65 / 98
本編
第十四章 恋は思案の外(4)
しおりを挟む「あれは私の妹で、たにという。家中の岩本家に嫁いだのが、実家に来ていただけだ」
「へ……っ、いも……?」
呆れ返ったように言う銃太郎に、思わず声が裏返る。
「いもうと、だ。変なところで詰まるな」
「妹……。すまぬ、早とちりしてしもうたの」
「私には妻女どころか、まだ許嫁もいない」
「そ、そうか……」
耳がかあっと熱くなったが、同時にふっと重石が外れたような心地がした。それと同時に思わず笑いが込み上げそうになり、瑠璃は助之丞を振り返る。
「わっ私も阿呆じゃの! てっきり御新造かと──」
間抜け振りに助之丞も笑っているものと思ったが、瑠璃の目に映った助之丞は、真顔のまま銃太郎を見ていた。
殺気こそないが、視線が鋭い。
「まあ確かに、もう御新造迎えてもおかしくないもんな。お父上も銃太郎さんのお相手を探してる頃でしょ」
瑠璃姫が咄嗟にそう思ったのも別に不思議じゃない、と更に続ける。
「いやぁ、やや子と言えば、うちの兄夫婦にも去年やや子が生まれてさァ。松之介っていうんだけど、これがまた可愛くて。瑠璃姫も今度会ってやってくれよ」
な? と同意を求めてその視線が瑠璃へ移ろったときには、既にいつもの優しげな眼差しに変わっており、つい口を挟めずに終わったのであった。
***
鳴海は呻吟していた。
次代を継ぐのは若君、五郎である。
なればこそ、幼き時分よりその身辺に仕えてきた瑠璃を夫人の座に推すことは当然。瑠璃も住み慣れた土地と慣れ親しんだ面々から引き離されることなく、藩主を支えて存分にその天性の資質を活かせる。そう信じてきたが、先程の青山助之丞の言が深々と突き刺さって抜けずにいた。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」
「おい、うるさいぞ大谷」
番頭詰所に戻ったはずが、物思いに耽るあまり間違って家老の間に入り、その上暫く気付かぬままに丹波の目の前に座り込んで唸り続けていた。
丹波が漸く声を掛けたところで、鳴海はやっと唸るのをやめたのである。
「はっ!? 丹波! ……どの!」
「敬称をつける気があるならもう少し間を縮めて付けてくれんか」
「な、なにゆえ丹波殿がおられる!? 私がこれほど悩んでいるというのに何用か?! 目障りな!」
「いや、おぬしが勝手に入ってきたのだが」
鳴海の奇行には慣れたつもりの丹波も、呆れて声を落とした。勝手に部屋に侵入され、目の前で唸り続ける奴に目障りだと言われて怒らない家老は他にあんまりいないと丹波は自負する。
「して、何をそんなに悩んでおるのだ」
「よくぞ訊いてくれた、丹波殿。流石は家柄で筆頭家老に上り詰めた男」
「貶しっぷりまで勇猛果敢か貴様。話を聞かんと出て行きそうもないから訊ねたまでよ」
「実は予てより瑠璃様に近付く不埒な輩に頭を悩ませておりましてな」
「………」
丹波は露骨にまたか、という顔で鳴海を見返す。
「近頃は富みに不届き者の多きことを憂いていた──。ところがだ。先程、口惜しいことにこいつはなかなか見所がありそうだという者を見出してしまった……」
「ほう」
「青山助之丞……。奴は殿の定めたる御意向に添いつつも、それが万一瑠璃様を苦しめた時、我が身を捨ててでも瑠璃様をお守りすると……!」
「ふむ、おぬしと同類であったか」
「私は……私はこれまでずっと、瑠璃様にはのびのび愉快にお健やかにお暮らし頂きたい……そう願って参った! しかし近頃の私は偏に次期藩主夫人の座には瑠璃様こそ相応しいと信じて疑わず! 肝心の瑠璃様の御心を顧みようともせず! 身命を賭してお仕えすると誓ったあの日が!! 今!! ああぁあ私は何と愚かな!!」
「瑠璃様は充分のびのびしとるわ」
丹波の合いの手は全く聞こえていないと見えて、鳴海は頭を抱え、天井を仰いだかと思えば深々と腰を追って蹲る。
そこへ襖の向こうからやや遠慮がちに若い男の声が掛かった。
「あー……そろそろ入っても宜しいでしょうか」
「誰だ? 入って構わん。来たついでにこやつを持って行って貰えると助かる」
「た、ん、ば、ど、の!? 聞いてござるか!? 私がこれほど懊悩しているのに、構わんとは何事か! 構え! ちょっとは構え!?」
「知るかたわけ!」
がしりと袖にしがみつく鳴海と、それを振り払う丹波。
そこへ入室したのは、用人・青山助左衛門であった。
今は苦笑を浮かべているが、端整な面立ちで、かつ人当たりの良い気性の穏やかな男だ。こういう男は若いうちは目立たぬものだが、歳を重ねるごとに人の好意を集める。齢五十も半ばで尚清廉さを備えた男であった。
「助左衛門殿、いや、よう来なさった」
「丹波殿まだ話は終わっておりませんぞ!?」
食い下がった鳴海はしかし、助左衛門という名を耳にした途端にがばりと身を起こすと、丹波を押し退けて助左衛門を凝視した。
「助左衛門殿……!!」
「な、何でござろうか」
老練の助左衛門ですら些か身を仰け反らせてしまう勢いで、鳴海は真正面から迫りその両の上膊を捕まえた。
何を隠そう、この助左衛門こそがあの助之丞の父なのである。
「貴殿の二男はなにゆえあんな色男なのか!? 瑠璃様を慕いながらも慎み深く己を抑制し、且つ瑠璃様を害さんとする全ての敵を薙ぎ倒す覚悟があると! 尊き御方の御心を安んじることこそ己が責務と宣言したのだ! この私を差し置いて一体何なのだ!? よもや貴殿の血筋が瑠璃様を誑かすとは──!!」
「鳴海殿、ちょっと喧しくて何を申されておるのか分かりかねる。愚息が何か失礼を申しましたのか」
「貴殿の二男をこの私の養子にしてやらんでもない!」
「………」
「助左衛門殿、そやつの頭はてんやわんやの真っ最中。要するに貴殿の二男を大層気に入ったと申しておるのよ」
「ははぁ、有り難いのか迷惑なのか判断に迷うところですな」
それで、と助左衛門の用件を促すと、丹波は容赦なく鳴海を部屋の外へ押し出してぴしゃりと襖を締め切ったのであった。
【第十五章へ続く】
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
晩夏の蝉
紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。
まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。
後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。
※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
赤い鞘
紫乃森統子
歴史・時代
時は幕末。奥州二本松藩に朱鞘を佩いた青年がいた。名を青山泰四郎。小野派一刀流免許皆伝の、自他共に認める厳格者。
そんな泰四郎を幼少から慕う同門の和田悦蔵は柔和で人当たりも良く、泰四郎とは真逆の性格。泰四郎を自らの目標と定め、何かとひっついてくる悦蔵を、泰四郎は疎ましく思いつつも突き放せずにいた。
やがて二本松藩の領土は戊辰戦争の一舞台となり、泰四郎と悦蔵は戦乱の中へと身を投じることとなる…。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/horror.png?id=d742d2f035dd0b8efefe)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる