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ルーシー⑰
しおりを挟む「……何を、しているんです……?」
「っ」
耳もとに。
鼓膜に、乱暴に押し入るように届く声。
「……こんなときに、」
それは苦しそうな息を吐く。
「何かあったんですか?雨がこわかった?…それとも俺が、起こしちゃったのかな…」
どれもちがう。
そう首を振れば、リツさんははあっと、わたしの肩に顔をうずめた。
びくりと反応はしても動けない。
抱きすくめるように片腕がまわって、そうしているリツさんの身体は震えている。
ーーなにが、起きてるの。
どうしちゃったの、リツさん。
静寂に雨の音だけがして、しんぞうの音はやけに大きく聞こえて。
恐怖ではなく不安で、思考はゆれる。
荒く、吐かれる息がそれを煽る。
それは生温くわたしにまとわりついて、
ぐるぐるとまわりやがて思い浮かんだのは、
ーー逆に、今までなんで、失念していたのか、
「……大丈夫だとは思いますが念のため店のほうを見て来ます。……戻ってください……風邪、引かれたら心配なので、……すみません……」
拘束が解かれて呼吸は楽になったはずなのに息苦しい。
振り返らないほうがいい。
なのにのろのろと、わたしは振り返りその姿を認める。
細く光る眼。
どうしようもない衝動に囚われているような、苦しげな、表情。
階上から漏れる灯りだけの暗やみなのにはっきりとわかってしまう。
「ーー早く、…戻ってください」
とん、と。押し返される。
それが正しい。
わたしはそのまま、戻るべきだ。
わたしを突き放す、リツさんが正しい。
無防備で、無神経で無自覚なわたしが間違っていた。
核心には触れないくせに、そばにいてくれることに甘えて受け入れて。
『…………おかえりなさい』
ずっとそこに立ってたみたいに、変わらない姿でわたしを待っててくれた。
ーー失くしたものがあったのに、
「……気づかなくて、ごめんなさい……リツさん、」
空っぽにならないでいられたのは、
「わたしは、ーー」
リツさんがそばに、いてくれたから。
ずっとそばにいてくれると、思ったから。
「……今までどうやって、」
「…」
「ーーどこか、……誰か、……いるんですか……?」
その苦しみを分かち合える誰かが、そばにーー
そう思ったらわたしはそれが、
「…………は…………?」
いやだと、思った。
「っちが、ごめんなさいそうじゃな、っ……リツ、さーー」
空気が鋭く変わり。
睨むように射止められぶわりと鳥肌が立つ。
リツさんはその勢いのまま腕を掴むと開いたままのドアの奥、放り投げるようにしてわたしをベッドへ縫いつけた。
「ーーリツ、さん、」
言いたいことはそんなことじゃないのに失言に気づいても遅い。
「……俺がそんな奴だと?あなたを好きだと言いながら自分の欲を満たすために他の女を抱く奴だと思っていたんですか?ーー誰かのように?」
冷たく見据えられて吐かれる言葉が全身に刺さる。
自業自得。
傷つけた。
「生憎ひとりで慰める方法なら知っているし、ついでに言えばあなたに慰めてもらおうとも思っていません」
「……ちがう……ごめん、なさい……、」
どうしてこんなことが言えるんだろう。
自分勝手にも程がある。
言いたいことは、こんな言葉じゃないのに。
散々甘えてきたのはわたしなのに。
どうして素直に、たったひとことを伝えることができなかったんだろう。
やっと自覚して、それなのにーー
もうきっと、信じてもらえない。
押し潰されそうだ。
細く震えるような息を吐いて、リツさんはゆっくり瞬きをひとつした。
伏し目がちに移した視線の先を見つめながら、言う。
「……でもあなたに触れたいといつも思っています。……こんな手のひらだけじゃ物足りなくて気が狂いそうなんです」
重なる手の指の隙間はぴたりと埋められ、触れ合う距離まで近づく。
さらりと髪が頬にかかり、熱を孕んだ瞳はゆれている。
「あなたが俺以外に笑いかけるたび、相手を殺したくなる。あなたが触れて、……あなたに触れた相手の記憶を奪って塗り替えて刻みつけたい。
……このまま、あなたを、」
ぎしりと、ベッドが音を立てる。
「ーーでもそんなことはしたくない。そんなことはしない、ぜったい。
……あなたを傷つけたくない、俺は、…っ」
痛いくらい握られる手に歪む。
それ以上に傷ついた表情をしているリツさんに心が軋む。
「……あなたに愛されたい……」
臆病に、愛を乞う。
こわい。
こわくてたまらない。
信じてもらえないと思うならなおさら。
ーー愛されないと、思っているならなおさら。
こつり、と額が合わさる。
「……頭冷やして来ます。……どのみちこの状態はキツい」
そう言って、
あれだけ固く握られていた手が離され、
リツさんはわたしに背を向ける。
それはいつかのものと重なっていたことにこのときのわたしは気づかず。
「ーーまって、」
もう間違えない。
「行かないで、…………リツさん」
もう何も伝えないでいるのはやめる。
ただそれしか頭になかった。
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