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102話 東京観光(ラ・ベットラ越智間)
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口なおし、と言っては失礼だが話の流れで越智間さんの店へ行くことになった。
流石に予約なしで入れるほど親しくはないので、事前に予約を取る。
こちらはわざわざダンジョンセンターを通さなくても予約が取れた。
ここが一般の店と探索者専門の店との違いだな。
予約者を俺の名前で登録したら、なぜかシェフである越智間さんが出てきて再会の挨拶をしてくれた。
店内の客層は満員で、あれから好調な運営を続けてるようだ。
ダイちゃんもその内装に唸ってた。
あれから星をひとつ増やして三つ星レストランになっていたが、それはなぜか俺のおかげということになっていた。
全く理解が追いつかないけど、俺この店に何かしたっけ?
空ウツボの解体手順しか教えてないんだけどなぁ?
「聞きましたよ、北海道では大活躍だったそうじゃないですか」
「ありがとうございます。越智間さんも大活躍されてるじゃないですか。星を三つも貰ったそうで」
「ははは、本宝治さんからご享受いただいた空ウツボの解体マニュアルのおかげですよ。それで轟美玲様から太鼓判を押されて、流れに乗って今があります。立ち話もなんですし、まずはお食事を召し上がってください。そこに今に私どもの思いが込められておりますので」
越智間さんが奥に引っ込むなり運ばれてくる前菜、オードブルとも呼ばれる。
日本のスーパーで販売される惣菜の詰め合わせとは違い、こちらは一口サイズの軽食を小さく分けている。特に多いのが貝類で、ホタテや鮑なんかの料理が多く見受けられた。
相変わらず芸術的な盛り付けで、美味そうより先に綺麗が感想に登る一品だ。前菜なのにサラダではない。
向こうの食事体系はよくわからないが、軽食というのとも異なる。
食べて美味いのは確かだが、一食で満腹になるのとは程遠い作りだった。
ダイちゃんは皿を食い入るように見つめては口に運び、味に関しても悔しそうに唸っている。
そういえばダイちゃんの特性は飾り包丁だったね。
俺から見たら別物の何かになった一皿も、見た目の完璧さに心を奪われる芸術性が琴線に触れたのかもしれない。
飾り包丁だけではない、それ以外の食材の配置。
全てが皿を一つの芸術品に高めているのだ。
そしてよく分からずにヨッちゃんが口に運んでパッと表情を輝かせた。
「おいこれ、空ウツボだぜ!」
「え? あ、ほんとだ。使われてるのは魚卵かな? ほのかに肝の苦味や甘みも感じる。それを全く別の何かに変得ているんだ。俺にはこれがどのような過程を経てこうなったか理解できない」
「こんな綺麗に並べられてるのに、いろんな食材と合わせるたびに味に変化があるのは面白いな。シャキシャキからホクホク。その中に混ざるネットリとした魚卵の旨み。食べたことのない味だ。空ウツボってーと、親父に渡してた食材だろ? 塩辛の旨みとはまた違ってるな。これだから料理は面白い!」
ただ空ウツボと言っても、調理過程によっては一括りにできない。
俺の空ウツボ丼や菊池さんの空ウツボの肝和え。そして越智間さんの空ウツボを熱した野菜で挟んだ小皿。
俺の知ってるサラダと天と地ほど違うが、確かに口に含んだ時の感触はサラダだ。
野菜よりも空ウツボのドレッシングに引っ張られて野菜の食感しか残らないが、そう計算されてる一品なのだろう。
調理過程によって全く違う顔を見せる空ウツボ。
もうすでに研究し尽くした食材だと思っていたが、俺はまだまだこいつのポテンシャルを甘く見ていたのかも知れない。
もはやよく分からない料理から、新しい回答を組み立てていくのが楽しくて仕方のないパズルのように夢中になっていた。
味の構築という意味では全て客任せ。
素材は置いた。
あとは自由に召し上がれ。
この考えは菊池さんと似ている。
皿の上に置かれたソースの一滴一滴にも仕掛けがあると知ったのは偶然付着したのを口に運んだ時だった。
あれはただの模様じゃない。
自分だったらソースやマヨネーズをこのように置かない。
付け合わせとして主張を一切しない、背景の一部として溶け込んでおきながら、きちんと役割があるのだ。
初めてフレンチを楽しいと思えたのはそれを知ってからだ。
すべてのコースを食べ終えたあと、満腹とは程遠いのに満たされた気持ちでいっぱいになっていた。
当時の味も方程式も知らぬ俺ではない。
これは見た目や味覚のみで味わうものじゃない。
そこに自由に組み合わせるワインでもまた違う顔を見せるトリックも含まれている。
菊池さんが好む情景。
それを居酒屋に仕立ててしまうのはあの人の技量があってのものだろう。
モーゼはそれができていなかった。
いや、できないことを良しとして足りない部分をサービスで補った。
俺はそれをしたくないと思ってる。
なら、何を選ぶ?
「今回はご好評いただけたようで何よりです」
「今までフレンチはよく分からないものだと勘違いしてました。今日は新しい知見を得られました。ありがとうございます」
「得られるものがあったようで何よりです」
俺に続いてヨッちゃんが感想を述べる。
「ほんとなー、腹は膨れないし味もよく分からないしで最初は何を食べさせられてるんだって感じだったけど……今やこれはこれで面白いな。最初はさ、約束していた鰻でも奢ってもらうつもりで来たんだけどよ」
歯に衣着せぬヨッちゃんのセリフに苦笑いする越智間さん。
「今は旬ではありませんよ。物はありますが身は痩せていて脂のノリも悪く、これが空ウツボのスペックに勝るとは思いません」
「その言い分だと空ウツボ以上のものが稀に出てくるみたいに聞こえるが?」
「旬のウナギはそれに届く一品だと信じております」
「そりゃ楽しみだ」
周囲のお客さんが困惑してるからそろそろやめてほしい。
ここは三つ星レストラン。
近所の居酒屋の大将に絡むスタンスで行かないでほしいな。
「うなぎの手配ができましたら、また後日お電話いたします。ご連絡の方は……」
「Dフォンの方へ」
「ああ、新しく入手されたのですね。でしたら、次からは名刺を更新された方がよろしいでしょう」
「ああ、そっちもあったな。でもこれは個人的に扱いたいので、名刺はそのままで」
「確かに、まだお店はやられてませんもんね。注文などは受け付けないでしょうから、名刺に記載は時期尚早ですか」
「そうだね。それに俺たちはダンジョンで気ままに料理してる方が性に合ってる」
「それでいいと思いますよ。安易に近場に出されたら、ウチのような店でさえ撤退の危機だ」
それは大袈裟すぎません?
これほどの技量が撤退するほど俺たちは大それてませんよ?
「ポンちゃん、きっと今のお前は勘違いしてるぞ」
「え、何がだよ」
「今のお前が店を出すってのは、北海道を救った救世主が店を出すってことだ。そのネームバリューだけで近隣の店は根こそぎ客を奪われる。この人はそれを危惧してるんだぞ?」
ダイちゃんの指摘に、俺はムッとする。
「あまり大々的には口には出しませんが、概ねはそうです。地方都市に大型ショッピングモールが来るのと同じように扱う人は多いでしょう。今のあなたはそれほどのネームバリューということを御自覚ください」
二人して言われてようやく理解する。
あれ、じゃあ俺一生店を開けなくないか?
いや、まぁすぐに店を持ちたいかって言われたらすぐにでもなくていいが、ゆくゆくは開きたいって朧げながらに思うくらいならいいだろ?
「ちなみに俺が店を出したらここら辺の店って?」
「星の数に限らず、客商売をしてる料理屋は全部潰えるでしょうね」
「やっぱり店は開かずにダンジョンに篭るか」
それが最適解な気がしてきた。
ただでさえ市場破壊みたいなことをしてる気がしてるもんな。
「私共としては、もったいないと思う一方で近所では絶対に開いてほしくないですね。それはそれで問題を後回しにしてるだけなのですが」
「別に今すぐってわけでもないんですが」
「それでも出店するかも知れないと頭の片隅に置くことで数年先を見据えて撤退も選択肢に出てくるんですよ」
「商売とは、難儀ですねぇ」
「料理してるだけでいい環境なんて、一人暮らしの時だけですよ」
まるで家庭を持ったらそうもいかないと言われてるようだった。
そこで既婚者であるダイちゃんも深く頷いていた。
「結婚すると、調理過程に奥さんの好みも含まれるようになる。食の好みが一緒の場合はいいが、なまじヘルシー嗜好だと……食生活はグッと味気ないものに置き換わる。自由はグッと狭まる。旦那が家に帰らなくなる理由の一つがこれだ」
「世知辛い話を聞かせるなよ、結婚願望が薄まるだろ?」
「いいことばっかじゃねぇってことだよ。ま、うちはそれでもなんとか回してるけどな。夫婦円満にはそれなりの犠牲も必要ってことだ」
いい顔しながら言うことかよ。
あとで奥さんにチクるぞ?
「ともかく、ご馳走様でした」
「ああ、そういえば。モーゼの前オーナーが退院されたという報は受けてますか?」
「え? 退院されてたんですか? それは知らなかったです」
そもそもどこに入院されてるかも知らなかったし。
「ならば顔を出してみてはどうでしょうか? あの方も喜ばれると思います。本宝治さんの配信も追いかけていたみたいですしね。何やらコメントをいただけると思いますよ?」
え、オーナーが俺の配信を見ていた?
冷や汗が滝のように流れ落ちる。
「それは会うのが怖いですね」
「まぁ、師としてはいつまでも弟子が気がかりなものですよ。それはどれほどの年月が経とうともです。今度は虎八の先代と新しいタイプのダイニングを開いたそうですよ。今の時間ですと休憩中でしょうか」
出店場所の地図をもらい、腹ごなしに徒歩でその場所へと向かう。
「すいませーん」
「悪いな、今は仕込み中で……ってあんたいつぞやの坊やじゃないか! 爺さん、大変だ! 弟子が来てるぞ!」
すぐに奥に引っ込んで、もう一人を連れてくる。
忘れもしない、前オーナーだ。
お身体を悪くされていたのは知っていた。
以前会った頃より一回り小さく感じるが、気のせいだろうか?
「洋一か。見違えたぜ?」
「ご無沙汰してます、オーナー」
「まぁ座れ。連れも中に入ってくんな。仕込み中で大したもんは出せねぇが立ち話するのもなんだ、積もる話もあんだろ。茶くらいは出すぜ?」
そう言われて店内に入り、久しぶりの再会を交わした。
新オーナーにステータスが明るみになって店から追い出されたこと。
ヨッちゃんと結託してダンチューバーを始めたこと。
噂が噂を呼んで有名人が何人も会いに来てくれたこと。
どんどんと周囲が持ち上げてくれてテンパったこと。
そして流れで探索者のSランクになって激動の数ヶ月だったこと。
語ることは尽きないが、絞り出したのはたったの一つのことだった。
「オーナーがご無事で本当に良かったです」
「お前はこんなワシにまでそうやって心配しちまうようなお人好しだからな。だから心配がつきねぇ」
「あんたがモーゼの前オーナーか?」
「誰だオメェは」
「俺の名は菊池大輝! 親父が以前あんたの店で世話になってた。店にいったが、酷い出来だった。親父があんたをベタ褒めしてるから楽しみにしてたんだぜ?」
「ああ! 蓮司のことか。修行途中で実家に帰ったあいつのことならよく覚えてるぜ。そいつがワシをベタ褒めしてるだぁ? そりゃ一体なんの冗談だよ。ワシャあいつに大したことは教えてねーぜ? あいつが勝手に学んで、尊敬してたってだけだ。それに前の店を見に行ったと言ったな? ありゃすでにワシのテリトリーじゃない。息子が好き勝手やって過去の栄光に泥を塗った残骸だ。あんなんじゃあ客は離れてく一方だ。それは誰の目で見ても明らかだろ?」
「今のこの店は違うってのか?」
「ワシの魂を込めてる。ジジイ! 三人分。フルコースだ!」
「だから仕込み中だって!」
「予約なんて入っちゃいねーだろ! 見栄を張るための仕込みはやめろ。弟子がせっかく顔出してきたくれたんだ。師匠として最高の料理を振る舞ってやるべきだろ」
「ったく、だったら自分で料理しろってんだ」
文句を吐きながら、調理人は厨房に引っ込んだ。
あれは以前俺の屋台に来てくれた親方だと思うが、老舗をほっぽり出してなぜこんなところにいるんだろうか?
それはさておき変わらないなと思う。
この人は昔からそうだ。
口は出すが調理場には立たない。
調理場に立っているのは虎八のオーナーと、その下働きだけ。
「見せてやるぜ、洋一。ワシのサービス精神の真骨頂をな!」
宣戦布告とも言えるサービスの真骨頂を前に、俺たちはただ立ち尽くすことしかできないでいた。
やってることはモーゼと一緒。
ただしそれを根本から覆す過剰サービスが俺たちの前に展開された。
流石に予約なしで入れるほど親しくはないので、事前に予約を取る。
こちらはわざわざダンジョンセンターを通さなくても予約が取れた。
ここが一般の店と探索者専門の店との違いだな。
予約者を俺の名前で登録したら、なぜかシェフである越智間さんが出てきて再会の挨拶をしてくれた。
店内の客層は満員で、あれから好調な運営を続けてるようだ。
ダイちゃんもその内装に唸ってた。
あれから星をひとつ増やして三つ星レストランになっていたが、それはなぜか俺のおかげということになっていた。
全く理解が追いつかないけど、俺この店に何かしたっけ?
空ウツボの解体手順しか教えてないんだけどなぁ?
「聞きましたよ、北海道では大活躍だったそうじゃないですか」
「ありがとうございます。越智間さんも大活躍されてるじゃないですか。星を三つも貰ったそうで」
「ははは、本宝治さんからご享受いただいた空ウツボの解体マニュアルのおかげですよ。それで轟美玲様から太鼓判を押されて、流れに乗って今があります。立ち話もなんですし、まずはお食事を召し上がってください。そこに今に私どもの思いが込められておりますので」
越智間さんが奥に引っ込むなり運ばれてくる前菜、オードブルとも呼ばれる。
日本のスーパーで販売される惣菜の詰め合わせとは違い、こちらは一口サイズの軽食を小さく分けている。特に多いのが貝類で、ホタテや鮑なんかの料理が多く見受けられた。
相変わらず芸術的な盛り付けで、美味そうより先に綺麗が感想に登る一品だ。前菜なのにサラダではない。
向こうの食事体系はよくわからないが、軽食というのとも異なる。
食べて美味いのは確かだが、一食で満腹になるのとは程遠い作りだった。
ダイちゃんは皿を食い入るように見つめては口に運び、味に関しても悔しそうに唸っている。
そういえばダイちゃんの特性は飾り包丁だったね。
俺から見たら別物の何かになった一皿も、見た目の完璧さに心を奪われる芸術性が琴線に触れたのかもしれない。
飾り包丁だけではない、それ以外の食材の配置。
全てが皿を一つの芸術品に高めているのだ。
そしてよく分からずにヨッちゃんが口に運んでパッと表情を輝かせた。
「おいこれ、空ウツボだぜ!」
「え? あ、ほんとだ。使われてるのは魚卵かな? ほのかに肝の苦味や甘みも感じる。それを全く別の何かに変得ているんだ。俺にはこれがどのような過程を経てこうなったか理解できない」
「こんな綺麗に並べられてるのに、いろんな食材と合わせるたびに味に変化があるのは面白いな。シャキシャキからホクホク。その中に混ざるネットリとした魚卵の旨み。食べたことのない味だ。空ウツボってーと、親父に渡してた食材だろ? 塩辛の旨みとはまた違ってるな。これだから料理は面白い!」
ただ空ウツボと言っても、調理過程によっては一括りにできない。
俺の空ウツボ丼や菊池さんの空ウツボの肝和え。そして越智間さんの空ウツボを熱した野菜で挟んだ小皿。
俺の知ってるサラダと天と地ほど違うが、確かに口に含んだ時の感触はサラダだ。
野菜よりも空ウツボのドレッシングに引っ張られて野菜の食感しか残らないが、そう計算されてる一品なのだろう。
調理過程によって全く違う顔を見せる空ウツボ。
もうすでに研究し尽くした食材だと思っていたが、俺はまだまだこいつのポテンシャルを甘く見ていたのかも知れない。
もはやよく分からない料理から、新しい回答を組み立てていくのが楽しくて仕方のないパズルのように夢中になっていた。
味の構築という意味では全て客任せ。
素材は置いた。
あとは自由に召し上がれ。
この考えは菊池さんと似ている。
皿の上に置かれたソースの一滴一滴にも仕掛けがあると知ったのは偶然付着したのを口に運んだ時だった。
あれはただの模様じゃない。
自分だったらソースやマヨネーズをこのように置かない。
付け合わせとして主張を一切しない、背景の一部として溶け込んでおきながら、きちんと役割があるのだ。
初めてフレンチを楽しいと思えたのはそれを知ってからだ。
すべてのコースを食べ終えたあと、満腹とは程遠いのに満たされた気持ちでいっぱいになっていた。
当時の味も方程式も知らぬ俺ではない。
これは見た目や味覚のみで味わうものじゃない。
そこに自由に組み合わせるワインでもまた違う顔を見せるトリックも含まれている。
菊池さんが好む情景。
それを居酒屋に仕立ててしまうのはあの人の技量があってのものだろう。
モーゼはそれができていなかった。
いや、できないことを良しとして足りない部分をサービスで補った。
俺はそれをしたくないと思ってる。
なら、何を選ぶ?
「今回はご好評いただけたようで何よりです」
「今までフレンチはよく分からないものだと勘違いしてました。今日は新しい知見を得られました。ありがとうございます」
「得られるものがあったようで何よりです」
俺に続いてヨッちゃんが感想を述べる。
「ほんとなー、腹は膨れないし味もよく分からないしで最初は何を食べさせられてるんだって感じだったけど……今やこれはこれで面白いな。最初はさ、約束していた鰻でも奢ってもらうつもりで来たんだけどよ」
歯に衣着せぬヨッちゃんのセリフに苦笑いする越智間さん。
「今は旬ではありませんよ。物はありますが身は痩せていて脂のノリも悪く、これが空ウツボのスペックに勝るとは思いません」
「その言い分だと空ウツボ以上のものが稀に出てくるみたいに聞こえるが?」
「旬のウナギはそれに届く一品だと信じております」
「そりゃ楽しみだ」
周囲のお客さんが困惑してるからそろそろやめてほしい。
ここは三つ星レストラン。
近所の居酒屋の大将に絡むスタンスで行かないでほしいな。
「うなぎの手配ができましたら、また後日お電話いたします。ご連絡の方は……」
「Dフォンの方へ」
「ああ、新しく入手されたのですね。でしたら、次からは名刺を更新された方がよろしいでしょう」
「ああ、そっちもあったな。でもこれは個人的に扱いたいので、名刺はそのままで」
「確かに、まだお店はやられてませんもんね。注文などは受け付けないでしょうから、名刺に記載は時期尚早ですか」
「そうだね。それに俺たちはダンジョンで気ままに料理してる方が性に合ってる」
「それでいいと思いますよ。安易に近場に出されたら、ウチのような店でさえ撤退の危機だ」
それは大袈裟すぎません?
これほどの技量が撤退するほど俺たちは大それてませんよ?
「ポンちゃん、きっと今のお前は勘違いしてるぞ」
「え、何がだよ」
「今のお前が店を出すってのは、北海道を救った救世主が店を出すってことだ。そのネームバリューだけで近隣の店は根こそぎ客を奪われる。この人はそれを危惧してるんだぞ?」
ダイちゃんの指摘に、俺はムッとする。
「あまり大々的には口には出しませんが、概ねはそうです。地方都市に大型ショッピングモールが来るのと同じように扱う人は多いでしょう。今のあなたはそれほどのネームバリューということを御自覚ください」
二人して言われてようやく理解する。
あれ、じゃあ俺一生店を開けなくないか?
いや、まぁすぐに店を持ちたいかって言われたらすぐにでもなくていいが、ゆくゆくは開きたいって朧げながらに思うくらいならいいだろ?
「ちなみに俺が店を出したらここら辺の店って?」
「星の数に限らず、客商売をしてる料理屋は全部潰えるでしょうね」
「やっぱり店は開かずにダンジョンに篭るか」
それが最適解な気がしてきた。
ただでさえ市場破壊みたいなことをしてる気がしてるもんな。
「私共としては、もったいないと思う一方で近所では絶対に開いてほしくないですね。それはそれで問題を後回しにしてるだけなのですが」
「別に今すぐってわけでもないんですが」
「それでも出店するかも知れないと頭の片隅に置くことで数年先を見据えて撤退も選択肢に出てくるんですよ」
「商売とは、難儀ですねぇ」
「料理してるだけでいい環境なんて、一人暮らしの時だけですよ」
まるで家庭を持ったらそうもいかないと言われてるようだった。
そこで既婚者であるダイちゃんも深く頷いていた。
「結婚すると、調理過程に奥さんの好みも含まれるようになる。食の好みが一緒の場合はいいが、なまじヘルシー嗜好だと……食生活はグッと味気ないものに置き換わる。自由はグッと狭まる。旦那が家に帰らなくなる理由の一つがこれだ」
「世知辛い話を聞かせるなよ、結婚願望が薄まるだろ?」
「いいことばっかじゃねぇってことだよ。ま、うちはそれでもなんとか回してるけどな。夫婦円満にはそれなりの犠牲も必要ってことだ」
いい顔しながら言うことかよ。
あとで奥さんにチクるぞ?
「ともかく、ご馳走様でした」
「ああ、そういえば。モーゼの前オーナーが退院されたという報は受けてますか?」
「え? 退院されてたんですか? それは知らなかったです」
そもそもどこに入院されてるかも知らなかったし。
「ならば顔を出してみてはどうでしょうか? あの方も喜ばれると思います。本宝治さんの配信も追いかけていたみたいですしね。何やらコメントをいただけると思いますよ?」
え、オーナーが俺の配信を見ていた?
冷や汗が滝のように流れ落ちる。
「それは会うのが怖いですね」
「まぁ、師としてはいつまでも弟子が気がかりなものですよ。それはどれほどの年月が経とうともです。今度は虎八の先代と新しいタイプのダイニングを開いたそうですよ。今の時間ですと休憩中でしょうか」
出店場所の地図をもらい、腹ごなしに徒歩でその場所へと向かう。
「すいませーん」
「悪いな、今は仕込み中で……ってあんたいつぞやの坊やじゃないか! 爺さん、大変だ! 弟子が来てるぞ!」
すぐに奥に引っ込んで、もう一人を連れてくる。
忘れもしない、前オーナーだ。
お身体を悪くされていたのは知っていた。
以前会った頃より一回り小さく感じるが、気のせいだろうか?
「洋一か。見違えたぜ?」
「ご無沙汰してます、オーナー」
「まぁ座れ。連れも中に入ってくんな。仕込み中で大したもんは出せねぇが立ち話するのもなんだ、積もる話もあんだろ。茶くらいは出すぜ?」
そう言われて店内に入り、久しぶりの再会を交わした。
新オーナーにステータスが明るみになって店から追い出されたこと。
ヨッちゃんと結託してダンチューバーを始めたこと。
噂が噂を呼んで有名人が何人も会いに来てくれたこと。
どんどんと周囲が持ち上げてくれてテンパったこと。
そして流れで探索者のSランクになって激動の数ヶ月だったこと。
語ることは尽きないが、絞り出したのはたったの一つのことだった。
「オーナーがご無事で本当に良かったです」
「お前はこんなワシにまでそうやって心配しちまうようなお人好しだからな。だから心配がつきねぇ」
「あんたがモーゼの前オーナーか?」
「誰だオメェは」
「俺の名は菊池大輝! 親父が以前あんたの店で世話になってた。店にいったが、酷い出来だった。親父があんたをベタ褒めしてるから楽しみにしてたんだぜ?」
「ああ! 蓮司のことか。修行途中で実家に帰ったあいつのことならよく覚えてるぜ。そいつがワシをベタ褒めしてるだぁ? そりゃ一体なんの冗談だよ。ワシャあいつに大したことは教えてねーぜ? あいつが勝手に学んで、尊敬してたってだけだ。それに前の店を見に行ったと言ったな? ありゃすでにワシのテリトリーじゃない。息子が好き勝手やって過去の栄光に泥を塗った残骸だ。あんなんじゃあ客は離れてく一方だ。それは誰の目で見ても明らかだろ?」
「今のこの店は違うってのか?」
「ワシの魂を込めてる。ジジイ! 三人分。フルコースだ!」
「だから仕込み中だって!」
「予約なんて入っちゃいねーだろ! 見栄を張るための仕込みはやめろ。弟子がせっかく顔出してきたくれたんだ。師匠として最高の料理を振る舞ってやるべきだろ」
「ったく、だったら自分で料理しろってんだ」
文句を吐きながら、調理人は厨房に引っ込んだ。
あれは以前俺の屋台に来てくれた親方だと思うが、老舗をほっぽり出してなぜこんなところにいるんだろうか?
それはさておき変わらないなと思う。
この人は昔からそうだ。
口は出すが調理場には立たない。
調理場に立っているのは虎八のオーナーと、その下働きだけ。
「見せてやるぜ、洋一。ワシのサービス精神の真骨頂をな!」
宣戦布告とも言えるサービスの真骨頂を前に、俺たちはただ立ち尽くすことしかできないでいた。
やってることはモーゼと一緒。
ただしそれを根本から覆す過剰サービスが俺たちの前に展開された。
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