上 下
94 / 120
数年後

しおりを挟む
「すまない、ご婦人。俺の連れが失礼したな」

 男を脇へ突き飛ばし、非礼を詫びられた瞬間、優子が襟巻きの中で見開く。

「いやいや暁月の旦那、失礼なんかしてねぇって。医者を探してるっていうから案内してやろうとしただけさ」

「医者? ご婦人、どこか怪我でも? もしかして連れが?」

「だから具合が悪いそうだったんで。言っておきますが指一本触れてないですよ」

 なぁ? 同意を求められてもそれどころじゃない。優子は瞬きすら滞る。

「うるさい、道草を食って酒を呑んでいるお前の言うことなど信用できるかよ。いいからさっさと立花を連れてこい。あの野郎、落書きを見せる為に俺を呼びつけやがって」

 目の前で会話しているのはーー紛れもなく暁月秀人であった。秀人は男を場から追い払うと再び優子に注意を向ける。

 優子は俯いたまま顔を上げられない。秀人の位置からでは頬しか見えないはずだが緊張で汗が伝う。

 予期せぬ再会に胸を抑える。秀人の顔を見た途端、言いえぬ苦しさが込み上げ、喉が疼くのは叫び出したいのか、秀人の名を呼びたいのか自分の心を掴めない。

 万が一、秀人でない可能性がないか探りかけ、いや見間違う訳ないとそこは自信がある。

「苦しいのか? 医者へ連れて行ってやろうか?」

 提案にふるふると首を横に振った。声を出したら正体に気付かれるかもしれないし、必死に唇を噛む。
 秀人の目にだって顔を隠した身なりは事情がある風に映るだろう。厄介事を抱えた相手とあまり関わりたくないはずだ。

「そうか? ならいいんだが……」

 一方、優子の目には秀人はあの日からあまり変わっていないように映り、ぶっきらぼうな声音も同じ。

 申し出を遠慮された秀人がここに残る理由はなくなる。それじゃあと踵を返しーー優子は息を吐く。
 
 息を抜いた拍子、様々な感情が溢れた。二度と会えないと諦めた相手とどんな形でも行き合え、嬉しい。それでいて切ない。秀人の中で優子は死んでいて、これまでを謝罪するのは許されない。

 優子はずっと、ずっと秀人に謝りたかった。自分のせいでどれ程の苦労を強いられたか、憎まれて当然だ。
 しかしながら秀人が死者にいつまでも囚われず、憎む時間すら惜しみ我が道を進むであろうと予測もできた。実際、目の前の秀人は健康そうで、なんなら女性の扱い方が優しくなったくらい。

 憎まれるより、忘れられる方が辛いなんて。

 優子は秀人に対しいつからか、許されなくてもいいので自分を忘れないで欲しいと、身勝手すぎる思考を嫌悪しつつ、あえて改めなかった。

 徳増やひばりとの生活は穏やかに閉じ込められた日々であり、姉と丸井の当主へ祈りを捧げる日々である。どうしたって誰かに罪を暴かれ、裁かれたくなってしまう。

 そして、その誰かと言えば秀人しか思い当たらない。秀人の射抜く眼差しが恋しい。

「、と、さま」

 自然と優子の唇が動く。秀人を想えばここで引き下がるべきなのに。

 今までの優子なら相手を尊重して踏み止まれたが、優子はもう気付いてしまったから、分かってしまったから、自分は徳増が喜ぶの優しくてきれいな聖女の仮面をつけていただけだと。

 はらり、襟巻きが落ちる。

「秀人様!」

 優子が腹の底より叫んだ。今度はしっかり聞こえ、秀人は振り向く。

「秀人様、わ、わたしーー」

 それから秀人が涙で濡れた顔を優子と認識するまでごく僅か。動物的な動きで優子を抱き寄せ、優子も夢中で背に手を回す。

「俺は、また夢を見ているのか……」

 いちにもなく抱きしめておいて、秀人が信じられないとばかり呟く。持ち前の野生の勘が働いたものの、いちおう本人確認をしたいところか。

 しがみつく優子を慎重に剥がす。優子の泣き顔を見るのは初めてではないが、感情を剥き出しにする様子に秀人は鼻を鳴らす。

「あはは、不細工な泣き顔だな」

 優子と確信した上での軽口であろう。頬を撫でて涙を拭うその手付きは震え、経緯を話そうとする素振りを遮った。

「いい、今は聞きたくない。俺はお前が生きてさえいれば、それでいいんだ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

未亡人メイド、ショタ公爵令息の筆下ろしに選ばれる。ただの性処理係かと思ったら、彼から結婚しようと告白されました。【完結】

高橋冬夏
恋愛
騎士だった夫を魔物討伐の傷が元で失ったエレン。そんな悲しみの中にある彼女に夫との思い出の詰まった家を火事で無くすという更なる悲劇が襲う。 全てを失ったエレンは娼婦になる覚悟で娼館を訪れようとしたときに夫の雇い主と出会い、だたのメイドとしてではなく、幼い子息の筆下ろしを頼まれてしまう。 断ることも出来たが覚悟を決め、子息の性処理を兼ねたメイドとして働き始めるのだった。

【R18】幼馴染な陛下は、わたくしのおっぱいお好きですか?💕

月極まろん
恋愛
 幼なじみの陛下に告白したら、両思いだと分かったので、甘々な毎日になりました。  でも陛下、本当にわたくしに御不満はございませんか?

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

元男爵令嬢ですが、物凄く性欲があってエッチ好きな私は現在、最愛の夫によって毎日可愛がられています

一ノ瀬 彩音
恋愛
元々は男爵家のご令嬢であった私が、幼い頃に父親に連れられて訪れた屋敷で出会ったのは当時まだ8歳だった、 現在の彼であるヴァルディール・フォルティスだった。 当時の私は彼のことを歳の離れた幼馴染のように思っていたのだけれど、 彼が10歳になった時、正式に婚約を結ぶこととなり、 それ以来、ずっと一緒に育ってきた私達はいつしか惹かれ合うようになり、 数年後には誰もが羨むほど仲睦まじい関係となっていた。 そして、やがて大人になった私と彼は結婚することになったのだが、式を挙げた日の夜、 初夜を迎えることになった私は緊張しつつも愛する人と結ばれる喜びに浸っていた。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

処理中です...