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侯爵家継子
しおりを挟む「…ねえっ!わたしは貴族よ!権利がある!いつまでこんな汚い場所に入れておくつもりなの…ッ!」
少女は今いる場所が初めてきた王城だとは気づいていない。それも当然だった。
目に入るのは鉄格子。小柄な少女でも屈まなければならない天井の低さ。薄暗く湿り、胃液が込み上げるような饐えた臭いに苦い唾液を何度も飲み込んだ。
王城最下層の地下牢に、気を失ったまま押し込まれた騎士団の馬車で裏門から連れてこられたのだから。
「わたしはこんなところにいていい人間じゃないのよ!今すぐ出しなさい!」
綺麗に装った喪服のドレスも、髪も化粧も乱れているが黒曜石の瞳だけは強い怒りに支配され光を失っていなかった。
新たな記念日になるはずだった。
ミドルとの退屈な閨事に長時間つき合ったのは興奮を抑えきれなかったから。そのほうがもっと愉しめると思ったから。
死ぬまで、死んだあとも、辱めて貶めて奴隷にしてやろうと思ったからだ。
そうして腐りかけの義姉が土に埋められる無様な様を、ゆっくり眺めてやるつもりだったのにーー。
「早く出せって言ってんのよ!聞いてるんでしょ!?ねぇ…ッ!」
応える者のいない牢獄のなかで少女は叫び続ける。
したいように、好きなように生きてきた。
望むまま。この力があればそれが簡単だった。
上手くやってきたのだーー今日までは。
上手くやってきたのに。
あの義姉のせいでバレた。台無しだ。
こんなことになるなら飼い殺しのままにしておけばよかった。
手間をかけてやったというのに、何の役にも立っていない。
絶望した表情を思いだしても、蛆だらけの死体を想像しても、溜飲はちっとも下がらない。
割に合わない。
あの義姉。クソ女。役立たず。
自分は馬鹿ではないので、いい加減まずい状況になっていることはわかった。
でもまだ大丈夫だ。この力がある。
誰でもいい。目の前に現れてさえくれれば。
強請るのは難しくてもすぐお願いすれば大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
少女は自分のなかに後悔に似た焦りがよぎるのが信じられず、それすら義姉のせいだと爪をギリギリ噛みながら叫んでいた。
「やあ。きみにお似合いの場所だね」
その男は突然現れた。
変な服を着た、ちょっとキレイな顔をした男。
少し驚いたがやっとかと。
品定めするかのように睨め回したあと、眼を合わせたのに。
「……なんですって……?」
「まぁ相応しいとは言えないけどきみに相応しい場所なんて、」
少女はお願いをした。
今まででいちばん強くお願いしたかもしれない。
「ーー世界の何処にも無い。」
カッとなり、がなりたてながら睨み続ける。
まったくの無反応。
チラチラと何かが見え隠れする。
その感情を認めたくなくて喚きたてる。
「……そんなに熱く見つめられると困っちゃうね」
飄々と。煽り、小馬鹿にするように。
「それにずいぶん元気なようだから必要ないかな?早速いくつか質問に答えてもらおう。
両親、その両親、血縁者について知ってる?
出身は?いつそれに気づいた?初めて使ったのは?初めてーーひとを殺したのは?」
少女の口角は叫びすぎたせいで引き攣っていた。
「ーーなんで、」
「あれ、まさかだけど。防ぐ方法があるって考えたことなかったの?きみって馬鹿なんだね、想像通りだ」
枯れた声の、たったひとことで。
「質問の答えは?」
男は笑顔で続けた。
生意気な口をきかれて、馬鹿にされている。
わかっているのに。
もう誤魔化すことはできないほど、少女は焦っていた。混乱しながら、それもこれもすべて義姉のせいだと未だ見当違いな八つ当たりは止められなくても、どうしようもないほどに。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい。
何をどこまで、知っている?この男は。
どこまで知られてしまった?防ぐ方法?そんなものーー。
「…………答えるもんか」
言うもんか。
はぐらかして、長引かせて、誤魔化して、どうにかしなければ。
それが完全に無駄な抵抗だとも知らず、少女は稚拙な思考を巡らす。
「ふうん。」
「…」
「……ルコラ嬢のことも、だんまりなの?」
「ッ!」
「話したくて、うずうずしてるんじゃないの?」
それはそうだ。
あの義姉がどんなに馬鹿で、愚図で、憐れな生き物だったか教えてやりたい。
自分がどれだけ上手くやってのけたか、にやけ顔のこの男にぶち撒けてやりたい。
だけど、だけどーー!
「饒舌」
「ーーッ、ーー!?」
男が何かをちいさく呟いたと思ったら、
わけのわからない重低音に身体がよろけた。
「答えろ」
そうしてだんだんと、気分が高揚してゆく。
気づけば少女はすべてを語りだしていた。
目の前の男があまりにも熱心に聞くものだから、止まらない。
いつだったか一度だけ、母親が話してるのを聞いたことがある。
今は滅んでなくなっちゃった国。砂漠の集落。みんな隠れて暮らしてた。そこには呪い師が多くいた。それ以上は知らない。母親だってきっと何を喋ってるかなんてわかってなかった。
いつもひとりぼっちですることもなかったから、人間ばかり観察してた。外でも家でも、どこでも。人間はたくさんいるから。掃いても湧いてでてくるから。
何が好きか。欲しいか。興味があるか。
誰が嫌いで、恨んでいるか。羨ましいと、妬んでいるか。殺したいほど、憎んでいるか。
隠そうとしているものを、見つけるのが楽しかった。
じっと見つめていると、それがわかった。
人形遊びのようなもの。思い通りに動くのが面白かった。お願いすれば、望めば、それが叶うことを知った。
自分のためだけに動く人形。こんなに愉しい遊びはなかった。
喋りすぎて喉が痛い。でも止まらない。水差しが置いてあるけどそんな時間すらもったいない。
そんなものいらない。喉が渇く。でも止まらない。
嗄れた声がする。自分の声はこんな老婆のような声だっただろうか。
どうでもいいけど。とにかく喋り続けなければ。
教えてやらないと。何も知らない無知な男に。
自分が成し遂げたことを知らしめてやらないと。
もっともっと観客がいればいいのに。
それだけは叶ってるよ、と。
誰かの声がするけど黙っていてほしい。今喋っているのは自分なんだから。黙って聞いていろ。
そうして少女は大袈裟な身振り手振りまで混えて呂律の回らない舌を動かし続けた。
ーーローブを着た魔術師の男は、最初から記録装置の魔道具を持っていた。
それを通して国王以下の人物たちはすべてを見、聞いていた。
「……今日はここまでか」
何時間も尋問され力尽きて倒れた少女に目もくれず薄暗い地下牢を去った。
よく耐えたと自負しながら。
万が一が起きないよう自身にかけていた拘束魔法が解けるのを感じながら。
明日からもこれが続く。
できるだけ、永く。
ーーそうしても幾ばくの餞にもならないことを、空しく思いながら。
少女は知らない。
これから毎日くり返される尋問が終わり、すべての情報を引きだせたと判断されればその身を切り刻まれることを。
眼を剥き、血を抜かれ、舌を焼かれることを。
呪いとして、異国の禁足地に封じられることを。
その先にも、どこにも、
望んだ穏やかな人生など、ありはしないことを。
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