風に散る─幕末戊辰二本松─

紫乃森統子

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本編

第二章 一番弟子(2)

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 汗が滲む頃には息も上がり、身体も温まる。
 瑠璃はふとその手を止め、構えを解いた。
(……妙だ)
 今朝は、いつもの朝とは違う。
 いつもは瑠璃よりも先にこの砂洲へ来て木刀を振るっているはずの男の姿が、この朝に限って姿を現さない。
(珍しいな、風邪でも引いたか?)
 昨朝の様子は普段通りだったと思ったのだが、それからいくら待てども、鳴海が砂洲に姿を現すことはなかった。
 砲術道場入門の断りを入れようと思った矢先に、何とも間の悪いことだ。
 来られないなら来られないで、普段の鳴海なら遣いの一人も寄越すだろうに、この日はどういうわけかそれもなかった。
(まあ、来ないものは仕方ない。一応城の許可は取ったのだし、道場へ出向いても差し支えはなかろう)
 鳴海は後で見舞うとして、入門の件はその時にさらりと報告すれば良い。
 相手のない朝稽古は少々張り合いに欠けたが、身体から湯気が立ち上るまで素振りや打込みを繰り返すと、そのまま稽古を切り上げたのだった。
 
   ***
 
「姫様、今日から道場へ行かれるんですか?」
 軽く汗を流し終え、袴を着ける。
 普通なら姫君の着るような衣装ではないが、澪は手際良くその着付を手伝いながら尋ねた。
「ああ、行くよ。皆も銃太郎どののところなら良かろうと申していたし、家老たちにも許可状を書いてもらった。今日は見学がてら、銃太郎どのに正式な弟子入りを取り付けてくる」
「用意周到ですね……。けど、殿様の正式な御許可でもないのに、本当に大丈夫ですか?」
「父上には報せを出したし、きっとお解りになってくれる。澪は知らぬだろうが、父上は私が鳴海に武芸を習いたいと願い出た時も、大層喜んで下さった」
「……それ本当に喜んでいらっしゃったのかどうか、すっごく怪しいですけど……、まあそこまで仰るならいいです。でも、供はどなたをお付けに?」
「え? 供? なんでじゃ?」
「いい加減、供をお付けになる習慣くらい身につけてくださいよ……」
 澪はげんなりと溜め息をつく。
 常日頃無鉄砲に動く瑠璃の傍にいるせいか、今や澪は十五とは思えないしっかり者だ。
 お小言の多さも、その辺の侍女とは比較にならない。
「道場に弟子として通うのに、供なぞつけて行くわけにはいかぬ。それに、供がなければ往来も歩けぬようでは武人として侮られるだろう?」
「武人って姫様……」
 武人としての体面よりも、姫君としての体面を大事にして貰いたいものだ。と、澪は言外に匂わせた。
「銃太郎殿の道場へ出向くのは今日が初めてじゃ。銃太郎殿の父上は、かの武衛流師範木村貫治ぞ? 貫治どのと顔を合わせるかも知れぬのなら、はじめの印象はかなり大事じゃ!」
「木村、貫治? ですか?」
 砲術は愚か、武芸事とは無縁の澪は首を傾げる。
「そう。澪は聞いたことないか? 砲術家としての腕が確かなのは無論だが、一つ問題があってな?」
「どんな問題です?」
「貫治殿は、それは恐ろしい御仁らしいんだ。言うことを聞かぬ弟子はボッコボコにするとかいう話を耳にしたことも──」
 そこまで言うと、澪の顔がさっと蒼褪めた。
「姫様、やっぱり鳴海様だけで我慢なさったほうがよろしいんでは?」
 澪のすらりとした眉が苦々しく寄せられ、露骨に不安げな面持ちになる。
 城内外の噂話に過ぎないが、火のないところに煙は立たないものでもある。
 道場での貫治の稽古は厳しく激しいとも聞くし、恐らく銃太郎のそれも父に倣う厳格なものだろう。
 些かの不安はあるものの、そんなことで怯んでいるようでは、銃は扱えない。
 が、瑠璃は呵々と笑い飛ばした。
「姫君と思うて舐められるよりは、ぼこぼこにされたほうが余程ましじゃ」
 それに、一度やると決めたからには──まして、自ら無理を承知で強引に弟子入りした以上は──、後に退くことなど瑠璃の矜持が許さなかった。
 
   ***
 
 北条谷の奥、砲術道場を併設した木村家の門構えは、笠木を渡しただけの簡素な冠木門だ。
 その門前に立ち、瑠璃は声を張り上げた。
「たーーのもーーー!!」
 その名の通り谷間の地形のせいか、ほんの少し谺する。
 意気揚々と家老の許可状を掲げたまま、家人の出てくるのを待った。

 
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