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あとがき
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あとがき
どうもこんにちは、紫乃森統子と申します。
今作が初めての方は、初めまして! 他作品のあとがきで既にお会いしていた方は、お久しぶりです。
私の故郷でもある二本松藩(現福島県二本松市)の郷土史から拾い上げた「赤鞘の二壮士」をテーマにしたお話なので、殆どの方には馴染みのない人名とか地名ばかりだったかと思いますが、如何でしたでしょうか……。
赤鞘の二壮士を描いたものですが、主人公は青山泰四郎です。
泰四郎が右肩負傷して尚、刀を左に持ち替えて奮戦~っていうところを資料で読んで、うっかり惚れてしまったがために書いちゃった作品です。
当時泰四郎21歳、悦蔵20歳と、若手ではあるけど立派な大人ですから、この作品ほど子どもっぽくはなかったと思われます。
人物のキャラクターに関しては、いつもの通り私の創作もふんだんに入っていますので、あしからず。
実を申しますと、この作品、一度完結させた後に、結末を改訂しています。
というのも、書き始めに私が参考にした郷土史家・紺野先生の記録に「城下で戦死」とあり、また、平島郡三郎氏による「二本松寺院物語」には戊辰戦争を生き抜いていた、と真逆のことが書かれているのを確認したために、初稿ではラストを暈しておりました。
ところが。
何とも有り難いことに、その後泰四郎氏のご子孫に当たる方よりご連絡を頂戴し、断片的ではあるもののその後の様子をお伺いすることが叶いました。
ゆえに、作品のラストもまた修正すべきであろうと思い至った次第です。
この場をお借りして、お話を伺わせて頂きましたKさまに改めて感謝申し上げます。
戦によって「負傷」していたはずの泰四郎ですが、戦傷者名簿の中にその名前はありません。
戦の規模にしては戦傷者名簿の人数はあまりに少ないのですが、それは偏に当時の人々が「負傷を恥じて申し出なかった」ためであろうと考えられます。
恐らく、泰四郎もそうした中の一人であったのでしょう。
基本的には史実の流れを変えることなく書き切ったつもりですが、多少の創作もそこはそれ、ご了承ください(笑)
因みに、幕末の二本松藩というと、「二本松少年隊」くらいなら知ってるよ! という人もいるかもしれないですね。
ラスト付近でちらっと名もなき少年隊士が登場しています。彼は作中で名前こそ出ていませんが、二本松少年隊に名を連ねる徳田鉄吉をモデルに登場させました。
また、本作では敵方として登場の川村純義(通称を与十郎)氏、日高壮之丞氏の両名は、共に明治の海軍大将として知られています。
どうしても会津藩や白虎隊の知名度に隠れて認識されにくい我が藩(笑)ですが、男としては勿論、人間的に見てかっこいい藩士たちの活躍があったんです。
現地は史蹟なんぞほぼ残っていませんし、他地域に比べて華々しい観光名所があるわけでもありません。
でも、この地の歴史を知る人には、旧領地に足を踏み入れた途端、そこかしこが史蹟として見えることでしょう。
二本松の城は焼け落ち、正面の箕輪門も後世復建されたものが建つのみです。
だけど、当時の建造物が残っていないことこそ、城を枕に戦い抜いた二本松藩の誇りでもあるのではないでしょうか。
戊辰の役において、確かに東軍は賊軍の汚名を受けはしましたが、新たな世の中になって長い年月を経た今、敵も味方もなく、日本の大転換期に命を懸けて戦ったすべての方々を讃え、また犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。
平成二十四年九月十七日(平成二十五年八月改訂)
紫乃森 統子
※本作参考:「二本松寺院物語(平島郡三郎)」「武士道 二本松少年隊の記録(紺野庫治)」「二本松少年隊(紺野庫治/福島中央テレビ)」「絵でみる二本松少年隊(二本松史談会/国書刊行会)」ほか
どうもこんにちは、紫乃森統子と申します。
今作が初めての方は、初めまして! 他作品のあとがきで既にお会いしていた方は、お久しぶりです。
私の故郷でもある二本松藩(現福島県二本松市)の郷土史から拾い上げた「赤鞘の二壮士」をテーマにしたお話なので、殆どの方には馴染みのない人名とか地名ばかりだったかと思いますが、如何でしたでしょうか……。
赤鞘の二壮士を描いたものですが、主人公は青山泰四郎です。
泰四郎が右肩負傷して尚、刀を左に持ち替えて奮戦~っていうところを資料で読んで、うっかり惚れてしまったがために書いちゃった作品です。
当時泰四郎21歳、悦蔵20歳と、若手ではあるけど立派な大人ですから、この作品ほど子どもっぽくはなかったと思われます。
人物のキャラクターに関しては、いつもの通り私の創作もふんだんに入っていますので、あしからず。
実を申しますと、この作品、一度完結させた後に、結末を改訂しています。
というのも、書き始めに私が参考にした郷土史家・紺野先生の記録に「城下で戦死」とあり、また、平島郡三郎氏による「二本松寺院物語」には戊辰戦争を生き抜いていた、と真逆のことが書かれているのを確認したために、初稿ではラストを暈しておりました。
ところが。
何とも有り難いことに、その後泰四郎氏のご子孫に当たる方よりご連絡を頂戴し、断片的ではあるもののその後の様子をお伺いすることが叶いました。
ゆえに、作品のラストもまた修正すべきであろうと思い至った次第です。
この場をお借りして、お話を伺わせて頂きましたKさまに改めて感謝申し上げます。
戦によって「負傷」していたはずの泰四郎ですが、戦傷者名簿の中にその名前はありません。
戦の規模にしては戦傷者名簿の人数はあまりに少ないのですが、それは偏に当時の人々が「負傷を恥じて申し出なかった」ためであろうと考えられます。
恐らく、泰四郎もそうした中の一人であったのでしょう。
基本的には史実の流れを変えることなく書き切ったつもりですが、多少の創作もそこはそれ、ご了承ください(笑)
因みに、幕末の二本松藩というと、「二本松少年隊」くらいなら知ってるよ! という人もいるかもしれないですね。
ラスト付近でちらっと名もなき少年隊士が登場しています。彼は作中で名前こそ出ていませんが、二本松少年隊に名を連ねる徳田鉄吉をモデルに登場させました。
また、本作では敵方として登場の川村純義(通称を与十郎)氏、日高壮之丞氏の両名は、共に明治の海軍大将として知られています。
どうしても会津藩や白虎隊の知名度に隠れて認識されにくい我が藩(笑)ですが、男としては勿論、人間的に見てかっこいい藩士たちの活躍があったんです。
現地は史蹟なんぞほぼ残っていませんし、他地域に比べて華々しい観光名所があるわけでもありません。
でも、この地の歴史を知る人には、旧領地に足を踏み入れた途端、そこかしこが史蹟として見えることでしょう。
二本松の城は焼け落ち、正面の箕輪門も後世復建されたものが建つのみです。
だけど、当時の建造物が残っていないことこそ、城を枕に戦い抜いた二本松藩の誇りでもあるのではないでしょうか。
戊辰の役において、確かに東軍は賊軍の汚名を受けはしましたが、新たな世の中になって長い年月を経た今、敵も味方もなく、日本の大転換期に命を懸けて戦ったすべての方々を讃え、また犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。
平成二十四年九月十七日(平成二十五年八月改訂)
紫乃森 統子
※本作参考:「二本松寺院物語(平島郡三郎)」「武士道 二本松少年隊の記録(紺野庫治)」「二本松少年隊(紺野庫治/福島中央テレビ)」「絵でみる二本松少年隊(二本松史談会/国書刊行会)」ほか
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