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太陽と月

太陽と月

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 ふわふわ、ゆらゆらりーー優子は混濁した意識の中で浮いていた。手足が重く、泳ぐ力は残っていない。もし泳いで岸へ辿り着けても待ち受けるのは厳しい現実であろう。

 ならば優子は目を開けない。このまま流されて朽ちていけばいい、そしてごめんなさいと祈る。
 仄暗い水の底に引きずり込まれるまでこの罪悪感を抱え、泡となり消えゆく瞬間も手放さないと誓った。

「……お嬢様」

 遠くで誰かが呼ぶ。

「死んでしまえば何も残りませんよ」

 それはいつかの徳増の声。あの時の優子がハーブティーを口にしながら、こう返す。

「そんな悲しい事を言わないで。確かに天に召された後どうなるか分からないけれど、仮に徳増が先に亡くなったら、わたしには色々と遺るわ」

「おや、わたしを先に逝かせるのですか?」

 困った風に、仕方なさそうに微笑む徳増。
 徳増が自分だけに表情を弛めるのを知っていた優子は机上の下で足を振る。これは照れ隠しだ。

「あなたこそ、わたしより長生きするつもり?」

「ふふ、まぁ、私はあなたに先立たれでもしたら狂ってしまう。それで何がお嬢様に遺るのでしょう?」

「そうねぇーー」

 優子は考える、いや考える真似をした。思い返してみれば優子には考えるという行動が欠如し、それをおかしいとも感じない。

 優子は優しく、穏やかな笑顔を浮かべた。問に答えなくともこうして笑ってハーブティーを飲めば、真綿に包まれた間を約束される。

「徳増はハーブを育ててるのよね? わたしも手伝っていい?」

「土いじりなどお嬢様がする必要ないですよ」

「それを言うなら徳増だってやる必要ないわ。あなたはわたしの教育係でしょ?」

「菜園は私の趣味で仕事ではありませんので」

 徳増は読書も趣味に位置付けており、優子に沢山の書籍を紹介する。ただ菜園に関して優子の介入を許さずハーブティーを飲ませるのみだ。

 徳増の淹れるハーブティーは心を落ち着か、鼓動が凪いでゆく。このままでいいの、このままがいいの、寄せては返す揺らぎを止めてしまおうと息遣いを撫でる。

「そう」

 優子は気のない返事でとどめ、それ以上踏み込まなかった。一日の大半を屋敷で過ごす2人だからこそ距離感を大事にする。

 このままでいいのか? 

 新たな声は問う。優子の目蓋がぴくり、震える。

 このままでいいのか?

(このままでいいの、やめて、もうこのままで)

「優しいお嬢さんの仮面を剥いでやろうか? 聖女の仮面の下には一体どんな顔があるんだろうな?」

 意志を宿した燃える声が響いてきた。

 暁月秀人、名は体を表す。

 一代で財を築き、自信と野心に満ち満ちた男は常に優子を翻弄した。
 優子は秀人を不器用で優しいと思う事もあったし、金で買われた道具みたく扱われて悲しかった事もある。

 少し目を離すと秀人は気分を切り替えるので、動向に注意を離せなくなり、今となると笑顔をもっと見てみたかった、怒る理由を聞いてみたかった。

「そうか? 花に相応しいも相応しくないもないぞ。どちらかと言えばこれは優子さんに合う花だ」

 真紅の薔薇を優子へ捧げた秀人が過る。花言葉に囚われない振る舞いは褒められたものではなかったけれど、優子を閉じ込めていた籠を壊す。まぁ、籠だけでなく優子自身も壊そうとしたが。

 暁月秀人の射抜く瞳、力強い腕、唇、なにもかも燃えるよう熱くて身を焦がされる。

「なぁ、お前は俺を愛しているのか?」

 絵の題材になると決めた日、秀人が尋ねた。
 優子には分からなかった。夫は慕うべき相手と教えられたものの、愛し方を知らないから。愛など知らないと打ち明ければ良かったのか、知らないならば秀人は共に探してくれるのか。

(あぁ、違う、そうじゃない)

 ふわふわ浮く意識まで熱を帯び始め、窒息しそうな気持ち悪さが覚醒を促す。

 このままで本当にいいのか?

 秀人の声に身体をぐっと押し上げられる。


「ーーっ、かはっ!」

 優子が飛び起きて吐き出せば、それがハーブティーと同じ香りだと気付く。

「お目覚めですか? お嬢様」

「!」
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