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第一章

幕間3 ジェームズの遠い日

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 「おは、お初に、お目にかかります。ビッ、ビアンカ・ワイルドリリーです。ジェームズ第一王子殿下」

 ちょこんとドレスの裾を摘んで、たどたどしくも懸命に挨拶をする。
 柔らかそうな頬が赤く染まっていた事だとか、緊張からか中々僕と目を合わせられなかった事だとか、そんな些細な事を、いまだに覚えている。




♦︎




 幼い頃から、僕は自分が一国の第一王子という特別な身分である事を理解していた。
 王族としての務め、国民への責任、自分の一挙手一投足が常に良い意味でも悪い意味でも注目されているのだと。

 それでも理解する事と受け入れる事は違った。
 婚約者だという女の子と初めて引き合わされた頃、僕は僕を取り巻く環境や将来の重責に怯えて何もかもが嫌になっていた。
 年相応に我が儘を言い周りを困らせ、好きでもない見ず知らずの女の子と結婚なんかしたくないと、顔合わせの日にはぐずぐずと鼻を鳴らし目は涙で真っ赤に充血させていた。
 極め付けに母上の足元から離れず、母上のドレス越しに初めてビアンカと対面した。
 恐らくビアンカからしてみれば、なんて情けない男の子だろう!と呆れた事だろう。

 初対面こそあまり良い印象ではなかったが、その後は今振り返ると、子供ながらの順応力の高さなのかビアンカの朗らかな人柄の成せる技なのか、驚く程あっという間に僕とビアンカは仲良くなっていった。
 友人として、似た境遇の同志として、そして婚約者として──。
 長い時間をかけて、ゆっくりと、2人の関係を築き上げていった。




♦︎




 「え?精霊の力が強くない、ですか?」

 ビアンカと自身の精霊についての話を初めてしたのは、まだアカデミーに入学する前だった。
 ワイルドリリー公爵邸の庭で、ビアンカと2人お茶をしている時に、自身の精霊の評価が周りから低い事を打ち明けたのだ。
 精霊と人との繋がりが切っても切れないこの国で、精霊の力の強さはどうしたって周囲からの評価の基準になる。
 正直に言うと、この頃まで僕は、とても強い力を持つ嵐の精霊の主人であるビアンカが誇らしくも妬ましかった。

 「僕は…君が羨ましいな、ビアンカ。レディとしてマナーも礼儀も完璧で、その上とても強い嵐の精霊を持っている…」

 「ジェームズ殿下…お言葉ですが、私がマナーも礼儀も完璧なのは当然ですわ。だって私は泣き虫ジェームズ王子の婚約者なのですものっ」

 「…ちょっ、泣き虫それは出会った時だけだろう!君だって最初は挨拶するのに噛み噛みで…っ!」

 「…ふふ、それでいいではありませんか。お互いの足りないところを、お互いが補い合う。何もかもが完璧でしたら、誰かと共に生きてゆく意味はないと私は思っておりますわ」

 「ビアンカ…」

 「それに、相手の精霊が羨ましいのはジェームズ殿下だけではありませんわ!〝静かな夜の精霊〟…ジェームズ殿下の精霊は素晴らしいです。とても優しい力ですわ」

 足元、テーブルの影に黒い生き物がじっとしている。
 力強く、けれど音もたてずにいつも僕に付き従っているしなやかな美しい黒豹。
 そしてふと気付くと僕の黒豹に寄り添うようにしている、大きな灰色の狼。

 『妬けるねぇ、ビアンカ。俺よりこの真っ黒いのがいいって?』

 「そっ、そうは言っておりませんわ!私は貴方が大好きですもの!」

 暗い気持ちが一変、ビアンカの柔らかい眼差しで溶けていく。
 僕が居て、当たり前のように隣にはビアンカが居て、そして気付くと黒いのと灰色のがくっ付いている。
 ただただ温かく優しい───

 「…でも、ジェームズ殿下。私はたまに、私の精霊が怖くも感じます。この子は優しい子だと分かっておりますが、殿下が仰るようにこの子のは余りに強くて…。嵐は、全てを──」

 ──壊す事しか出来ないから。




♦︎




 「……ビ…カ」

 「っジェームズ殿下!?良かったぁ、気がついたんですねっ!」

 「…ぅ、あ?」

 自分の顔を覗き込んでいたらしい令嬢が、ばたばたとどこかへ駆けていくのを、何故かぼうっとする頭で見送る。
 そんな事よりビアンカは何処だろう。たった今までビアンカの屋敷の庭でお茶を…。

 「殿下っ?」

 「っ!」

 再度顔を覗き込んできた令嬢、ハリエットの顔を見てはっとする。
 そうだ、今はアカデミーに入学する前でもなければ、公爵邸でお茶をしていたわけでもない。
 嵐の精霊に襲われ、命からがらハリエットと共にこれを退け、王宮に担ぎ込まれたのだ。
 既にビアンカは婚約相手でもなく、自分が愛しているのは──

 「…夢を見ていた」

 「?」

 温かく、優しい日の、確かに在った日の夢を。
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