風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第六章 対立の嚆矢(5)

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   ***
 
 その日の夕間暮、瑠璃は城中にあった。
 書院に集まる宿老以下、藩政の要路に在る重臣らに一際声高に幕府と会津の側に付くべしと主張するのは、家老丹羽一学。次いで用人丹羽新十郎もまたその声を援護する。
「主君を裏切るようなことは丹羽家始まって以来、過去に一度でもあった試しは無いではないか。各々方、ここで薩長に屈せば、二百年以上仕えた徳川家に仇為すも同然であるぞ!」
「我が藩は仙台、米沢同様、最後まで幕府と命運を共にすべきである」
 対して、新政府の側に帰順せんとする者も多い。
「今や薩長は帝の軍。聞けば錦旗が掲げられたというではないか。それに歯向かえば我らは賊となるのですぞ!」
「左様。領民を思えばこそ、ここは新政府に協力する姿勢を見せねばなりますまい」
「奴らこそ君側の奸! 徳川は既に政権を朝廷へ返還しておる。にも関わらず、幕府のみに留まらず会津まで追討せよと命を出した」
 侃々諤々、時に怒号染みた声が飛び交い、主張が激しくぶつかり合う。
 中でも一学、新十郎の両名はより息巻いて大義とは何かを声高に説く。
 その場には無論のこと、家老座上丹羽丹波の姿もあった。
 終始渋面を作り、相反する意見の板挟みとなっている。
 遠く鳥羽・伏見の戦いが勃発して以後、丹波の顔色は優れることがない。
「仙台は既に会津追討の朝命を下されておる。じきに奥羽の諸藩にもその命は下されるであろう。その時仙台がどう態度を変えるかもよく見ておかねばなるまい」
 丹波が青い息で双方を窘めようと口を挟むも、一学は鋭くその顔を睨み付ける。
「朝廷の名を騙り、薩長の私怨を持ち込んでおるだけではないか! それのどこが大儀か!?」
「されど朝命は朝命、背けば我らは朝敵となるのですぞ!?」
 互いに一歩も譲ることなく、抗戦と恭順に別れての議論は堂々巡り。
 瑠璃は書院の中には入らず、大廊下の端に身を寄せて中の様子を窺っていた。
 未だ藩主は戻らず、その藩是となるべき姿勢も示されてはいない。
 藩主の左京太夫へ、抗戦派も恭順派も当然強く進言するに違いなかった。
 藩是がどちらに転んでも、相対する派閥がそれで大人しくなるとは到底思えぬ激論であった。
 怒声が飛び交う中に割って入るわけにもいかず、またこれ以上聞き続ければ胃の腑が破れそうな重圧を感じ、瑠璃はそろりと足音を忍ばせて城の奥へ向かう。
 大書院よりも奥の大城代の居間までやってくると、ぴたりと閉じた襖にそうっと手を掛けた。
「四郎兵衛?」
 大書院から聞こえてくる話し声を背後に聞きながら呼びかけると、中から温和で穏やかな声音が返る。
「その御声は、瑠璃様ですかな。如何された」
「邪魔してもよいかの?」
「これは瑠璃様らしくもない。邪魔でなどありませぬぞ」
 含み笑いながら言う低い声を聞きながら、瑠璃は襖を開けた。
 畳敷きの部屋の奥に燭台と書見台が並び、大きな背をやや丸めて書物に向き合う五十過ぎの男がいた。
 瑠璃が後ろ手に襖を閉めると同時に顔を上げ、男は一見無骨ながらも鷹揚に笑む。
 大城代、内藤四郎兵衛である。
 閉め切っても尚、言い合う声が響いてくる。
「四郎兵衛は加わらぬのか」
 あの議論に、と言い添えようとしたところが、四郎兵衛は静かに首を振った。
「藩政、藩是を論ずる立場にはございません。この身はこの城と共に、あくまで我が殿のご意志に従うまで」
 落ち着き払った様子で言われ、今まで重苦しく胸に溜まっていた澱がすっと取り払われたように楽になった気がした。
「瑠璃様こそ、あの中に突っ込んでゆかれるものとばかり思っておりましたが、ようこちらへ来られましたな」
 何かに納得を示すように、四郎兵衛は頷く。
「砲術道場から戻る道中、妙な男が二人城から出てきた。あれは誰じゃ」
「……玉虫左太夫殿、若生文十郎殿だそうですな。仙台の者だとか」
 仙台、と瑠璃は口の中に呟く。
「応対したのは一学殿と新十郎殿か」
「そのようです」
「道理でな。あの二人の意気込み方が一層強硬になっておると思うたわ」
 ふう、と息を吐き、瑠璃は四郎兵衛の傍らに近寄る。
「のう、四郎兵衛。そなたのそばにおると不思議と心が落ち着く」
「これは光栄なことを」
「私にも、義を貫かんとする者の心はよく分かる。だが同時に民を案じて帰順に傾く者の思いも、よう分かるのじゃ」
 故に、徳川に味方するも新政府への恭順も、どちらがどうとは明確に言えずにいる。
 未だ藩論定まらず藩主が黙しているのも、その為だろう。
 大局の中の義を見るか、自らの足元を見るかで答えは変わる。
「どちらも間違いではないのではないか?」
「………」
「だが、これまでの幕府は悪なのか? 徳川のために尽くしてきた会津は悪なのか? 薩長の思惑通り追討に応じることは、大義に悖るではないか」
 しかしそれを貫けば、丹羽家の立場も危うくなろう。
 ひいてはこの地の民もが窮地に追い込まれる。
「戦は望まぬ。だが、大義に悖る行いを看過することも出来ぬ」
 四郎兵衛はただ瑠璃の話に耳を傾けていた。
 暫時の沈黙を挟み、漸く口を開く。
「それがしにも、どちらが正しいとは申し上げられませぬ。或いはどちらも誤りであるやもしれませぬぞ」
「どちらを選んでも正しく、どちらにせよ過ちを犯すことになるのか」
 瑠璃は力なく笑い、四郎兵衛の顔を覗き込む。
「げに正しきは、己が内にあり。瑠璃様も、努々ご自身を見失われませぬように」
 その日、書院から漏れる議論の声は、夜更けまで静まることがなかった。
 
 
【第七章へ続く】
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