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本編
第十九章 経巡り肯う(4)
しおりを挟むそもそも黄山に引合されると知っていれば、もう少し警戒しただろうが、まさか栄治に連れられた先で、こんな諫言を受けるとは思ってもみなかった。
直前まで一緒にいた助之丞に、要らぬ嫌疑が掛けられても厄介だ。
「ああ、ちょっと待て」
「? まだ何かあるのか」
栄治を伴って城下へ引き返そうとした間際、黄山は尚も呼び止める。
「肝心なことを言い忘れるところだった」
「なんじゃ? 十分肝心なことを聞いた気がするがの?」
「それとはまた別だ。おまえさん、このまま青山に嫁ぐつもりか」
「ぉお……?」
耳が早い。と思ったが、黄山なら知っていても不思議はないかと思い直す。
元々、家中との付き合いも幅広い。
城内の勢力関係にも通じているからこそ、こうして政道へも逐一諫めるような言動を取るのである。
町人でありながら学者としても名を上げているのは、伊達ではない。
「姫さんに城を去られちゃ困る者がいることも、承知しておいて貰えるとありがてぇな」
***
「えっ、銃太郎さん!?」
「青山!?」
鍛冶町を抜けた先、奥州街道と郭内へ入る新丁の坂が交わる辻で、遭遇したのが、件の青山助之丞であった。
勢い付けた馬の手綱を咄嗟に引き、馬は嘶いて危うく仰け反るところであった。
馬の動揺をいなすのに、どうと宥めてぐるりとその場に旋回させ、事なきを得る。
助之丞のほうも同じく馬上にあって、やはり馬首を撫でていた。
「銃太郎さん、その馬……」
訝るのも無理はなく、基本的に馬を所有するのは二百五十石以上の家だけである。
そうした上層の家格の者を馬持ちと呼び、それに満たぬ家の者が馬に跨る姿などはまず目にすることがない。
「鳴海様の馬、ですよね?」
「今し方、借り受けたところだ」
「え? あの人が銃太郎さんに? そんな馬鹿な」
疑いの眼差しを寄越す助之丞だが、確かに言質をとって借り受けた馬であるし、今は馬がどうのと悠長な話をしている時ではない。
「瑠璃は今日、おまえと一緒だったんだろう。何故ひとりで帰した」
眦をきつくして問うと、助之丞の視線が一瞬逸らされた。
「おまえのところから城は確かに目と鼻の先だ。だがな、いくら瑠璃が外出に慣れているにしても、気を抜きすぎだ!」
「………」
恐らくは助之丞自身も既に己の対応を省みたのだろう。言い返す言葉に詰まったのか、口を引き結び険しい面持ちになる。
悔悟の念に苛まれている、といったところだろう。
常に明朗な助之丞にしては珍しく、その目に昏く焦燥を滲ませるのが見て取れた。
同時に、何故という憤懣が腹の底に仄暗く蜷局を巻く。
砲術という分野で、この男には上覧射撃への出場下知があって、自分には何の沙汰もない。
他の上士、功臣にも声は掛かっているだろうが、助之丞の腕ならば十分に勝ち抜くだろうと思われた。
指南役として認められはしても、そういう候補には挙がらない身の上であることを、改めて思い知らされる。
それでも助之丞が本心から瑠璃を想い、守り抜く覚悟があるというのなら文句はなかった。
だが、そうした感情を呑み込む間もなく、この失態だ。
言ってやりたい事は山とあるが、今は瑠璃の無事を確かめるほうが急がれる。
「瑠璃の許へは私が行く。おまえには任せられん」
言うが早いか銃太郎は馬腹を蹴り、助之丞の前を横切るように駆けたのだった。
***
「騙して連れ出すようなことをして、悪かった」
言葉とは裏腹に、栄治の横顔に悪びれた様子は一切なかった。
それが栄治らしいと言えば栄治らしいと思ったが、いつか訊ねた問いの答えを、言外に聞いたように思えた。
抗戦すべきか、否か。
黄山や和左衛門の説に同ずるところが皆無なら、栄治がこうした行動に出ることは無いのではないか。
相変わらず、栄治は自身の考えというものを語らない。
「構わぬ、元より私も少し遠出したい気分だったからの」
「……さっきの、青山に嫁ぐという話か」
会話に踏み込まないまでも、しっかりその内容は聞いていたようである。
「助之丞が射撃勝負に勝ち抜けば、そうなるかもしれぬ、というだけじゃ」
「乗り気でないのか」
「まあ、羽木殿と丹波殿が唐突に言い出したことだからな……。何を馬鹿なことを、とは思うておる」
凡そのあらましを話して聞かせると、栄治も流石にその表情を変える。
呆れたと言わんばかりの、蔑むような色が覗いた気がした。
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