夏の雪

アズルド

文字の大きさ
上 下
17 / 30
第十六章

鷹の目

しおりを挟む
「お、お母さん…!今日は帰ってくるのが早かったんだね?」

「いつもと同じくらいでしょ?隣にいる男の子は中学生…じゃなくて…その制服は…まさか高校生?」

 背の低い夏海を鋭い目つきで小雪の母親は見下ろしている。夏海は初対面なのに小雪の母親から圧のようなものを感じ取っていた。

「えっと…この人は…私の…大事な…彼」

「ただの友達です。勉強わかんないところがあって教えてもらってました」

 小雪の発言を遮るように夏海は答えた。ただの友達と言われて小雪はショックを隠しきれない。

「そう…。こんな時間まで帰らないと、親御さんが心配してるんじゃないかしら?」

「見た目は中学生だけど…一応、成人してるんで親も心配はしてないっすよ?」

「成人してるのに…高校生なの?」

「お母さん!それ以上は…失礼だよ?」

「あら?失礼な事は言ってないと思うのだけど」

「色々と訳ありなんすよ。病気で何年も入院してましたから」

「そう…。小雪と同じ理由なのね」

「だから悩み相談とかしやすくて…。夏海君と話してたら…心が癒されるの…」

「俺は歩いて帰りますんで。小雪さん、また明日、学校で…」

「うん、またね」

 もう少し夏海と一緒にいたかったが、一人で帰って行く後ろ姿を見送る。小雪と母親は無言で非常階段を黙々と昇る。エレベーターで先に帰った母親の再婚相手は、キッチンで鍋の蓋を開けて呟いた。

「今日は肉じゃがを作ったのか。美味そうな匂いだ」

 再婚相手は三人分の肉じゃがを盛り付ける。そして自分の股間を触った後に小雪の席に置いた肉じゃがに指を突っ込んだ。そこに小雪が母親と一緒に帰宅する。何も知らない小雪は自分の席の肉じゃがを見てこう言った。

「肉じゃがはさっき食べたからもう要らない。お養父さんが私の分も食べて?」

「そんな冷たい事を言わずに三人で一緒に食べようじゃないか?」

「太ったらお母さんに叱られるから…」

 小雪は再婚相手を冷たくあしらって、自分の部屋に引きこもると、パンダ柄のノートを開いた。

「今日は夏海君と一緒に買い物に行けて楽しかったです。あのショッピングモールの二階に私のバイト先のネイルサロンがあるよ。予約制だから男の人も結構来ますが、私を指名してくれるので、日曜日に予約があったらバイトしてます。男の人は爪を整えるだけなので、ネイルアートはしない人が多いです。夏海君も来て欲しいな。あっでも爪を整えるだけでも三千五百円だから無理かな」

 いつもより長文が書けたのでノートを閉じると、部屋の窓の外の棧に小さな洗濯物干しで挟んで置いた蝶柄の下着が乾いているかどうかを確かめる。

「お義父さんが触ってたから、気持ち悪くて洗い直したけど、まだ乾いてないな…」

 明日は水曜日なので夏海とのデートの日は必ずこの下着を着て行くと決めていた。

「婚姻届にも夏海君にサインしてもらって竹田さんにもサインして欲しいって相談に行かなきゃ」

 小雪は大事なものをしまってある、大きな宝石箱の底の隠し蓋を開けると、綺麗に折り畳んで中にしまっておいた婚姻届を取り出した。そこにパソコン教室のテッシュも一緒に詰める。

「そうだ!スナックってこの時間になら開いてるよね?夏海君のお母さんに会いに行こうかな…」

 携帯電話のマップ機能で“スナックじゅん子”を検索にかけるが、なぜかヒットしない。居酒屋と言う検索ワードで探しても違う名前のお店がヒットするだけだ。

「こんな時間に外を歩き回るのは危険だと思うけど…夏海君のお母さんに会って夏海君の話を聞いてみたい…」

 小雪は母親と再婚相手が寝室に入ったのを見計らって、こっそり外に出た。コンビニでアニメキャラのペットボトルのジュースを買う為に深夜徘徊していたので、プチ家出の常習犯ではある。マンションから出るとカップルが公園でイチャイチャしていた。

「夏海君とイチャイチャしたかったな…。後少し早くマンションから出てたら今頃ここで…」

 カップルが公園でいけない事をしているのを見て小雪は妄想を膨らませる。街灯の灯りを頼りに場末のスナックがありそうな場所までフラフラやって来た。焼鳥屋があったので近くまで行くと、隣のアパートの一室らしきドアから、昭和のヒットソングを熱唱するカラオケの声が聞こえてくる。ドアの前に行くと小さな看板に“スナックじゅん子”と書かれていた。

「ここだ!女の子が入っても怒られないかな?」

 小雪がしばらく店の前でウロウロして悩んでいると、隣の焼き鳥屋から酔っ払いが出て来て話しかけて来る。

「こいつはえらいべっぴんさんやな…。こんな場末のスナックにお姉ちゃんみたいな上玉が働いてるなんて知らんかった!」

「えっ…?違うんです!私、この店で働いてるってわけじゃなくて…」

「お姉ちゃん、ええ体してんなぁ~。指名してやるから店に入ろう?」

 酔っ払いに無理やりスナックじゅん子の中に引き入れられた。極道の妻のような着物姿の中年女性が、カウンターの向こうで客の相手をしている。

「あらあら…お客さん。そんな可愛い女の子を連れて、どうしてうちの店に?」

「ん?この店のホステスさんじゃなかったのかい…」

「こんな若くて可愛い子はうちの店で働きたがりませんよ?お給料も少ないし、送迎もないんだから」

「そうかい、店の前でウロウロしてたからてっきり…」

「どうしてうちの店の前でこんな可愛い子がウロウロしてたのかしら?」

「あ、あの…。じゅん子ママは…夏海君のお母さんですか?」

「もしかして…あなたが夏海の彼女さん?警察から聞いてたけど、こんな可愛い子だったなんて…」

「夏海君の元カノさんも綺麗な子だったと聞いてます…」

「あの子は…あんまり良い子じゃなかったわ…」

「私と似てたって夏海君には聞いてたんですけど…」

「あなたより…もうちょっと派手な感じだったわね」

「う~ん、この子を指名するつもりで中に入ったんだけど、店の子じゃないならもう帰るか…」

「私、少しだけなら接客しますので…」

「接客してくれるって言うんなら…バイト代、少しだけなら出せるけど?」

「本当ですか?へそくりが減って来てたので助かります」

「あなた、未成年者じゃないわよね?」

「十九歳なのでまだお酒は飲めません」

「十九歳か~。若くてぴっちぴちのギャルやなぁ!」

 酔っ払いはニヤニヤしながら小雪の体を眺め回す。

「十八歳以上なら雇えるけど、身分証明できるものはある?」

「学生証と保険証ならあります…」

「ちょっと見せて頂戴?」

 小雪の保険証を見てママは驚く。

「私と誕生日が一日違いだわ!私は七日だけど小雪ちゃんは八日なのね?」

「そうなんですか?蠍座って言うのは聞いてたけど」

「じゃあ蠍座の唄は歌える?」

「あっ!それなら多分、歌えます」

 小雪がカラオケで蠍座の唄を熱唱すると酔っ払いが大喜びで、酒やつまみを大量に注文しまくっている。

「若い子がいると良いねぇ。小雪ちゃんが働くようになったら…わし、毎晩通っちゃうよ?」

「演歌は苦手なのであまり歌えないんだけど…」

「若い子の歌はこのカラオケマシーンに入ってないのよ」

「あいにょんとかあったら歌えるのに…。演歌はほとんどわからないです」

 あいにょんは若者に人気の女性アーティストだったが、場末のスナックであいにょんを歌うホステスは一人もいない。

「あいにょん?なんじゃそりゃ!」

「若い子に人気のある歌手ですよ」

 ママが酔っ払いに説明している。

「そんなへんてこな名前の歌手がいるのかい?」

「おじさん、あいにょんを知らないの?今一番、人気の女性シンガーなのに…」

「あっ、あいにょん一曲だけあったわ」

 ママがあいにょんをかける。小雪は先ほどよりも上手く歌えた。酔っ払いは知らない曲でも口笛を吹いて拍手を送る。

「聞いた事ねぇ曲だが、小雪ちゃんが歌ってると好きになった!」

 結局、この日は閉店まで小雪は接客を頑張って、千円札を数枚だけもらって家に帰った。普通の居酒屋と給料はほとんど変わらないが、夏海の母親と仲良くなれたので小雪は大満足だった。

「夏海君のお母さんには気に入られてるっぽかったから、夏海君との結婚の話をしても許してもらえるかも?」

 宝石箱の隠し蓋を開けて婚姻届を開くと小雪は顔がにやけてしまう。

「うちのお母さんは多分、ダメだって言うけど、夏海君のお母さんが結婚しても良いって言ってくれたら、大丈夫だよね?」

 水曜日の朝は夏海の下駄箱にパンダ柄のノートを入れてバス停には行かず、一年生の教室に行った。今日はデートの予定があるので、楽しみはそれまで取って置きたかったのと、昨日はたくさん一緒にいられたので、満足感があったのもあって、会いたくてしょうがない衝動を抑えられる。

「小雪~、今日は彼氏と登校じゃないんだね?」

「えへへ~、今日はデートだから、朝は会えなくても良いかな?って」

「大人の女の余裕だぁ~。昨日は彼氏となんかいい事あったの?」

「昨日、夏海君が初めて家に来て、私の手料理を美味しいって言ってくれたの」

「マジで?小雪の料理、うちらも食べたいんだけど」

「煮物の特訓するから、みんなも食べにくる?」

「煮物の特訓?なっちゃんって亭主関白なの…」

「ううん!料理も手伝うって玉ねぎの皮剥いてくれたし、買い物の時も一緒にジャガイモ選んでくれて楽しかったよ~」

「なんか小雪、明るくなったよね~。彼氏のおかげか?」

「夏海君に会うと嫌な事も全部吹っ飛んじゃうの~」

 教室で終始にやけっぱなしの小雪を愛奈が睨み付けている。愛奈が夏海の下駄箱の前まで来ると、夏海がちょうどやって来てパンダのノートを取り出しているところだった。

「なっちゃん、昨日あの女の手料理、食べたんだって?」

「ああ、愛奈より手際が良くて料理上手だったよ?」

「ムカつく!なんであの女ばっかり…」

「あっ、愛奈は一年だったよな?小雪さんにこのノート届けてくんないか」

「なんで私が…こんなノート届けなきゃなんないのよ?」

「ああ、やっぱ自分で持って行くわ。愛奈に読まれたら嫌だし…」

「私の悪口とか書いてんの?」

「いや、愛奈の話は書いてない。こっちの話だ」

「何書いてるのか読ませて!」

「肉じゃがマジで美味くて、夜中に腹が減って、また食いたくなって困ったと書いただけだ」

「ふ~ん、そんな事を書いてたんだ。読んでもつまんなさそう…」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...