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侯爵家家令
しおりを挟む『せるげい』
悪夢から目覚めさせてくれるのは何時もルコラ様だ。
我が主人の腕に抱かれ、旦那様がとなりに寄り添う。
初めて名を呼んでくれたルコラ様の声が、生へと繋ぎ止めてくれるのだ。
「ーー…最初は物忘れが始まったのかと思いました。皆そうでした。…忘れてしまうのです、ルコラ様のことを。
支度のお世話を、食事を、…。頭痛がひどく、医者を呼んでもらったこともあったと思います。……お側に寄るとひどくなり、……離れれば、」
「楽になった?」
「…………はい」
「あの親子の近くにいれば、さらに」
「………………っ、はい、」
「……成る程。あなたはよく覚えている」
「…遠のいてしまうのです、…足が、勝手に、っ…今日は主人の命日、約束の日、…ルコラ様の、…誕生日…っ、なのに忘れてしまう、…忘れていることすら忘れて…っ」
「落ち着いてください。水は?」
「……ルコラ様はっ……ほんとうに亡くなってしまったのですか…ッ」
「……えぇ、残念ながら。」
あぁ、神よ。
なんと、なんという罪を犯したのか、私は。
父上、母上、兄上、
お仕えすべき主人を、私は欺いてしまいました。
お守りしなければならなかったちいさな主人を。
「……あなたは誰よりも早く目覚めた。それでも一月ほどはかかりましたが。
記憶も鮮明ですね……これも他に比べれば、ですが。あの親子のような輩は、弱みにつけ込むのが得意です。
そういう隙間に入り込んで、操る。
手段を知らなければ防ぎようもないことですが、……あなたにも何か、あったのでしょうか」
「ーー」
「知られたくない秘密、が」
我が主人、ーーサリナ様、
『ねぇ、セルゲイ。』
『なんでしょう』
『あなたは結婚しないの?お話はあるのよ、家族を持つ気はないの』
『…兄が家を継いでいますし、私はクレソン家のために生涯を捧げると誓いを立て教育を受けてきましたから』
『それはありがたいことだけれど…あなたにも支えてくれる人が必要じゃない?』
『……ご心配なく。私はサリナ様にお仕えできていることがしあわせなんです。
そろそろ休憩なさっては?……もうおひとりの身体ではないのですから』
『…頑固ね、わかったわ。お茶の用意お願いできる?』
『かしこまりました』
『……セルゲイ、』
『はい』
『わたしもあなたを支えるわ。ハルと、産まれてくるこの子もね。…わたしたちがあなたの家族よ』
身の内では、抱いてはいけない感情が暴れ回っていた。
誰にも知られてはいけない秘密。
私の罪は、とうにはじまっていた。
『せるげい』
ーーそのお顔を、どうしても思い出すことができないのが愚かな私に与えられた罰のはじまり。
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