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同情の春
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しおりを挟む「よくやった! さすが祐智」
咲本の満面な笑みに僕が驚いていると、咲本はその藁の塊を手で掴みだす。それからしゃがみ込み、川面でしゃばしゃばと洗い始める。
「どういうこと? それ、なんなの?」
怒りも忘れて混乱していると、咲本が笑みをそのままにその物体を水面から取り出す。
さっきまで分からなかった、ただの藁の塊。その正体を分からないままの方が良かったと、僕は酷く後悔した。
堪えていた恐怖が再び姿を現し、僕の背筋は凍り付く。
咲本の手に握られていたのは、実際には目にすることがあるはずのない、藁人形がそこにはあったのだ。
そんなの都市伝説の一つにしか過ぎないと思っていた僕は、突如として現れた呪いグッズを前に言葉を失った。
「あったぞ!」
僕を尻目に咲本が立ち上がり、藁人形を掲げて叫ぶ。
愕然としたまま、僕は咲本の視線の先を追う。向こう岸に立つ女の姿を見つけ、僕の肌が総毛立つ。
木の陰で見えなかった女の姿が微光に晒されていた。細身を包む白いワンピースに伸ばした片腕。表情はおじいちゃんの家に飾られている鬼の面のような恐ろしさだった。
「返して!」
女が叫ぶ。山にこだましたその声は、獣の咆哮みたいだった。
一体何が起こっているのか。僕にはさっぱり分からない。
「それは出来ねぇ」
場が一瞬にして凍り付いたのを、僕は人生で初めてその身で感じた。
早く渡した方がいい。何がなんだか分からない僕でも、それだけは本能的に感じ取っていたのだ。
「こんなことして何になる。無駄な事はもうやめるんだ」
まるで警察官が犯人に呼びかけるような咲本の言動に、女の顔がさらに醜く歪んだ。
「返さないなら、お前も呪い殺す」
離れているはずなのに、すぐ近くで言われているような錯覚に陥る。
女から目を背けたくとも、何をされるかわからないのが恐ろしくて、そうもいかなかった。
「それは卑怯だ。あんたは見つけなければ呪い殺すとは言った。だけど、渡せとまではあのとき言ってない」
理不尽だ、と僕は思った。だけど、いつも理不尽な目に遭っている僕からしてみれば、咲本だしなという感覚だった。
「それにだ、こんなことしても意味がないことぐらい、分かっているはずだ」
「うるさい! 良いから返せ!」
女の怒鳴り声に、僕はすっかりびびっていた。諦めて返した方が良い。僕たちには関係ないことなのだから。これ以上、厄介なことになる前に。僕はそう訴えようと口を開こうとした。だけどそれより先に、咲本が口を開いた。
「もうこの人は死んでる。だから、これ以上打ち続けたって無駄だ。あんたもいい加減、解放された方が良い」
僕は呆気に取られた。何故、死んでいると分かるのか。
女も戸惑っているのか、返す言葉を失っていた。
「それにろくな死に方してない。あんたが呪うまでもなくな」
「なんで、分かるのよ……そんなこと」
女の言うとおりだ。僕はやっと咲本を見る。
「分かるさ。ろくでもない人間だったんだろ。だからあんたは、こんなとこまできて、夜な夜な呪いを掛けてたんだ」
咲本は肩をすくめる。確かに呪ってやると思うぐらいに、相手が憎まれるようなことをしたのは間違いないだろう。
「このままだと間違いなく、あんたは地獄に墜ちる。だけど、俺がこれを預かって、きちんと処分すりゃあ、問題ない。俺はな、あんたに幸せになってもらいたいんだ」
急に人情味溢れることを言い出す咲本に、僕は唖然とする。咲本は一つ溜息を吐くと、女を哀れむような目で見た。
「今まで辛かったんだろう? だったら、今度は幸せになれ。幸せになることが一番の復讐って言うしな」
さっきとは打って変わって、女から殺気が消えていた。悄然とした面持ちで、視線の落としている。
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