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誘いの夏
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しおりを挟む「その人はすごく病弱で、後半はほぼ寝たきりだったらしい。だけど友人が頻繁に通っていて、夜な夜な女がそこに座るって話を聞いてたんだとよ」
咲本が庭につながる障子を指さす。
虫が入ってこないように、今は閉ざされていた。部屋が明るいせいか、障子に影は映っていない。
「もちろん友人ですら、最初は妄言かと思った。だけど、その友人が泊まった時に見たらしい。その女の影を」
僕はゾッとした。友人も見たとなると、話が変わってくる。
「友人がたまたまトイレに立った時に、戻ってきたら曾祖父の兄が起きていて、障子を見ていたらしい。誰かいるのかと思って障子を開いたら誰もいない。その時、曽祖父の兄が言ったそうだ。ほら、本当にいただろって……」
急に真実味を帯びた話に、僕はビビっていた。
せめて昼に聞いてればと、思わずにはいられない。そんな僕に対して、咲本は気にせず続ける。
「見た以上は本当だったと、信じるしかない。相手が人間じゃあない以上は、やめた方がいいと友人は考えた。だけど本人は彼女に会いたい、好きだと言っている。それでも友人は諦めるように説得し続けた。しばらくして友人の元に手紙が届く。女が迎えに来たから行くと、別れの挨拶が書かれていたらしい」
僕は固唾を飲んで聞き入る。怖いけれど、どうなったのか気になっていた。
「友人は急いでここに向かった。そこで家族が慌てふためく姿を見ることになる」
「間に合わなかったの?」
咲本が頷く。
「布団はもぬけの殻だったらしい。そこら中探したけど、結局は見つからなかった。体力的に長距離は動けないはずなんだけど、どこにもいなかったそうだ」
「警察は?」
「もちろん届けただろ。貧弱とはいえ家長だからな。まぁーその後、見つからないまま、曽祖父が家督を継いだらしいけど」
とりあえず概要は話したとばかりに咲本が、お茶の入ったペットボトルに口をつける。
「とにかく、最後の頼みの綱として祐智がここに呼ばれたってわけだ」
「そんな事言われても……」
「別に気負いする必要はない。そもそも俺は言うつもりはなかった。何もなければ、ただの楽しいお泊まり会で済んだからな。わざわざ怖がらせるような事を言う必要がないだろ」
言いたい事は分かるけど、それは自分勝手すぎる。でも咲本はそもそも自分勝手だから、そこを指摘したところで通じない。
「だけど祐智の俺に対する想いを聞いて、気が変わったんだ。俺は祐智にだけは、嫌われたくないからな」
「嫌われたくないなら、僕を巻き込むのはやめてよ」
言ってることとやってることが矛盾している。いつものことだけど。
「巻き込んでるんじゃない。祐智となら何とかなると思ってるだけだ」
心外だとばかりに、咲本が憤りを滲ませる。 反論したいけれど、どうせ立て板に水だろう。
僕は大きな溜息を吐いて、怒りを鎮める。それから時計を見た。
もう夜の十時を過ぎていて、疲労もピークに達していた。
恐怖がないわけじゃないけれど、この部屋には澄子さんも咲本もいる。そう思えばなんとかなるだろうという気になれた。
喋ってスッキリしたのか咲本も大きく伸びをして、うつ伏せで布団に倒れ込んでいる。
「とりあえず、期待はしないでね」
僕はそう念を押しておく。咲本は間の抜けた声で返事をして、だるそうに手をひらひらさせる。
僕が電気を間接照明にすると、咲本はすでに寝ているようで規則正しい寝息が聞こえる。
いくら夏とはいえ朝方は冷えると、死体みたいに倒れている咲本に、薄手の布団をかけてやる。
それからやっと自分も布団に入り込む。体が重たく、一日目にしてぐったりだった。
障子の方を向いて寝るのはさすがに怖く、僕はそちらに背を向けて澄子さんの方を向いた。
ぼんやりとしたオレンジの光が、澄子さんの頬を染めている。瞳が天井を見つめる姿は、なかなか見ない光景で新鮮だった。
その姿を僕は微睡みながら見つめ、やがて深い眠りに落ちていった。
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