段々と不安になってきた。就職したい会社については入念に調べてきたつもりであったが、特務部第三課なんて聞いたことがない。嘘をつかないのがここのモットーだというのなら、黙っているよりも、聞いてしまった方がいいかもしれない。
「——そういえば今更なんですが、私、業務内容とか全く把握してなくって……どんな仕事をするのか教えていただきたいんですけど」
私は、ここの人たちが漏れなく変な人達であると、この数時間で十分理解したつもりだったが、それはもっと、想像を絶するようなレベルであるということに気が付いていなかった。
「ステラ! いい加減にしなさい!」
ボスのスピーカーの調子が一瞬だけ直ってあの渋い声に戻り、怒鳴り声の迫力が何百倍にも増した。上司をついに怒らせてしまった。恐る恐るテーブルを見渡すと、他の先輩方も食べる手を止めて、私の方に険しい視線を向けている。最悪だ、仲良くなれたと思ったのに……今度こそ職場で居場所がなくなってしまう! ボスの声はまた間抜けになったが、その腱膜は失われなかった。
「仕事のことなんていいじゃないか! 明日、明日から頑張ればいいんだ、冗談じゃない。食事中まで仕事のことを考えなえればならない世の中なんて、間違っている! それが宇宙のあり方と誰かが言うのなら、私はこの宇宙の全てを否定してやるよ」
「でも今、勤務時間じゃ……」
私が気圧されながらも小さい声で尋ねると、ボスは拗ねたように「今日はいい! いいの!」とだけ言って自分のグラスに酒を注いだ。
「そうですね……」と私は諦めたように言った。
「分かったならよろしい!」
乾いた笑顔を浮かべる私を見て、ボスは満足げになった。
「はぁ」
呆れてため息を漏らすと、ジゼ姐さんは優しく私に話しかけてくれた。
「仕事の話は絶対嫌だけど、そういえばここの建物の案内をするの忘れてたね。案内してあげるから、食休みがてらちょっぴり見学しない?」
仕事の話を忌み嫌いすぎなのではないか。だけど確かに、これからここで暮らし、働くというのに、トイレやお風呂の場所、自分の部屋もわからないのは不便すぎる。
「確かに! 見たいです!」
「じゃあ決まり~。ゼン、アンタも一旦食べるのやめて一緒においで。博士の分のなくなっちゃうでしょ。首が長くて食べ物を飲み込むのが遅いの」
「あっ! 俺としたことが……確かに、博士の首グネグネだもんな。分かった! 姐さん!」
私とゼンは席を立って姐さんの後に続いた。博士はその間も何か言いたげにこっちを睨んでいたが、食べ物が長い首を通っている途中なので何も喋ることができなそうだった。
姐さんについていき、私たちは広間の奥にある階段を登った。
「とりあえず、トイレは各階にある。そんで、アタシたちのも、アンタたちのも、部屋は二階ね」
階段の上に、七つの同じ形をしたドアが並んでいる。姐さんの口ぶりからして、この階が社員寮ということなのだろう。
姐さんは手前から三番目にある、ピンクのプレートが掛けられた扉を指さした。
「アタシの部屋はここ。まあ、何か聞きたいことがあったらそこのインターホン押して。アンタたちの部屋については送った書類の通りよ。えっと……ゼンが二〇五号室で、ステラが——」
「二〇六号室です! どんな部屋か楽しみ——えっ? 二〇五って……」
部屋番号を覚えていた私は、今になって最悪な事実に気が付いた。
「お、お前、俺の隣の部屋なのかよ……! く、くそ! サイアクだ!」
ゼンがいかにも嫌そうな顔で吐き捨てた瞬間、下の階からマーフィー君が嘘を発見した時のサイレンが聞こえた。博士かボスがろくでもない嘘をついて、グレイ先輩を困らせでもしたのだろうか。そんなことは今、問題ではない。ゼンの隣の部屋など、縁起が悪すぎる。私の方から願い下げだ。先に嫌がられたのがとても悔しい。私が何を言っても後出しになってしまう。
「ああ、嫌なら部屋替えてもらうよ。職場で無駄にストレス溜めるのもね」
相手にしない作戦。まだ幾つか空き部屋もあるみたいだし、私もゼンの隣部屋にならなくて済む。多少私のプライドに傷はつくが、これくらいなら安いものだ。だが、ゼンの反応は私の思惑とは真反対のものであった。
「え、えぇ!?」
ゼンは目を丸くして、地中に棲む地球の固有生物ミミズのようにうねらせて言った。
「なんで困ってるわけ!? アンタが言ったんでしょ。言いづらいなら私がボスに頼んでくるからいいよ!」
ゼンは何か言いたげだが、馬鹿だから言葉が出てこないのだろうか。何を慌てる必要があるのか、頷くだけで問題ない筈なのに。左を向くと何故か姐さんまで私の方を向いてあたふたしているようで、ツノが虹色に点滅していた。
「ね、姐さん……どうしたんですか?」
「あ、あのね、ステラ。部屋はほら、荷物の移動が大変だから、決まった部屋を使ってくれるかしら……?」
姐さんは明後日の方向を見ながら、固い笑顔でそう言った。
「でも私、荷物もまだ運び込んでないし、まだ空き部屋もあるみたいだし、私がそちらを使えば良いんじゃないですか? 今からならかかる労力は一緒だし!」
私はみんなが幸せになる解決策を提示した——というか、あまり考えなくてもこうすればいいと思うのだが……。しかし、私がせっかく筋道を立てて説明したのにも関わらず、姐さんのツノはさらに激しく点滅しだし、ゼンは額に脂汗さえ浮かべていた。
「え、あの……二人ともどうしちゃったの? とにかく、私ボスにお願いしてきます」
「あぁっ! ダメ!」
私は姐さんを無視して階段を下って、ボスの方へ向かおうとした。すれ違いざまに見えたゼンの顔は、唖然としていた。まるで、私が隣でないと困るかのような——こいつに限ってそんなことはないというのは、分かりきっているけれど。階段のちょうど真ん中ほどまで降りたところで、話が聞こえていたのか、ボスが向こうから登ってきて、私の前で立ち止まった。
ボスの背後でグレイ先輩と博士が、アンテナを点滅させるマーフィー君を押さえつけて何やら揉み合っているのが見える。あの数分の間に何があったのかは分からないが、誰が嘘をついたにせよ、嘘をついたのなら私と同じく、マーフィー君からのお仕置きを甘んじて受けるべきなのではないかと思った。
「ボス! 聞こえてましたか? それで私、部屋の場所を変更したいんですけど、構いませんよね?」
私がそう尋ねると、ボスは水槽の中で大量の泡を吐いた。急いで階段を登ってきたようであったが、動いたのは反重力ユニットの水槽の方だし、ボス自身が息を切らしているのが不思議だった。
「ぼごぉ……その、ステラ。申し訳ないが予定通り、二〇六号を使ってくれ」
ボスはもはや何かに駆り立てられているかのように鋭くそう言った。
「えっ!? ボスまで一体なんでですか!」
ボスの態度もまた不可解で、後ろの博士達、そして上の階の姐さんの方をチラチラと気にしている。
「いやぁすまない。その、実は他の空き部屋はとんでもなく汚れているんだ……。見た目はなんら変わらないのだがね。その、前に博士がやらかして、危険なガスが充満していてね……ステラとゼンの部屋はクリーニングをしたんだが、他の部屋はまだでね。それから、上が抜き打ちで施設をチェックしに来ることがあるんだ……登録した書類通りにしておかないと、評価を下げられたりしてしまうんだよ」
ボスは目線を落ち着かせずに、私に理由を説明した。色々と、というかほとんどの内容が腑に落ちないが、上司が言うのならば仕方ない……。
「は、はぁ……。まあ、わかりました」
「分かってくれるかい、ありがとう……」
ボスは機械の腕で、汗を拭うような仕草をしてみせた。なんとなくボスは嘘をついているように感じたが、マーフィー君は静かだったので、私の直感が間違っているのだろう。それにしても、上の階のゼンは何故ガッツポーズをしているのか。姐さんのツノも点滅をやめ、グレイ先輩と博士の方も、顔を見合わせて頷いている。みんなの様子を訝しがる私とは対照的に、ボスはわざとらしいほどに笑顔になって、二階を指さした。
「そ、そうだ! ステラ、部屋を見てきたらどうかな!? 昨日到着したゼンは見たけれど、君はまだだろう」
ボスの言う通りだ。ゼンの隣部屋とは言え、この建物の雰囲気からして、自室の雰囲気もきっと意外に悪くないに違いない。
「それもそうですね!」
私は再び階段を登り、自分の部屋のドアの前まで向かった。
「じゃあ、開けるわよ~」
姐さんが私の部屋の鍵を開けた。
「広い!」
部屋は思ったよりも大きかった。備え付けの家具は新品のようだ。部屋の奥一面が大きな窓になっていて、そしてその向こうにベランダがある。丁度我が社が誇り、私が憧れる宇宙戦艦が遠くの方を飛び去っていくのが見えた。
「空調は完備だし、お手洗いも各部屋に備え付けてあるの。あ、あとテレビとネット環境もあるから安心してね。冷蔵庫は申し訳ないけど、一階のを使うか、自分で買って取り付けて。あとでステラは荷物を運び込まないとね。アタシたちも手伝ってあげるから」
「はい! ありがとうございます! 私今、結構テンション上がってます!」
私の目はきっと、星々にも負けないほど輝いていることだろう。
「ふっ……かわいい——こんなところだけど、生活の快適さは保証するよ~。それじゃあ、次は三階に行こう」
姐さんは一瞬私の方を蕩けた笑顔で見つめた後、廊下の一番奥まで歩いて行った。
奥にエレベーターがあり、姐さんがボタンを押すと、小気味の良いベルの音が鳴ってドアが開いた。
「ウチは地上四階建て、地下二階建てで、あと屋上があるわ。エレベーターは屋上から地下一階まで行けるの」
姐さんが三階のボタンを押しながら言った。
「あれ、地下二階にはなんでエレベーターが止まんないんだ?」
ゼンが首を傾げると、姐さんは心なしか深刻そうになった。
「地下二階は博士のラボなのよ。博士は二階に個室を持ってない代わりに、ラボ兼自分の個室としてそこを使っているわ———前に致死率百%の毒ガスが漏れたり、培養したホムンクルスが暴走したり、夜中に博士の部屋から火事が起こったりとか……それで、これ以上はまずいと思った私たちは、ちょっと前に予算をはたいて地下二階にラボを増設したのよ………。そうすれば博士も心置きなく実験できるでしょ……」
「えぇ……」
明らかに穏やかではない言葉が続々と登場して、私は青ざめた。規模が著しく小さいこの部署に、そんな金食い虫の博士がいて大丈夫なのだろうか……。
「ってかホムンクルスって……その後どうなったんですか……」
博士は私の想像していた以上に、物語に登場するような王道のマッドサイエンティストらしい。その話が本当なら、宇宙法で禁じられた実験を行ったことになる……。姐さんは何も答えず、意味深な笑みを浮かべるのみだったのが余計に恐ろしい。
「それなら、仕方ないっすね……」
流石にゼンも納得したようであった。
「ま、まあ! 博士はちょっとやばいけど、優秀な科学者なのは間違いないから!」
姐さんは難しい苦笑いをしてみせた。
「そ、そうですね……」
姐さんの雑なフォローに、私はとりあえず同調した。博士は恐らく、見た感じではこの部署で一番のお年寄りなのに、一番の問題児……。そんなことを考えていると、エレベーターのドアが再び開いた。
私たちは姐さんに促されて、エレベーターを降りた。三階はエレベーターホールと、その奥にある、透明な壁で区切られた大きな部屋の二つで構成されているようで、壁の向こうには綺麗に整頓された机と椅子と、向かい合わせに並ぶコンピューターのディスプレイ、色々な機材と書類のたくさん仕舞われた棚が並んでいた。
「おー! 全然機械とかわかんねーけど、会社って感じだな!」
ゼンはなんだか嬉しそうにしている。
「ここはオフィス、ですか?」
「そうそう。ここで報告書とかまとめたりすんの~。じゃ、次行きましょう」
姐さんはすぐに踵を返し、私たちを待たずにエレベーターに乗り込んでしまった。
「ちょっと! なんか、すっごい端折ってませんか!?」
目を見開いて叫ぶ私の方を、姐さんは不思議そうに見ているし、ゼンは何も考えていないのか、いつの間にか姐さんとエレベーターに乗り込んでいた。
「どうしたの? あ、トイレならあっち。もういいね~、次行こう」
姐さんは扉を開くボタンを押し続けながら早口でそう答えた。
「違いますよ! ここ職場ですよね!? もうちょっと詳しく案内してくださいよ!」
姐さんは何故かショックを受けたような顔をした。
「ステラ……あんたがそんな子だったなんて、ちょっとがっかり……」
私としたことが、今日だけで何度同じ過ちを繰り返すのだろうか。何度も目上の人に失礼な態度をとって、姐さんにも呆れられてしまったのかもしれない。
「あっ、私また……失礼しました」
「わかってくれたかしら? 今日は仕事の話なんて厳禁よ。もし四六時中仕事のことを考えなければならない世界があるのなら、狂ってるわ」
「もうこれさっき一回やったじゃん!」
私の虚しい怒りが、空っぽのオフィスに響いた。
結局、その後すぐにエレベーターが四階へと私たちを運んだ。扉が開くと四階は、真っ白で清潔感があるが、どこか薬品の匂いのする無機質な雰囲気の部屋だった。
「おい姐さん、ここは何の部屋なんだ? 俺、この匂い苦手なんだよな……」
ゼンはガサツに鼻をこすりながら、姐さんに尋ねた。
「ここは医務室。健康診断から手術まで、大体の医療は受けられるわ。まあ全ての宇宙種族は流石にフォローしきれないけど、あんたとステラは多分大丈夫かな~」
「医務室ってことは、先輩達のうち誰かが、医師の資格を持ってるってことなんですか?」
「あ~、それアタシ。この部署の軍医兼、看護長兼、衛生兵。そういえば、自己紹介の時に役職まで言うの忘れてたわ」
私とゼンは声を揃えて驚いた。
「えぇ!?」
ジゼ姐さんは私たちのリアクションが予想外だったのか、目を見開いて少し照れたような様子さえしてみせた。
「あら、そんな意外だった~?」
確かにどこか掴み所のない女医さんは、キャラとしてはよくいると思う。だがそれはあくまでも古典的で地球的な話に出てくるもので、まさか現実で、この宇宙の隅で出会うとは思っていなかった。
「いや、びっくりしましたよ!」
「そっか~、優秀な女っぽくしてるつもりなのに。ま、いいや。ここも仕事のこと思い出して嫌になるから、次」
ここの人たちは、こんなに仕事が嫌いなのに、何故やり甲斐だけで成り立っているようなうちの会社になんか入ったのだろうか……。疑問を持つ私たちのことは気にもせず、またさっさとエレベーターの方へ行ってしまった。
「優秀というか、キケンな女って感じだよな……」
ゼンが私にこっそりとそう言った。
「それはまあ、わかる」
これに関してはゼンに完全に同意する。
「ちょっとぉ? あんたたち、それ以上もたもたしてるとアタシ、仕事のこと思い出しすぎてキレるよ?」
「もう転職考えた方がいいんじゃないですか!?」と私は鼻に皺を寄せて言った。
とにかく、私たちは急いでエレベーターに乗り込んだ。
「屋上には一体何があるんですか?」
姐さんは得意げに笑っている。
「フフフ、見てのお楽しみ~」
扉が開くと、目の前は別れ道になっていた。左右にそれぞれ赤と青の垂れ幕がかかっている上、目隠しのためか通路がすぐに折り返しになっていて、向こうは見えない。
「なんだ? これ」
ゼンはいまいち理解できていないようであったが、私はこの光景を地球で目にした事があった。
「——もしかして!」
姐さんが赤い方の垂れ幕がある通路の方へと歩いて行った。
「今回だけは仕方ないから、ゼンも立ち入りを許可するわ」
姐さんが通路の奥からそう言っている。ゼンは相変わらずまだこの場所が何なのかわかっていないようだ。
「どういうことだ? お前も何でそんなに嬉しそうなんだよ!」
「私、この先にあるものわかっちゃった」
垂れ幕の向こうの通路は、カゴが置かれた棚と、そして洗面台が並ぶ部屋に続いていた。
「やっぱりここって……!」
「まあ、見ればわかると思うけど、ここは脱衣所ね」
ゼンも理解したようだ。
「もしかして……!」
むこうには、それはもう、夢のような光景が広がっていた。
「お風呂!」
地球人———特に地球の中でも、私の地域の生まれの人ならば、誰もが憧れる施設であろう。屋上にあったのは、露天の大浴場だった。
「やばい! これは……これは、最高ですよ!」
「この事務所を設計したのは地球人なんだって。アタシも初めて見た時は驚いたけど、今じゃここなしで、この世知辛い社会は生きられそうにないや。個室にもシャワーはあるけど、基本こっちに来てるもん」
「そうだったんですね! 耀く星々と、浮かぶ宇宙船を見ながらお風呂……仕事の疲れも癒せそうです……」
最近は一般化しつつあるが、地球が宇宙の文化圏に入る以前からも、他のいくつかの星にも入浴の文化や浴場がある——というのは本で読んだ事があるが、ここのお風呂が私にとって妙に馴染み深いのは、やはりそういう事だったのか。
「すっげー! いつでも入れんの?」
「二十四時間好きな時に入れるよ。まあ流石に勤務中はダメだけど……。ただしゼン、あんたは男湯の方だからこっちのじゃなくてあっち」
姐さんは右側に見える高い柵の向こうを指さした。やはり、さっきの二色の垂れ幕は、男湯と女湯の入り口に掛けた暖簾だったのだろう。ゼンは顔を赤らめた。
「あ、そうか……こっち女湯の方か……悪い」
姐さんはあたふたするゼンを見て楽しそう。
「あらぁ、割とカワイイとこあんのねぇ」
「な、何だよ!」
ゼンが顔を真っ赤にしている。いいザマ。
「ま、それは置いといて……ここのお風呂はね、成分が調整できんの。肩こり解消に特化したい時とか、肌の調子を整えたい時とか、ボタンひとつで簡単にね……」
「至れり尽くせりじゃないですか!? 地球のどんな最先端のお風呂も、多分そんなハイテクじゃないですよ! このお風呂を設計した地球人って、一体何者なんですか……?」
姐さんはここを自慢したくてしょうがなかったのか、先ほどからずっと笑顔だったのだが、私の言葉を聞くと首を傾げた。
「ん? この施設を設計したのは地球人らしいけど、このお風呂にいろんな便利機能付けたのは博士だよ? 研究・開発に部署の予算を一年分くらい費やしたらしいけど」
「そんなこったろうと思いましたよ!」
博士はもっと世のために才能を活かすべきなのではないか……。嘘を発見してビンタをしてくるタチの悪いロボットなんて開発する前に、もっと沢山素晴らしい発明してお金を儲ける道があるだろうに。
「さっきも言ったけど本当に、倫理観は終わってても、本当に優秀なのよぉ。困った事があったら、博士を頼ってもいいと思うよ~。まあ大きな代償を要求されると思うけどね」
姐さんは乾いた笑いを浮かべてそう言っていた。
「博士の提示する代償って、血液五リットルとか、心臓を丸ごととか、そういうのですか……」
博士のイメージは、私の中でどんどん歪む一方だ。
「も、もしかして博士は、その……惚れ薬とか、作れるのか!?」
「何言ってんの!? っていうか、好きな人がいるのか知らないけど、惚れ薬って発想が……」
ゼンが突然そう言い出したので、びっくりして変な声を出してしまったが、ゼンの方も咄嗟に弁明を始めた。
「い、いや! 例えばの話だって! なんかほら、そういうありえねーのも作れるのかな! と思っただけだ!」
尻尾がブンブンと上下に動いている。マーフィー君が近くにいたら一発でぶたれそうだ。
「えぇ~?」
私は怪訝な視線を向け、反対に姐さんは面白そうにニヤニヤしている。
「博士なら作れると思うな~。ただ、仮にそんなお願いしたとして、博士は作ってくれないと思う。多分、『恋は化学できない聖域なんじゃ! 自分で成就させねばならん!』とか説教してくると思うわよ」
「何でそこだけまともな価値観持ってんの!?」
ゼンよりも先に、私の方が納得がいかずに歯軋りをした。
「博士、結構恋愛観はピュアなんだよね~。まあアタシも、惚れ薬なんか使っても、本当に幸せになれるとは思わないわぁ。例えばの話だからいいけどね?」
姐さんはゼンにどこか意味深な笑みを向けた。私には姐さんの真意は分からなかったが、ゼンは何かに気づいたようだ。
「その通りだな……俺、カッコ悪い奴になるとこだった。ありがとう姐さん! 俺、頑張るよ!」
ゼンは何かを決心したようだ。
「応援してるよん——まあ、先は長そうだけど」
もう何が何だか、私にはついていけなかった。
「何でお風呂の話から恋バナっぽくなってるんですか……」
「アハハ! 確かにね! じゃあお風呂の紹介も終わったし、ここはこれくらいにして一旦、下に戻ろっか」
心から楽しそうに笑いながら歩いていく姐さんに、私と何故だかさっきから顔が真っ赤なままのゼンはついていった。
「うめぇ!」
馬鹿な同期のゼンは大皿を抱え、品もなく料理をかき込んでいる。博士が開発したという全自動調理マシンが提供する料理も、驚くべきことにとても美味しかった。こんなにも素晴らしい技術力があるのに、博士は一体何をやらかしてここに左遷されたのだろう——。
「せんぱ——じゃなかった、姐さん、これとっても美味しいです!」
地球でいう唐揚げに似た料理があったので、ひとつ手をつけてみると止まらなくなった。ジューシーかつ、どこかの特産のスパイスを使っているのか、芳醇な香りがたまらない一品だ。
「よかった~。今度作り方教えるわよ。それにアタシも、地球の料理教えて欲しい」
「もちろんです! 私、こう見えても地球の郷土料理屋の娘なんですよ」
ジゼ姐さんは意外そうな顔をした。
「あらぁ、そうだったの? なんて料理?」
「私は地球の、ニッポンという地域の出身なんです。ニッポンには古くから伝わる寿司っていう魚介類とお米で作る料理があるんですが、私の父はその職人なんですよ」
そう、私は寿司屋の娘。まだ残暑が厳しい秋の運動会に、お父さんが豪華な握りの三段重を作ってきて、案の定全部ダメになっていてお昼に何も食べられなかったのも、今となっては思い出だ。でも、寿司と聞いてもジゼ姐さんはそれをイメージできてはいない様子だ。
「スシ……? 聞いたことないわ~。私の故郷って水棲生物があんまりいないから、魚介類もあんまり食べたことないし、めっちゃ気になる」
私はつい得意げになって、熱弁を続けた。
「地球には寿司以外にも美味しい食べ物がたっくさんあるんですよ! 私、レシピの本も持ってきたので、作ります。みんなにも食べてみてほしいです!」
「いいわね~! すぐ近くの惑星———あそこには大きなスーパーとかもあるから、いろんな食材も手に入るだろうし、いろんな星の食材を組み合わせて、創作料理を考えるのとかも実験みたいで楽しそうね」
姐さんはラウンジの大きな窓の向こうに浮かぶ、地球に似た惑星を指差した。
「実験とな!?」
博士が大好きな言葉を耳にして、子供のように目を輝かせた。
「博士は違法なヤツを入れそうだから台所には立たせたくないです」
私はすぐ博士の希望を打ち砕いた。調理マシンというのはきっと博士が疲れていた時の作品なのだと思う。嫌いな言葉が『倫理観』などと笑顔でのたまう博士によって、あんなに素晴らしい料理を作る発明品が生み出されることなんて、そうでもなければあり得ない。
「失礼な! ワシが入れるとしたら法律にギリ触れていないヤツじゃ!」
博士はこれ以上にないほど真剣な顔で怒っていたが、冗談じゃない。
「脱法ってこと!? それもダメだから!」
私たちのやりとりを満足そうに聞きながら、グレイ先輩は灰色の顔を赤らめ、笑っている。
「いやぁ、久しぶりに賑やかで楽しいなぁ…! ハハハ!」
お酒に酔っているようだったが、裏表なくただ朗らかに笑うだけのグレイ先輩ほど良い人を、私は今までほとんど見たことがなかった……。
「まったくだ! フレッシュな新人が来てくれて助かる。あとは一週間以上居てくれるかどうか……」
後半は何を言っていたのか聞き取れなかったが、ボスも何やらしんみりしながら水槽の中で頷いている。
みんなで楽しくご飯を食べている中、私は今更ながらこの部署について殆ど説明すらされないままなのが、段々と不安になってきた。就職したい会社については入念に調べてきたつもりであったが、特務部第三課なんて聞いたことがない。嘘をつかないのがここのモットーだというのなら、黙っているよりも、聞いてしまった方がいいかもしれない。
「——そういえば今更なんですが、私、業務内容とか全く把握してなくって……どんな仕事をするのか教えていただきたいんですけど」
私は、ここの人たちが漏れなく変な人達であると、この数時間で十分理解したつもりだったが、それはもっと、想像を絶するようなレベルであるということに気が付いていなかった。
「ステラ! いい加減にしなさい!」
ボスのスピーカーの調子が一瞬だけ直ってあの渋い声に戻り、怒鳴り声の迫力が何百倍にも増した。上司をついに怒らせてしまった。恐る恐るテーブルを見渡すと、他の先輩方も食べる手を止めて、私の方に険しい視線を向けている。最悪だ、仲良くなれたと思ったのに……今度こそ職場で居場所がなくなってしまう! ボスの声はまた間抜けになったが、その腱膜は失われなかった。
「仕事のことなんていいじゃないか! 明日、明日から頑張ればいいんだ、冗談じゃない。食事中まで仕事のことを考えなえればならない世の中なんて、間違っている! それが宇宙のあり方と誰かが言うのなら、私はこの宇宙の全てを否定してやるよ」
「でも今、勤務時間じゃ……」
私が気圧されながらも小さい声で尋ねると、ボスは拗ねたように「今日はいい! いいの!」とだけ言って自分のグラスに酒を注いだ。
「そうですね……」と私は諦めたように言った。
「分かったならよろしい!」
乾いた笑顔を浮かべる私を見て、ボスは満足げになった。
「はぁ」
呆れてため息を漏らすと、ジゼ姐さんは優しく私に話しかけてくれた。
「仕事の話は絶対嫌だけど、そういえばここの建物の案内をするの忘れてたね。案内してあげるから、食休みがてらちょっぴり見学しない?」
仕事の話を忌み嫌いすぎなのではないか。だけど確かに、これからここで暮らし、働くというのに、トイレやお風呂の場所、自分の部屋もわからないのは不便すぎる。
「確かに! 見たいです!」
「じゃあ決まり~。ゼン、アンタも一旦食べるのやめて一緒においで。博士の分のなくなっちゃうでしょ。首が長くて食べ物を飲み込むのが遅いの」
「あっ! 俺としたことが……確かに、博士の首グネグネだもんな。分かった! 姐さん!」
私とゼンは席を立って姐さんの後に続いた。博士はその間も何か言いたげにこっちを睨んでいたが、食べ物が長い首を通っている途中なので何も喋ることができなそうだった。
姐さんについていき、私たちは広間の奥にある階段を登った。
「とりあえず、トイレは各階にある。そんで、アタシたちのも、アンタたちのも、部屋は二階ね」
階段の上に、七つの同じ形をしたドアが並んでいる。姐さんの口ぶりからして、この階が社員寮ということなのだろう。
姐さんは手前から三番目にある、ピンクのプレートが掛けられた扉を指さした。
「アタシの部屋はここ。まあ、何か聞きたいことがあったらそこのインターホン押して。アンタたちの部屋については送った書類の通りよ。えっと……ゼンが二〇五号室で、ステラが——」
「二〇六号室です! どんな部屋か楽しみ——えっ? 二〇五って……」
部屋番号を覚えていた私は、今になって最悪な事実に気が付いた。
「お、お前、俺の隣の部屋なのかよ……! く、くそ! サイアクだ!」
ゼンがいかにも嫌そうな顔で吐き捨てた瞬間、下の階からマーフィー君が嘘を発見した時のサイレンが聞こえた。博士かボスがろくでもない嘘をついて、グレイ先輩を困らせでもしたのだろうか。そんなことは今、問題ではない。ゼンの隣の部屋など、縁起が悪すぎる。私の方から願い下げだ。先に嫌がられたのがとても悔しい。私が何を言っても後出しになってしまう。
「ああ、嫌なら部屋替えてもらうよ。職場で無駄にストレス溜めるのもね」
相手にしない作戦。まだ幾つか空き部屋もあるみたいだし、私もゼンの隣部屋にならなくて済む。多少私のプライドに傷はつくが、これくらいなら安いものだ。だが、ゼンの反応は私の思惑とは真反対のものであった。
「え、えぇ!?」
ゼンは目を丸くして、地中に棲む地球の固有生物ミミズのようにうねらせて言った。
「なんで困ってるわけ!? アンタが言ったんでしょ。言いづらいなら私がボスに頼んでくるからいいよ!」
ゼンは何か言いたげだが、馬鹿だから言葉が出てこないのだろうか。何を慌てる必要があるのか、頷くだけで問題ない筈なのに。左を向くと何故か姐さんまで私の方を向いてあたふたしているようで、ツノが虹色に点滅していた。
「ね、姐さん……どうしたんですか?」
「あ、あのね、ステラ。部屋はほら、荷物の移動が大変だから、決まった部屋を使ってくれるかしら……?」
姐さんは明後日の方向を見ながら、固い笑顔でそう言った。
「でも私、荷物もまだ運び込んでないし、まだ空き部屋もあるみたいだし、私がそちらを使えば良いんじゃないですか? 今からならかかる労力は一緒だし!」
私はみんなが幸せになる解決策を提示した——というか、あまり考えなくてもこうすればいいと思うのだが……。しかし、私がせっかく筋道を立てて説明したのにも関わらず、姐さんのツノはさらに激しく点滅しだし、ゼンは額に脂汗さえ浮かべていた。
「え、あの……二人ともどうしちゃったの? とにかく、私ボスにお願いしてきます」
「あぁっ! ダメ!」
私は姐さんを無視して階段を下って、ボスの方へ向かおうとした。すれ違いざまに見えたゼンの顔は、唖然としていた。まるで、私が隣でないと困るかのような——こいつに限ってそんなことはないというのは、分かりきっているけれど。階段のちょうど真ん中ほどまで降りたところで、話が聞こえていたのか、ボスが向こうから登ってきて、私の前で立ち止まった。
ボスの背後でグレイ先輩と博士が、アンテナを点滅させるマーフィー君を押さえつけて何やら揉み合っているのが見える。あの数分の間に何があったのかは分からないが、誰が嘘をついたにせよ、嘘をついたのなら私と同じく、マーフィー君からのお仕置きを甘んじて受けるべきなのではないかと思った。
「ボス! 聞こえてましたか? それで私、部屋の場所を変更したいんですけど、構いませんよね?」
私がそう尋ねると、ボスは水槽の中で大量の泡を吐いた。急いで階段を登ってきたようであったが、動いたのは反重力ユニットの水槽の方だし、ボス自身が息を切らしているのが不思議だった。
「ぼごぉ……その、ステラ。申し訳ないが予定通り、二〇六号を使ってくれ」
ボスはもはや何かに駆り立てられているかのように鋭くそう言った。
「えっ!? ボスまで一体なんでですか!」
ボスの態度もまた不可解で、後ろの博士達、そして上の階の姐さんの方をチラチラと気にしている。
「いやぁすまない。その、実は他の空き部屋はとんでもなく汚れているんだ……。見た目はなんら変わらないのだがね。その、前に博士がやらかして、危険なガスが充満していてね……ステラとゼンの部屋はクリーニングをしたんだが、他の部屋はまだでね。それから、上が抜き打ちで施設をチェックしに来ることがあるんだ……登録した書類通りにしておかないと、評価を下げられたりしてしまうんだよ」
ボスは目線を落ち着かせずに、私に理由を説明した。色々と、というかほとんどの内容が腑に落ちないが、上司が言うのならば仕方ない……。
「は、はぁ……。まあ、わかりました」
「分かってくれるかい、ありがとう……」
ボスは機械の腕で、汗を拭うような仕草をしてみせた。なんとなくボスは嘘をついているように感じたが、マーフィー君は静かだったので、私の直感が間違っているのだろう。それにしても、上の階のゼンは何故ガッツポーズをしているのか。姐さんのツノも点滅をやめ、グレイ先輩と博士の方も、顔を見合わせて頷いている。みんなの様子を訝しがる私とは対照的に、ボスはわざとらしいほどに笑顔になって、二階を指さした。
「そ、そうだ! ステラ、部屋を見てきたらどうかな!? 昨日到着したゼンは見たけれど、君はまだだろう」
ボスの言う通りだ。ゼンの隣部屋とは言え、この建物の雰囲気からして、自室の雰囲気もきっと意外に悪くないに違いない。
「それもそうですね!」
私は再び階段を登り、自分の部屋のドアの前まで向かった。
「じゃあ、開けるわよ~」
姐さんが私の部屋の鍵を開けた。
「広い!」
部屋は思ったよりも大きかった。備え付けの家具は新品のようだ。部屋の奥一面が大きな窓になっていて、そしてその向こうにベランダがある。丁度我が社が誇り、私が憧れる宇宙戦艦が遠くの方を飛び去っていくのが見えた。
「空調は完備だし、お手洗いも各部屋に備え付けてあるの。あ、あとテレビとネット環境もあるから安心してね。冷蔵庫は申し訳ないけど、一階のを使うか、自分で買って取り付けて。あとでステラは荷物を運び込まないとね。アタシたちも手伝ってあげるから」
「はい! ありがとうございます! 私今、結構テンション上がってます!」
私の目はきっと、星々にも負けないほど輝いていることだろう。
「ふっ……かわいい——こんなところだけど、生活の快適さは保証するよ~。それじゃあ、次は三階に行こう」
姐さんは一瞬私の方を蕩けた笑顔で見つめた後、廊下の一番奥まで歩いて行った。
奥にエレベーターがあり、姐さんがボタンを押すと、小気味の良いベルの音が鳴ってドアが開いた。
「ウチは地上四階建て、地下二階建てで、あと屋上があるわ。エレベーターは屋上から地下一階まで行けるの」
姐さんが三階のボタンを押しながら言った。
「あれ、地下二階にはなんでエレベーターが止まんないんだ?」
ゼンが首を傾げると、姐さんは心なしか深刻そうになった。
「地下二階は博士のラボなのよ。博士は二階に個室を持ってない代わりに、ラボ兼自分の個室としてそこを使っているわ———前に致死率百%の毒ガスが漏れたり、培養したホムンクルスが暴走したり、夜中に博士の部屋から火事が起こったりとか……それで、これ以上はまずいと思った私たちは、ちょっと前に予算をはたいて地下二階にラボを増設したのよ………。そうすれば博士も心置きなく実験できるでしょ……」
「えぇ……」
明らかに穏やかではない言葉が続々と登場して、私は青ざめた。規模が著しく小さいこの部署に、そんな金食い虫の博士がいて大丈夫なのだろうか……。
「ってかホムンクルスって……その後どうなったんですか……」
博士は私の想像していた以上に、物語に登場するような王道のマッドサイエンティストらしい。その話が本当なら、宇宙法で禁じられた実験を行ったことになる……。姐さんは何も答えず、意味深な笑みを浮かべるのみだったのが余計に恐ろしい。
「それなら、仕方ないっすね……」
流石にゼンも納得したようであった。
「ま、まあ! 博士はちょっとやばいけど、優秀な科学者なのは間違いないから!」
姐さんは難しい苦笑いをしてみせた。
「そ、そうですね……」
姐さんの雑なフォローに、私はとりあえず同調した。博士は恐らく、見た感じではこの部署で一番のお年寄りなのに、一番の問題児……。そんなことを考えていると、エレベーターのドアが再び開いた。
私たちは姐さんに促されて、エレベーターを降りた。三階はエレベーターホールと、その奥にある、透明な壁で区切られた大きな部屋の二つで構成されているようで、壁の向こうには綺麗に整頓された机と椅子と、向かい合わせに並ぶコンピューターのディスプレイ、色々な機材と書類のたくさん仕舞われた棚が並んでいた。
「おー! 全然機械とかわかんねーけど、会社って感じだな!」
ゼンはなんだか嬉しそうにしている。
「ここはオフィス、ですか?」
「そうそう。ここで報告書とかまとめたりすんの~。じゃ、次行きましょう」
姐さんはすぐに踵を返し、私たちを待たずにエレベーターに乗り込んでしまった。
「ちょっと! なんか、すっごい端折ってませんか!?」
目を見開いて叫ぶ私の方を、姐さんは不思議そうに見ているし、ゼンは何も考えていないのか、いつの間にか姐さんとエレベーターに乗り込んでいた。
「どうしたの? あ、トイレならあっち。もういいね~、次行こう」
姐さんは扉を開くボタンを押し続けながら早口でそう答えた。
「違いますよ! ここ職場ですよね!? もうちょっと詳しく案内してくださいよ!」
姐さんは何故かショックを受けたような顔をした。
「ステラ……あんたがそんな子だったなんて、ちょっとがっかり……」
私としたことが、今日だけで何度同じ過ちを繰り返すのだろうか。何度も目上の人に失礼な態度をとって、姐さんにも呆れられてしまったのかもしれない。
「あっ、私また……失礼しました」
「わかってくれたかしら? 今日は仕事の話なんて厳禁よ。もし四六時中仕事のことを考えなければならない世界があるのなら、狂ってるわ」
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私の虚しい怒りが、空っぽのオフィスに響いた。
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「おい姐さん、ここは何の部屋なんだ? 俺、この匂い苦手なんだよな……」
ゼンはガサツに鼻をこすりながら、姐さんに尋ねた。
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「医務室ってことは、先輩達のうち誰かが、医師の資格を持ってるってことなんですか?」
「あ~、それアタシ。この部署の軍医兼、看護長兼、衛生兵。そういえば、自己紹介の時に役職まで言うの忘れてたわ」
私とゼンは声を揃えて驚いた。
「えぇ!?」
ジゼ姐さんは私たちのリアクションが予想外だったのか、目を見開いて少し照れたような様子さえしてみせた。
「あら、そんな意外だった~?」
確かにどこか掴み所のない女医さんは、キャラとしてはよくいると思う。だがそれはあくまでも古典的で地球的な話に出てくるもので、まさか現実で、この宇宙の隅で出会うとは思っていなかった。
「いや、びっくりしましたよ!」
「そっか~、優秀な女っぽくしてるつもりなのに。ま、いいや。ここも仕事のこと思い出して嫌になるから、次」
ここの人たちは、こんなに仕事が嫌いなのに、何故やり甲斐だけで成り立っているようなうちの会社になんか入ったのだろうか……。疑問を持つ私たちのことは気にもせず、またさっさとエレベーターの方へ行ってしまった。
「優秀というか、キケンな女って感じだよな……」
ゼンが私にこっそりとそう言った。
「それはまあ、わかる」
これに関してはゼンに完全に同意する。
「ちょっとぉ? あんたたち、それ以上もたもたしてるとアタシ、仕事のこと思い出しすぎてキレるよ?」
「もう転職考えた方がいいんじゃないですか!?」と私は鼻に皺を寄せて言った。
とにかく、私たちは急いでエレベーターに乗り込んだ。
「屋上には一体何があるんですか?」
姐さんは得意げに笑っている。
「フフフ、見てのお楽しみ~」
扉が開くと、目の前は別れ道になっていた。左右にそれぞれ赤と青の垂れ幕がかかっている上、目隠しのためか通路がすぐに折り返しになっていて、向こうは見えない。
「なんだ? これ」
ゼンはいまいち理解できていないようであったが、私はこの光景を地球で目にした事があった。
「——もしかして!」
姐さんが赤い方の垂れ幕がある通路の方へと歩いて行った。
「今回だけは仕方ないから、ゼンも立ち入りを許可するわ」
姐さんが通路の奥からそう言っている。ゼンは相変わらずまだこの場所が何なのかわかっていないようだ。
「どういうことだ? お前も何でそんなに嬉しそうなんだよ!」
「私、この先にあるものわかっちゃった」
垂れ幕の向こうの通路は、カゴが置かれた棚と、そして洗面台が並ぶ部屋に続いていた。
「やっぱりここって……!」
「まあ、見ればわかると思うけど、ここは脱衣所ね」
ゼンも理解したようだ。
「もしかして……!」
むこうには、それはもう、夢のような光景が広がっていた。
「お風呂!」
地球人———特に地球の中でも、私の地域の生まれの人ならば、誰もが憧れる施設であろう。屋上にあったのは、露天の大浴場だった。
「やばい! これは……これは、最高ですよ!」
「この事務所を設計したのは地球人なんだって。アタシも初めて見た時は驚いたけど、今じゃここなしで、この世知辛い社会は生きられそうにないや。個室にもシャワーはあるけど、基本こっちに来てるもん」
「そうだったんですね! 耀く星々と、浮かぶ宇宙船を見ながらお風呂……仕事の疲れも癒せそうです……」
最近は一般化しつつあるが、地球が宇宙の文化圏に入る以前からも、他のいくつかの星にも入浴の文化や浴場がある——というのは本で読んだ事があるが、ここのお風呂が私にとって妙に馴染み深いのは、やはりそういう事だったのか。
「すっげー! いつでも入れんの?」
「二十四時間好きな時に入れるよ。まあ流石に勤務中はダメだけど……。ただしゼン、あんたは男湯の方だからこっちのじゃなくてあっち」
姐さんは右側に見える高い柵の向こうを指さした。やはり、さっきの二色の垂れ幕は、男湯と女湯の入り口に掛けた暖簾だったのだろう。ゼンは顔を赤らめた。
「あ、そうか……こっち女湯の方か……悪い」
姐さんはあたふたするゼンを見て楽しそう。
「あらぁ、割とカワイイとこあんのねぇ」
「な、何だよ!」
ゼンが顔を真っ赤にしている。いいザマ。
「ま、それは置いといて……ここのお風呂はね、成分が調整できんの。肩こり解消に特化したい時とか、肌の調子を整えたい時とか、ボタンひとつで簡単にね……」
「至れり尽くせりじゃないですか!? 地球のどんな最先端のお風呂も、多分そんなハイテクじゃないですよ! このお風呂を設計した地球人って、一体何者なんですか……?」
姐さんはここを自慢したくてしょうがなかったのか、先ほどからずっと笑顔だったのだが、私の言葉を聞くと首を傾げた。
「ん? この施設を設計したのは地球人らしいけど、このお風呂にいろんな便利機能付けたのは博士だよ? 研究・開発に部署の予算を一年分くらい費やしたらしいけど」
「そんなこったろうと思いましたよ!」
博士はもっと世のために才能を活かすべきなのではないか……。嘘を発見してビンタをしてくるタチの悪いロボットなんて開発する前に、もっと沢山素晴らしい発明してお金を儲ける道があるだろうに。
「さっきも言ったけど本当に、倫理観は終わってても、本当に優秀なのよぉ。困った事があったら、博士を頼ってもいいと思うよ~。まあ大きな代償を要求されると思うけどね」
姐さんは乾いた笑いを浮かべてそう言っていた。
「博士の提示する代償って、血液五リットルとか、心臓を丸ごととか、そういうのですか……」
博士のイメージは、私の中でどんどん歪む一方だ。
「も、もしかして博士は、その……惚れ薬とか、作れるのか!?」
「何言ってんの!? っていうか、好きな人がいるのか知らないけど、惚れ薬って発想が……」
ゼンが突然そう言い出したので、びっくりして変な声を出してしまったが、ゼンの方も咄嗟に弁明を始めた。
「い、いや! 例えばの話だって! なんかほら、そういうありえねーのも作れるのかな! と思っただけだ!」
尻尾がブンブンと上下に動いている。マーフィー君が近くにいたら一発でぶたれそうだ。
「えぇ~?」
私は怪訝な視線を向け、反対に姐さんは面白そうにニヤニヤしている。
「博士なら作れると思うな~。ただ、仮にそんなお願いしたとして、博士は作ってくれないと思う。多分、『恋は化学できない聖域なんじゃ! 自分で成就させねばならん!』とか説教してくると思うわよ」
「何でそこだけまともな価値観持ってんの!?」
ゼンよりも先に、私の方が納得がいかずに歯軋りをした。
「博士、結構恋愛観はピュアなんだよね~。まあアタシも、惚れ薬なんか使っても、本当に幸せになれるとは思わないわぁ。例えばの話だからいいけどね?」
姐さんはゼンにどこか意味深な笑みを向けた。私には姐さんの真意は分からなかったが、ゼンは何かに気づいたようだ。
「その通りだな……俺、カッコ悪い奴になるとこだった。ありがとう姐さん! 俺、頑張るよ!」
ゼンは何かを決心したようだ。
「応援してるよん——まあ、先は長そうだけど」
もう何が何だか、私にはついていけなかった。
「何でお風呂の話から恋バナっぽくなってるんですか……」
「アハハ! 確かにね! じゃあお風呂の紹介も終わったし、ここはこれくらいにして一旦、下に戻ろっか」
心から楽しそうに笑いながら歩いていく姐さんに、私と何故だかさっきから顔が真っ赤なままのゼンはついていった。
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