風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第二十一章 内証の姫君(4)

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(勝てるはずがない)
 まだ、ようやっと的を打ち抜けるようになったばかりの瑠璃が敵う相手ではなかった。
「どうして、自ら試合に出ようなんて考えたんだ」
 思わず口をついて出た疑問に、瑠璃が目を丸くしてこちらを見上げる。
「? どうして、って?」
「青山は手強い。私でも勝てるかどうか危うい相手なんだぞ」
「………」
「こんな付け焼刃の腕で敵うわけがない、そんなことは瑠璃だってわかっているはずだ」
「!? お、おお……はっきり言い過ぎじゃな……?」
「技量も精神力も、青山には遠く及ばないぞ。だから山岡さんに託したんじゃないのか? 私の申し出を突っ撥ねて、──」
 一体どういうつもりか。
 そう続けようとしたのを、はたと口籠る。
 思わず恨みがましい言い方になりかけた。
 が、ここで慌てて弁明しようものなら、尚見苦しいかと思い留まる。
「……すまない。言葉が過ぎた」
「当然、栄治にも試合に出てもらうけど?」
「しかし、瑠璃が出るなら、もう他に枠は──」
 ないのでは、と言い掛けたのを遮るように、瑠璃は含み笑った。
「射撃の舞台に砲術師範の推薦者を出さぬ道理はない。貫治殿が栄治を推してくれたら何の問題もなかろ?」
「……」
 そこで銃太郎ではなく父・貫治の名が出てくるあたり、本当に一切当てにされていないらしい。
 一指たりとも選抜試合には触れさせないという態度は、潔ささえ感じる。
 銃太郎が試合のくだりに触れようとするのを拒んでいるかのようでもある。
 靄の這う心地に、銃太郎は嘆息した。
 その気配に気付いたか、瑠璃は眉宇を潜めて声を落とした。
「此度の試合なぞ、どうせ茶番じゃ。私を嫁に貰ってみろ。家中とてこの折に迷惑甚だしかろうよ。きな臭い時世に主家の縁故になって、国に万一のことがあれば、その家とてただでは済むまい」
 降嫁自体を拒むわけでないが、時期が悪い。
 瑠璃はそう言うと今一度銃座についた。
 幾度も繰り返し、手慣れてきた手順で弾薬を装填する。
「そなたも、栄治の父御ててごの話は知っておろう」
「随分昔の話だろう。私がまだ幼い頃のことだ」
「そうじゃ、私も仔細は知らぬ。しかしそれゆえに、今も栄治が苦難を強いられていることだけは承知しておる」
「山岡さんを推すわけは、それか」
 話しながら小銃を構え直し、瑠璃は銃口を定めて引き金を引く。
 乾いた音が谷間に響き、反響が漣のような余韻が谺した。
 今度は、的の中心にごく近いところを撃ったようだった。
「勝ち残るのは私でも栄治でも構わぬ。栄治の恤救を解く好機になればと思うておる」
「……そう簡単に事が運ぶとは思えないが」
「私を降嫁させる用意があるなら、栄治をもとの百石に戻すことも出来るはずじゃ」
 瑠璃の言うのにも一理はある。
 が、山岡家を復職させるとなれば、本来の目録も付随して下賜される可能性が高い。
 当事者双方が否と声を上げたところで、そういう触れ書きの元で敢行される試合なのだ。
 するとなると、罷り間違って瑠璃が優勝したとて、次点の者が栄誉を賜ることになろう。
 自らの而今を左右する大事を、一家臣の再興の機会にせんとする発想は、瑠璃ならではかもしれない。
 が、見通しの甘さは否めなかった。
「銃太郎殿に頼まなんだのは、そなたが師範だからというほかに、もう一つわけがある」
 瑠璃の発した言葉に、銃太郎は思わず目を瞠った。
「そなた、以前にも助之丞と張り合うたことがあるそうじゃな」
 遊学前の上欄射撃のことを指しているのはすぐにわかった。
「あのとき助之丞に勝ったのは、そなたであったのじゃな」
 当時は親しい助之丞の応援にしか意識が向かず、結果惜しいところで敗れたのを悔しくも思い、同時に安堵したものだ。と、瑠璃は言う。
「もし助之丞が勝っておれば、江戸へは助之丞が行っていたかもしれぬ。当時の私は助之丞と会えなくなるのがとにかく嫌でなぁ」
 自嘲気味に語る瑠璃の言葉を聞きながら、銃太郎はじっと堪えた。
 当時の瑠璃にとって、青山助之丞は少なからず好意の対象だったのだろう。
 それが些か胸に閊えた。
「助之丞がかなり凹んでいたのはよく覚えているが、そなたの優勝にまでは気が回っておらなんだ。今更ながら改めて凄いの、銃太郎殿は」
「……いや、あの試合は、私も納得のいく成績ではなかったんだ」
 優勝と言っても、実力を遺憾無く発揮できたわけではない。
 運が味方した勝利だと、銃太郎自身は考えていた。
「納得しようがしまいが、勝ちは勝ち。助之丞はそなた以上にそれを承知じゃ。そのせいかどうかは知らぬが、此度のあの気合の入れよう、尋常ではない」
 再び試合の場で二人が相見えることになれば、助之丞はきっと今以上に隙を消し去る。
 瑠璃はそう言い添えると、やおら銃太郎を仰ぎ見た。
「そなたは既に遊学もし、師範の役を得てもいる。城内での評価も高いじゃろう。それ以外に、なにか試合を望むわけがあるのか?」
「!」
 ぎくりとした。
 無論、瑠璃の問い掛けに含みがあるわけではないだろう。
 立身とは異なる、何か別の理由があるのなら聞こうというだけだ。
 しかし、答えられようはずもなかった。
「……それは、その」
「助之丞と今一度勝負を、という理由なら、悪いが私も譲れぬ。助之丞のことは大切に思うているが、私も後の事がかかっている。火に油は注ぎたくない」
 それだ。と思った。
 それが嫌さに一枠を望むというのが、どうにも口を噤みたくなる。
 いっそ洗いざらい打ち明けてしまおうかとも思ったが、山岡家の窮状についてまで話を拡げられたのでは、もはや何も言えなくなってしまう。
「わかった。だったら、試合の日までは特に稽古をつけることにしよう。加減はしないが、それでいいんだな」
 苦渋の決断だった。
 しかし、本音を明かさずに言えることは、それしかなかった。
 
 
 【第二十二章へ続く】
 
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