風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第十五章 姉と弟(1)

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「このような場所に態々呼び出さずとも、屋敷でいくらでもお話出来ましょう」
 初夏の風が吹き抜ける、古くは白旗ヶ峰と呼ばれた山城の頂には天守台の石垣が組まれ、眼下に城下を一望出来る。その場所を本城と呼んだ。
 麓の城屋敷からは幾分離れており、ここへ至るまでの中腹には土蔵奉行の役宅と、この頂のそばに本城番の役宅が建つ。こんな場所にまで訪れる者はそうおらず、本城はひっそりと静かであった。
 開けた景色を見渡し、その身にそよぐ風を受けて、新十郎は一歩、眼前に佇立する養父に近寄った。
「いつ、出立するのだ」
「明日には一学殿と共に城下を発ちまする」
 和左衛門の屋敷は城から北条谷へと入る辻にあり、新十郎もまた現当主の和左衛門の屋敷の部屋住みである。
 その主張において相容れぬ立場とはいえ、屋敷に戻ればいくらでも話は出来るはずである。それが敢えてこんなところに呼び付けるからには、養父の肚に何かあるのだろうと新十郎は訝った。
 養父和左衛門の発案であった計画を正式に却下したのは他でもない、養嗣子である新十郎自身だ。
 それについての反論でもあろうかと予測していたが、新十郎は従容として和左衛門の背に視線を投げ掛けた。
「奥州の雄藩に足並みを揃えねば、この城下は忽ち危うくなりまする。会津に同情する仙台、そしてあの山のすぐ向こうにある会津。我らが恭順を仄めかせばどんな報復があるやもしれませぬぞ」
 会津攻撃の足掛かりとして、二本松藩領は重要な拠点となる。そしてその二藩は戦支度を整えた状態で藩境にある。
 従って今全面的に恭順の姿勢を取ることなどは到底出来ぬと、先んじて牽制したが、和左衛門の口から出たのは、新十郎の予想に外れた話だった。
「若君に近付かぬよう姫様に求めたのはおまえだな」
 言いながら振り返った和左衛門の目には、何の色も見えなかった。
 暫し城下を眺め降ろしていた双眸に新十郎の姿を捉えると、和左衛門は目を細めた。
「大方、儂の思惑から遠ざける狙いでなのであろうが、若君から義姉君を遠ざけるような真似は慎め。姫様はおまえたちの指示を呑んでおられるようだが、若君がその裏を知らず大層気落ちしておられる」
 尤も、相変わらず姫様のほうにも、町人たちや若手の家中から様々に直訴がなされているようだが、と添えて、和左衛門は苦い笑いを浮かべる。
「若君は、何故そこまで瑠璃様にお会いなさろうとするのです」
「あの通りの破天荒な御方ゆえ、若君にとっても目新しく、興味を惹かれるのであろう」
「………」
「藩是は決し、儂の献策も却下された。儂も最早、おまえの手腕に託すのみよ。老いたるこの身に代わり、おまえはおまえの信念を貫くがよい」
 和左衛門は一つ頷いてみせた。
「……父上」
「しかし、儂は儂の考えが間違いだとも思うてはおらん。よって、だ。おまえの邪魔はせぬが、賛同もせぬぞ」
 新十郎がぴくりと眉を寄せたのを認めると、和左衛門はまた眼下の景色に目を細める。
 城と町家を分断する丘陵地帯の谷間を縫うように、平屋の役宅が犇めき合う。そこに多くの家中が暮らし、丘の向こうには町家が並ぶ。
「敵襲があれば、城下は荒され商家も農家も蓄えを強奪される。武士は戦こそ本分と思えばそれまでだが、戦禍を受けて真に苦しむのは民なのだ。それを努努忘れるでないぞ」
 養父その人が長きに亘って自戒し、民に寄り添った姿勢を貫いてきたことは、新十郎本人こそが最も間近で具に見てきた。そういう養父の在り様には敬意を抱いてもいる。
 それでも、養父のやり方を推すことは出来ない。その由は今し方語ったばかりだ。
「むろん、肝に命じております」
 
   ***
 
 手弁当を携えて、駆け足で手習所へ向かう六つや七つの小さな子供たちとすれ違うたび、瑠璃は声を張って挨拶をする。
 すると子供たちもまた各々元気な挨拶を返した。
 学館に併設された手習所には、武家の子供たちが毎日欠かさず通っている。
 土湯や岳といった会津との国境や、白河城の守衛に兵を出しているために、心做し家中が静かな気はするが、子供たちの声がそれを補っているようにも思えた。
 政道に関わることもないためか、家中の女たちもやはり平時の通りに家事に勤しみ、時に庭の菜園を世話する。
 それは以前から変わらぬ日々の光景であった。
 この日も相変わらず朝から気詰まりな要路たちの会談に、半ば問答無用で加えられたが、そこでの取り決めを反芻しながら藩庁門を潜る。
 白石へ出立する一学・新十郎の議題の他に、軍事調練を行うことを決定したのである。家中を砲術に専念させて以後、最大規模での新式調練である。

 
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