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妖編

10.恋と看病

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再びたおが目を覚ました時、体は鉛のように重く、とても起きれる状態ではなかった。

「ぁ……」

長い間眠っていたのか、喉は掠れ、頭もズキズキと痛む。
ふと横を見ると、寝台には朱鷹しゅようが凭れて眠っていた。あの時自分の命は終わったものかと思ったが、この男が治療を施してくれたのだろう。

首元には包帯が巻かれ、貫かれた背中の痛みは少ない。
妖や道士だけが知るような、特別な薬を塗ってもらったのかもしれない。

申し訳ない気持ちで朱鷹の目の下を撫でる。そこは薄黒くなり、彼が長い間寝ずに看病をしていたのだろう、と嫋は察する。
ピクリ、と瞼が痙攣し、そっと血のような赤黒い瞳が姿を現した。

「……嫋?」
「はい。おはようございます、朱鷹様」

男がガタリと体を起こし、まだ寝たままの嫋をじっと凝視する。

「朱鷹様……勝手に出ていってしまって申し訳ございませんでした。その……藍狐らんこ様と行為に及んでしまったことも」
「うん……」

気まずげに謝罪する嫋に、朱鷹が目を逸らした。
発情期が近いことを知っていながら、すっかり藍狐の悪癖を忘れ、嫋へ好意がないからと2人きりにしたのは朱鷹だ。

その結果、嫋が大怪我をすることになってしまった。首の傷跡も背中の傷跡も、一生残るかもしれない。

「その、どうして、嫋にこのような処置を施してくださるのですか? 嫋は約束を破り、藍狐様と関係を持ってしまいました。愛想をつかれても、嫋は……」
「それは! 嫋が好き、だから……」

大声を出したと思えば、朱鷹はモゴモゴと口をつぐむ。彼の顔はカッと赤くなり、視線がキョロキョロと動いている。

嫋は不思議そうに首を傾げ、「好き」と繰り返した。

嫋は恋を知らない。肉欲で繋がった好きは知っているが、朱鷹のように心を欲する恋をしたことがなかった。

「どうして嫋のことが好きなのですか? どうして……お義父さんを殺したのですか?」

嫋がぽつりと呟く。
養父を殺害した理由は、今まで幾度となく聞こうとした。

その度に唇を塞がれていたから聞くことが出来なかったが、今この時なら教えてくれるかもしれないと思った。

「初めて見た時から好きだった! 本当だ! 声も、顔も可愛くて、話してみたら性格も好きになった! 例えば怖がりな癖に屋敷の妖鳥にも優しいとことか、くちばしの届かないところを毛ずくろいしてくれたりとか、縁側でお茶を飲む時に人間の面白い話をしてくれたりとか……」

朱鷹は顔を上げ、嫋とじっと視線を合わせる。
自分の心が伝わって欲しい、と縋るような気持ちで嫋を見つめた。

「お義父さんを害した理由は……?」
「……」
「朱鷹様、嫋に教えてくださいませ」
「───えん
「えっ?」

(淵、様……?)

予想外の人間の名前に嫋の表情が固まる。彼とはもっと幼い頃に会って、彼が帝都に行かなければならないからと長く会っていなかった。

「お前が寝てる時に呼んでた名前。そいつのことを知りたくて、人里に降りた。お前の養父に会って、淵って野郎のことを聞くついでに挨拶しようと思ったんだ。お前を育てた人間だから……」
「……はい」
「そしたら、お前を……お前を、体しか取り柄がないから生贄に育てたって言うから……」

ガン、と鈍器で殴られたような衝撃だった。

養父は口数の少ない人だったが、それなりに嫋に教養を付けさせ、構ってくれることもあった。それも全て、愛情ゆえではなかったと言うのだろうか。

「……そう。そう、ですか。お義父さんの言う通りですから」

嫋は震えながら顔を手でおおい、情けなく泣きそうになっている顔を隠した。

(だから、言いたくなかったんだ……)

嫋にこんな思いをさせたいわけじゃなかった。

「だから腹が立って、少し脅そうとしたんだ。そしたら力が強すぎて死んじまった。殺しちまったもんはしょうがないから、鳥たちの餌にしてたんだ。嫋にも見えるような場所に鳥たちが引きずったのは予想外だった」

グズグズと鼻を鳴らす嫋に、そっと続きを話す。全て本当の事だった。

「でも、嫋が逃げ出した時にはこれを理由に縛り付けられると思った。ごめん……嫋……」
「……」
「……嫋が、俺のことが怖くても、嫌いでも、俺が好きになったのは嫋だけなんだ」
「朱鷹様……」

長い時を生きる朱鷹が初めて愛した人。

自分に縋り付き縮こまりながら愛を叫ぶ朱鷹を見て、嫋の心にモヤモヤとしたものが溜まる。
なんとも言い難い、けれど不快感はない。

「嫋が嫌なら、もう俺を殺してくれ……嫋がここを出ていったあとに、また1人で生きるのはいやだ……」

ボロボロと朱鷹が涙をこぼす。顔は真っ赤になり、眉は八の字に下がっている。
朱鷹の涙など、嫋は初めて見た。いつも軽薄な笑みを浮かべ、嫋の体を好き勝手に犯している男だ。

「……!」

トク、と嫋の鼓動が大きく響く。
嫋は目を見開き、信じられないものを見るような目で朱鷹の顔を見つめた。そっと自分の胸に手を当て、高鳴る鼓動に顔を赤くする。

(そういえば、嫁いだ初日のあの身体中が軋むような痛み、もしかして朱鷹様に抱きしめられたから……?)

「ぁ……う」

嫋は顔中から汗を吹き出し、キョロキョロと視線を動かす。こんな熱烈なプロポーズなど、初めてされた。

「も、もし嫋が女子おなごであっても、歳をとり醜くなっても、もはや人間でなくとも、嫋を愛してくださるのですか……?」
「当たり前だ……ぐすっ……お前の傍にいられるなら、なんだっていい」
「ぁあ、ぅ~……ッ」

嫋は呻き声しか出せなくなっていた。

(では、まさか、今まで行為をしていた時も、ずっとそう思いながら嫋を抱いていたのですか……?)

嫋はドクドクと苦しい胸元のほうをぎゅっと握り、泣きながら目元を擦る朱鷹を見つめる。

「しゅよ、さま……」
「ぅ、ん?」
「嫋は、初めて恋というものを知ったのかもしれません」

朱鷹と視線が絡まり、首に腕を回す。呆然としている妖を引き寄せ、触れるだけのキスを唇に贈る。

「朱鷹様、嫋はここを出ていきません。朱鷹様に出て行けと言われたって、絶対にです」
「嫋ッ! 嫋~っ」

ニコ、と困ったように微笑む嫋に、思わず朱鷹が強く抱きしめる。

「ん、む……その代わり、誰1人手にかけないでください。藍狐様のことも、ですよ」
「うん、うん。約束する……嫋、好きだ。愛してる……俺の娘子にゃんずぅ……」

怪我にさわるため、その先をすることは出来ない。しかし、2人は気持ちを確かめ合うようにフワフワとした気持ちで唇を重ねた。


─────


一方、藍狐は自分手にべっとりとついた血を見て呆然としていた。

「嫋……」

恐怖に染った顔をしていた、と思う。どんどん頭にモヤがかかっていって、詳しくは覚えていない。

それでも、嫋が自分を守ってくれたことだけは覚えていた。

「ごめん、嫋……嫋……」

もし手を出したら嫌だからと自分の意思で閉じこもったのに、外から開けてくれなどと懇願して、あの体を貪った。

(好きに、なっちゃった……)

藍狐に優しく微笑む嫋を思い出し、胸が締め付けられる。

ボロボロと涙をこぼす。飢餓感も酷いが、なにより心が苦しかった。

朱鷹はあの子の心を手に入れるのだろうか。
もし自分が生贄として嫁いできた嫋と出会っていたら───いや、そんな事考えるだけ無駄だ。

愛した人を食う藍狐には、初めから恋など無理な話だった。
崩れ落ち、人の形を保つのも困難になって狐へと戻る。

白い九尾がふわりと揺れ、藍狐の体を隠した。

「くぅ~……」

もう恋などしたくない。
そう思うのに、嫋を思えば思うほど頭がグチャグチャになる。朱鷹と交尾をしている嫋を想像して、嫌だ、と心が叫ぶ。

(知り合いの娘子、その関係に戻ろう……謝りに行かなきゃ……あいつに殺されるかもしれないけど)

藍狐は血に濡れた寝台で、失恋の苦しさに喘いでいた。
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