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立夏の落恋
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しおりを挟む背後で僕の名を呼ぶ咲本の声がしたけれど、頭の中が真っ白で振り返ろうとなんて思えなかった。
デリカシーのなさはいつものことなのに、僕は何故か許そうとは思えなかったのだ。
気がつけば目の前に、トイレがあった。
学校で何かあったときは、必ずトイレに逃げ込む。その習性が今なお抜けていないのだと僕は失笑する。
不意にどこからかすすり泣く声が聞こえ、僕は足を止めた。
どうやら、隣の女子トイレから聞こえるようで、壁に反響して外まで漏れ聞こえているようだった。
失恋でもしたのか、友達にでもいじめられたのか。
かといって、話しかけるわけにもいかず、僕は何だかもどかしい思いがしていた。
冷静になった僕は、トイレに入ることはせずに教室へと戻った。
今戻れば、そう気まずくはならないだろうと思ったからだ。
案の定、突然消えた僕に驚いて声を掛けてきた人もいた。
そこで僕は「ホームルーム前にトイレ行っとこうと思って」と言って誤魔化した。
昔に比べてそれなりに、対応が出来るようになった自分自身を褒めてやりたいとすら思えた。
咲本は僕をチラリと見ただけで、黙っていた。何か言われるんじゃないかと思っていた僕からすれば、少々拍子抜けしたぐらいだ。
利き腕ということもあって、咲本は何かと不便そうだった。ノートも取れないようで、後で貸してと言われるのを想定して、僕は板書に励む。
昼休みになり、僕は咲本と共に屋上へと上がる。
いつもより大人しい咲本に、僕は耐えられずに「具合でも悪いの?」と聞いた。
咲本は「いや……」と言って、カレーパンを取り出した。
さすがに片手じゃあ、開けづらいだろうと僕が代わりに開けてあげる。
「わりぃな」
咲本は何だかしおらしく、左手で受け取る。
「なんか素直な咲本は気持ち悪い。普通にして」
僕がそう言うと、咲本が唐突に「さっきはごめん」と呟く。
「やめて……雨が降る」
殊勝に謝る咲本に、何だか据わりが悪くなる。
「別に良いから。本当にトイレだし」
嘘であり、本当のことだからそう返す。
「本気で心配してくれてたんだと思って、ちょっと浮かれちまってた」
「いいから。ホントにキモいよ」
僕はそっぽを向く。頬が熱くなり、身の置き場に困る。
「それより、腕は大丈夫なの? 骨折?」
気まずい空気を払うように、僕は話題を転じる。さっき打撲と咲本が言ってたように思えたけれど、気付いたのは聞いた後になってからだった。
「いいや、打撲で済んだ。一歩間違えれば、骨折してたから不幸中の幸いだったらしい」
咲本の眉間に、深い皺が刻まれる。
「てか、俺はわざとだと思ってる」
続けた一言に、僕の顔も険しくなった。
「どういうこと?」
「アイツ、後ろの右側にいたんだけど、右足を離しやがった。それも前傾姿勢で手を離してる時に」
「わざとだとしても、他の人も危なくない?」
もしそれが本当ならば、それは信じられないことだった。咲本だけでなく、他の人も被害に遭う可能性がある。
「そこまで考えてないんだろ。騎馬戦だったら何とでも、言い訳がつくからな」
最悪、頭から落ちていたら大事故につながっていたかもしれない。そう思うとゾッとした。
「一応、騎馬を組んだメンバーからは、謝られた。先生もいたし、俺も事を大きくしたくないから黙ってたけど」
「……指摘するかと思ってた」
意外だなと思っていると、咲本が口を開きかける。
そこでちょうど、予鈴が鳴り響く。
慌てて散らかしたゴミを片付けて、屋上から教室へと向かった。
教室に入るなり、「三年の人が探してたぞ」と咲本が声をかけられる。
誰かと咲本が聞いている隙に、僕は席へと戻った。
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