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誘いの夏
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しおりを挟む僕の初恋は、澄子さんと同じ作家の人形だった。
そもそも僕は、日本人形を少し怖いと思っていたし、ひな人形だって別段何とも思ってはいなかった。だけど幼稚園の年長の時に、祖父が預かっていた清美さんを見て、雷に打たれたような衝撃を受けた。
まるで理想的な女の子を、そのままレプリカとして小さくなったのかと思ったのだ。
「昔ながらに拘る人は、きっと手を出さないだろう。だけど、これはこれで時代に沿っていて良い作品だ」
当時、祖父がそんなことを言っていた。
一般の人が趣味で作っているようで、基本的市場には出回っていない代物だった。
だから清美さんを修復の為に、持ち主に返すことになったのも仕方がないことだった。初代の作品で、どうしてもという作者の意向だったらしい。
だけどその時僕は、失恋のショックと学校でのイジメから死のうとまでしていた。
それから僕が落ち込んでいるのを知った祖父が、何とか手に入れたのが澄子さんだった。
もちろん、僕はすぐさま恋に落ちた。
何故なら、清子さんの面影を引き継ぎながらも、どこか憂いを帯びた表情が僕の心境と重なったからだ。
作家の手で作られ、別の人の元に渡ったことで、彼女も寂しさを感じているように見えた。
僕も清子さんと別れた寂しさと、誰からも理解して貰えない辛さを感じていたのだ。
「澄子も、お前が来て喜んでる」
「そうかな……」
「ああ。いつもと表情が違う。一緒に過ごしてやってくれ」
僕は照れつつも頷く。
「お前が卒業した時は、澄子を貰ってくれな」
「うん。ありがとう」
以前から祖父は僕に、高校を卒業したら澄子さんを貰って欲しいと言ってくれていた。
だから僕は、きちんと澄子さんを迎え入れれるように、今から一人暮らし用の貯金をしている。
「あのさ……実は理解のある友達がいて、今度旅行に澄子さんを交えて、一緒に行かないかって言ってくれてるんだけど」
僕はためらいがちに聞いてみる。
「本当に大丈夫なのか?」
案の定、祖父の表情が重たく沈んだ。
「大丈夫。その友達も僕と同じで、辛い思いしてるから」
傍にいるのに一枚の壁がある。それもどう頑張っても、向こう側に行けることがない。行ったら行ったで、周囲からは祝福どころか批難されてしまう。
そんな咲本の恋愛に、僕まで胸が痛かった。
「……そうか。お前がそう言うなら、大丈夫だろう」
祖父がやっと相好を崩す。
「おじいちゃんは、僕が人形に恋愛してるって知って……嫌じゃないの?」
ずっと気になっていて、聞けなかったことを僕は尋ねた。
「驚きはしたな。おじいちゃんと一緒で、ただの人形好きだと思っていた。だけど、初恋だとか結婚したいとか、言い出した時は正直戸惑ったよ」
祖父が穏やかな表情なのが、せめてもの救いだった。
「だけど、別にそれでも良いんじゃないかと思ったんだ。犯罪でもなければ、誰かを傷つけるわけじゃない。それに祐智の人生なんだ。好きに生きれば良い」
僕の肩を祖父が叩く。僕は堪えていたのに、涙が目から零れていた。
袖で拭いながら、何とか首を立てに振った。
「辛いだろうけど、おじいちゃんはいつでもお前の味方だからな」
僕は再度頷く。堪えていた何かが一気に溢れ出したように、止めることが出来なかった。
「澄子の前だぞ。あんまり泣いてると呆れられちゃうんじゃないのか」
祖父の茶化すような言葉に、僕の頬が緩んでいく。
「ほら、メシにしよう。おばあちゃんが、張り切ってたからな」
祖父に促され、僕は「そうだね」と返す。
理解してくる祖父母に、僕は感謝していた。
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