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よくあるアレ。
しおりを挟む「きみを愛することはできない。
法によって離縁することは叶わないが、俺の愛はジーナだけにあるということをしっかり理解してほしい。俺に愛されるなどと、期待するのは止めてくれ」
苦悶の表情、といったところだろうか。
改築と改装を重ねたデュポル公爵家の真新しい夫婦の寝室。
たっぷりと足されたランプの灯りに照らされ橙の髪色はきらめき、中性的な容姿ながら文武に長ける男の美貌を引き立てる。
それに見下ろされるかたちで、上質な寝具のうえにゆるりと腰かけている女も背中までの桜色の髪にくちびる、幼なげな容姿にまとう薄い夜着が妖しい魅力を放っている。
ほのかに焚かれるあまい香が艶やかに誘う夜。
初夜。
まさに今日、夫婦となったばかりのふたり。
その夫となった男の顔を眺めながら、ミーナリスはなぜ?と首を傾げ、
「……ひとこと、よろしいですか?」
気怠げでのびやかな、あまい声で紡ぐ。
そのゆるやかな仕草と声色に、いっしゅん見惚れそうになった男ははっとして気を引き締め、ぐっと眉を顰めた。
「……なんだ」
「なぜそのようにお辛そうな顔をなさっているのでしょうか」
「っ、…そんなことも分からないのか?今伝えただろう。元第一王子とその側近だったきみの兄がやらかしたせいで俺は愛する女性と別れさせられ、きみを娶る羽目になった」
「それは旦那さまの兄上さまも、ですよね?」
「っ」
「あとは騎士団長子息と、大商会の跡取り子息が、ですけど。
お互い間抜けな身内を持ってしまって無念な気持ちはおなじですけれど、なぜそのようなお顔と宣言をなさるのかが分かりませんわ」
「…ッだから好きでもないきみと結婚させられたからだ!望んでもいなかった!
俺はジーナの家に婿入りが決まってたんだ!
それを台無しにされて恨まないはずがないだろう!」
「だからそれがなぜ?と、わたくしは伺っているのですわ」
「…頭がおかしいのかきみは…こっちは無理矢理結婚させられて苦痛しかないんだよ!きみなんか愛せるわけないだろう!?なんでそんなことも分からないのかこっちが聞きたいよ!!」
男の美貌が崩れ熟れた果実のように真っ赤になっているため、ミーナリスにはべつの心配も浮かんだが口にはせず初めに感じた疑問を追求した。
「ですからそれ、ですわ旦那さま。
……憂き目にあわれたのがご自身だけとお思いで?わたくしにだって愛する婚約者がおりましたわ」
「ーー」
立て続けに溜め込んでいた不満をぶち撒けようとしていた男の口がはく、と止まる。
カタカタカタカタ忙しなく動いていた絡繰人形の螺子がふいに取れてしまったように、びたりと身体の動きさえ。
「…」
殿方というのはほんとうに…。
そんな姿を淡黄色のやわらかい瞳に映したまま、ミーナリスは心のなかで嘆息した。
ーー嫉妬深い女神がいた。
夫となる神を愛しすぎていたがゆえ、与えられるその愛さえ信じられなくなるほどに。
天使どころか神が愛でる草花にすら悋気の炎を燃やす。
そんな妻である女神を、夫である神は心から愛していた。
神々の花を焼き尽くそうとすれば笑って諌め、暴れて天界を破壊しようとすればその手を取って抱きしめた。
それほどまでに己を愛している女神がいとおしくてしかたない、とでも言うように。
似た者同士、お似合いの夫婦だった。
互いを唯一と認め、その存在だけを尊び愛す。
そんな女神を崇める宗教国家。
婚姻は生涯にただ一度だけ。
たとえ どんな理由があろうとも離縁はできない。
愛し合い、尊重し合える関係ならば問題はない。
ーーだが。
妻を蔑ろにする夫がいても、怠惰な妻を持つ夫がいても。
妻に暴力をふるう夫がいても、夫をいたぶる妻がいても。
離縁はできない。
神前の誓いを違えることはゆるされない。
ーー…遥か昔の王が、正妃との離縁を企み愛妾とすり替えようと改宗を目論んだことがあったが、三日三晩降り続いた大雨は嵐を呼び大洪水を引き起こした。
あわや国全体が呑まれる寸前となって漸く無謀に気づき、最悪を免れたことがあったとかなんとか。
やらかしたその王の評価は別れるが、その王のおかげで良好な関係を築けない者たちにとっての婚姻が苦ではなくなったことも皮肉だがたしかな事実。
まず互いの伴侶から逃げたい者のための避難所が貴族、平民それぞれ男女別に用意され、国が管理するそこでは調査がしっかりと行われるため横暴な夫、または妻が詰め寄っても門前払い。
接近禁止などあらゆる措置も含まれるために拐かそうと企んでも処罰を受けるのは愚かな当人だけ。
そして同時にーーこれが賛否を分ける結果となったのだがーーこと恋愛に関しても寛容になった。
互いに害をなすことはない。が、どうあっても破綻し再構築が望めない関係。
役割を全うするため他者に癒しを求めるのは暗黙の了解となり、ひとりだけ、そういった存在がゆるされている。
子を持つことはできず絶対的優位は婚姻している者同士なので立場を脅かされることもない。
ーーかの王は改宗まで踏み込んだから女神の怒りを買ったのではないか。
致しかたない場合は赦されるのではないか。
信仰を棄てるわけではないのだから。
そう、誰もが思いつつ行動を起こそうとした者はじっさいひとりもいない。
バレッタ王国では、建国以来離縁した夫婦は一組とて存在しないのだ。
……迷惑極まりない女神だと、ミーナリスは思う。
しかしそんな宗教を信仰している国に生まれてしまったのだから仕方ない。
「"きみを愛することはできない。"」
「…っ」
「そんなのお互いさまですわ、旦那さま」
ミーナリスは完璧なアルカイックスマイルで、ここにいるのだと宣言した。
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