咲本翔琉は僕を巻き込む

箕田 はる

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同情の春

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「ちょっと、もう危ないからそっちは行かない方が良いって」

 僕は慌てて咲本の腕を掴む。さすがに戻ってこれないという展開は、勘弁して欲しい。

「なんだ? 怖いのか? だったら、手を繋いでやってもいい」

 咲本が僕の手を握ろうとしたところで、慌てて引っ込める。

「そうじゃなくて! もう暗いし、迷子になったらまずいじゃん」
「別に。俺はもう何度もここに来てるし」

 咲本はそう言って、ずんずん進んでいく。
 僕だけでも帰ろうかとも考えたけれど、彼の鞄には残りのマシュマロがある。
 そう……咲本はせこいのだ。僕が途中離脱しない為にも、二個しかくれない。残りは咲本の気が済んでからだった。
 獣道を歩くことさらに二十分。本当に大丈夫なのか、と不安が限界に来た頃。咲本が「あった」と声を上げる。
 目の前には川が流れ、桜の花びらが水面を飾っていた。流れこそ穏やかだが、底が見えにくい。石も多く、足を踏み外しでもしたら危ないだろう。

「こんな場所、知らなかった」
「そりゃあ知ってたら、みんな来ちゃうだろ。一種の秘境だからな。ここは」

 秘境は言い過ぎだけど、確かに子供が見つけでもしたら、水遊びでもしたくなりそうだった。

「さて、暗くなる前にとっとと釣ろう」

 そう言って咲本は、石の上に置きっぱなしにされている竹の釣り竿を手に取った。

「何釣るの?」

 釣りなら楽しそうだと、案外咲本もまともじゃんと僕は少しだけ見直す。

「何って、カッパに決まってるだろう」

 そう言ってから咲本は肩掛けバッグから、きゅうりを取り出した。それを糸の先端にくくりつけると、早速川へと投げ入れる。

「帰る」

 僕は咲本に背を向ける。少しでも楽しそうだ、咲本もまともじゃんと思った僕が馬鹿だった。

「おい、ちょっと待てよ」

 咲本は釣り竿を右手に持ったまま、左手で僕の腕を掴む。

「付き合ってらんない」
「まぁまぁ、そう言うなって。今日こそ、捕まえてやるから」
「まるで僕が、捕まえて欲しいって言ったみたいじゃんか」

 それから咲本は僕の腕を放し、肩掛けバッグからマシュマロの袋を取り出す。

「ほら、これでも食ってろよ」

 僕は渋々、咲本からマシュマロの袋を受け取って、近くの石に腰掛ける。
 空は薄青みがかっていて、あと一時間もすれば暗くなりそうだった。
 スマホで時間を確認すると、五時を過ぎている。

「三十分ね。それ以上は、さすがに危ないから」
「わーかった、わかった。うるさいと釣れなくなる」

 そもそも釣れるわけがないと、僕は半ば呆れていた。
 しばらく真剣な表情で釣りをする咲本を見つめる。黙っていれば、イケメンなのにもったいないと、僕は宝の持ち腐れという言葉が浮かぶ。
 それから周囲を見渡し、薄闇に沈みそうな木々を見た。ここら一帯は、名も分からない常緑樹が植わっているようだった。
 全然花見する気がないというのがあきらかで、僕はまたしても騙されたのだと溜息を吐いた。
 不意に向こう岸の木々の間からこちらを見つめる、白いワンピースのような服を着た女性が目にとまる。黒髪のショートヘアーが遠目でも分かり、ぼんやりとした輪郭は今にも闇に溶けそうだった。
 こんな場所に、この時間に?
 そんな疑問から、咲本に声をかけようと僕は視線を咲本に移す。咲本も向こう岸を見ているようで、女の姿に気付いているのかもしれない。
 僕は立ち上がり、咲本に近づく。

「ねぇ、女の人がこっち見てない?」

 それから僕は視線を向こう岸に向ける。

「あれ?」

 帰ったのか、さっきまでいた場所に女性の姿はなくなっていた。

「えっ、いたよね?」

 僕が再び咲本に尋ねると、「いねぇよ」と視線を川に向けていた。

「だって、咲本も向こう側見てたじゃん」

 そう言って僕が、女性がいた位置を指さす。

「何かの見間違えだろ。それより、さすがに暗くなってきた。帰るぞ」 

 咲本はカッパどころか、何も変化のないキュウリを引き上げると、早々に片付け始める。
 僕はもう一度だけ、女性のいた方を向く。
 木々の暗がりに閉ざされ、恐怖だけがそこに残されていた。
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