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ジェロームと借りてきた猫

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コナーからの後押しを受け、逸る心のままやって来た人生二度目となる王都の地。
父が在領でいらしたあの時と違い、今の私が何か月も自領を空けるのは憚られる。だからこそコナーの存在は私に可能性を与えてくれた。

船便の利用もそうだ。
れっきとした伯爵子息でありながら、元講師でもあった彼は効率を重視する。そんなところもまた、田舎者で不調法な私には気が楽と言えた。

そうして到着した王都の船着き場。船員たちは忙しなく荷下ろしに奔走している。私はといえば、鞄一つだけを持ち身軽なもの、男一人の荷物などこれで十分だ。とても貴族の遠出には見えないだろう。
知人がいるでもないのだ。王不在の今、王城での謁見はない。であれば王都の商業ギルドに寄って、琥珀採掘と販売に関するいくつかの書類を提出すれば用向きは終わる。
その後はあの方の屋敷を訪ね、執事かメイド長に贈り物を渡していただくよう言付け、そして後は…

高位貴族の大邸宅が立ち並ぶのは緑に囲まれた閑静な地区。そこから王城へと至る道には、整えられた美しい目抜き通りがある。両側には宝飾店だけでなく、子女の好むカフェや、紳士が集う社交クラブなどがあり、今では昔訪れた時には無かったレストランなどもあるという。それがコナーから聞いた話だ。

そのいずれかの軒先に居れば、帰るまでに一度くらいは姿をお見掛けすることが出来るかもしれない。私はそんな都合のいいことを考えていた。我ながら呆れたものだ。

だからこそ、まさにこれは奇跡といえる。
考えつくはずがないじゃないか。私が助けた少年がまさかシャノン様だったなどと。

たしかにその少年は、田舎暮らしでは知り合うこともないような美しい少年だ。だが、私の心を揺らすのは、ダンスが得意で給仕の真似事を喜ぶ子供のように無邪気な人だ。どれほどの美男美女が目の前にいようが関係ない。その時はそう思っていた。

だが少し考えればわかったではないか。
彼の髪は水滴が陽の光を浴びて反射し、きらきらと輝く水晶のようなプラチナだったのだから。
それに、主人を置いて馬車を出発させるという従者は、苦笑し肩を竦めながらこう言ったではないか。

「急がないと私の主人は立場を忘れこの馬車に乗り込もうとするでしょう。あなたは黒髪ですから」

私はなんと愚鈍な男だろうか。
屋敷に到着し、執事からここが誰の屋敷かを聞くまであの少年がシャノン様だったと気づかないのだから。
私は粗相をしてはいないだろうか。もっと丁寧にお声がけをすればよかった。
我が身に起きた事態が上手く呑み込めないまま、私はメイドに促され、身体を清め、袖を通すのも憚られる上質な服に身を包んで彼を待つ。

「シャノン様ってば口もきけないほど驚いてらっしゃいましたよ」

主人の部屋から戻った従者がそう私に告げれば、同行していたご友人たちのまとう空気が一瞬で変わる。
そうして少しばかりの時間を共にしなんとか打ち解けた頃、ようやくあの方が姿を現したのだ。

初めの手紙を受け取ったあの日から、一日も欠けることなく会いたいと願い続けたその本人が…

言葉少なく俯く彼。
…一体誰が彼を『茨姫』などと名付けたのだろう。時々早口になる物言いがそう周囲に思わせるのだろうか。
だが彼はむしろ…、高貴な者であろうと必死に何かを演じているようにさえ見える。その裏側に本当の自分を隠して。
思えばあの日見かけた悲しい後ろ姿も、仮面を脱ぎ捨てた、そんな一瞬だったのだろうか…

恐らく彼の本質はあの手紙の中にこそあるのだ。
社交界に縁のない田舎貴族の私にだけお見せになる顔。それが彼の安息ならば、私はいくらでも受け止めよう。

私は己の存在に意義を見出し、心密かに歓喜を覚えた。

ああ…手紙の文面から感じられた無邪気さとは違い、今にも消え入りそうなほど頼りなげな彼は私の庇護欲を掻き立ててやまない。
何度も記されていた疲弊した心。
私の贈った不格好なキャンドルごときを、両腕でしっかりと抱きかかえている様は、まるでそれしか拠り所が無いかのようだ。

母が時折作っていた蜜蝋のキャンドル。私はいつでもあの柔らかなオレンジの灯を見るのが好きだった。見様見真似ではあったのだが、シャノン様があの灯の向こうに安らぎを見出されることを願って、心を込めてお作りしたのだ。

そうだ。シャノン様ならばきっとそれが山野の花一輪でも、きっとその価値をお分かりくださる、そう信じて。
私の知る、市井の子供と輪回しに興じるシャノン様ならきっと…と。

そしてその答えは、私に向けられる満面の笑みの中にある。






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