28 / 46
リツ⑤
しおりを挟む距離、は。
縮まっていると思ってた。
だが現実自分は追い出され、閉め出されている。
盗み聞きしているわけじゃない。
でも廊下には誰もいないし、雪は音を囲ってしまうから聞こえてしまうのだ。
泣き声しか、聞こえない。
ーーあのひとが自分に露ほども興味がないことも、
まだ、何かを置き去りにしているつもりなままなのも、
知ってしまった。
ーー知っていたけれど、やはりこんなにも感情が揺さぶられる。
自分自身を、誰かの眼を通していなければ見てもらえないことがこんなにも苦しい。
「…………くそ、」
リツは両手で髪をかき上げながら壁に凭れた。皮の手袋がひんやりと隙間を通った。
リンドルという魔牛の皮でつくられている革手袋は、安価で丈夫な防寒具だ。
自身のことに無頓着なリツは厳寒期だというのに手袋すらせず仕事に出かけ、屋外の作業もしていた。
白い指さきが赤く染まっていることに気づいたのは少女。
霜焼けよりひどく、あわや凍傷になりかけていたことを指摘され、言われてみればひりつくような痛みがあることに気づくーーそのとき自身の手を包んだ少女の手のやわらかさと、あたたかさにそんな感覚は瞬時に消えた。
青ざめながら、痛ましげに。
ほんの少し、怒りを含んでいるような表情で。
そのまま手を引かれ室内に戻るあいだ、
リツは熱に浮かされているような、おかしな気持ちになった。
『…もう!ほうっておいたら最悪切断、てことになっちゃうんですよ!……もうっ!』
少女がやはりぷりぷりと怒りながら軟膏をぬってくれているあいだも、リツは笑顔だった。
『…すみません、次からは気をつけます』
『ぜひそうしてください!』
もう!、と、少女がまた言ったのもおかしくて。
当たり前に触れられていることに意味などなくても、うれしくて。
指さきから身体じゅうに、やわく熱が巡る。
リツさん、と。
初めて名前を呼ばれたときも寝れなかったが、今日の夜だってきっと眠れないだろうと綻ばせていた。
一日三度ぬれだとか、しばらくは外で仕事をするなだとか、一度医者にかかれだとか、
瓶の蓋を閉じたあとも確認するような仕草の少女にお礼を言う。
『ありがとうございます、ルーシーお嬢様』
『リツさんの生まれたところは、雪、降ってなかったですか?』
『、…あー…』
唐突な質問だが知らない、とは言えず。
見たことはあると、曖昧に答えた。
『……これからここで暮らしていくんですよね?』
『そのつもりです』
『なら、身体は大事にしてください。……こんなに痛くしたらかわいそう……』
飴色の髪がはらりと落ちた。
それを掬いたくてたまらなくなる。
伏せている少女の視線を辿る。
反応する指さきの思惑には気づかず、やさしく触れている。
いたわるように覆って、きゅ、とくすぐったさを込めて。
『…………はい』
『……約束ですよ?』
あなたがいうなら。
『……はい、約束します』
あなたがいるなら。
春の嵐も、夏の翳りも、秋の夕闇も、冬の朝も。
苦手なものもそうでないものも、
容易く覆し、より深くなる。
ーー雇い主の自身を探す声が聞こえ行こうとすれば、『休んでてください。姪権限で今日はお休みです』微笑んで去っていく後ろ姿に、
リツはちいさく四文字だけつぶやいた。
数日後少女が与えてくれた手ぶくろ。
特別だとは思っていない。
他の誰かがおなじ状況になれば、おなじことをするんだとわかっている。
けれど自覚してしまえば物足りなくなり欲が出る。
報われなくてもいいと、
そばにいられるだけでいいとたしかに思っていたはずなのに。
ーー業腹だ。
泣き声を焼き付けながら自嘲する。
…………あのなかにはいなかったはず。
視力も聴力も劣ってはいるが、まだいいほうだ。
いなかった。
見間違い?あり得ない。
見逃した?それもない。
おなじようにどれだけ刻み込んだかしれない。
いなかったはずだ、あの男は。
それはそうだ。
会いにこれるはずがない。
ーーなのに、なぜだろう。
確信しながらも焦燥は燻る。
「…………リツ、」
聞こえる足音に姿勢を正し、声のほうを向いた。
62
お気に入りに追加
1,765
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ずっと好きだった獣人のあなたに別れを告げて
木佐木りの
恋愛
女性騎士イヴリンは、騎士団団長で黒豹の獣人アーサーに密かに想いを寄せてきた。しかし獣人には番という運命の相手がいることを知る彼女は想いを伝えることなく、自身の除隊と実家から届いた縁談の話をきっかけに、アーサーとの別れを決意する。
前半は回想多めです。恋愛っぽい話が出てくるのは後半の方です。よくある話&書きたいことだけ詰まっているので設定も話もゆるゆるです(-人-)
オネエなエリート研究者がしつこすぎて困ってます!
まるい丸
恋愛
獣人と人の割合が6対4という世界で暮らしているマリは25歳になり早く結婚せねばと焦っていた。しかし婚活は20連敗中。そんな連敗続きの彼女に1年前から猛アプローチしてくる国立研究所に勤めるエリート研究者がいた。けれどその人は癖アリで……
「マリちゃんあたしがお嫁さんにしてあ・げ・る♡」
「早く結婚したいけどあなたとは嫌です!!」
「照れてないで素直になりなさい♡」
果たして彼女の婚活は成功するのか
※全5話完結
※ムーンライトノベルズでも同タイトルで掲載しています、興味がありましたらそちらもご覧いただけると嬉しいです!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる