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第1部
第三章 合縁奇縁
しおりを挟む五月に入り、晴れた京の町を、伊織は土方と並んで歩いていた。
だが、伊織の姿は男装ではなく、しっかりと女物の着物を纏っている。
丁寧に女髷の鬘まで着け、どこから見ても町方の娘そのものである。
「今後、外部で行動するときは女装しろ。内部では普段通り男装でいる、いいな?」
新選組の内外によって、性別を使い分けろ、ということらしい。
伊織にとってはどちらかといえば男装のほうが動きやすく、こんな面倒なことをしたくはないのだが、土方には土方の思惑があるようで、異を唱えることは許されなかった。
女装のため刀を差せない代わりに、懐には鉄扇が忍ばせてある。
土方が伊織のためにと用意してくれたものだ。
「京の町に慣れるのは大変だろうが、まずはそれを克服してもらわなきゃ困る。今日のところは俺が案内してやるが、毎回付き合ってやれるわけじゃねぇからな」
「……じゃあ、次からは他の方に案内してもらいますね」
「いや、それもまずい。新選組と関わりが深いと思われちゃあ、おめぇを動かしづらくなるだろう」
新選組隊士と連れ立って外に出る必要に迫られた場合には、男装で出歩くように、と注意を受ける。
「なんだかよくわからないけど、土方さんの言う通りにしていればいいんですね?」
細々とした指示を出されるだけ出され、それを覚えるのだけで手一杯なのである。
今はとにかく自分に課せられた規則を身につけなければ、と思う。
先日出火騒ぎのあった木屋町通りを北へ歩きながら、伊織は神妙な面もちになった。
先のことを考えれば不安は尽きないが、怖がってばかりいても仕方がない。
生き抜くために、すべてを受け入れる決意をしたのだ。
それを今また、改めて思う。
そんな様子の伊織を見て、土方が軽く吹き出した。
「辛気くせぇツラぁすんじゃねぇ。他の隊士に比べりゃあ、おめぇの仕事なんざ楽なもんだ」
「でも、私にとっては大変な仕事ですよ」
と、言い返したところに、前方から複数の男がやかましく怒鳴る声が届いた。
どきっと身を縮めて進行方向を見れば、少し先の小路で浪士たちの斬り合いが始まったところであった。
刀身を弾き合う耳障りな金属音が乱れ飛ぶ。
片一方の浪士数名は浅葱の羽織を着た新選組隊士だった。
「土方さん! あれ、新選組の隊士ですよね!?」
「……ちッ、ウチのほうが圧されてんじゃねぇか」
苦々しく口を歪めて、土方が吐き捨てる。
確かに、人数的に同等な割には、隊士たちのほうが圧されているようだった。
「助太刀したほうがいいんじゃ……!?」
「あー、仕方ねぇな……。伊織、おめぇはどっかその辺に避難してろ」
「え、あ、はい……」
土方は面倒くさそうにため息を吐くと、白刃の飛び交う中へ向けて走り出した。
(大丈夫なのかな……)
ふと土方の身を案じたが、伊織は現場のぎりぎりまで距離を詰め、土方の指示に従って道沿いの軒下に身を寄せた。
「てめぇら、揃いも揃って何てェ様だ!! 朝稽古の量、倍にするぞ!!」
土方の叱咤で、隊士たちの動きがにわかに切れを見せ始める。
──が。伊織はその光景に何とも言い難い違和感を覚えた。
斬り合い自体に気を取られて、相手は不逞浪士だとばかり思っていたが、それにしてはどうにも様子がおかしい。
彼らが圧していることは事実だが、隊士を斬りつけるのを躊躇っているように見える。
加えて彼らが口々に喝破する内容に耳を傾ければ、どうやら最初に因縁をつけて刃情沙汰に発展させたのは、新選組のほうらしい。
刀を振り回す当の隊士たちは夢中になっていて、相手の言葉などさっぱり聞こうとしないようである。
もしかして、と伊織は息を潜めた。
(相手は、見廻組あたりの隊士では……)
京の市中警護の任にあるのは、何も新選組だけではない。
京都守護職はじめ複数の組織が治安維持に従事している。
それぞれ担当する区域が定められる以前には、互いを敵浪士と間違ってもみ合いになることが度々あった。
中でも見廻組というのは、伊織がこの幕末に来たのとほぼ同じ頃に結成された、まだ新しい組織なのだ。
新選組の平隊士が、彼らを敵と間違える可能性は充分にある。
伊織は迷った。
止めに入ったほうが良いのではないか。
だが、果たして彼らが自分の言葉に耳を傾けてくれるかどうか、正直自信はない。
土方が入って終息へ向かうかと思われた乱闘は、一向に区切りを見せない。
(迷っている暇はない! 死人が出てからじゃ取り返しがつかない!!)
思った瞬間、刀で押し合っていた土方の背後に、別の白刃が閃き上がった。
「土方さんっ!!」
叫んだ時には、伊織は既に鉄扇を手に飛び出していた。
元々小柄なだけあって、土方の背に滑り込むのは難なく、閉じたままの鉄扇で降り懸かる凶刃を跳ね上げた。
「気をつけてよ、土方さん!」
「あぁ、すまねぇ──って、馬鹿! 出てくんなよ、危ねぇな!!」
言っている間にも、伊織は土方の背で二の太刀、三の太刀を受け流す。
「どかぬか! 邪魔をすれば斬るぞ!!」
目前の武士が伊織に凄む。
「待ってよ! 敵じゃない、新選組なんだってば!!」
周囲からの金属を弾き合う音も、依然として止まない。
「だからどうだと言うのだ!! 先に仕掛けて来たのはそちらだろう!!」
対峙する男のこの言葉に、伊織は自らの考え違いであったのかと思いかける。
そこに、思いがけない援護が入った。
「やめぬか!! 味方同士で何を斬り合う!!!」
『敵ではない』という伊織の言葉を力強く補佐する声。
それを機に、あれだけ勢いに乗っていた剣戟が嘘のように止んでしまった。
仲裁に入ったのは、まだ年若そうな武士二人。
「市中警護にあたる者同士が、何故あって斬り合わねばならぬ!!」
格式張った声で恫喝され、且つ誤謬を正されたことで、双方一同がその場に立ち尽くした。
「佐々木殿、蒔田殿……」
と、土方が二人を呼ぶ。
「土方君、お主までもが、どういうことだ?」
「斬り合いにまで及んだ経緯を教えてもらいたい」
極めて冷静に問う二人に対し、土方は刀を収めて隊士たちを見回す。
奇跡的にどちらの側にも死者はなかったものの、やはり中には重傷を負った者もある。
「申し訳ないが、それよりもまず怪我人の手当を先にしたい。この件についてはまた改めて話し合いの場を設けましょう」
二人にそう伝えてから、土方は伊織に目を向ける。
「屯所まで戻れるな? 急ぎ局長に報告してくれるか」
「あ、はい。わかりました」
今来た道を屯所まで戻るくらいなら、迷わずに行けるだろうが、佐々木と蒔田の雰囲気に何か後ろ髪を引かれる。
だが副長の指示とあらば従うほかなく、伊織は軽く一礼すると屯所の方向へと走った。
***
「局長!! 失礼します!」
大急ぎで壬生の屯所に帰り着くと、伊織は脇目も振らずに局長室へ飛び込んだ。
「高宮君か、どうし……ど、どうしたんだね、その格好は」
緊急事態で慌てるあまり、女装していることをすっかり失念していた伊織である。
近藤に指摘されたことで、伊織はやっとそれを思い出した。
「あぁっ!? す、すみません! いますぐ着替えてきます!」
「いやいや、今は俺一人だから構わんが……」
着替えに戻ろうとした伊織を近藤が宥め引き留める。
伊織が土方の小姓と監察見習いを兼任することは、試衛館以来の同志には既に知れていたが、実は女子であると知る者は今のところ土方、近藤、沖田の三人だけだ。
伊織の女装姿を他の隊士の目に触れさせては、やはり都合が悪いのだろう。
「いくらトシが個人的に雇ったとは言ってもだな、新選組にいる以上は慎重に行動してもらわんと困るぞ?」
「……以後、気をつけます」
土方と違って、近藤はあくまで穏やかに注意を促す。
伊織も近藤の言葉を真摯に受け止めたが、すぐに本来の用件の陳述に移った。
「それで、実は少し困ったことが……」
伊織は先に見たことのすべてを委細ありのまま報告した。
と、その間、そういえば斬り合った相手が本当に見廻組であったかどうか、確認せぬまま現場を離れて来てしまったことに気付く。
「仲裁に入ってくれた人は、確か佐々木さんと蒔田さんという人でした。年は多分、どちらも土方さんや局長と同じくらいじゃなかったかと……」
土方が呼んでいた名を思い起こし、近藤に知らせると、近藤の顔が明らかに険しくなった。
「私は見廻組かな、と思ったんですが、確認まで出来ないまま戻ってきてしまって」
「確認も何も、見廻組で間違いなかろう」
「それじゃ、あの二人は……」
「佐々木も蒔田も、見廻組の幹部だよ」
言って、近藤は長い溜め息を漏らした。
見廻組の幹部、ということは、あのどちらかが見廻組与頭、佐々木只三郎。
伊織もその名は知っていた。
反対に蒔田という名は、この日初めて聞いたものだったが。
一人は中肉中背といったところで、こちらは糸のように細い目が特徴的だった。
もう一人は土方並に背が高く、割合がっしりと鍛え上げられた武骨な風貌が印象に強い。
一体どちらが佐々木だろうか、と伊織は考える。
ただ、どちらにせよ威圧感があって近寄り難い人物だなとは思った。
「まったく。困ったことをしでかしてくれたものだ」
渋面を作る近藤に、伊織は少なからず同情する。
「けど、事故のようなものじゃないですか。幸い死者は出ていませんし、きっとすぐ和解出来ますよ」
そう言ってはみたものの、近藤には気休め程度にしか取れなかったであろう。
「うむ、そうだなぁ」
と、口で笑いながら、近藤の太い眉はしっかり八の字を書いていた。
「それじゃあ、私はこれで失礼します。もう一度現場に行ってみますね。土方さん一人で大変だと思うので……」
「ああ頼むよ。こちらでも医者を呼んでおくから、ひとまず全員隊に戻るよう伝えてくれるかね?」
「解りました」
***
その日、夜になって、伊織は局長室に呼ばれた。
それも何故か、女装で来いというのだ。
用件が昼間の事件であることは易く察しがついたが、局長室に揃った顔触れを目の当たりにした時、伊織は我が目を疑った。
「あぁ、来てくれたか」
にっこりと笑って、軽く手を挙げる近藤。
それから憮然とした顔の土方。
その二人がいることは当然ながらわかる。
だが、局長室で伊織を待っていたのは四人。
「佐々木さん、と……蒔田さん」
どちらがどちらであるかは判然としないが、彼らもまたそこに座している。
女装をしてくるようにと言われたのには、この理由があったのだ。
昼間は女だった土方の小間使いが、夜には男になっていたとあっては、少なからず驚かれる。
佐々木と蒔田には本来のままの女子として通すのか、あるいはこれから二人に事の真相を打ち明けるのか、伊織は自然身構えた。
「何かご用でしょうか?」
部屋の入り口で正座し、改まった口調で近藤を見る。
近藤に、昼間の悄然とした様子は、この時露ほども残ってはいなかった。
(昼間の斬り合いのことは、もう和解したのかな……)
今は揚々たる笑顔の近藤からは、示談がうまくいったものと思えるのだが、土方の渋い表情を見るとそうとも言い切れないようなのだ。
「うむ。実は佐々木殿より、君に良いお話をいただいてなぁ」
「良いお話、ですか……?」
てっきり昼間の話を出されると思っていたが、どうもそれとはまた別な話であるらしく、伊織はきょとんとして近藤の目を見返した。
「まあ、そんなところに留まらずに、こちらに来るといい」
近藤に手招かれ、伊織は土方の近くにまで進んで座り直す。
良い話とは言われたものの、場の雰囲気がどうにも胡散臭くて、伊織は何かしら嫌な予感を覚えた。
伊織が入室しても、土方は一度も伊織を見ようとしない。それがますます疑念を煽る。
「それで、私にお話というのは……?」
土方を諦めて、伊織は怖ず怖ずと近藤に尋ねる。
「実はだな、佐々木殿が……」
「近藤殿、その先は私が直接話そう」
そう言って近藤の話を遮ったのは、背も高く筋骨逞しい男の方であった。
本来の顔立ちは優しそうに見えるのだが、口元を引き締めた表情は傲然としていて、近寄り難い印象がある。
ただそこにいるだけだというのに、気迫に圧されてしまうほどだ。
「申し遅れた。私は佐々木只三郎という。京都見廻組の与頭勤方を拝命しておる」
「あ……、高宮伊織、です」
なるほどこちらがあの佐々木只三郎か、という思いとともに、伊織も名乗り返した。
するとなると、その隣が蒔田であるようだ。
「土方君から話は聞いた。天涯孤独の身の上だそうだな?」
「は、はぁ、そうですが……」
「私がお前を引き受けよう」
佐々木が言った一言に、伊織はぽっかりと口を開け、唖然とした。
「……は?」
引き受けるという言葉の意味も解らないし、何故佐々木がそうせねばならないのかも理解できない。
「佐々木殿におかれては、おめぇが大層お気に召されたそうだ」
土方が棘のある口調で言い添える。
「土方君、何もそればかりではない。私は伊織に良かれと思って……」
「新選組だろうと見廻組だろうと、伊織が危険な目に遭うのは同じだと、俺は思うがね」
「トシ! 佐々木殿は善意で申し出て下さってるんだぞ! 失礼だろう」
二人のやり取りを見かねて、近藤が口を挟む。
しかし佐々木はそれを片手で軽く制し、初めて笑顔というものを見せた。
それまでの厳とした表情が一変して、同じ人物とは思えぬほど優しい顔になる。
「土方君、何か誤解をしているようだな」
土方の目つきが一層鋭さを増した。
「誤解?」
「私はお主のように伊織を見廻組で働かせようというつもりはない」
「だったら伊織を引き取って、どうなさるおつもりか」
土方に問い詰められて、佐々木は伊織の様子をちらりと窺う。
「……ひとまずは、妾、という形になるだろうな」
「めっ、妾ぇ!!?」
伊織は仰天して、素っ頓狂な声を上げた。
妾と言えば、つまりは囲い物の愛人ということだ。
今日会ったばかりで、まだ碌に口も聞いていないのに、話が飛躍しすぎている。
それとも、この時代、それは特別珍しいことではないのだろうか。
顰蹙の眼差しを向ける伊織に対しても、佐々木はやはり鷹揚に構えて笑い返す。
「表向きは、ということだ。本当に妾になれとは言わぬ」
「……はぁ」
とりあえずは安堵し、佐々木の顔色を窺う。
「伊織は会津の出だと聞いてな。実を言えば私も会津の出なのだよ。だから、というわけではないが、放っておくに忍びなく思うのだ」
「……それは、どうも……」
佐々木の出自くらいは知っているが、そうとも言えず曖昧に返事をする。
佐々木は、会津藩重役の手代木直右衛門の実弟にあたり、近藤らが会津藩御預りになれたのも、何を隠そうこの佐々木の力添えあってのことだった。
兄の手代木のほうも、新選組の資金面にまで良く目をかけてくれている。
「土方君にはまだ承認は貰えぬようだが、私の元にいるほうがお前にとっても良いだろう?」
「あの、でも……」
佐々木が善意で言ってくれているのは、何となく伝わっては来る。
同郷の誼で、身寄りのない女子を面倒見てくれようと言うのだ。
けれど。
土方が承認しようとするまいと、一度は主と心に決めた土方の元を、今更易々と離れる気にはなれなかった。
「新選組で女子が暮らすには、なかなか難儀するだろう? 年頃の娘の住むところではない」
佐々木は同情的な目を伊織に向ける。
(随分はっきり言っちゃう人だな……。土方さんに喧嘩売ってるんだろうか……)
そろりと横目で見上げた土方の表情は、先から強ばる一方だ。
「あの、すみません。そのお話はまた後日、改めて……」
この場で是非を唱えるよりも、まずは土方の意見を聞きたかった。
「そうか。いや、急ぐ話でもないからな。伊織の思うところもあるのだろうし、我らも今日はこれで失礼しよう」
残念そうに少し息混じった声で佐々木が言うと、その隣の蒔田が初めて横槍を入れた。
「一度、二人で話をしてみてはどうだ? 同郷の縁から気も合うかもわからぬぞ?」
「それは良い。高宮君、こうおっしゃってるんだ、一度佐々木殿と二人で会ってみるのもいいじゃないか?」
蒔田に同調した近藤の顔が、伊織には生き生きとして見える。
「──そう、ですね」
断る理由も見当たらず、伊織はそう曖昧に答えた。
***
佐々木と蒔田が壬生の屯所を出た後、伊織は副長室で土方と向き合っていた。
土方がなかなか話を切り出そうとしないため、伊織はまず、当たり障り無いよう口を開いた。
「結局、昼間の斬り合いの一件はどうなったんですか?」
控えめに尋ねたのに、土方はそれにも直ぐは答えようとせず、悠々と煙管を吹かし始める。
煙草の煙をくゆらせながら、土方はゆっくりと伊織を眺めた。
既に女装を解き、男になりすます伊織の姿を。
「おめぇこそ、何ですぐに相手が敵じゃねえとわかった?」
「そういう事故もあったはずだな、と思って。半信半疑でしたけど……」
ありのまま釈明する伊織を、土方は訝しそうに目を細めて見た。
その目が睨んでいるように見えて、伊織は合わせていた視線を外す。
「……ありゃあ故意で起こした斬り合いだったそうだ。俺もあん時ゃあてっきり敵浪士かと思ったが、そうじゃなかった。どうにも、同じ職で身分にばかり差があるってなぁまずいらしい」
「と、言うと?」
「偶然はち合わせた見廻組のやつらにケチをつけられたのが、うちの隊士にゃ我慢がならなかったんだろうよ」
投げるような言い方をした後、土方は吐息混じりに嘲笑する。
「原因は見廻組、仕掛けたのは新選組、ですか。どちらも同等に責めはあるんですね」
「普通に考えりゃ、そうだろうがな。何にしたって、向こうは歴とした旗本集団だ。俺たちみてぇなのとは身分に開きがある分だけ、こっちの分が悪くなる」
そんなことより、と土方が話の方向を変える。
一度口を開けば、普段より口数が多いように感じられるが、それはやはり不機嫌の極致にあるからなのだろう。
「話してぇのは、そんなことじゃあねえんだろ」
的を射た土方の切り替えしに、伊織は気後れしつつ本題へと移る。
「……佐々木さんは、どうして突然あんなことを?」
「さぁな」
「さぁ、って……。土方さん、私の何を話したんですか」
話すきっかけを与えておきながら、土方はいやに素っ気なく聞き流す。
その態度が引っかかり、伊織は多少憮然として問い返した。
「会津出身の身寄りのない娘で、俺が小間使いとして雇っている。尋かれたからそう話しただけだ」
伊織と目が合わないように、土方はわざと顔をそむける。
「おめぇも気付いちゃいるだろうが、近藤さんは佐々木の申し出を受けるつもりでいる。無理強いはしねぇだろうが、これほど良い話はねぇと思ってるみてぇだな」
それは伊織にも理解できる。
近藤は、本音では女子を隊に置くことには初めから反対なのだ。
それでも、伊織に同情するところもあり、また土方に免じて一度は隊に住まうことを許可した手前、あからさまには何も言わずにいるだけである。
「けどな、誤解すんじゃねぇぞ。近藤さんは、おめぇに良かれと思って佐々木に賛成してるだけだ」
「土方さんはどうなんですか?」
抑えた伊織の声に、土方は目だけを動かして伊織を見た。
互いに深刻な面もちで、内心を探り合うような視線を絡ませる。
それは、とかく長い沈黙だった。
「……おめぇが佐々木んところに行きてえっつうなら、行きゃあいい」
均衡を破って、土方がふぅっと煙を吐き出した。
「そのほうが、おめぇもまともな暮らしができるってもんだ」
やはり投げやりな土方の物言いに、伊織は絶望に近い感情が込み上げるのを覚えた。
「だけど、新選組幹部の情報を持っている以上、易く解放するわけにいかないと言ったのは、土方さんじゃないですか」
「佐々木なら心配ねえさ」
伊織とは違い、土方は一片も動じずに断言する。
土方もまた、実のところは佐々木に引き渡すことに賛成なのではないかと思う一瞬であった。
伊織はそれきり返す言葉を失くし、土方を睨んだ。
その睥睨を受けても土方はまるで顔色を変えず、続けざまに畳みかける。
「佐々木は信用の置ける男だ。分別もある。ああして申し出たからには、きっちりおめぇを管理する。そういう男だ」
伊織は土方を睨むのをやめ、深く顔を伏せた。
新選組で、土方の元で生きようと心に決めた矢先に、何故また別天地へ流されてゆかねばならない。
いかに佐々木只三郎が同郷の者でも、伊織には縁もゆかりもない男ではないか。
それも、形だけとはいえ、妾だなどと、受け入れ難い申し出である。
「少し、……考えさせてください」
俯いたまま、伊織は言った。
土方にこうまで言われてしまっては、伊織が四の五の言っても詮無いように思えたが。
今この場で土方に、佐々木のところへ行け、と言われることだけは嫌だった。
***
「高宮!」
夜も更け、隊士たちも皆寝静まった頃、縁側で一人ぼんやりとしていた伊織に、原田の声がかかった。
ちょうど夜の巡察から帰ったところらしく、隊服を着たままの姿だ。
「……原田さん」
原田は伊織の傍らにまで駆け寄ると、断るでもなくどっかりと腰を下ろした。
木屋町での一件以来、どことなく原田によそよそしい伊織だったが、二人きりでは避けようがない。
仕方なく、伊織は無難な言葉を選んで挨拶する。
「巡察、お疲れ様です」
「おう! こんなとこで何してんだよ?」
「いえ、別に何も……」
俯いて返す伊織の顔を、原田は妙に生真面目な面もちで覗き込む。
「土方さんと何かあったか?」
図星を突かれ、伊織は一瞬うっと息を詰まらせた。
「い、いいえ。何もないですよ」
伊織が男だと思っている原田に、相談など持ちかけられるはずもない。
これが沖田だったら、包み隠さず胸の内を明かせるのだが。
「何だよ、何もねえって顔には見えねぇぞー? ……あッ! わかった。土方さんに浮気でもされたんだろ? 当たりか!?」
悪戯っぽい笑みを作り、原田は気安く伊織の背を叩く。
どうにも大雑把な質らしく、細かいことは気にしない男だ。
木屋町での捕り物で伊織がその場から逃げ出してしまったことも、特に気にした素振りは見せない。
あからさまな原田の冗談には取り合わず、伊織は長い溜め息を吐いた。
「おいおい、元気がねえぞ~!? そんな暗い顔すんなってェー!!」
「原田さん、一応夜中ですから、あんまり大声を出さないほうが……」
「っだよォ、こんでも心配してんだぞー?」
少しばかり拗ねたような原田の顔は、抜き身の刀を手にした時の表情とは全く違う。
短絡的で言葉は荒いが、どこにでもいる好青年だ。
何気なく見つめると、原田は気恥ずかしそうに顔をそむける。
「私、原田さんて怖い人かと思ってました」
伊織が素直な印象を語ると、原田はぱっとこちらを振り向き、盛大に渋面を作った。
「ああ!? 怖い!? 俺!?」
「だって……、抜刀して楽しそうに笑ってたから……」
伊織の言い足した内容に、原田は、あぁ、と回想を巡らす。
「楽しかったってワケじゃあねえのよ、あれは。ちょっと張り切ってたから、俺」
「張り切ってた……んですか?」
「そりゃあよォ、おめぇ! 新入りにゃイイとこ見せてぇじゃねえか!!」
「何だ、そうだったんだ。私はまた、てっきり……」
「てっきり、何だよ?」
「人斬りが楽しいのかな、と」
思ったままを口にしながら、伊織は心底からほっとしていた。
原田にはそんな誤解が余程心外だったらしく、やけに熱の籠もった弁明を繰り返したのだった。
そんな原田を横から眺め、伊織はくすりと笑った。
「おぉ!? 何だよ、んな笑うことねぇだろ!?」
「あはは、だって原田さん、必死なんだもん」
原田の身振り手振りが妙に滑稽で、伊織はついつい口元が綻ぶのを止められなくなる。
原田はそれを見て、わずかに安堵の笑みを見せた。
「へっ、そんだけイイ笑顔が出せりゃあ心配ねえな!」
「……え?」
「慣れねぇ場所で不安もあんだろうけどよ、一人でいじけてねぇで何でも相談しろ! なっ!?」
原田はにっかりと並びの良い歯を見せ、伊織の背中を勢い良く叩いた。
思わず噎せ返りそうになってしまったが、そこはぐっと堪える。
「んじゃ、まぁ、風邪ひかねぇうちに早く寝ろよな!」
「あ、ありがとう……」
すっかり兄貴分気取りで、原田はがっしりと伊織の首に腕を巻き付ける。
伊織は一瞬だけ、女子と判りはしないだろうかと焦ったが、さすがは原田。伊織の肩や首が細いことなど、ちっとも気にしない。
「おめぇももう立派に仲間だ!頑張れよ、新米監察!」
原田は豪快に笑うと、また伊織の背中をばっしばっしと叩き、忙しく屋敷の中へと駆け込んで行ってしまった。
それを見送り、伊織はごく小さく呟く。
「仲間──」
湿気を含んだ風が通り、その声をかき消す。
絆はまだ、糸口を見つけたばかり。
息を吹きかけられただけで果てまで飛ばされてしまいそうなほど、脆弱な繋がりでしかないように思えてならなかった。
【第四章へ続く】
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