愛に縛られ、愛に溺れる

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「でも……何か約束でもあったんじゃないんですか」

　やっと顔を上げた柏原の視線が、机に置かれた水瀬のスマホに向けられる。

「ああ、大丈夫だから」

　水瀬は苦笑する。さっき連絡が来ていたことを気にしているようだが、相手は今から帰社するであろう上司の久賀くが　正治まさはるからだ。
　これから帰社するから、九時ぐらいには合流できると書かれていた。まさかここに水瀬が居るとは、予想だにしていないだろう。申し訳ない気持ちもあるが、後輩を置いて帰るわけにはいかないという気持ちもあった。
　ふいにドアが開かれる音が聞こえ、二人して入り口に視線を向ける。
　長身の男が入ってきたことで、椅子を倒さんばかりに柏原が立ち上がる。

「課長！」

　駆け足で近寄る柏原の後を水瀬も遅れて追う。
　眼鏡の奥の怜悧な目が、まず柏原を見た。表情が読めず、怒っているのか怒っていないのか。一見すると分からない。さらにすらっとした長身の体躯が、人を見下ろす形になり威圧的に感じられる。それが久賀が恐れられている理由の一つでもあった。
　久賀は三十半ばにしてすでに出世しているだけあり、仕事も出来る。後輩のミスをきちんと対処してくれるのだから、良い上司であることは間違いない。それに綺麗に整った顔立ちには、男の色気さえある。ただ、表情が乏しいせいで、損しているだけなのだ。
　周囲が久賀を恐れて謙遜している姿を見る度に、なんだか孤立しているようで水瀬はいつも居たたまれない気持ちにさせられていた。
　必死に頭を下げている柏原から、今度は水瀬に視線が向けられる。案の定、その目が少しだけ見開かれた。

「すみません。課長。私も近くにいながら、フォローが至りませんでした」

　柏原の隣に並び、水瀬は頭を下げる。隣で戸惑う声を出す柏原を無視した。