咲本翔琉は僕を巻き込む

箕田 はる

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同情の春

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 息を切らしつつ、僕は左右を見渡した。
 それから素早く下駄箱を開け、何もないことを確認して一度は安堵する。
 第一関門クリア。それから早々にスニーカーに履き替え、焦りでもつれそうになる足で一歩踏み出した。

「ゆうちー」

 突然、背後から声をかけられ、声を上げそうになるのを辛うじて呑み込む。
 恐る恐る振り返ると、クラスメイトの孤田こだがいた。

「ヨッシーが理科室に来いってよ」

 ヨッシーは理科の講師で、本名は吉川だ。だけど緑色のネクタイばかりしているせいか、みんなからヨッシーと呼ばれている。

「嫌だ……僕はもう騙されない」

 孤田から目を逸らすことなく、僕は後ずさる。きっと、孤田はすでに買収されているはずだ。
 この一年間、僕は幾度となく罠にかかってきた。今年こそは、静かな学生生活を送りたい。

「落ち着けって。本当にヨッシーが呼んでるんだよ。テストの解答用紙、忘れてったらしいじゃん。俺が受け取っても良かったんだけど、祐智が可哀想だから直接渡すって、断られたんだよ」

 孤田が眉尻を下げて、心底呆れたように言った。僕は慌ててスクールバッグを引っかき回す。
 確かにテストの答案用紙が、どこを探しても見当たらない。良い点だったらまだしも、あれは僕の十六年と十一ヶ月の人生のうちで、最悪な点数のやつだった。
 新学期早々にテストを出すという、ヨッシーの人格も疑いたくなるところだけど。

「まぁー祐智ゆうちが良いなら、俺が貰ってくるけど」

 孤田の特徴的な一重の鋭い目が、僕を見つめる。しばしの膠着状態。これが本当の話なら、実にまずい展開だった。
 孤田のことだから、僕の悪いテストの結果を言いふらすに決まってる。それが分かっているから、孤田の目が少しだけ意地悪そうに孤を書いているのだろう。

「わかった。行くよ」

 これが罠だとしても、テストの点をバラされるよりはマシだ。
 僕は諦めて、スニーカーからスクールシューズに再び履き替える。

「そんなに嫌ってやるなよ。友達に避けられるって、結構キツいもんだからさー」
「やっぱり……咲本さきもとじゃんか」

 僕が睨み付けると、孤田が肩を竦める。

「ヨッシーだってば。俺って、どんだけ信用ないの」

 日頃から嘘しか言わないからいけないんだという言葉を呑み込み、嘆く孤田を残して理科室へと向かう。
 重い足取りで二階に上がり、廊下の一番奥にある理科室へのドアを開ける。
 黒い長机が並んだ窓側。そこに想像通りの人物の姿が目端に映り込む。
 もちろんヨッシーじゃない。ブレザー姿で窓辺に腰掛け、長身を持て余したようなキザっぽい姿は間違いなく咲本だった。

「遅かったな。もう少しで飛行実験が行われる所だった」

 咲本の手には紙飛行機。僕の答案用紙に間違いない。

「良いよ。飛ばせるもんなら、飛ばしてみなよ。もう二度と口聞かないし、目も合わせない。いない存在として扱うから」

 僕はそう言いながら、咲本に近づく。わかりきった展開でも、僕は苛立ちを隠せなかった。

「わーかったよ。ほら」

 そう言って、紙飛行機を僕に向かって飛ばす。墜落寸前で僕は、それを見事にキャッチする。

「祐智が逃げるのがいけないんだろ。せっかくまた、同じクラスになれたってーのに」

 ふて腐れたように呟き、窓から腰を上げる咲本。僕は用が済んだとばかりに、ドアへと向かう。

「祐智、付き合えよ」
「嫌だ。僕は用があるんだ」

 すげなく返すも、咲本は「なんでだ? デートか?」と聞いてくる。

「今日は澄子さんと会う約束してるんだ。咲本に付き合ってる暇はない」
「はぁ? お前、こないだ清子だっけ? 付き合ってたんじゃなかったのか?」

 僕は足を止めて振り返る。それから僕より頭一つ分高い背を忌々しくも見上げ、「清子じゃない! 清美さんだ」と訂正する。
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