去りし記憶と翡翠の涙

箕田 悠

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第四章

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 灯籠流しをするために、天野は早速準備に取り掛かろうとして自分の不器用さを痛感した。材料となる木の板が此処にはなく、切るにしてもノコギリぐらいの道具しかない。それに支柱にする為に、竹を細く切る必要がある。まともに包丁も握れない成金の息子には、そんな大それた事は出来なかった。
 それでもミヨとミコを失望させるのは忍びなく、悩みに悩んだ末、池の近くに竹灯籠を並べるという事で収まった。
 早速竹を取りに行こうと、炊事場で夕飯の下準備をしていたヒスイに天野は声を掛ける。

「ヒスイさん。竹を取りに行きたいのですが、この辺に生えていますか?」
「何に使う気?」
「灯籠を作ろうと思っているのですが、竹が必要でして」

 天野はヒスイの隣に並ぶと、ヒスイの手元を覗き込む。器用に魚を開いている流暢な動きに、天野は羨望の眼差しを向ける。

「流石ですね。僕と違って器用です」
「お前が不器用なだけだろ。お前一人じゃ、何時間かかっても竹が切れないだろうし――」

 捌いた魚を器に入った液体に付け、ヒスイが溜息を吐きつつ水道で手を洗う。

「俺も行くから、蔵からのこぎり持ってきて」
「ありがとうございます。助かります」

 ヒスイの言う通りで、自分では竹を切るのにかなりの時間がかかってしまうだろう。
 天野はヒスイの指示通りに、屋敷の裏手にある蔵からのこぎりを持ち出すと玄関の前でヒスイが来るのを待った。
 燦々さんさんと降り注ぐ初夏の陽光が視界を白く染め、その眩しさに天野は目を眇める。梅雨の時期よりも日が延びていて、正確な時刻は分からない。あんまりにも遅くなると池に向かうのも足元が覚束なくなるだろう。
 婚礼の晩。自分はそんな危険な夜の森に躊躇なく、誘われるように足を向けたのだ。今思えばよくそんな勇気があったものだと、自分自身に天野はゾッとした。そこまで思い悩んでいた理由はなんだったのだろうか――天野は遠くに見える森をぼんやりと見つめる。

「何? また郷愁に駆られてるのか?」

 背後からヒスイに声を掛けられ、天野はハッとして我に返る。

「すみません。ぼんやりしてました」
「帰りたかったら帰っても良い。お前の人生なんだから」

 ヒスイが先立って歩き出し、天野は慌てて追いかける。

「僕の人生だからこそ、僕は此処に残る事を決めたのですよ」

 ヒスイの隣に並び、天野は空いている方の手でヒスイの手を取る。握り返してこないが振り払われもしない。低い掌の温度に、天野は笑みを零す。

「夏はヒスイさんの傍は快適ですね。冷たくて気持ちがいい」
「冬は嫌になるんじゃないのか?」
「嫌にはなりませんよ。僕が温めてあげますから」

 天野は繋いだ手に力を込める。

「……それは大儀なことだな」

 ヒスイはぶっきら棒に呟くと、繋いだ手をきつく握り返した。




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