風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第十八章 邂逅と牽制(2)

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 一番熱心な篤次郎などは一層熱心で、銃太郎の指導過程においてその補佐を担えるまでになりつつある。
 手順を浚い、その後実際に弟子たちの手で弾丸の装填や着火の演習を行う。
 弟子の成長は素直に嬉しく思っていたし、この分ならきっと大調練でも充分通用する部隊になるだろう。
 次月に予定された演習に向けて、銃太郎の指南もより熱の入ったものとなっていたし、それは他の砲術師範たちも同様だろう。
「若先生、雲が厚くなってきたようです」
 篤次郎が撞薬杖を抱えたまま空を仰ぎ、雨の匂いがするという。
 西の山々にはどんよりと暗い雲がかかり、そこにあるはずの山脈の姿は見えなかった。
「今年はどうも雨が多いな」
 弾薬を雨に濡らすわけにもゆかず、急いで撤収作業に移らせると、銃太郎は射撃場の隅に女物の着物の柄がひらりと揺れるのを見た。
「あれは……」
 一瞬、瑠璃がやって来たのかとも思ったが、瑠璃が柄の入った女物を身に着けて外を歩くことはない。
 即ち瑠璃であるはずはないのだが、どうにも不審な気配を感じて目を凝らすと、木陰に隠れて二人、子供の姿があるようだった。
 銃太郎が見ていることに気付いたのか、二人の人影はさっと下生えに潜ってしまった。
 見物か弟子入り志願か、大概はその辺りだろうと考えたが、それにしては些か様子がおかしい。
「おい、そこにいるのは誰だ。二人とも出て来なさい」
 相手は子供と思い、努めて優しく言ったつもりだが、二人は一向に姿を現そうとしない。
 愈々訝り、銃太郎は門弟たちに片付を続けるよう指示すると、隅の木陰へ足を向けたのであった。
「どーするんですか、見つかっちゃったじゃないですか!」
「私のせいではないぞ! そもそも義姉上がおらんじゃないか! 話が違う!」
「姫様は今日、助左衛門様のお屋敷にお出掛けですもの、いるわけありませんよ。そもそも若様、銃太郎様をご覧になりたいって言ってませんでしたっけ!?」
「なんだと!? 聞いてないぞ! 義姉上の凛々しい御姿も見たかったのにっ!」
「そんなことより、銃太郎様こっち来ちゃいますよ、早く逃げましょう!」
 射撃場の隅まで近寄ると、こそこそ言い合う声が下生えから漏れ聞こえてくる。
 見学は見学のようだが、彼らが見ていたのはどうも砲術ではなさそうだ。
「もう遅いぞ、出て来なさい」
 間近から声を浴びせると、声はしんと静まった。
「やい、貴様! 怖そうなくせにあんなに皆に囲まれて、どうせ普段はあの中に義姉上も侍らせておるのだろう!」
 がさっと音を立てて勢い良く姿を見せたのは、門弟の少年たちと変わらぬ齢の少年である。
 大層ご立腹で、下から睨みつけ、渾身で凄みを利かせようとしているのが伝わる。
 のっけから敵意を剥き出しに食って掛かるこの少年に、面識はなかった。
 だが、その傍らで青褪めた様子のおなごには見覚えがある。
「あなたは、確か瑠璃の──」
 瑠璃を迎えに登城すると、いつも見かけていた顔だ。瑠璃の傍らに控える姿を幾度か見たことがあるし、いつぞやは瑠璃だけでなく大谷鳴海をも遠慮なく叱り飛ばしていたのを目の当たりにしたこともある。
 おなごもまた観念したのか、すっと少年を庇うように前へ出た。
「見られてしまっては仕方がありません……。ご推察の通り、姫様付きの女中で、澪と申します」
 続いて澪は調練を盗み見た不調法を詫びる。
 しかしその間も、少年はこちらを白眼視したままであった。
 
   ***
 
 妙なことになってしまった。
 まさか若君が自ら足を運んで来るなどと、そんなことが起ころうとは考えもしなかった。
 それも、様子を見る限りでは完全なるお忍びで、今頃城では大騒動になっているのではなかろうか。
 そう考えるだけで、銃太郎は眩暈がするようだった。
「瑠璃のことでしたら、若君がご案じ召されることはありませんよ。指導中は危険のないよう、私が傍についております」
 澪に聞けば、どうやら義姉の身を憂慮するあまりに飛び出してきたという。
 仕方なく二人を道場へ連れ戻り、門弟たちの好奇の目を往なして解散させると、すぐに城へ送り届けると申し出た。
 だが、五郎はそれを撥ね付けて、話がしたいと道場の中へ入ってしまったのである。
 折しも、ぽつぽつと雨粒が落ち始め、やがて本降りの雨となっていた。
 五郎は姿勢よく銃太郎の正面に座して、不機嫌そうに口を開く。
「おまえには、まさか射撃勝負に出よとの下知はないだろうな?」
「? どういうことでしょう。調練のお話であれば、先日承りましたが……」

 
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