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番外編1 とあるメイドと幼いオリヴィアの遭遇
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──コンコンコンコン
慌ただしい屋敷内において、唯一恐ろしいほど静かなその部屋の扉をノックする。
まるでその部屋だけが忘れ去られたような、大勢居る筈の使用人達が誰一人として気にも留めないそこで、変なメイド、と呼ばれたアリシアという名のメイドは足を止めた。
「…オリヴィアお嬢様?」
♦︎
昨日からアリシアの勤め先であるブラック伯爵邸は嵐の海に投げ出された一隻の船のようだった。
誰も彼もが平静を失い、右往左往をして、何をすればいいのか分からず、それでも何かをしていなければと急き立てられるように屋敷中を駆け回る。
そんな中でアリシアだけは冷静に状況を見極め、通常業務をこなしながら自分の出来る範囲で意識を失い倒れたという伯爵夫人の看病の手伝いをしていた。
最初の違和感は、しまわれたままの子供用カトラリーだった。それから気になって台所を覗いてみれば、夫人用のありとあらゆる病人食は準備されているが、それ以外はない。
次に洗濯場へと足を運んでみれば、ベッドシーツやタオルの類は清潔に洗濯されているのに、その他に洗濯されているべき物が一切見当たらない。
極め付けは、ブラック伯爵夫妻の一人娘の乳母がジジの看病にあたっていること。
「…ちょっと待って。オリヴィアお嬢様のお世話係はどこよ!?」
答えは勿論、考えるまでもなかった。
♦︎
「オリヴィアお嬢様?お部屋におられますよね?」
扉の内側は異常に静かさを保っている。
普段は飄々としているアリシアだが、今回ばかりは流石にその表情に焦りが見てとれる。
「お嬢様!開けますよ?」
いくら扉を叩いて声をかけても、部屋の中からは返事が返ってこない。普段ならば主の返事も聞かずに扉を開けたりはしないが、今は緊急事態だとアリシアはドアノブを回しいささか勢いよく扉を押し開く。
「お嬢様!オリヴィアお嬢様!?」
「……うっ、うう…ひっく…」
「!」
果たして。
小さなオリヴィアは冷たい部屋のソファーの上で丸まってその顔をぐしゃぐしゃに歪めて声を押し殺して泣いていた。
アリシアはすぐにオリヴィアの元まで近づくとふわふわのブランケットで包み込み背をさする。
「オリヴィアお嬢様、寒かったですね。申し訳ございません。お腹もお空きになられましたよね?今から厨房に何か温かいスープでも作るように言って─」
「い、いっ!ひっ…要ら、ない!うっ、うう…」
「お嬢様?ですが、」
「要らないってばぁ!うっ、…ひっく、だって、だって…ううっ、」
「…オリヴィアお嬢様。何がそんなに悲しいんですか?」
ボロボロとオリヴィアの両目からこぼれる大粒の涙をそっと袖口でぬぐってやりながらアリシアは尋ねる。
「…オリヴィアお嬢様。伯爵夫人の元へ行きませんか?お母様のそばなら、少しは安心するかもしれませんよ」
「だ、だめぇっ!じゃ、じゃまだもん…っ!お部屋で、おべんきょうを、してたほうが、早く、りっぱなしゅくじょに、なれるんだもん…!!」
「オリヴィアお嬢様…」
大人達の言葉に素直に従い、病弱な母に余計な心配事をかけさせず、多忙な使用人達を気遣い自分のことは後回しに。
いつしかそうすることが立派な淑女なのだと、そうあるべきなのだと信じて疑わなくなったオリヴィアの心は、母の危篤という状態にそばに居たいという気持ちと迷惑をかけずに静かにしていなければという気持ちでついにバランスが上手く取れなくなってしまった。
何がしたいのか、言葉にすることすら出来ずにただ涙を流すオリヴィアの肩を、アリシアはそっと抱く。
「オリヴィアお嬢様。以前に私が言ったことを覚えていますか?」
「ひっく、うっ…?」
「私達使用人には、働く時間と休憩する時間の二つがあります。どうしてだか分かりますか?」
「うう、んっ…なんで…?」
「実は私は、とってもお仕事が出来るスーパーメイドなんです!」
「……ひっく」
「でーもー、24時間ずっと、一瞬たりとも気を抜かずにスーパーメイドでいるととっても、とぉぉっても!疲れて倒れちゃいます。でしょ?」
「そ、そうなの?」
「オリヴィアお嬢様だって、とっても良い子のスーパー淑女ですけど、ずっとずっとわがままも一つも言わず、休みなくお勉強をして…お母様に会いたいって言わないでいたら、疲れちゃうでしょう?」
「……」
小さなな唇をぎゅっと噛み締めて、ようやくオリヴィアは返事を返した。
「……うん。疲れちゃった」
「オリヴィアお嬢様」
「うっ、ううっ、うわああああん!!お母さまぁぁ!お母さま、死んじゃやだあああ!おと、お父さまあああ!!」
「大丈夫ですよ、お嬢様。今、みんなが伯爵夫人が一刻も早く良くなるように頑張っていますからね」
「うわぁぁぁん…!」
「これから伯爵夫人のお部屋に一緒に行きましょうね。旦那様もいらっしゃる筈ですよ」
「うんっ…うんっ…!」
アリシアは泣きじゃくるオリヴィアを抱え上げると、伯爵夫人の部屋へと歩き出した。
慌ただしい屋敷内において、唯一恐ろしいほど静かなその部屋の扉をノックする。
まるでその部屋だけが忘れ去られたような、大勢居る筈の使用人達が誰一人として気にも留めないそこで、変なメイド、と呼ばれたアリシアという名のメイドは足を止めた。
「…オリヴィアお嬢様?」
♦︎
昨日からアリシアの勤め先であるブラック伯爵邸は嵐の海に投げ出された一隻の船のようだった。
誰も彼もが平静を失い、右往左往をして、何をすればいいのか分からず、それでも何かをしていなければと急き立てられるように屋敷中を駆け回る。
そんな中でアリシアだけは冷静に状況を見極め、通常業務をこなしながら自分の出来る範囲で意識を失い倒れたという伯爵夫人の看病の手伝いをしていた。
最初の違和感は、しまわれたままの子供用カトラリーだった。それから気になって台所を覗いてみれば、夫人用のありとあらゆる病人食は準備されているが、それ以外はない。
次に洗濯場へと足を運んでみれば、ベッドシーツやタオルの類は清潔に洗濯されているのに、その他に洗濯されているべき物が一切見当たらない。
極め付けは、ブラック伯爵夫妻の一人娘の乳母がジジの看病にあたっていること。
「…ちょっと待って。オリヴィアお嬢様のお世話係はどこよ!?」
答えは勿論、考えるまでもなかった。
♦︎
「オリヴィアお嬢様?お部屋におられますよね?」
扉の内側は異常に静かさを保っている。
普段は飄々としているアリシアだが、今回ばかりは流石にその表情に焦りが見てとれる。
「お嬢様!開けますよ?」
いくら扉を叩いて声をかけても、部屋の中からは返事が返ってこない。普段ならば主の返事も聞かずに扉を開けたりはしないが、今は緊急事態だとアリシアはドアノブを回しいささか勢いよく扉を押し開く。
「お嬢様!オリヴィアお嬢様!?」
「……うっ、うう…ひっく…」
「!」
果たして。
小さなオリヴィアは冷たい部屋のソファーの上で丸まってその顔をぐしゃぐしゃに歪めて声を押し殺して泣いていた。
アリシアはすぐにオリヴィアの元まで近づくとふわふわのブランケットで包み込み背をさする。
「オリヴィアお嬢様、寒かったですね。申し訳ございません。お腹もお空きになられましたよね?今から厨房に何か温かいスープでも作るように言って─」
「い、いっ!ひっ…要ら、ない!うっ、うう…」
「お嬢様?ですが、」
「要らないってばぁ!うっ、…ひっく、だって、だって…ううっ、」
「…オリヴィアお嬢様。何がそんなに悲しいんですか?」
ボロボロとオリヴィアの両目からこぼれる大粒の涙をそっと袖口でぬぐってやりながらアリシアは尋ねる。
「…オリヴィアお嬢様。伯爵夫人の元へ行きませんか?お母様のそばなら、少しは安心するかもしれませんよ」
「だ、だめぇっ!じゃ、じゃまだもん…っ!お部屋で、おべんきょうを、してたほうが、早く、りっぱなしゅくじょに、なれるんだもん…!!」
「オリヴィアお嬢様…」
大人達の言葉に素直に従い、病弱な母に余計な心配事をかけさせず、多忙な使用人達を気遣い自分のことは後回しに。
いつしかそうすることが立派な淑女なのだと、そうあるべきなのだと信じて疑わなくなったオリヴィアの心は、母の危篤という状態にそばに居たいという気持ちと迷惑をかけずに静かにしていなければという気持ちでついにバランスが上手く取れなくなってしまった。
何がしたいのか、言葉にすることすら出来ずにただ涙を流すオリヴィアの肩を、アリシアはそっと抱く。
「オリヴィアお嬢様。以前に私が言ったことを覚えていますか?」
「ひっく、うっ…?」
「私達使用人には、働く時間と休憩する時間の二つがあります。どうしてだか分かりますか?」
「うう、んっ…なんで…?」
「実は私は、とってもお仕事が出来るスーパーメイドなんです!」
「……ひっく」
「でーもー、24時間ずっと、一瞬たりとも気を抜かずにスーパーメイドでいるととっても、とぉぉっても!疲れて倒れちゃいます。でしょ?」
「そ、そうなの?」
「オリヴィアお嬢様だって、とっても良い子のスーパー淑女ですけど、ずっとずっとわがままも一つも言わず、休みなくお勉強をして…お母様に会いたいって言わないでいたら、疲れちゃうでしょう?」
「……」
小さなな唇をぎゅっと噛み締めて、ようやくオリヴィアは返事を返した。
「……うん。疲れちゃった」
「オリヴィアお嬢様」
「うっ、ううっ、うわああああん!!お母さまぁぁ!お母さま、死んじゃやだあああ!おと、お父さまあああ!!」
「大丈夫ですよ、お嬢様。今、みんなが伯爵夫人が一刻も早く良くなるように頑張っていますからね」
「うわぁぁぁん…!」
「これから伯爵夫人のお部屋に一緒に行きましょうね。旦那様もいらっしゃる筈ですよ」
「うんっ…うんっ…!」
アリシアは泣きじゃくるオリヴィアを抱え上げると、伯爵夫人の部屋へと歩き出した。
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