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第十四章 火刑
しおりを挟むその日は、相も変わらずからりと晴れ渡った日だった。
河原の刑場には、七尺ほどの木柱が建てられていた。
木柱に沿って太い青竹の輪が左右に吊られ、それを軸に大量の薪でぐるりと囲む。
人足の非人たちが忙しなく薪を運ぶ様子を、恭太郎は検視席の床几に座してぼんやりと眺めていた。
薪は見る間に積み上げられ、柱の下半分は前二尺を残して殆ど見えなくなった。
そこに罪人はまだいない。
市中を引き廻されて、これからここへやって来ることになっていた。
柱の周囲に積むための茅を束ねたものを、非人たちがせっせと運ぶ。
薪は二百把、茅は実に七百把も使う。
罪人は柱に胴を、輪竹に両の上膊を括られて、茅の山に埋められるのだ。
川縁では、まだ十にも満たぬであろう少女が荒縄に泥を塗りたくっていた。
罪人を柱に縛り付けるための縄だ。
炎で燃えてしまわぬよう、ああして泥を塗っておく。
(まだ幼い子供ではないか)
恭太郎は側に控えていた野辺に声をかけた。
「あの子供、罪人が着く前に帰してやれ」
火刑など、あんな子供に見せるものではない。
「ああ、さよですか」
すると野辺はすぐさま了解したが、ただ、と続けて材木柱のほうへ目をやる。
傍で非人を指揮する男がいた。
「あそこの非人の男、新しく役付きになったんですがね。あれの娘なんですわ。子供だけ先に帰らせますか」
源太郎に代わり頭になったという男と、縄を弄る少女を見比べ、恭太郎は眉根を寄せた。
まだ小さな子供だ、一人残しておけずに連れて来たのだろう。
「……いや、帰さずともよい。ただ、見せずに済むよう配慮してやれ」
ああして刑場に来ていれば、いずれあの少女も秋津のようになるのだろうか。
何となく考えて、やめた。
罪人が刑場に着いたという報せを聞いたためだった。
***
「恭太郎殿は、火刑の検視は初めてであったかな」
隣に腰を下ろす依包が問うた。
磔、斬罪、墨、敲きなど刑罰は様々だが、恭太郎が検視を任されてから火刑が執行されるのはこれが初めてだった。
短くはいと答えると、恭太郎は縄で縛り付けられる十兵衛の姿をじっと見る。
目が離せなかった。
その視線に釣られたか、依包もまた材木柱を見遣る。
「火というのは恐ろしい。風が吹けば町のすべてが焼けてしまう」
この地は西に山脈を抱え、季節によっては強い風が城下に吹き荒れる。
蝋燭一本の灯火が町に大火を齎すことさえある。
「故に如何なる場合にも、火付けに手心を加えてはならんのだ」
「重々、承知しております」
依包の言うのは尤もだった。
過去に何度か大風に煽られ、城下は大火を出している。
そうした理由から、藩でも火付けを特に重く見ていた。
「そろそろ、刻限のようだな」
依包が自ら与力の一人に命じ、調書の内容と柱に括られた罪人とが同一人物であるかの確認をさせる。
茅が積まれていく中で、十兵衛は暴れるでも喚き散らすでもなく、従容として罪を認めた。
恨み言の一つでも吐き捨てればよいものを、十兵衛が口汚く恭太郎を罵ることはない。
一度ちらりと恭太郎を見たが、何を言うでもなく目を逸らしたのである。
依包は与力の改めが終わると見ると、徐に口を開いた。
「火付は大罪である。この罪により火炙り刑に処するが、最期に言い残すことがあれば申すがよい」
そこで漸く、十兵衛の視線が恭太郎を捉えた。
「………」
「そこのあんたに、頼みがある」
十兵衛と恭太郎とを、依包が目だけで探るように交互に見た気配がする。
訝るような視線だったが、恭太郎は十兵衛を真っ向から見据えたままで発言を続けるよう促した。
「聞こう」
すっかり茅に囲まれた中から、顔だけを覗かせた十兵衛の声に耳を傾ける。
もはや、火を放つだけの状態だった。
「秋津を月尾に帰すのだけは、やめてやってくれねえか」
「……調べでも言ったはずだ。月尾へ帰してやる義理はない」
恭太郎の返事を聞くと、十兵衛は微かに笑ったようだった。
では、と依包の指示する気配がして、非人が動く。
茅の中から顔だけを覗かせたまま、火が放たれた。
燃え始めた茅の匂いと、燃え移った薪の爆ぜる音が耳を突く。
──死の間際まで、秋津のことか。
刑に処されているのは十兵衛だというのに、己のことは何一つ願わない。
立ち昇る煙は徐々に周囲を巻いていき、炎は柱となって燃え盛った。
***
雨が降るのは、いつぶりだろうか。
夕立すらも極めて少なかった今夏は、領内中が乾ききっていた。
秋になって漸く慈雨が訪れた、と、波留と孝庵がどこかほっとしたように話しているのを聞いた。
昨夜から続く雨でしっとりとした空気が満ちる中、勝手口の土間を掃き清める秋津のもとへやって来て、波留は少し休めと言う。
「この前、お武家様があんたを訪ねて来られただろ?」
こっそり耳打ちするように囁かれ、秋津は手を休める。
外で地面を打つ雨音のせいで、聞き取りづらかった。
「安藤様のことですか」
「元宮様のところに行くか、安藤様のお話に乗るか、もう決めたのかい」
不意に尋ねられ、秋津は驚いて波留の顔を凝視する。
どうにも波留には全て筒抜けになっているらしかった。
「あたしは元宮様のほうがいいと思うけどねぇ。相当な御家だから苦労はあるだろうけど、あの方ならちゃあんと面倒見てくれそうじゃないか」
「………」
「明日、元宮様がお見えになるそうだよ。……処刑が済んだって話だから」
「…………え?」
一瞬、何を聞いたか解らなかった。
心の臓が大きく脈打ち、頭を殴られたような気がした。
まじまじと波留の目を見返したが、波留は気まずそうにその目を逸らし、あらぬ方を見遣る。
「あんたに悪いとは思ったんだけど、これも元宮様のお達しでね。全部済むまでは、あんたには絶対に知らせるな、ってさ」
「そんな、それはいつ……!」
「昨日だった、って」
「……昨日」
茫洋とした声が出た。
刑場までの引き廻しも道順は予め決まっており、この診療所は全くその道程から外れていたのだ。
それでも訪れる患者から聞こえてきそうなものだが、昨日は確かに患者も殆どおらず、静かなものだった。
結局は嘆願書も功を奏さず、それ以降非人長屋の者が奉行所へ訪ねても門前払いという有様。
恭太郎の言う通りに、非人風情がいくら束になって願い出たとしても、何も変わらなかったということだ。
火刑に処された遺体は、三日間放っておく決まりになっている。
見張りを置き、弔われもせずに衆人に晒される。
そこまでが処刑のだ。
これもいつも通り非人が人足として駆り出され、火をつけたのだろう。
「明日、元宮様に頼んだら、亡骸には会えるんじゃないのかい? あんたも辛いだろうけど、今日のうちに答えを出しておおきよ」
波留はどこか同情めいた声音でそう言い付けると、またそそくさと踵を返した。
***
轟々と燃え盛った炎が下火になると、黒焦げの焼死体に変わり果てた罪囚が露わになる。
非人は更に火を付けた茅を手に、罪人の鼻を焼いてとどめを刺す。それが慣例だ。
火炙りの後に晒された遺体は、もはやそれが誰であるかも判らないほど、見るも無惨なものだった。
火炙りはそう度々目にするものではなく、群衆の目を引いたことだろう。
大勢が詰めかけたであろう刑場の周囲は下草が綺麗に踏み均され、雨の後にも関わらず泥濘に足を取られるようなことはない。
「……会わせてやれず、すまなかった」
磔よりも苦しみの度合いは高いだろうと思われ、処刑後に晒すのも見せしめの意味合いが強い。
火付けには火でもって罰する。
一日雨に打たれた消炭のような遺体は、十兵衛のものとは思えぬほど、ひどく小さく見えた。
「刑の執行を、どうしてもおまえに見せたくなかった」
竹を組んだ柵で囲われた向うにまで近付くことは許されず、秋津は思わず柵の縄目に手を掛けた。
あれが十兵衛だと言われても、似ても似つかないその姿に実感はない。
それでも、心で理解してしまっているのか、景色が滲み、声が出せなかった。
検視役の恭太郎が言うことに間違いはないのだろう。
処刑はいつも必ず、その本人に相違ないかを改める。名前と人相、罪状を充分に照らし合わせ、それから漸く執行に至る。
そのことを秋津も嫌というほど見てきた。
「十兵衛は、何か言ってましたか」
「……おまえを、月尾へ帰さぬように、と」
背後に少し下がったところから、恭太郎の声が答える。
「それが、最後の言葉だ」
「………」
あの時、必死になって連れ戻そうとしていた十兵衛の様子は気に掛かっていた。
結局、あれが最後だ。
あそこで長屋に帰っていたら、変わっていただろうかと、詮無いことが過ぎる。
秋津は静かに手を合わせ、瞑目した。
恭太郎が隣に立ち、同じ様に手を合わせる気配がした。
きっと返答を聞きに来たのだろうに、何も言わず刑場まで連れて来て、ただ隣に寄り添う。
秋津にはそれが有難かった。
***
雲が切れ、空はまたその高く青い色を覗かせた。
雨で濡れた地面は乾ききっておらず、枯れ草に覆われたところはまだ泥濘んでいた。
刑場を後にし、河沿いの道を歩く。
秋津は恭太郎の背を追いかけるように遅れて歩くが、前を行くその背は数歩ごとにこちらを振り返った。
そのたびに恭太郎の羽織の裾から覗く刀の鐺が僅かな光を弾く。
そこらの下級武士には手も出ないような、立派な刀なのだろう。
沈黙が続き、ただ歩く音と、河の水の流れゆく音だけが響く。
秋津は足を止め、その背中を見つめた。
一、二歩先に踏み出してから、重なる足音が消えたことに気付いたのだろう。
「……どうした?」
言いながら振り返り、訝るように首を傾げて立ち戻る。
その足がもうあと一歩で秋津の目の前に来る、というところで秋津は俯いたまま声を張った。
「──あたしは、月尾へ行こうと思います」
十兵衛が最後に願ったというそれを突っ撥ねるようで、胸が痛む。
恭太郎から想いを告げられ、別邸へと誘いを受けた時には、垣根を越えようとする姿勢に驚き、胸中に得も言われぬ淡い想いが芽生えたものだ。
確かにその一時は、不相応にも恭太郎に心惹かれもした。
だが、初めから期待は抱いていない。
互いが望んだからといって、どうにかなるような身分差ではなかった。
「月尾の──、島崎の家に行っても、あたしが何かの罰を受けたりするわけじゃない。肩身の狭い思いくらいはするだろうけど、来いって言って下さるんなら、島崎様も悪いようにはしないはずだから」
手を伸ばせば触れるほど近くに、恭太郎が躙り寄る気配がする。
秋津は顔を下向け、眼前に迫る恭太郎の着物の衽を見つめた。
「明日、安藤様にお返事しに参ります。孝庵先生と波留さんにも、今までの御礼をしなきゃいけませんね」
恭太郎の手が上がりかけ、きつく握られるのが見えた。
「……やはり、私を恨んでいるのか」
自責の念を含んでいるかのように、昏く沈んだ声音だった。
「………」
「嘆願を通してやることが出来なかった」
すまない、と今にも消え入りそうなほどに恭太郎は小さく詫びる。
「恨んじゃいません。火を付けたのは十兵衛だし、恭太郎様は役目を果たしただけだ」
恨むべくは、自分自身だ。
「あの時、あたしが素直に長屋へ帰ってりゃ良かったんだ」
「それは違う。おまえのせいではない。……もし、おまえが長屋へ戻っていたとしても、私はおまえを諦めはしなかっただろう」
「………」
「私の妻になってほしい。生涯、おまえを守り通すと誓う」
ぎょっとして恭太郎の顔を振り仰ぐと、真っ直ぐに向けられた双眸とかち合う。
「家を捨てる覚悟だ。父にもそう話した」
口を引き結び、些か緊張の色が滲んでいた。
そもそもは、別邸に奉公するか否かの話だったものが、突拍子もない話に飛躍していた。
「別邸に奉公するかって話だったのに、それがなんで……」
「島崎与十郎殿は、おまえを引き取ればそのまま自分の妻にするつもりだ。勿論、それも本当かどうかは分からない」
行ってしまえば最後、月尾でどんな扱いを受けるかは誰にも予測のしようもない。
「けど、どうしたってあたしは恭太郎様の妻にはなれませんよ。身分が──」
「だから家を捨てる覚悟だと言ったんだ」
何処か他へ流れて行って、他国に仕官の口を探してもいい。それが叶わなければ、何処かに学問所を開いてもいいだろう。
そう話す熱の入った口調の中に、僅かに焦燥が混じったように聞こえる。
「ま、待って下さいよ、元宮様の後を継ぐのは恭太郎様しかいないって、ご自分でそう言ってたんですよ」
「養子でも何でも迎えればいい。おまえに会わなければ、どの道私は役目を放棄したとして処分を受けていた」
検視から逃げることを続けていれば、相応の処分は免れない。
武家の事情はわからないが、それでも家名も禄も全て失うほどではないだろう。
恭太郎なりの結論なのだろうが、秋津には到底受け入れられるものではなかった。
「……弁えなきゃ駄目ですよ。恭太郎様は、あたしに構っていて良いような方じゃないんですから」
「身分を捨てたとしても、か? それでも、私では駄目だと……そういうことなのか……」
「……駄目です」
今の大身の身分を捨てたとして、その後の境遇をどう生き、切り開いていこうと言うのか。
何もない暮らしをして来たからこそ、捨てさせるわけにはいかないと強く思った。
「恭太郎様では、駄目です」
「……そう、か」
恭太郎の声が揺らぎ、一瞬、今にも泣き出しそうに見えた。
***
食事を取る帯刀の様子を、美代はじっと見守っていた。
膳に載る品数はそう多くもなく、食材もそこまで贅沢な物はない。
鮭の塩焼きにしたものと、他には芋がらの煮物や大根の古漬けぐらいなものだ。
質素倹約は藩の方針として上士にも浸透している。
給仕は概ね女中に任せてあるが、美代は必ず帯刀の傍に控え、その世話を焼くのが常だった。
が、今日はいつにも増して帯刀の口数が少ない。
あきらかに機嫌が悪いのが、その挙措からも伝わってくる。
「そのように掻き込んでは、喉を詰まらせますよ」
穏やかに言えば、帯刀はじろりと美代を見て咀嚼しながら鼻で溜息を吐く。
「恭太郎はどうしておる」
仏頂面で尋ねた帯刀に、美代は一つ目を伏せた。
「今日も戻ってから、ずっと部屋を閉ざしたきり。食事も取らずにおりますよ」
機嫌の悪いのは、やはり息子のことが原因だった。
「近頃漸く分別がつくようになったと思えば、家を捨てる覚悟だなどと」
帯刀は乱暴に箸を置くと、美代が差し出す茶を啜る。
「それもすべて女一人のためとは、何と愚かな事か!」
苦々しく口元を歪める帯刀に、美代は心中秘かに嘆息した。
「……御前様にそっくりではありませんか」
「なに?」
ぴたりと手を止め、帯刀が美代を見張る。
「たかだか七十石取りの代官の娘を、あの手この手で結局妻にしてしまったのはどなたです」
お蔭で随分と苦労を致しました、と美代は素っ気なく言ってのけた。
「………」
「亡き義母上からの躾は、それはもう厳しいものでしたから」
昔を懐かしむように微笑むと、帯刀はばつが悪そうに咳払いをする。
「し、しかしだな。恭太郎の場合は賤民相手の話なのだぞ。おまえの時とは全く話が違うであろう」
「あら? 変ですね。わたくしは月尾の御家中と伺っておりますけれど」
「おっ、おまえ……」
滅多に見られぬ帯刀の面食らった顔を尻目に、美代は口許に手をやって笑いを堪えるのであった。
【第十五章へ続く】
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(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
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