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第9篇 桜の下で君を待つ

第2話

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 「このっ…馬っ鹿野郎!!」

 開口一番に唾を撒き散らしながら怒号を飛ばす兄に、ゆかりはぎゅっと膝の上に置いた自らの拳を握り締めた。

 「お兄ちゃあん…唾飛ぶからやめてよぉ…」
 「うるせえ!お前には陰陽師の一員である自覚がないのか!?目的地に潜入して以降姿が見えねえかと思ったら、任務の最中に不注意で身動き取れなくなって樹から逆さに宙ぶらりん…間抜けかっ!!」
 「だってぇ~、私やっぱり着物袴に草履とか向いてないぃぃ!なんでスニーカーじゃ駄目なの!?今は素晴らしい技術で作られたスポーツウェアもあるんだよ!?」
 「黙れ馬鹿妹!!!」

 ゴチン!と小気味よい音がゆかりの頭で弾ける。

 「痛い!ぶったぁ!反対!暴力反対~!」
 「お前ももう少し安倍一族の誇りと自覚を持て!!」
 「うるせえぞ脳筋兄妹!!!」

 ゴチン、ゴチン!
 今度は小気味の良い音が続け様に2度鳴る。
 揃って頭を押さえて床に倒れ込む兄妹2人に、鼻を鳴らして拳を構える長身の男、2人の師匠であり育ての親ともいえる遠藤勇市ゆういちは深々とため息を吐いた。

 「けい、お前も安倍一族の自覚云々を言うならもう少し落ち着きを持て。すぐに叫ぶな唾を飛ばすな。あと兄として妹が心配なのは分かるが、そうばかすか妹の頭を殴るんじゃない」
 「うっ…」
 「勇市ゆういち兄ちゃんも私のことぶったぁ!」
 「…はぁ」

 一方は必要以上にしゅん、と肩を落として落ち込み、もう一方はぎゃんぎゃんと泣き喚く兄妹を前に、勇市ゆういちはこれじゃ先が思いやられるなぁと思いながらも、いつも通りの日常に内心で安堵した。



♦︎



 陰陽の術を学び、鬼と斬り結び、人知れず人の世を救う者達を陰陽師と呼んだ。

 現代の世ではその存在を知る者も限られているが、彼らは魑魅魍魎を斃す術を子孫に託し、脈々とその血と術を現在まで絶やすことなく繋いでいった。

 彼らにはいくつかの流派、家系が存在するが、稀代の陰陽師、安倍晴明の血を引く一族が代々陰陽師の集団を纏め上げその時々のおさを務めていた。

 闇は遠のき、人々が人ならざる隣人を忘れた今代の集団を率いる長は、安倍の姓を冠してはいない。現在、陰陽師の中で安倍の姓を持つ者はけいゆかりの兄妹2人きり。
 
 長い歴史の中で初めて訪れた異例の理由は、15年前に遡る。
 かの大妖、ぬらりひょんが百鬼夜行を率いて安倍一族の屋敷を強襲したのである。
 陰陽師の名門、安倍家は当時まだ幼かった2人の兄妹を残して全員がぬらりひょんの凶刃の前に倒れ、兄妹の両親の1番弟子であった勇市ゆういちが2人を引き取り、以来3人は本当の兄妹のように、あるいは父子のようにして時間を共有してきたのであった。



♦︎



 「はいはい、悪かったなゆかり。もう反省したか?」
 「うっ…したよぉ。次からは樹に登る時はもっと気をつけるっ」
 「…はぁ。あのな、気をつけるのは木登りだけじゃないぞ」

 ゆかり勇市ゆういちの言葉にきょとんとした目を向ければすかさず隣から後頭部を平手ではたかれる。
 額に青筋を浮かべて腕を振り切った姿勢でいる兄に「痛いっ!」と少し大袈裟に叫べば、目の前に仁王立ちしている勇市ゆういちから大分大きな咳払いをされる。
 それに兄と揃ってビクリと肩を揺らすと、2人で正座をしたまま肩を組んで「仲良しですよ~」と言わんばかりにニコニコしてみせた。

 「はぁ…あのな、ゆかり。昨夜の悪鬼達は本当に酒カッ喰らってグデングデンに酔っ払っただけの大分愉快な悪鬼達だったが鬼は鬼だ、油断は自分にも仲間にも死を招くぞ」
 「うっ…」
 「ほれみろ」

 隣の兄に腕で小突かれなんだとそちらを見れば、舌をべっと出した兄の姿に悪いのは注意不足だった自分だと分かっていてもムカッと腹が立つ。

 「27の男がそれやっても可愛くないから」
 「うるせー馬鹿」
 「馬鹿って言う方が馬鹿」
 「高校を無事に卒業してから言え馬鹿」
 「っもー!お兄ちゃんだって卒業ギリギリだったくせに!私知ってるよ!?お兄ちゃんの試験結果が最悪で勇市ゆういち兄ちゃんが夜な夜な枕を涙で濡らしてたことっ!」
 「なっ!もう過ぎたんだからいいだろうが!」
 「この、脳筋っ!」
 「お前も脳筋!」
 「の──」
 「ゥオッッホン!!!」

 ぎぎぎ、と前を見上げれば、般若の如き形相を浮かべた勇市ゆういちの姿。
 今度こそ2人は背筋をピッと正して勇市ゆういちの話に耳を傾けた。

 「ゆかり、昨夜俺達は予定通り酔っ払った悪鬼共は調伏した。でもな、ひとりの鬼には逃げられたんだ。もしそいつに身動きが取れない状況で遭遇していたら?俺は…俺はお前達2人に何かあったら師匠達にあの世で合わせる顔がない」
 「勇市ゆういち兄ちゃん…」

 心底から心配そうに眉を寄せる勇市ゆいいちに、ゆかりは立ち上がりきゅっとその逞しい首に自分の両腕を回して抱き着く。

 「心配かけてごめんなさい。次からは絶対に昨日みたいなことがないように気をつける」
 「…ああ、そうしてくれ。俺の心臓がいくつ在っても足りないよ。お前もけいも、師匠達の、俺の大切な家族なんだからな」

 けいも立ち上がり、ゆかりの後ろからゆかりごと勇市ゆういちに抱き着く。
 死と隣り合わせの危険なお役目を3人共が負っていることは十分に知りながら、それでもこれ以上大切な人が居なくならないようにと、3人は願いを込めてぎゅうぎゅうと互いに抱きしめ合った。

 そんな中ゆかりは、昨夜出会ったあの金の瞳を思い出していた。
 ため息が出るほど美しい薄紅の桜吹雪の中に立っていた、美しい鬼のことを。
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