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コンラッド

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アーロンがシャノンから昼食の招待を受けたと聞いて、私はその経緯を聞くためサロンでブラッドを待っていた。

シャノンの内面に触れた私たちは、今はもう彼がそれほど非情な人物で無いことを知っている。彼にそうさせていたのは私たちの未熟で罪な行いであり、そこから続いてきた負の連鎖こそがこの現状を招いたのだ。

あの騒動以来、彼はどこか毒気が抜けたように見える。私に向けられる辛辣な言葉でさえ、以前感じた氷の棘とは違って感じる。
だがそれでも、シャノンの抱える私たちへの苛立ちが無くなったわけではないのだ。

シャノンを失えば私の立場が揺らぐというブラッド。だが、私への感情も横に立つ未来も切り捨て、私への意趣返しだけを拠り所に生きるシャノンと、今更関係を再構築できるとは到底思えなかった。私もシャノンもとうにその時は過ぎてしまったのだ。互いに譲歩しあい、歩み寄る時期は。

それらの元凶となったアーロンに対し、彼がどういう態度に出るのか分からない以上、二人の会食に私は楽観などとてもできなかった。

そこに響いたノックの音。それは待ち人であるブラッドと先ほど探しても姿の見えなかったロイド。彼らは部屋に入るや、ここにくる道中聞き込んだ情報を話し始めた。

「それでブラッド。シャノンとアーロンの昼食の席で一体何があったと言うんだ!」
「だからシャノンがアーロンを突き倒し、彼の教科書を滅茶苦茶にしたと言ったんだ」

「誰からそれを…」
「シャノンの個室付きのメイドだ。机の上には使い物にならなくなったアーロンの教科書が置き捨ててあったと」

「何だと…」

やはり本質は変わらないのか…。
「あんな色狂いの神子気取りに誑かされて…、どうかしておりますコンラッド様!目をお覚まし下さい!」
そう言い放ったあの時のままだというのか…

「待つんだコンラッド。君は誤解している。アレはただのはずみだ。その証拠にシャノン様はご自分の教科書一式をアーロンに手渡された。ブラッド!片手落ちの話を鵜呑みにするんじゃない!」

「ロイド、君は…」

彼は私とブラッドを冷静に嗜めはじめた。

「私はこの目で見ていた!間違いない!」
「見ていた?どこで見ていたと言うんだロイド。はずみとはどういうことだ」

彼は噴水の影からそれを見ていたという。あの時アーロンはシャノンになにかを詰め寄っていたのだと。そのアーロンを追い払おうととっさに押し退けただけでシャノンに含みは無いと。

「むしろ問いただすならアーロンのほうだ」
「アーロンを疑うのか!」
「私はもう同じ轍は踏まない。ブラッド、判断するなら両者の話を聞いてからだ」
「それは…」

「ロイドの言う通りだ。アーロンはまだか。誰かアーロンを呼んでくれ」

呼び出しに応じやってきたアーロンは動揺することもなく、いつも通り穏やかに微笑んでいる。陽だまりのような柔らかい笑み…。私を捉えてやまない癒しの笑み…

「アーロン。突き飛ばされたとは本当か?」
「コンラッド、こんな大事になさらなくても…」

アーロンはいつもこうだ。シャノンからどれほど冷淡な態度を取られようが「些末なことです」そう言って何も無かったかのように振舞う。彼を見るたび、私は自分の狭量さを思い知らされる…

「ロイドが言うには、君がシャノンに詰め寄っていたと。どういうことか聞かせてくれないか」

「見られていましたか…。ロイド様、あの状況はシャノン様に神の教えを説くあまりつい夢中になりすぎたのですよ。いけませんね、急ぎすぎました」

「そういう事か…」
「だが床に倒れ込んだのは事実なのだろう!」
「ブラッド、あれは僕が悪いのです。シャノン様を悪く言うのはおよしください」

「アーロン…君という人は…」

これがアーロンと言う人なのだ。

「…彼はカマ教の布教において大きな力となる…なんとしても…」
「何か言ったかい、アーロン」

「いいえ、何でもありません」

小さな呟きは何だったのか…、だがアーロンはシャノンを庇うかのように話題を変えていく。

「ご覧ください。シャノン様は汚れた教科書の代わりにとご自身のものを下さいました。所狭しと細かい書き込みのあるこれらは学習に遅れの有る僕には難解ですが…きっと助けになるでしょう。これもまた神の導き…」

「書き込み…」
「見せてもらってもいいだろうか」

そこに書き込まれていたのは、複雑な記述の方程式を、なんと、訂正してあったり、不足する部分を補足するよう、さらに書き足してあったり、また文学の教科書に至っては、これでもかと作品に対する考察が書きこまれていたり、これらはすでに教科書というより一つの論文のようだ…。

これがシャノン…、あの聡明さの一端を見た気がする。そしてまた、彼の努力の一端をも。

「悪意は無かったということか」
「ええもちろん。彼もまた神の子。ですからこの話はもう終わり。よろしいですね」

これだけ手を加えた教科書を差し出すのだ。ロイドの言うよう、はずみだったと信じていいのだろう。

「素晴らしい教科書だ。アーロン、私の教科書にもそれなりに書き込みはある。君はそちらの方が理解しやすいだろう。ぜひ私のものと取り替えてくれないか」
「ロイド様、それはご親切に」

「シャノン様の教科書…」

ロイドの声が陶然として聞こえたのは気のせいだろうか…

「さあ。まだ時間はあるようですね。コンラッド、いつものようにデボーション神との対話を行いましょう。このルテティアの、より良き未来の治世のために…」

彼の纏う空気が一層崇高なものに変わる。私とブラッドは姿勢を正し御言葉を読み上げる彼の声に耳を傾けた。
その中にあってロイドだけが…いつまでもシャノンの教科書を見つめ続けていた…







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