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リツ⑤
しおりを挟む距離、は。
縮まっていると思ってた。
だが現実自分は追い出され、閉め出されている。
盗み聞きしているわけじゃない。
でも廊下には誰もいないし、雪は音を囲ってしまうから聞こえてしまうのだ。
泣き声しか、聞こえない。
ーーあのひとが自分に露ほども興味がないことも、
まだ、何かを置き去りにしているつもりなままなのも、
知ってしまった。
ーー知っていたけれど、やはりこんなにも感情が揺さぶられる。
自分自身を、誰かの眼を通していなければ見てもらえないことがこんなにも苦しい。
「…………くそ、」
リツは両手で髪をかき上げながら壁に凭れた。皮の手袋がひんやりと隙間を通った。
リンドルという魔牛の皮でつくられている革手袋は、安価で丈夫な防寒具だ。
自身のことに無頓着なリツは厳寒期だというのに手袋すらせず仕事に出かけ、屋外の作業もしていた。
白い指さきが赤く染まっていることに気づいたのは少女。
霜焼けよりひどく、あわや凍傷になりかけていたことを指摘され、言われてみればひりつくような痛みがあることに気づくーーそのとき自身の手を包んだ少女の手のやわらかさと、あたたかさにそんな感覚は瞬時に消えた。
青ざめながら、痛ましげに。
ほんの少し、怒りを含んでいるような表情で。
そのまま手を引かれ室内に戻るあいだ、
リツは熱に浮かされているような、おかしな気持ちになった。
『…もう!ほうっておいたら最悪切断、てことになっちゃうんですよ!……もうっ!』
少女がやはりぷりぷりと怒りながら軟膏をぬってくれているあいだも、リツは笑顔だった。
『…すみません、次からは気をつけます』
『ぜひそうしてください!』
もう!、と、少女がまた言ったのもおかしくて。
当たり前に触れられていることに意味などなくても、うれしくて。
指さきから身体じゅうに、やわく熱が巡る。
リツさん、と。
初めて名前を呼ばれたときも寝れなかったが、今日の夜だってきっと眠れないだろうと綻ばせていた。
一日三度ぬれだとか、しばらくは外で仕事をするなだとか、一度医者にかかれだとか、
瓶の蓋を閉じたあとも確認するような仕草の少女にお礼を言う。
『ありがとうございます、ルーシーお嬢様』
『リツさんの生まれたところは、雪、降ってなかったですか?』
『、…あー…』
唐突な質問だが知らない、とは言えず。
見たことはあると、曖昧に答えた。
『……これからここで暮らしていくんですよね?』
『そのつもりです』
『なら、身体は大事にしてください。……こんなに痛くしたらかわいそう……』
飴色の髪がはらりと落ちた。
それを掬いたくてたまらなくなる。
伏せている少女の視線を辿る。
反応する指さきの思惑には気づかず、やさしく触れている。
いたわるように覆って、きゅ、とくすぐったさを込めて。
『…………はい』
『……約束ですよ?』
あなたがいうなら。
『……はい、約束します』
あなたがいるなら。
春の嵐も、夏の翳りも、秋の夕闇も、冬の朝も。
苦手なものもそうでないものも、
容易く覆し、より深くなる。
ーー雇い主の自身を探す声が聞こえ行こうとすれば、『休んでてください。姪権限で今日はお休みです』微笑んで去っていく後ろ姿に、
リツはちいさく四文字だけつぶやいた。
数日後少女が与えてくれた手ぶくろ。
特別だとは思っていない。
他の誰かがおなじ状況になれば、おなじことをするんだとわかっている。
けれど自覚してしまえば物足りなくなり欲が出る。
報われなくてもいいと、
そばにいられるだけでいいとたしかに思っていたはずなのに。
ーー業腹だ。
泣き声を焼き付けながら自嘲する。
…………あのなかにはいなかったはず。
視力も聴力も劣ってはいるが、まだいいほうだ。
いなかった。
見間違い?あり得ない。
見逃した?それもない。
おなじようにどれだけ刻み込んだかしれない。
いなかったはずだ、あの男は。
それはそうだ。
会いにこれるはずがない。
ーーなのに、なぜだろう。
確信しながらも焦燥は燻る。
「…………リツ、」
聞こえる足音に姿勢を正し、声のほうを向いた。
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