風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

文字の大きさ
上 下
68 / 98
本編

第十五章 姉と弟(3)

しおりを挟む
 

 少々、いや相当風変わりな姫君だが、何にでも興味を持ち、何にでも挑戦する。それが物事であれ人物であれ、とにかくまずは飛び込んで、細かなことは突っ込んで行ったあとで考える。
 どんな者とでも気安く接し、いつの間にかその懐にするりと入り込んでしまうところがあった。
 銃太郎自身もそうであるように、恐らくその側近たる大谷鳴海も、随分以前から親しいらしい青山助之丞もそうなのだろう。
 助之丞もまた瑠璃を慕っているらしいことは察しているし、本人もそれを隠そうとはしていない。面と向かって想いを告げたことはないにしても、いつそうと気付かれてもおかしくない振る舞いだ。
 瑠璃が助之丞の本心に気付いている様子は毛筋ほどもなさそうなのが救いだが、それは同時に瑠璃の鈍さを如実に表していた。
「ちょっと兄さん、姫様今日はおいでにならないの?」
 母屋に面した戸口からひょこりと顔を覗かせたたにに声を掛けられ、銃太郎ははっとして顔を上げる。いつしか詮無き考えに囚われていることに気付き、銃太郎は深く息を吸い込むと、頭を振った。
「瑠璃なら暫く来られないと報せが来ていた。城から何も言ってこない限りは、此処へ来ることもないだろう」
 ややもすると、情勢次第ではそのまま門を抜けるということも充分にあり得る。
 迫り出した腹を抱え、たには茶を汲んだ湯呑みを銃太郎の傍らに置き、その場に座り込む。
「いち様が才次郎さんを連れて城へ行ってから、兄さんにもお詫びしたいと仰っていたのよね。うちの兄はどうでもいいですよと申し上げたんだけど、どうしてもと食い下がるものだから──」
 もしかすると、瑠璃も同道してやって来るかもしれないと話すたにの面持ちは、どこか落ち着かない様子である。
「詫び、とは何だ」
「いやね、才次郎さんが姫様に求婚したの、知ってるでしょう」
 呆れた口調で笑い飛ばすたにに、銃太郎はふと先日の顛末を思い返した。確かにそんなようなことを聞いた気がする。
「姫様はてっきり若君とご婚礼を挙げるのかと思っていたけど、あまり仲がよろしくないという噂だから、案外本当に声を上げた家臣に降嫁なさるかもしれないわね」
 まさか才次郎の成田家に嫁ぐこともあるまいが、今ひとつ行動の読めない瑠璃のことだ。
 万に一つということも考えられなくはない、とも思う。
「そんなものは単なる噂にすぎん」
「ま、姫様は兎も角、兄さんがお嫁さんを貰うのが先かしらね。いち様の嫁ぎ先の帯刀様は十九だそうよ。兄さんもう二十二でしょ? もうそろそろ適齢じゃないかしら」
 才次郎の姉・いちと、その嫁ぎ先である佐倉家の嫡男を引き合いに出して語るたには、齢こそ十八の若さでありながら、一端の主婦の顔をする。
 おなごは特に、こうした話を好む。近隣の主婦ちと家中の噂に興じてはあれこれと推測して楽しむのである。
 それ自体は特に咎めるほどのものでもないと銃太郎は思っていたが、それが瑠璃の噂となると途端に胸がざわつく。
 特にたにが今話したような降嫁の噂には、どうしても耳が傾いてしまう。たにと同い年の瑠璃がその類の噂に燥ぐことはない。
 此処へは砲術を習いに来ているのだから当然と言えば当然だが、彼女の口から飛び出す話題は男のする話と大差がなかった。
 他人の噂にこそ上れども、瑠璃本人は自身の縁組などにはまったく興味もないのではないか。
「私の話はどうでもいい。役目を頂いて間もないし、妻を娶るにはまだ早いと──」
「はいはい。そんなこと言ってると、想いびとを横からあっという間に掻っ攫われて泣きを見るわよ」
 たには短く嘆息してから、盆を携えて大義そうに立ち上がる。
 含み有りげな捨て台詞を残して、母屋へと引き上げてしまったのであった。
 
   ***
 
「そういうわけでの、来る五月、銃太郎殿にもその門下を引き連れ、洋式調練に出て貰いたい」
 掲げて開いた書状を持つ手を下げると、銃太郎は目の前に座す瑠璃とその視線を絡ませた。
 間もなくたにの予想通りに才次郎姉弟を引き連れて、瑠璃は北条谷へやって来たのだ。
 江戸で学び、弟子たちに教授した西洋流砲術を披露する、またとない機会である。
「……しかし、門下はいずれも若年の少年たちばかり。この調練において出陣の可否を判ずることになるのだろうか」
 門下の少年たちは、今や調練に出すに充分に値する実力を身に着けている。そう思うものの、やはり心のどこかに懸念は残っていた。
「瑠璃も知っているだろうが、篤次郎などは特に出陣に対して期待するところが大きい。それを無闇に煽るようでは──」
「そうじゃな、大喜びするじゃろうの。しかしそれとこれとは別な問題。調練に出たからと言って出陣を許可するものではない。家老らもそんなことにまで言及はしておらぬ。皆には銃太郎殿からよく申し置いて欲しい」
 書状を畳み、そういうことならばと銃太郎も頷き引き受ける。
 調練に向けて一層指導に力を入れねばなるまいと考えたところで、ふと眼前できらきらと目を輝かす瑠璃に気付き、銃太郎は手を止める。
「……瑠璃は出ないよな? 出さないぞ?」
「ん? 出るぞ?」
「いや、殿様やご家老がお許しにならなければ、参加はさせられないからな?」

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

晩夏の蝉

紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。 まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。 後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。 ※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。  

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

赤い鞘

紫乃森統子
歴史・時代
 時は幕末。奥州二本松藩に朱鞘を佩いた青年がいた。名を青山泰四郎。小野派一刀流免許皆伝の、自他共に認める厳格者。  そんな泰四郎を幼少から慕う同門の和田悦蔵は柔和で人当たりも良く、泰四郎とは真逆の性格。泰四郎を自らの目標と定め、何かとひっついてくる悦蔵を、泰四郎は疎ましく思いつつも突き放せずにいた。  やがて二本松藩の領土は戊辰戦争の一舞台となり、泰四郎と悦蔵は戦乱の中へと身を投じることとなる…。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

処理中です...