悪役皇子をピュアっ子に育てる方法

山海 光

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2.楚追明の自死

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「……あ?」

(どこだ、ここ。すっ転んで、そのまま死んだはず。もしかしてここが天国なのか……? それにしては埃っぽいし、まるで独房みたいだ。うへぇ、俺もしかして地獄行きなのかな)

「皇太子妃娘娘にゃんにゃん、いつもの鉄鞭を持ってまいりました」

「は?」

 声のした方を見てみれば、か細い声の女が劉春りゅう しゅんに鞭を握らせた。使い込まれている鉄鞭は、初めて握ったとは思えないほど劉春の手にフィットしている。
 なぜこの女は古風な服を着ているんだろう、と首を傾げる。ドラマの撮影だろうか。心なしか劉春の頭も重いし、髪が腰まで伸びている。

「娘娘って……あっ!」

 劉春のことだ。死んだあと、機械のような声が「悪役を殺せ」と劉春に指示したのだ。
 まさか、本当に『楚洪清そ こうしんと121人の妃』の世界に転生してしまうとは。ごくり、と劉春の喉仏が上下に動く。
 ありえない、と言いたかったが、頬をつねればジンジンと痛む。
 劉春は嫉妬深い皇后、姚玉よう ぎょくとして生きなければならないらしい。今はまだ楚洪清の父が在位中のため、皇后ではなく皇太子妃だが。
 
 (男で皇太子妃ってどういうことだ? はぁ、俺が楚洪清好きなのは主人公としてで、そういう意味じゃないんだけど……)

「ぅ、ぅうぅ……」

「……!」

 劉春────姚玉の目線の下では、やせ細った男児がうずくまっていた。ボロ布に身を包み、細い手足を芋虫のように這わせている。長い黒髪の隙間で、青い瞳が恐怖に震えていた。
 空腹のためか口元からよだれが零れ、目やにがびっしりこびりついてる。何日風呂に入っていないのか、ホームレスのような尿臭までする。

 幼い頃の悪役────楚追明そ ついめいだ。
 楚追明は楚洪清と瓜二つだと書かれていた。垢だらけで分かりづらいが、挿絵にあった幼い頃の主人公と似ている。この少年がのちの悪役皇帝で間違いないだろう。
 多くの命を奪った酷悪な男には、それほどの恨みを持つ過去があったというわけだ。

(まだ12かそこらの子供を懲罰房に入れて、食事もろくに与えないなんて……)

 心が痛み、ぎゅっと胸元を握りしめた。劉春は大学で、家庭環境が及ぼす人格形成の影響についても学んでいた。

(こんな場所で親からの関心を得られずに育てば、子供に悪影響しかない)

 姚玉は女に握らされた鉄鞭を放り投げた。女が慌てるのも気にせず、そっとその場に膝をつく。

「ゃ、や、ごぇんぁさ……」

 びくり、と楚追明の体が震えた。姚玉の膝が唾液で濡れたからだ。これを口実に、また蹴られてしまうかもしれない。

「こ、皇太子妃娘娘? なにを……」

「……湯と食事、新しい服の準備を」

「へっ?」

「はやく!」

「ひぃっ、かしこまりました!」

 女を走らせ、姚玉はそっと楚徳明を抱き上げた。小さい体の体温は低く、肉がないためにガタガタと震えている。

「楚追明……けほん、殿下。まずは沐浴を致しましょう。それから、今までのことを詫びさせて……殿下っ!?」

 がくん、と楚追明の体から力が抜けた。極度の緊張から気を失ってしまったのだ。

(申し訳ないけど、寝てる間に湯浴みを済ませとくか)

 通りすがりの女官や宦官にギョッとした顔をされながらも、姚玉は自室に楚追明を運んだ。
 勝手に服を脱がせ、未発達の体にあばら骨が浮いているのに気づく。

(俺の大好きな主人公を殺す悪役だっていうのに……。今首を絞めれば、すぐに帰れる。でも、虐待されてる子供を殺すなんてできないよなぁ)

 未来の暴君とはいえ、まだその兆候はない。
 そういえば、と姚玉は作者のあとがきを回想する。
 幼き楚追明は皇后に虐げられたのち、ひっそりと北蜀を抜け出しているのだ。南方の国、南晋で7年過ごす間に国中の信頼を集め、軍を率いて北蜀を襲うのだ。

 最終話で楚追明の傍にいた女を覚えているだろうか。そう、クスクス笑ってた意地悪そうな女の子だ。
 彼女は南晋の公主皇帝の娘。楚追明に惚れた末、彼との間に子を授かっている。つまり、楚追明の第一の妻かつ、彼が強大な悪役になるために必要不可欠な人物なのだ。

 南晋から帰還した楚追明は怪しい雰囲気をまとった美青年へと成長しており、虐げていていたはずの姚皇后は彼の色香に惑わされてしまうのだ。

「俺がこの子とセッ……するってこと? ……うわっ」

 綺麗になった楚追明の顔をのぞき込み、姚玉は息を飲んだ。
 やや頬はこけているものの、その顔の造形はまるで彫刻のように美しい。唇はぽってりと厚く、瞼は薄い。眉毛の一本すら無駄な場所に生えていなかった。
 なるほど、これは虐げていた姚皇后も惚れるわけだ。
 この男が微笑めば、あらゆる女の腰は砕けてしまうだろう。
 それに、主人公を超えるカリスマ性を持っているらしいのだから。

「すご……あっ、鏡。俺はどうなってんだろ」

 どれ、姚玉の顔を見てやろうと鏡を覗き込む。

「うーん、挿絵どおりだ」

 目元から下は紅い薄布が垂れ下がっており、口元や喉仏は隠されている。
 琥珀色の髪に、キャラメルのような甘ったるい目。
 中性的で、たしかに姚玉は美しい。
 だが、どちらかというと親しみやすい愛らしさだ。母親のようなどこか柔らかい顔。
 楚追明の鋭く隙のない容貌のあとでは、少し物足りない。

「娘娘……李羽り うでございます」

「入りなさい。そこに置いておいて」

 先ほどの女は李羽というらしい。
 食事の膳を持ち、戸惑ったような表情で姚玉を見上げた。

「ねえ、私ってなんで懲罰房にいたんだっけ」

「事の顛末、ですか……?」

 李羽は首を傾げながら、居心地が悪そうに答えた。
 要約すると、今朝姚玉は虐げていた楚追明に押され、頭をぶつけていた。その際当たり所が悪く、意識不明のまま数時間が経過したらしい。
 目覚めた姚玉は激怒。李羽とともに楚追明をいたぶろうと懲罰房を訪れた……というのが一連の流れ。

 また、李羽曰く姚玉は楚洪清にも性別を隠してる。
 男であることを知っているのは李羽と皇帝のみ。それゆえ姚玉は用心深く、李羽以外のしもべを持ちたがらない。

「娘娘、やはりあのお怪我から記憶の混濁が……」

「心配するほどじゃない。そうだ、明日陛下に拝謁したいと伝えておきなさい。皇太子殿下の件について話があると。下がって」

「はあ……失礼いたします」

「ぅ、うう……」

 呻き声が聞こえ、姚玉は急いで寝台に戻った。小さな体を起こし、お膳を寄せる。

「殿下、空腹でしょう。李羽に食事を持ってこさせたので、どうか召し上がってください。汁物と米、野菜に少しだけですが肉もあります。まずは汁物から……殿下っ!?」

 姚玉は肩を強く押され、突き放された。
 狼狽えている間に、彼は口を大きくあける。歯の間には小さな舌が震えていた。舌を噛み切り自死しようとしているのだ。

 姚玉が「やめなさい」と叫ぶのも虚しく、楚追明は欠けた犬歯を勢いよく食い込ませた。
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