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数年後
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「すまない、ご婦人。俺の連れが失礼したな」
男を脇へ突き飛ばし、非礼を詫びられた瞬間、優子が襟巻きの中で見開く。
「いやいや暁月の旦那、失礼なんかしてねぇって。医者を探してるっていうから案内してやろうとしただけさ」
「医者? ご婦人、どこか怪我でも? もしかして連れが?」
「だから具合が悪いそうだったんで。言っておきますが指一本触れてないですよ」
なぁ? 同意を求められてもそれどころじゃない。優子は瞬きすら滞る。
「うるさい、道草を食って酒を呑んでいるお前の言うことなど信用できるかよ。いいからさっさと立花を連れてこい。あの野郎、落書きを見せる為に俺を呼びつけやがって」
目の前で会話しているのはーー紛れもなく暁月秀人であった。秀人は男を場から追い払うと再び優子に注意を向ける。
優子は俯いたまま顔を上げられない。秀人の位置からでは頬しか見えないはずだが緊張で汗が伝う。
予期せぬ再会に胸を抑える。秀人の顔を見た途端、言いえぬ苦しさが込み上げ、喉が疼くのは叫び出したいのか、秀人の名を呼びたいのか自分の心を掴めない。
万が一、秀人でない可能性がないか探りかけ、いや見間違う訳ないとそこは自信がある。
「苦しいのか? 医者へ連れて行ってやろうか?」
提案にふるふると首を横に振った。声を出したら正体に気付かれるかもしれないし、必死に唇を噛む。
秀人の目にだって顔を隠した身なりは事情がある風に映るだろう。厄介事を抱えた相手とあまり関わりたくないはずだ。
「そうか? ならいいんだが……」
一方、優子の目には秀人はあの日からあまり変わっていないように映り、ぶっきらぼうな声音も同じ。
申し出を遠慮された秀人がここに残る理由はなくなる。それじゃあと踵を返しーー優子は息を吐く。
息を抜いた拍子、様々な感情が溢れた。二度と会えないと諦めた相手とどんな形でも行き合え、嬉しい。それでいて切ない。秀人の中で優子は死んでいて、これまでを謝罪するのは許されない。
優子はずっと、ずっと秀人に謝りたかった。自分のせいでどれ程の苦労を強いられたか、憎まれて当然だ。
しかしながら秀人が死者にいつまでも囚われず、憎む時間すら惜しみ我が道を進むであろうと予測もできた。実際、目の前の秀人は健康そうで、なんなら女性の扱い方が優しくなったくらい。
憎まれるより、忘れられる方が辛いなんて。
優子は秀人に対しいつからか、許されなくてもいいので自分を忘れないで欲しいと、身勝手すぎる思考を嫌悪しつつ、あえて改めなかった。
徳増やひばりとの生活は穏やかに閉じ込められた日々であり、姉と丸井の当主へ祈りを捧げる日々である。どうしたって誰かに罪を暴かれ、裁かれたくなってしまう。
そして、その誰かと言えば秀人しか思い当たらない。秀人の射抜く眼差しが恋しい。
「、と、さま」
自然と優子の唇が動く。秀人を想えばここで引き下がるべきなのに。
今までの優子なら相手を尊重して踏み止まれたが、優子はもう気付いてしまったから、分かってしまったから、自分は徳増が喜ぶの優しくてきれいな聖女の仮面をつけていただけだと。
はらり、襟巻きが落ちる。
「秀人様!」
優子が腹の底より叫んだ。今度はしっかり聞こえ、秀人は振り向く。
「秀人様、わ、わたしーー」
それから秀人が涙で濡れた顔を優子と認識するまでごく僅か。動物的な動きで優子を抱き寄せ、優子も夢中で背に手を回す。
「俺は、また夢を見ているのか……」
いちにもなく抱きしめておいて、秀人が信じられないとばかり呟く。持ち前の野生の勘が働いたものの、いちおう本人確認をしたいところか。
しがみつく優子を慎重に剥がす。優子の泣き顔を見るのは初めてではないが、感情を剥き出しにする様子に秀人は鼻を鳴らす。
「あはは、不細工な泣き顔だな」
優子と確信した上での軽口であろう。頬を撫でて涙を拭うその手付きは震え、経緯を話そうとする素振りを遮った。
「いい、今は聞きたくない。俺はお前が生きてさえいれば、それでいいんだ」
男を脇へ突き飛ばし、非礼を詫びられた瞬間、優子が襟巻きの中で見開く。
「いやいや暁月の旦那、失礼なんかしてねぇって。医者を探してるっていうから案内してやろうとしただけさ」
「医者? ご婦人、どこか怪我でも? もしかして連れが?」
「だから具合が悪いそうだったんで。言っておきますが指一本触れてないですよ」
なぁ? 同意を求められてもそれどころじゃない。優子は瞬きすら滞る。
「うるさい、道草を食って酒を呑んでいるお前の言うことなど信用できるかよ。いいからさっさと立花を連れてこい。あの野郎、落書きを見せる為に俺を呼びつけやがって」
目の前で会話しているのはーー紛れもなく暁月秀人であった。秀人は男を場から追い払うと再び優子に注意を向ける。
優子は俯いたまま顔を上げられない。秀人の位置からでは頬しか見えないはずだが緊張で汗が伝う。
予期せぬ再会に胸を抑える。秀人の顔を見た途端、言いえぬ苦しさが込み上げ、喉が疼くのは叫び出したいのか、秀人の名を呼びたいのか自分の心を掴めない。
万が一、秀人でない可能性がないか探りかけ、いや見間違う訳ないとそこは自信がある。
「苦しいのか? 医者へ連れて行ってやろうか?」
提案にふるふると首を横に振った。声を出したら正体に気付かれるかもしれないし、必死に唇を噛む。
秀人の目にだって顔を隠した身なりは事情がある風に映るだろう。厄介事を抱えた相手とあまり関わりたくないはずだ。
「そうか? ならいいんだが……」
一方、優子の目には秀人はあの日からあまり変わっていないように映り、ぶっきらぼうな声音も同じ。
申し出を遠慮された秀人がここに残る理由はなくなる。それじゃあと踵を返しーー優子は息を吐く。
息を抜いた拍子、様々な感情が溢れた。二度と会えないと諦めた相手とどんな形でも行き合え、嬉しい。それでいて切ない。秀人の中で優子は死んでいて、これまでを謝罪するのは許されない。
優子はずっと、ずっと秀人に謝りたかった。自分のせいでどれ程の苦労を強いられたか、憎まれて当然だ。
しかしながら秀人が死者にいつまでも囚われず、憎む時間すら惜しみ我が道を進むであろうと予測もできた。実際、目の前の秀人は健康そうで、なんなら女性の扱い方が優しくなったくらい。
憎まれるより、忘れられる方が辛いなんて。
優子は秀人に対しいつからか、許されなくてもいいので自分を忘れないで欲しいと、身勝手すぎる思考を嫌悪しつつ、あえて改めなかった。
徳増やひばりとの生活は穏やかに閉じ込められた日々であり、姉と丸井の当主へ祈りを捧げる日々である。どうしたって誰かに罪を暴かれ、裁かれたくなってしまう。
そして、その誰かと言えば秀人しか思い当たらない。秀人の射抜く眼差しが恋しい。
「、と、さま」
自然と優子の唇が動く。秀人を想えばここで引き下がるべきなのに。
今までの優子なら相手を尊重して踏み止まれたが、優子はもう気付いてしまったから、分かってしまったから、自分は徳増が喜ぶの優しくてきれいな聖女の仮面をつけていただけだと。
はらり、襟巻きが落ちる。
「秀人様!」
優子が腹の底より叫んだ。今度はしっかり聞こえ、秀人は振り向く。
「秀人様、わ、わたしーー」
それから秀人が涙で濡れた顔を優子と認識するまでごく僅か。動物的な動きで優子を抱き寄せ、優子も夢中で背に手を回す。
「俺は、また夢を見ているのか……」
いちにもなく抱きしめておいて、秀人が信じられないとばかり呟く。持ち前の野生の勘が働いたものの、いちおう本人確認をしたいところか。
しがみつく優子を慎重に剥がす。優子の泣き顔を見るのは初めてではないが、感情を剥き出しにする様子に秀人は鼻を鳴らす。
「あはは、不細工な泣き顔だな」
優子と確信した上での軽口であろう。頬を撫でて涙を拭うその手付きは震え、経緯を話そうとする素振りを遮った。
「いい、今は聞きたくない。俺はお前が生きてさえいれば、それでいいんだ」
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