去りし記憶と翡翠の涙

箕田 悠

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第一章

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「本当に妖怪なんですか?」

 つい口から本音が溢れてしまう。
 あっ、と思っているうちにヒスイの目がこちらに向けられ、気まずさから視線を逸らす。

「じゃあなんで、俺はお前の涙舐めたんだ? お前たちは互いの涙を舐めるような行為は、日常茶飯事なのか?」

 ヒスイが呆れたように言葉を返してくる。
 確かにあの行為には驚かされたし、涙を舐めて記憶喪失だと分かる人間はいないだろう。
 あの飲み物もどこか可怪しかった。飲んだ瞬間のあの幸福感は何だったのか。それに涙も突然出てきて、なかなか止まらなかった。
 一つ疑問に思うと、後から後から疑問が湧き上がってきてしまう。
 さっきまでは微塵も感じなかった恐怖までもが、引きづられるように背筋を凍らせていく。
 穏やかな春の陽気とは裏腹に、体温が一気に下がっていってしまった。

「まさか、今更怖くなった?」

 ヒスイが訝しげな目を向けてくる。加えてどこか楽しそうに唇を釣り上げていた。

「怖いだなんて……」

 そう言いつつも、天野の唇が微かに震えてしまう。

「まぁ、怖がられる事には慣れてる」

 自嘲気味に漏らすと、ヒスイが立ち上がり和室に戻っていってしまう。
 すぐに追うべきなのかと逡巡するも、バツが悪くすぐには立ち上がれない。
 ヒスイが妖怪であることは間違いないのは分かった。だからといって、すぐにでも取って食われるとは思えなかった。
 最初から危害を加える算段だったのなら、もうとっくに食われているはずで、邪魔ならばさっさと追い出せばいいはず。
 それに、幸せな記憶が欲しいと言った。思い出せるか分からない相手に賭けのような事をして、直ぐには追い出さないのは、少なからず親切心があるのだろう。
 そうこう考えているうちに、中庭を照らしていた白い光は、いつの間にか夕焼け色に変わっていた。
 いつまでもこの場所にいるわけにもいかず、天野はゆっくりと立ち上がる。
 夕飯の支度をしなければと分かっていた。料理はできないけど、何もしないわけにはいかない。
 居候する以上は何かしら役に立ちたいと思う。
 ヒスイに頭を下げて、一から教えてもらおうと探しに向かった。

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