去りし記憶と翡翠の涙

箕田 悠

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第四章

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「俺が過去に誰かを好いていたとしても、今はお前を好いている」
「……ヒスイさん」

 ヒスイに一瞬手を強く握り返される。その掌は少しだけ温かいように感じた。
 でもその事はヒスイには黙っていようと、天野は口にはせずに自分の心にしまい込む。もしかしたらヒスイも、人間になる日が来るのかもしれない。
 現実にはあり得ないことだろう。でも天野がヒスイやミヨとミコと過ごしてきた日々も、十分に奇々怪々だった。だからこそ、絶対にないとは言い切れないはずだ。

「ヒスイさん……僕の名は『蓮介』というのです。母が愛した睡蓮の花にちなんで付けられました」
「なるほどね。だからこの場所に引き寄せられたのかもしれないな」
「僕たちは……死ぬまで一蓮托生です。ずっと一緒にいましょう」

 天野は父の言葉を借りる形になってしまったが、一向に構わなかった。父が果たさなかった約束を、自分は必ずや果たすつもりでいる。

「妖怪とは約束するなと、あれだけ言ったのに……」

 ヒスイが顔を顰めるも、呆れたような表情に変わる。

「でもまぁ……そうだな。蓮介」

 優しげな口調で名前を呼ばれたことに、驚いて「えっ」と言葉を零す天野を残し、ヒスイはその場を離れていく。
 遠ざかっていく後ろ姿を、半ば放心状態で天野は見つめる。
 蛍に囲まれているヒスイにミヨとミコ。まるで夢のような、幻想的な風景だった。全てが綺羅びやかに瞬いている。
 天野はこの光景を胸に焼き付けるように、幸せを噛み締めながら静かに見守った。
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